第27話 「好き」と「ごめん」

 ウラノスのロビーは商談や取材に訪れた人々でごった返している。

 午後二時、会議や打合せのゴールデンタイムとはいえ、混みすぎじゃない?

 全国ツアー前はこんなに大盛況じゃなかった。

 初めて顔を見る長身の受付嬢に用件を告げて、人間観察で時間をつぶす。

 顔も仕草もお堅いスーツ姿の二人組はたぶん金融系、チェックシャツにジーンズのエンジニアっぽい一団、姿勢も服装もよれよれでだらしないのはマスコミかな。

 俺の顔を見て目を見開いたり、こそこそと話す人が多い。

 生命保険会社のおばさんは握手を求めてきて、パンフレットを押し付けていった。

 そりゃま、ここの訪問者に顔が売れてても仕方ない。

 もう、一方的な人間観察はできない身になったか。

 身の丈に合わない有名税だ。

 

「ちっす」

 サンダルをペタペタ鳴らして大股に歩いてきたのは金髪天才博士。

「俺が受付に告げた名前は城戸ルキさんですけど?」

「しばらく会わないうちに、背が伸びて髪を染めて服装の趣味が変わったのよっ」

 白衣の襟に両親指を入れて、どや顔。

「小さいこと気にしないでっ、フォローミー」

 科学の世界では小さいことの定義が違うらしい。

 どんどん進むジュディを追う。

 フロアを突っ切り、専用ラボ行きのエレベーターへ。

「ルキルキは上で待ってるわっ。気合を入れてった方がいいよ」

 さらっと恐ろしいことをおっしゃる。

 やっぱり、怒ってるのかな、

 打ち上げ宴会で勝手に帰ったことも、メールや留守電に返事しなかったことも悪いとは思っている。

 鹿原への敗北感で心が折れてたって言い訳になるかな……ならないよな。

 俺以外の誰もが、俺はライブの功労者で鹿原のお気に入りと思ってるんだもの。

 彼女に会うと想像するだけで、へその辺りから緊張がせり上がってくる。

 ツアーの総括報告でしょ、今日。

 仕事の話だよね、一応。

 ……怒ってる?

「はい、到着っ。ペントハウスへようこそ」

 ゴージャス過ぎるエレベーターガールは、ほくそ笑みながら右手で外を示してくれる。

「ほらっ、とっとと出る。なんで、怖気づいてるのよっ」

 あんたのせいだよ。


☆ 


 かつて知ったる一軒家風研究施設。

 リビングのような研究室のような開発室のような広間を抜けると短い廊下があった。カーペットもドアもビジネスホテルのように簡素なつくりだ。左右と終端に一つずつドアが見える。

「突き当りは物置。開けると失敗作と危険物が雪崩落ちてくるので決して触れないように。ルキルキは右の部屋にいるよっ。じゃ、後は若い人同士でっ」

 軽く手をふり、ジュディはラボへ引っ込む。

 時折、ギャグが異様におっさん臭いんだよな。

 ともあれ、深呼吸を一つ二つ……もう一つ追加。

 ドアをノック。

「どうぞ」

 緊張した声音が返ってくる。

 微妙に震える手首を返して、部屋の中へ。

 白で統一された内装に応接セットが一つ。

 見慣れたスーツ姿のルキが、見たこともない緊張した面持ちで座っている。

 怒り心頭かは、まだ確認できず。

「どもです」

 向かい合うソファに腰を下ろす。

 彼女の強張りに室内の空気が呼応して、唾を飲み込むのも一苦労だ。

 さて、バキッと怒られるか、ネチッと絞られるか。


「メイジくん。全国ツ、ツアー、お疲れさまでした」

「お疲れさまでした」

「…………………………」

 無言。

 なに、これ。怖い。

「今日は総括報告ということで。質問をしていくから答えてくださいね」

 胸ポケットからレコーダーを出して、テーブルにそっと置く。

「じ、じゃ、率直に話して…くださ、さい」

 ガチガチにナーバスじゃないですか。

「まずは、な、名前。ツアーでの肩書。主な仕事内容をお願いします」

 ぎこちない口調。

 アングリーって感じのテンションじゃないな。

 そんなガチガチになるまで気持ちがこじれてるの?

 本心が読めず、ビクビクする俺にお構いなく、インタビューは進んでいく。

 ツアー全体の話に続き、アミガや力山、鹿原、ジャックら出演者に対する意見を求められる。

 各会場での観客の声、ネットやマスコミの評判を教えてもらい、コメントを返していく。

 終始、ルキの緊張は解けず、つられて俺も固くなり、だんまり時間が多い。

 実際に喋ったのは十分程度だが、質疑応答は三十分を越えても続いた。

「今の質問で報告終了です」

 細い指がレコーダーの停止ボタンに触れた。

 彼女はスイッチ・オフと同時に、寂し気に目を伏せて溜息をつく。

 無言。静寂が訪れる。

「ルキさん」

 たまらず、声をかけると、彼女は顔を上げた。

 口をしっかりと結び、まっすぐに俺を見つめてくる。

 憎しみを込めたにらみではない、愛を込めた熱さもない。

 ただ、美しい瞳がこちらを射抜いてくる。

「メイジくん……。ジュディから聞いてるんでしょう?」

 ええと、何を?

 俺がいぶかしげな表情だったからか。彼女が答えを口にする。

「【声】のこと。どう思ってるかな?」

 あれ?

 まいったな。

 俺、どう思ってるんだろう。

 信じているかどうかなら、信じていない。

 でも、聞こえると言うものを否定する気はない。

 本人がそう言うなら構わない。

 でも、気にならないとは言い切れない。

「秋田のこと。ずっと話さなきゃと思ってた。でも、【声】が聞こえていたと知ったらどうなるか不安だった」

 いや、秋田のことは多少のごちそうさま感もあったしさ。

「ラストの両国まで、メイジくんは黙って仕事をこなしてくれた。打ち上げで帰ったと知って反省したの。私は甘えていたって」

 もしかすると、ルキさん。

「あの夜、生まれて初めて【声】が消えたの。寂しくて怖くて、気がついたらメイジくんにすがっていた……あなたは受け入れてくれた」

 ああ、これは完全に。

「正直に言うわ。初めての出会いも。再会した秋葉原も【声】に導かれたの。でもね、誤解して欲しくない、メイジくんは幼い頃も、この数年も私にとって、とても大事な人」

 勘違いしてるな。

「今日は、これをジュディに貸してもらったの」

 テーブルの上にビニールの小袋。

 隕石の欠片が置かれる。

「【声】が私から消えたのは人生で二回目。自分の意志でそうしたのは初めてよ」

 表情と声音から、ルキの真剣さは伝わってくる。

「秋田の夜、それから、あなたと連絡がつかなかったこの数日間でわかったわ」

 椅子を静かに引き、ルキはそっと立ち上がる。

 ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 俺の右手に立ち、静かに見つめてくる。

 俺は座ったまま、何も言えない。

 何か言えるわけもない。

 この数日、俺はただ打ちひしがれて、ずる休みみたいに連絡しなかっただけなんだから。

 それに、思い詰めているところ、本当に申し訳ないんだけど勘違いなんだもの。

 真剣に思ってくれているのは伝わるし、嬉しいんだけど。

 どんな言葉をかけるべきか、混乱してフリーズですよ。

 ぶっちゃけ、俺、【声】とかどうでもいいしさあ。

「メイジくん」

「はい」

「秋田のこと、きちんと話し合う時間をとれなくてごめんなさい。それに【声】について黙っていたこと、怒ってるよね。全部、ごめんなさい」

 本音を話すと余計に混乱するよな。

 全部、受け入れよう。

 俺、色々あっても彼女を好きだもの。

「もう、いいですよ」

 どこまでが彼女の考えで、どこからが【声】の意志かなんてわからない。線など引きようがない。

「【声】も含めてルキさんなんでしょう。それがあなたの自然体なのだから、謝らないでください」

 彼女の表情が崩れる。

 力を入れた唇は細かく震えて、目は潤み始める。いきなり、座る俺にしなだれかかってきて。

 首根っこに抱き着かれて。

 小さな顔は俺の右肩にあって。

 吐息を耳で感じて。

 涙声の「好き」と「ごめん」が何度も鼓膜を揺さぶって。

 座ったまま彼女の背に腕を回す。

 頬に暖かさを感じる。

 しばらく、そのまま抱き合って。

 徐々に涙の気配は治まって。

「メイジくん」

 彼女は少し体を離して、いつもの歯切れのいい口調で呼びかけてくる。

 あ。

 ほんのわずかな力で押しあてられた、くちびる。

 触れたまま、動かない。

 一瞬の驚きが消えて、二人の接点に意識が集まっていく。

 つながった部分を通じて彼女の体温が俺に伝染ってくる

 俺たちの、少し異なる脈と呼吸は独特のリズムを掛け合う。

 お互いに謝りたくて、相手が怒ってると思って。

 勘違いのまま、でも、同じ答えに行き着いて。

 唇が離れて。

 永遠だったか一瞬だったかわからない時間が終わった。

 ルキは体を起こして、両手を伸ばして俺の両頬に当てる。

「好きだよ」

 ごつっ

「いたっ」

 頭突きかよっ。

「じゃさ。ジュディのとこ行ってお菓子でも食べよ」

 今日はじめての笑顔で、おそらくたぶん、【声】が消えて最初の笑顔。

 キスも頭突きも強烈。

「そうですね。コーヒーも淹れましょう」

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