第26話 【声】とルキ

「冷めるとまずいからさっ」

 ジュディは金髪をピンでまとめて戦闘態勢に入る。

「寿司と同じで順番が大事なの。まずはクアトロファルマッジ、どんなレベルのチーズを使っているか、お手並み拝見、ピザの命だからね。これで店の本気度がわかるわっ。続いて定番のマルゲリータ、トマトソースとバジル、モッツアレラの活きの良さとバランスを味わうの。ミートデラックスで肉への態度を確認」

 なんだよ、肉への態度って。厳しく接すると味が落ちるのか。

 天才美人博士は、ピザをフードファイター並みの勢いでお召し上がりになっていく。

 全種類を一切れずつたいらげてコーラを一気飲み。

 泡で濡れた官能的な唇で百年の恋も醒ますゲップを吐く。

「理系なめんなよっ。研究室で酒石酸からサイダーを作ってたんだから」

 よくわからない気合を入れつつ、チキンとサラダに取り掛かる。

 いくら食べてもライダースーツのお腹周りはペッタンコなまんま。

 胃袋にブラックホールでも飼ってるのかね。理系らしく。

「ごちそうさまっ。残りは晩御飯にでもどうぞ」

 俺のディナー、冷えたピザに決定。

「食後のコーヒーが欲しいとこだけど。これで我慢しよ」

 二本目のコーラを空けて、ぐびっと一口。

「腹ごなしに軽い世間話でもしよっかっ。なんか話題ない?」

 またかよ。時と場合に応じて気の利いた話をできるタイプに見えるのか。

「なさげね。じゃ、私のことでも」

 なるほど、自分語りを始める時の決まり文句なのね。

「あのさ、私も【声】が聞こえるの」

「はあ……」

 さらっと、とんでもなカミングアウト。

 思わず生返事をしてしまう。意表を突かれ過ぎて驚けない。

「驚かないの? ゴリゴリの理系、ロジカルシンキングの鬼、世界的科学者がスピリチュアルかぶれなことを言ってるのよっ」

 いや、あんたのそういう面、俺はまったく知らないから。

「【声】が聞こえ始めたのは十代の終わり。研究室に入った頃よ。私、天才でしょ。飛び級してたからさ」

 どや顔でコーラをあおり、また、ささやかにゲップ。

 それ、アルコールは入ってないよな。もしくは原料にコカとか。

「あの頃、特別な水素エンジンを開発していたの。研究に行き詰ってたら【声】が聞こえてきたわ。直感で正しいと思えるビジョンと共に。疑う余裕なんてなかった。糸口が見つかれば狂ってもいいと思ってたしねっ。すぐに検証し、理解し、数式に置き換えて理論を確立して、発明を現実のものにしたのっ。それ以来、発明や発見のヒントが必要な時に【声】が聞こえるようになったっ。いつも検証すると間違っていない。サイオの基礎理論だって【声】がヒントをくれたし」

 つまり、ただのサイエンティストがマッドサイエンティストになったと。

「そのうち【声】の正体や聞こえるメカニズムを解明したくなったの。研究テーマを発表したら、よってたかって、私のそれまでの論文や業績に傷がつくから止めろと言われたり、決まっていた資金提供を引き上げられたり。さんざんな目に遭ったわっ。どこの大学も企業もまともに取り合ってくれなくなった。声をかけてくれたのはウラノスだけでっ」

 なるほど。なぜ、こんな天才がこんな会社にと思ってたが……。

 変わり者の上に傷物だからか。

「私は思うのっ。【声】は役に立つことを告げる。それが神でも悪霊でも潜在意識でも精神病でもかまわないって。それで人間の限界が広がるなら素敵なことじゃない? 科学とオカルトは両立するわよ。そういうものもあると受け入れるだけ。なぜ生命はあるか。なぜ量子はあるか。なぜ数学はあるか。悩んで答えが出るかしらっ。出たとしてなんか意味がある? 森羅万象なぜ存在してるのか不思議だけど、怖いとかありがたいとか思わないでしょ。オカルトなあれこれも同じこと。そう思うでしょ」

「んとね……ごめん、俺にはわかんないです。オカルトな経験はないし。スピリチュアルな人はどいつもこいつもうさんくさいだけだし」 

「懐疑的なのはいいことだわっ。私もずっと疑ってかかってる。【声】の言葉をね。だから、必ず科学的な裏付けをとって数式や論文に落としてるのっ。だいたい、我らが神は文系なのか、数学とかわかんないみたいよっ。くれるのはいつも、イメージとヒントになる言葉だけ。まあ、名シェフの料理を分析したら、完璧な成分や手法の組み合わせだったりもするし。名画の画面構成は美しい数式で表せたりするけどねえ」

 仕方ないと言う感じで肩をすくめる。

 おお、そういうポーズをするとアメリカ人っぽい。

「最近は、研究と無関係に色々と話しかけてくるようになってね。うざいからこいつでシャットアウトしてるのっ」

 白衣のポケットをごそごそ。

 小さなビニール袋を取り出し、ピザ箱の横に投げる。

 中には小指の先ほどの黒い物体。

 なんかの樹脂? 鉱物? 焦げかす?

 危ない薬じゃないよな。

「秋田のホテルでルキルキがおかしくなったの覚えてる?」

 もちろん、全身で覚えている。

 人生でもっとも女性と密着した一夜だ。

 もっとも女性に困った一夜であり、恐怖した一夜でもあるけども。

「あの夜、落っこちた隕石の欠片よ、これ。研究室には拳くらいの塊が届いてるわ。削って薬品につけたり、放射線を当てたり、色々と試してるけど、なんにもわからない。わかってるのはこいつの及ぼす効果だけ。こいつの近くにいると【声】が聞こえなくなるのっ。これくらいのサイズだと半径二百センチってとこ。今、私は【声】から解放されてる。せいせいするわっ。でも、ルキルキにとっちゃ最悪の作用ね」

 ジュディはずいっと俺に顔を近づけてくる。

 整ったパーツと照明を飛ばし気味にしたような白い肌を吟味。

 つくづく、美人だよな。喋りさえしなければ。

「ねえ、メイジ。なんで、ルキルキがあんなに取り乱したと思う? 何も気づいてない?」

 クールな姉様が錯乱した理由か……。

 気づいたことと言ってもな。

 いい匂いがしたとか、華奢だけど柔らかかったは正解じゃないよな。

「いや、ちょっと。色々とあり過ぎて」

「にっぶいなあ。ちゃんと考えてる? おつむは何のためにあるのっ。帽子をかぶるためじゃないよねっ。もしもし?」

 額をノックするなよ。

「ルキルキはさ、生まれてからずっと【声】を聞いてきたのっ。相談したり、アドバイスを受けたり。進路や恋愛に始まり、本やお菓子を選ぶ時にもねっ。私がウラノスに入った時もルキルキが【声】の導きで段取ってくれたわっ」

 どうだとばかりに目を見つめられる。

 驚いたり、感心したりってのが期待されてるリアクションなんだろう。

 ごめん、無表情で。

 悪気はないんだよ。サイキックな皆様の戯言と同じにしか思えないだけで。

「あの日、家族とも分身とも言える【声】を失ったせいでルキルキはパニくったの。寂しさとショックに耐えられず、ただ一人、心を許している相手の部屋へ向かったの。愛だよっ、愛。ねえ、メイジ。あんた、愛されてるんだよ。自覚あるっ?」

 自覚ないっ。

 あの後、素面の彼女から何も言われてないし。

 それに、ルキと【声】の話を知った今となっては、なおさら、愛とか言われても信じられないよ。

 俺との再会も【声】が仕組んだのか、初めて会ったガキの時分はどうだったのか。

 いや、ちょっと待てよ。

 俺、【声】の存在を信じてないよな。

 でも、ルキが何者かの指示で動いていたなら、はめられたようなもんで。

 いや、その指示がなくなった時に俺を頼ってくれたわけか。

 でも、ジュディだって【声】が聞こえるんだから、すべては俺を信頼させるための罠かも?

 しかし、今はあの小石があるし。まさか、それも嘘?

  そもそも【声】を前提に考えるのも変な話か。

 あーもー、混乱する。

 思わず、頭を掻きむしってしまう。

「悩んでるねっ。メイジ。あなたに魔法の呪文を教えてあげる。『それはそれ、これはこれ』」

悩みの種はあんたが植えたんだろうが。

 そんな無責任な呪文、言う資格なし。

「面倒くさい研究をやってるとね、色々なことがあるのっ。気持ちと現実の違い、矛盾する観測事実、優秀だけど人としてクズすぎる同僚、論文に書きたいことと書くべきことの差、えとせとら。そんな時、心を軽くするおまじない。『それはそれ、これはこれ』よっ」

良いこと言った感満載の顔つきをしてるけど、大事なことから目をそらしてるだけだから。

 だいたい、ふるまいから言って、ちょっと良い話になってないから。

「ともかく、全国ツアーの締めくくり仕事をしなさいよっ。プロデューサーに総括報告、してないでしょ? ルキルキ、待ってるよっ」

 話をまとめたつもりなのか。

 こちらの言葉を待っているようだが、締めとして唐突すぎだろう。

 あえて、間を取るため、俺は冷めたチキンを一齧り。

 もぐもぐしながら、やっと言葉を絞り出す。

「ちょっと、考えさせて……ください」

「オッケ。近いうちにウラノスで会いましょう。ああっと。片づけはそっちでお願いね。奢ったんだから。それじゃ、ばいばい」

 野生動物が食い散らかしたような惨状を後に、白衣のライダーは去っていった。

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