第30話 太もも


 五感がない、なんてもんじゃない。自分の存在があるのかないのか分からない。とにかくちゃんと自分があるということを確かめたくてもがいていると、動くなと怒られる。いやだから、その動く体もないんだって。

 体がないから声が出ない。どころか呼吸もしてない。鼓動もない。いつも当たり前すぎて気にもしていなかったそれが、なくなった途端気になって不安になって仕方ない。

 どうなってるんだ、これ。え、僕無くなってる?

「    」

 しゃべって! 頼むからなにか、しゃべって。せめて声をくれ。でないと本当になんだか分からなくなる。

「あー。急になにか話せと言われましてもねぇ」

 照れるな馬鹿馬鹿馬鹿。

「  」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。声をください。

「もう少し動くのを我慢してほしいです」

 だから動かせる体なんてないんだって。

「別に無くなってはないですよ。簡単に言えば、機体と君の電気信号をすべてデータ化してこちらへ出力してるだけです」

 意味が分からない。

「だからつまり。人間が行動するときというのは、頭から体の各部位へ神経を通じて無意識有意識に命令が伝えられているわけです。逆に体からは視覚聴覚触覚などの感覚が頭へ送られて、それを自分の動きや周囲の状況として認識しています」

 分かりますかと聞かれても、頷く首がないので分かったフリもできない。

「考えてること、全部こっちへ漏れてますからね。まあ、理解しなくとも、会話に集中してくれていればこちらのテストが捗るので。黙って聞いててくださいね」

 黙ってもなにも、さっきから一言たりとも声は出せていない。

「だからそれは、……まあいいです。それで、ギアローダーの神経接続というのは、その頭と体の繋がりの間にギアローダーを割り込ませる、というシステムです」

 ん? んん?

「頭からの命令は体へではなくギアローダーへ送られます。そして、体からの感覚の代わりにギアローダーの取得した感覚情報が頭へ送られます」

 うーん。つまりチグリスに乗っているとき、チグリスが僕の体になっている、と?

 それで模擬試合のときの僕は裸で突っ立っている感覚になったのだろうか。つまり、文字通り僕はチグリスで突っ立っていた、と。

 でも、じゃあ、そのとき僕の本物の体は?

「大丈夫ですよ。生命維持に必要な信号がギアローダーから送られてますから。発汗から心拍数から感覚信号まで完璧正常に管理されてます」

 意味分かんないけどなんかヤバい。なにされてるんだよ。

「ヤバいもなにも。TGrSチグリスを始めとする神経接続系の基本機能ですよ。まぁ、ヤバいとは思いますが」

 やっぱヤバいんじゃん。

「それでこの出力テストは、頭からの命令もギアローダーからの感覚も外の機械へ出して精査にかけてるわけです。頭へ感覚情報が戻ってこないので、体が無くなったように感じてるだけですね。ほら、大丈夫でしょう」

 全然大丈夫じゃないし。そんなことしてなにが楽しいのか、まったく分からない。

「いやあ、神経接続が100%稼働している状態など例がないので。なかなか興味深いサンプルです。見たことのないプログラムも入ってますし。なんなんですかね、これ」

 なんだか内蔵を開いて見られているような、そんな気持ち悪さがある。

「それにしても、こうしてデータで見ると、意識が雑音ノイズのように入り込んでいるのが気になるところです」

 ちょっと。人のことノイズ呼ばわりしてない!?

「そもそも、TGrSチグリスは適正者も機体数も少なくて運用実績ほぼないですからね、性能面がさっぱり分かりません。数値を取っても正常域なのかどうか、判断に迷うところです」

 おい。

「さすがにを出てからもタメ口きいたらワタシも怒りますからね」

 すみません!

「データの蓄積と保安運営のために、このテストは定期的にやらせてもらうので」

 やだ。

「残念。君に拒否権はないです。まあ、月一ぐらいで大丈夫ですので」

 多い! やだ!

「あと少しなので暴れないでくださいね」

 暴れてないってクソが!!



 テストやらが終わって出してもらうまで、あれこれずいぶん時間がかかったと思う。体感時間もめちゃくちゃなのでよく分からない。

 外へ出て体を動かしてみるが、確かにどこもおかしくはない。感覚も呼吸も鼓動も限りなく平常で、むしろさっきまでの無が夢だったみたいに融けていく。

 ついでのようにズキズキと痛みだした頭が、気づけばすぐに激痛へと変わった。なにこれ。気持ち悪いほど痛い。吐く。

「どうぞ」

 差し出された手に錠剤があった。

「鎮痛剤ですよ」

 渡された水で一息に飲み込む。けれどガンガンと割れるような頭痛はすぐに治まるなど気配ない。痛む頭を抱えたまま部屋へ戻らなければならなかった。

 なにも考えられず、とにかく部屋へ入って。寝袋へたどり着きたいが。なんか頬に冷たい感触。部屋の床だ。床にキスしてる。あは、無理。

「アオイ!」

 驚いたような殿下の声。頭が割れる。響く声やめて。

「大丈夫か!?」

 大丈夫じゃねぇよ。



 目が覚めてみると部屋は暗かった。消灯後らしい。

 頭はまだズキズキするけれど、あのかち割れそうな痛みに比べれば随分とマシになっている。あんまり痛かったから、部屋へ戻ってどうしたんだかなにも覚えていない。

 どうも床に寝ているな、と思うがそれはいつものことだ。ただ、いつもの寝袋じゃなくて毛布にくるまれているらしい。皇女様が貸してくれたんだろうか。床の堅さを感じるけれど、暖かく頭も支えられていて寝心地がなんだかいい。ごそごそと寝返りを打とうとして、そこでようやく「あれ?」と思った。これ、いま僕はなにを枕にしてる?

 まったく覚えのない柔らかいそれは、なんだか甘いいい匂いがして。この匂いには覚えがある。暗くて見えないので手を伸ばして枕のあたりを確かめようとすると、急にバシンと払われた。そして聞こえてくる「むにゃむにゃ」という寝息。

 ……おおう。もしやこれ、皇女様に膝枕されてます?

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