第28話 遺志


「なぜ来た?」

 そう皇女様は僕に聞いた。

 僕の入学願書にはそれはご立派な志願動機が書き連ねてあった。けれど別に僕が書いたわけではない。書いてあるやつを買った。

 軍需物資を扱える優良商会でいるためには毎年一定数以上の願書を仕入れなければならないらしい。が、売れない。少しでもなんとか売ろうと差別化を計るうち、動機どころか名前以外は全部書き込まれた願書が安値で叩き売られるようになったというわけだ。アルみたいなやつも自分の名前さえ書ければ安心。僕も大いに利用させてもらった。とはいえ、別に皇女様は僕の願書の話を聞いてるわけではないだろう。

 言ってしまえば大した理由でもない。

 僕らド庶民は、誰かが軍へ入るなんて聞いたら馬鹿なことをと鼻で笑うものだ。居住区で生きている多くの人にとっては戦場もスカイデーモンも遠い他所の話であり、そんなものに関わろうなんて狂気の沙汰。居住区が軍に紙一重で守られている事実など、忘れられている。その方が幸せだから。

 だが、僕の兄が反対したのは、そういう知らないフリする大人のそれとは違った。

 兄は知っている人だ。僕が知らないことも気づいてる人。兄は僕よりずっと賢い。僕が文字を覚えられたのも、兄の後にくっついていたからついでで教えてもらったものである。

 その兄が、軍へ行くことなど許さないと言った。そう言えば、いつも後ろを追っかけている弟は従うと思ったんだろう。でも僕はその反対を振り切った。

「金一封をくれるって、言ったんだ」

「金一封?」

「うん」

 聞き返す皇女様の顔は訝しげだった。

共同住宅コミューン名主オーナーが、兵学校に入学すれば金一封を報奨として出すって。そう言った」

 庶民には忌み嫌われてる軍だけど、上流階級の人間になるとまた違ってくる。軍はちょっとしたステータスだ。から志願者が出たとなれば栄誉ってことになる。要は自慢。

 けれどもまぁ、ここ数年僕らの共同住宅から軍に入る酔狂なやつはいなかった。僕らにとってはそりゃそうだろって話なのだが。名主としては面目が立たない。

 というわけで、躍起になった彼はとうとう金を出すと言ったのだ。

「金一封なんてご大層に言って、あの名主ドケチのことだから大した金額が入ってるわけないんだけど」

 それでも面子もある。お札の一枚も入れないわけにはいかないだろう。そのたった一枚があれば粉ミルクが買える。生まれたばかりの妹のやつ。

「そのうえ兵学校ならお金もかからない。ご飯も出る。僕の分が口減らしになって、その分弟たちが食べられる」

 あの時点で最良の手だった。なんせあのドケチがお金をくれるなんて口を滑らせること、そうそうないことだ。

 その証拠に、怒りまくる兄の横で両親はなにも言わなかった。母は悲しげで、けれどどこか諦観と安堵の混ざった眼差しをしていたし、父は顔を背けて黙りこくっていた。

 だから僕は軍なんかへ入った自分を馬鹿だとは思うけど、兄よりは正しかったとも思っている。後悔はない。

「でもさ、あの名主はほんとドケチだから。少ないどころか口約束を反故にされたらどうしようかって、ちょっと思った」

 共同住宅の上に立つ大事な大家は、全く信用ならない人なのだ。そう疑っていたけれど、僕の入学試験の結果がとびきり良くて大喜びしたやつは、ご機嫌で金一封をくれた。

 さて。あの中には一体いくら入っていたのだろう。確認するのが恐かった僕は、開けもしないで母に押し付けてきてしまったから中身は知らない。知らなくていい。

 皇女様は黙って僕の話を聞いている。

「まあ、ケチはケチだったけど。上機嫌で壮行会をするなんて言って共同住宅の皆を集めて、そのくせ料理のひとつも振舞わないで、気持ちよさそうに演説ぶってただけで。壮行会なんてするなら、汽車の切符のひとつも用意してくれればいいのにさ。手ぶらで行ってこいもないもんだ」

 おかげで三日もかけて歩いてくる羽目になった僕は、到着が入学式前夜になるというギリギリっぷりだ。もう少し早くちゃんと着けていれば友達だってできただろうに。

「いや、それは関係ないと思う」

 黙って聞いていると思った皇女殿下が要らないところでツッコミだけはちゃんと入れてきた。僕は小さく肩をすくめる。

「そういうわけだよ」

「アオイ・カゼ」

 皇女様が名前を呼ぶ。まだなにか聞きたいことがあるんだろうか。僕にはもう話すことはないんだけど。

「やはりお前、手紙を書け」

 なんでその話へ戻るんだ。僕は無理だとはっきり言ったはずだし、出来うる限りの事情も話した。僕は訝しげに皇女様を見上げた。

「ともかく無事着いたことを、息災でいることを家族へ伝えよ」

 皇女様の表情は穏やかだが感情が読めない。

「そうしなければ、あるいは今日お前の書いた遺書が最初で最後の手紙になるのだぞ」

 ああ。それは、嫌だ。あの遺書に僕の気持ちは一ミリも入っちゃいない。それを家族に僕の遺志だと思われるのは、とても嫌だ。

「ならばつべこべ言わずに、書け」

 皇女様の命令ならば仕方ない。と僕は思った。


 僕の送った手紙に家族からの返事は来なかった。たぶん、間が悪く兄の指が全部骨折してたか切手を買う金もなかったか、あるいは返事も書きたくないほどまだ怒ってるかのどれかだろう。

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