第36話 ゴートゥーフロリダ

 ジュディが大統領直々の電話で呼ばれてから、三年が過ぎた。

 季節は春。

 個人的な出来事はまあ順調。

 事実婚はほぼ職場の上下関係を保ったまま、円満に続行中だ。

 さらに最近、転職した。履歴書上だけだけど。

 会社名は株式会社ジュディ・サイオ・ジャパン。

 ウラノスの社内子会社だ。

 社長はジュディ、副社長はルキ、俺は唯一の平社員。

 ちなみに仕事内容はペントハウスの常駐警備。

 快適すぎる社内自治区ことジュディ・ラボを侵入者から守っている。

 ウラノス受付を抜けて防犯カメラと警備員の目を潜り抜け、秘密のエレベータを突き止め、暗唱キーと網膜認証をクリアしてペントハウスに侵入してくる連中がいれば俺が相手だ。

 見つけ次第、防犯会社への通報ボタンを押してやる。

 この会社、サイオの権利収入がどかすか入ってくるので安泰らしい。

 ルキ曰く、「ガソリンや原子力の特許を持ってるみたいなもの」。

 とてつもないことだけはわかる。

 さて、我らがジュディ博士はNASAで二ビル殲滅タスクフォースのリーダー、つまり、世界から集まった天才を束ねて活躍中。

 留守を預かるルキさんも、その付き人みたいな俺も、特権階級的な社内企業でのんびりと過ごしている。



 最近、出社後の日課はコーラの一気飲みだ。

 冷蔵庫から一本取り出し、炭酸ガスごと胃に流し込む。

 ゲップと共に古い空気を吐き切り、リフレッシュして一日のスタートを切る。

 爽快な一発を決めたところで、ルキに声をかけられた。

「メイジくん。パスポート持ってないよね?」

「持ってるよねと訊ねるのが普通だと思いますけど。まあ、もちろん、ありません」

「どうせ今日もヒマでしょ。申請してくるといいわ。来月、アメリカに行くから」

「なんか、あるんですか」

「ジュディとニビルのスーパーファイトよ。フロリダの宇宙基地で対二ビル用サイオミサイルの打ち上げ。この三年間、彼女が人生を賭けて挑んだ研究の成果を披露する日ね。特等席で見届けましょう」

「本場のコーラは飲めるかな」

「さあね。意外とメイド・イン・ジャパンかもよ」

 刷り込み効果か、いまだに敬語っぽくしか話せないのは仕方なし。



 【声】が聞こえる人々は世界の八割程度。

 残り二割は中国大陸に住む人々、そして俺だ。

 多数派の約七十億人は二ビルを終末の象徴と知らされているらしい。

 【声】によると、二ビルとの対決結果いかんで今後の世界は変わるらしい。

 らしいらしい……と言うのは、どれもこれもルキからの伝聞だから。

 だが、滅亡の危機に瀕する我が星、地球にも希望はある。

 地球代表ジュディ・ホージョー博士は、ハリウッド女優に引けを取らない美貌。本人も忘れるほど取りまくった博士号と特許を持ち、歯に衣着せぬ物言いで演説上手。

 この悪の星と戦う英雄は老若男女を問わず、世界中にファンがいて女神崇拝に近い愛されようだ。

 インタビュー本はベストセラー、写真集もフィギュアもカメオ出演した映画も大ヒットを記録。

 ビデオチャットの向こうでは、そんな世界のスーパーヒロインがホットドッグを片手に話している。

「ルキルキ、メイジ、やっと二ビルを叩けるよっ! 特等席を用意しておくわっ」

 威勢のいいセリフを言って一口齧る。

 白衣にケチャップが垂れる。

「うわっ。流血みたい。んーと」

 ナプキンでなくポテトを一つかみ、白衣の汚れた部分を拭って口へ。

 もにゅもにゅっと食べてコーラで流し込む。

「白衣は洗い立てだから大丈夫、汚くないわっ。あ、ハーイ! ごめん、呼ばれちゃった。ま、こっちは元気でやってるからっ。じゃ、フロリダで会いましょっ」

 会話終了。内容なし。


 俺の初めての海外旅行。ミサイルの行方次第では最後の海外旅行。

「ねえ、ミサイル発射の何日か前に現地入りしない?」

 ルキがささやいてくる。

「新婚旅行みたいなもんじゃない。ちょっと楽しみましょ。場合によっちゃ世界が終わるんだし」

 結婚してないっすけどね。

 あなたの引っ越し先に一部屋もらって転がり込んでますが。

「じゃ、いいわよね。ホテルは私が手配するから」

「いつも通り、おまかせします」

「よしよし」

 わーい、なでられた。



 生まれて初めての国際線。

 ルキ副社長の判断でファーストクラスに搭乗できた。

「こういうとこで経費を使わないとね。どうせ、税金に持ってかれるんだから」

 映画に食事にふかふかシート、確かに快適なんだけど……これ、丁寧接客で超豪華な個室ネットカフェだよな。

 テキサスでトランジットして最高級な空の旅を終えたら、西海岸は午後二時過ぎ。

 空港へはリムジンが迎えに来ていた。

「この車、ルキさんが予約したんですか?」 

「だって、最後の旅行になるかも知れないのよ。上限ギリギリまで贅沢しなきゃ」

 爽やかな笑顔で縁起でもないことをおっしゃる。

「この辺りには超高級ホテルがないのよね。ビーチが近いからリゾートホテルばっかなの。どうせなら最高級スイートに泊まりたかったのに」

 世界の命運を決する一大決戦なのに観光気分全開。

「ねえ、メイジくん、ハネムーン気分を味わいましょ」

 首に手を回されて、軽く口づけ。

 いま、初めてハネムーン気分を感じました!

「じゃ、行きましょう」

 車に乗り込むやいなや、ルキは社内の冷蔵庫からシャンパンを取り出す。

 乾杯して一口。うまっ。

「クリュッグよ。ちょっとお高め」

「俺、シャンパンって飲まないんですけど。これ、うまいですね。最高級のレモンサワーみたい」

「瓶で殴っていいかな?」



 バカ長いリムジンで、アメリカらしい一直線の道をひた走る。

 ビーチ近辺まで来ると、黒光りする巨体はフロリダの明るい太陽に不似合い過ぎなのか。窓の外を行き来する観光客や地元民に見て見ぬふりをされてるっぽい。

 爽やかな空気を台無しにして黒光り号はホテルに到着した。

 移動手段は空も陸も最高級とはいえ、さすがに長旅で疲れている。

 とっととチェックインして休みたい。

 旅の宿なんてビジネスホテルしか知らないが、シャワーを浴びて寝れればなんでも構わない。

 ルキが取っていたのはリゾート仕様の陽気なホテル。

 最上階へ案内されて、ドアを開けて目を疑う。

 あれ……なにこれ?

 だだっ広い。

「この部屋、本来はファミリー用なの。定員六人でベッドルームは三つ。ちょっと見て回ろう」

 はい、お供します。

 オーシャンビュー。

 潮の香り。

 どの寝室も清潔でダブルベッドは適度な弾力。

「もう、シャワー浴びて倒れたいです」

「そっちの扉とあっちの扉がお風呂よ。この部屋、バスルームも二つあるの。メイジ君、好きな部屋で寝てていいわ。食事の時間になったら起こしてあげる。ジュディが美味しいもの準備するって」

 早速、ジュディが来るのか。

 なんだよ、ハネムーン気分はいずこへ?



「ディナーよっ!」

 耳元に大声。

 驚きと共に起き上がると、視野の端には部屋から出る背中。

 ドアの向こうからはカチャカチャと何かを運ぶ気配がしている。

「ルキルキ―。メイジは起きたよっ」

 寝ぼけまなこをこすりつつ、寝室から出る。

 ダイニングルームの壁沿いにクロスの掛けられたテーブルが並び、様々な料理が置かれている。

 保温用ヒーターらしい器具に置かれた銀皿にはドームカバー。

 ホテルのパーティで目にするビュッフェのコンパクト版といった趣きだ。

 すでにジュディは着席済みでグラスを掲げている。

「メイジ、おはようっ! ワインもビールもたっぷりだから、ガンガンいきましょー! まずは生牡蠣からっ。人数分、取ってきてっ」

 ああ。俺がサーブ役なのね。社長、副社長、平社員だものね。

 言われるがまま、牡蠣を三つ、皿に盛ってテーブルへ。

「今日は白衣じゃないんですね」

「昼間は日焼け止めにいいんだけどねっ。メイジはビールでいい? つか、もう注いじゃってるけどね。乾杯の音頭はルキルキがやってっ」

「では、再会を祝して、そしてミサイル打ち上げの成功を祈って。乾杯!」

 寝起きの牡蠣、栄養と旨味が舌から胃袋まで一気に染み渡る。

「おいしいでしょ。私が通ってるシーフードレストラン。無理言ってケータリングしてもらったのっ。一応、今日のメニューはこちら。つっても、英語だから読めないか? そっちのテーブルに並んでる通り。ロブスター、貝、魚をいい感じにしたのが色々ねっ。サザエっぽいのをエスカルゴっぽく焼いたのがおすすめっ」

「ねえ、ジュディ。お店に行かない理由は?」

「言わせんなよっ。私は守秘義務だらけの仕事をしてるんだから。言えないことばっかでストレスたまってんのっ。今日はオフレコ祭りよっ」

 我らが博士、テレビやネットニュースで見かけるよそ行きの表情はどこへやら。美人度をぐっと下げて生き生きとしている。

「でも、ぶっちゃけるには、ワインとビールがもう少し入らなきゃダメねっ。まずは食事に集中しましょっ」

 三年ぶりの揃い踏みで最高の料理。天国のよう。

 料理を持ってくるたび、ルキがメニューと照らし合わせて説明してくれる。

 アラスカ産サーモン、ブラジル産巨大カマス、エクアドル産タチウオ、一応、貝やカニはフロリダ産。

 うまいから、どこ産でもいいんだけど。

 フロリダの店なんだから、興ざめな産地は書かなくてもよくないか、これ。

「それじゃ、ぼちぼち話しますかねっ」

 赤く染まった頬と目で、正義の天才美女が微笑む。

「ルキルキ! 自慢と弱音、どっちを先に聞きたい?」

「そうねえ」 

 我が愛しの君は、唇に人差し指をあてて首を傾げる。

「お酒が進む方を先に話して、酔いの回った方が話しやすいのを後にしたらいかが」

「オッケ。じゃ、自慢からいくわっ」

 ジュディはグラスの白ワインをグッと干して立ち上がる。

 両手を広げて演説スタイル。

「大統領にどうしてもと頼まれて、こちらに来て三年。並みの天才じゃ十年かけてもできない発明と開発を四つやり遂げたわっ。サイオバッテリー、サイオガス、サイオ・ロケット、サイオ爆弾」

 まるで、スタンダップコメディアンのような名調子。

「まずはサイオ・バッテリー。バッテリーと呼んでるけど、実際には発電施設みたいなものっ。精製したサイオを個体化っ。必要に応じて電気に変換して放出するの。発電量は小さめの原子力発電所を一基搭載してるようなものねっ。ちょいと失礼」

 冷蔵庫からビールの小瓶を持ち出して抜栓、くし切りにしたライムを入れてごくっと一口。

「サイオ・ガスはサイオを液状にした燃料よっ。ロケット打ち上げと二ビル破壊に必要なパワーを得るために開発したのっ。バッテリーとガスを使って高い精度で制御できるのがサイオ・ロケット、遠い宇宙の向こうでも微妙な方向修正や加速減速をばしっと実現。予定では火星近辺でニビルを撃破、一ヵ月程の旅になる計画ねっ。地上からの制御システムも含めて私のお手柄。そして、最後の決め手が爆弾っ」

 ジュディさん、言葉を切って後ろを向いた。

 料理テーブルからロブスターステーキをゲット、尻尾に手づかみでかぶりつく。

 ビールをぐびぐび。「ぷはーっ」とやってから話を続ける。

「秋田みたいに二ビルにどんと墜ちられても困るし。中国みたいに、宇宙からの隕石マシンガンってのもお断りよねっ。だから、地球からできるだけ遠いところで破壊しちゃう。サイオ爆弾は線香花火みたいに爆発が枝分かれしながら長く続くの。二ビルに到達したら最初に大きく破壊して、後は破片の一つ一つに取り付いて粒子レベルまで粉砕っ。宇宙空間の塵にするわけっ。燃料、ロケット、爆弾と運用システムに至るまで完璧に設計、開発したのっ。【声】に導かれた世界のトップエンジニア達と作り上げた人類最高レベルの傑作を叩き込んでやるわっ」

 席について、ワイングラスを掲げる。

「成功の前祝よっ。カンパーイ!」

 三人でグラスを合わせる。矢でも鉄砲でもスタンガンでも持ってこいな勢い。

「さーて。弱音にいきましょうか。ちょっと待ってっ」

 立ち上がったジュディは冷蔵庫をごそごそ。

 トレイにショットグラス、テキーラ1本、塩を持った小皿、くし切りライム数個を乗せて戻ってくる。

 席に着くや否や、グラスの口に塩を付けて手酌で最初の一杯。

「くうぅー……! 効くっ」

 ライムをがぶっと一齧り。

「すっぱ! さて、弱音、吐くよっ」

 表情が変わる。西部劇の悪役みたいな渋い目つき。

「この職場、プレッシャーが半端ないのよ。役割期待は世界から集結した頭脳をまとめるプロジェクトリーダー。でも、現場の部下は理屈ばっかの研究おたく、脳筋の国防総省組、コンプレックスばかりの偏屈学者、地球の危機なのにアメリカファーストを曲げない大統領側近、ストレス大作戦よっ。そんでもって、報道陣の前では強くて自信満々に振舞うわけっ。そんな私が辛い、厳しい、助けてと言えるの、ルキルキとメイジだけよっ」

 テキーラ二杯目。

「今回の二ビルの画像データは数千万枚っ。軌道や速度をがっちり分析して、地球から離れた場所で破壊するために金に糸目をつけずに、ハードウェアもソフトウェアも完璧に仕上げたわっ。で~も~さ~」

 テキーラ三杯目。

「当たんないかもしんないのっ。ミサイルがっ、二ビルにっ」

 衝撃的発言っすね。ドクター。

「はあぁ……やった、やっと言ったっ! 当たんなかったら全部パー」

 テキーラ四杯目。

「あの天体、たまに消えるのよ。レーダーにも望遠鏡にも姿を見せない時があって。しばらくすると計算通りの軌道上に見つかるんだけど。消えている時間も、移動距離も全く気まぐれでさっ。うちの可愛いミサイルちゃんとすれ違う可能性があるのっ」

「【声】はなんて言ってるの?」

「ルキルキ、良いとこついたっ! 正体は教えてくれたわっ。【声】がくれたイメージからは次元転移軌道彗星って感じねっ。つまり、私たちの世界と別次元を行き来しながら進んでいる天体ってこと。変な奴。こんなのわかっても何の意味もないけどさっ」

 テキーラ五杯目。

「おっと、メイジ。なんか訊きたそうな顔をしてるじゃん。言ってみっ!」

「あの、つまり、結局、要するに、成功確率は何パーセントくらいなんですか?」

「はっ、鼻で笑うよっ、ボーイ。ここまで聞いてたらわかるでしょ? 当たるか外れるか、二つに一つ。地球の未来を賭けた丁半博打よっ」

「五十パーセント……」

「そんな悲観する数字じゃないわよ。プロ野球だって三割打ったらレギュラー、四割売ったらスーパースターじゃない。こっちは五割よっ」

 話が違うと思うんだが、何がどう違うか訊き返す意味はないよな。

「以上、弱音終わり。こんなのネットにでも漏れたら盛り上がっちゃうからさ。すぐ忘れてっ」

 テキーラ六杯目、七杯目、八杯目。

「ルキさん」

「なに?」

「寝ちゃったよ」

「部屋は余ってるし。一時間経ってもまんまなら、どっか放り込めばいいわ。二人で飲み直しましょ。まだ、お料理あるし」

 じゃ、地球を救う大天才の寝顔を見ながら、乾杯。

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