第25話 真っ赤なライダー

 敷きっぱなしの布団は、俺を暖かく迎え入れてくれた。

 ノーカーテンな窓から差し込む優しい日射しに、天井に浮かぶ人面風の染みも穏やかに微笑む。

 それが最後の記憶で、スイッチが切れて熟睡。

 目が覚めた今、外はまだ明るい。

 右手を伸ばして、枕元の目覚まし時計を探す。

 時計はなかったが丸くて冷たい物に触れた。

 持ち上げて確かめると缶チューハイ。

 のろのろと上半身だけを起こし、プルトップを開ける。

 中身を一気に空けて再びグラウンディング、敷布団と仲良しになる。

 胃袋から熱が上がってきて睡魔も戻ってくる。迎え酒万歳。

 二度寝に就く一瞬、目覚まし時計が目に入った。

 七時とか指してる気がするけど、お休みなさい。



 だるい。

明らかにアルコールのせいだ。

 目は覚めたが、布団から出たくない。

 枕もとを探るが、もう缶はない。

 買い置きが一本だけだった自分を褒めてあげたい。

 アル中にならずに済む。これぞポジティブシンキング。

 目覚まし時計は相変わらず七時を指している。さっきと違って外は暗いけど。

 どうせ、仕事もないから寝てていいよな。

 しかし、自然が呼んでいる。トイレへ行かねば。

 何時間ぶりか定かでないけれど、俺は布団から這い出ることにした。



 すっきりして帰還。

 近頃、ホールやホテルの綺麗なトイレを見続けてきたせいか、黄ばんだ共同トイレは懐かしく、安心して放尿できた。

 いざ、布団の上に座り込むと空きっ腹に気づく。

 とてつもなく、ひもじい。

 飯、飯、飯ないか。

 部屋を見回しても食いかけのポテトチップスすら見当たらない。

 買物に行くか。いや、立てない。面倒くさい。

 外出するほどの気合は入らない。

 でも、腹が減ってたまらない。昔と違って金はあるんだけどな。

 大丈夫、そのうち空腹に負けてコンビニへと旅立つのさ。

 未来の俺は飢えに負けるギリギリまで寝ているはず。

 今は布団にくるまって耐える時間を楽しもう。


 コンコン


 ドアを叩く音がする。

 うちに来る奴なんて宅配便くらい。

 どこかの誰かが食い物でも送ってきたのならラッキーだけど。


 コンコンコン


 さっきより強めのノック。

 いやだー、布団から出たくない。

 よし、後一回ドアを叩かれたら返事をしよう。


 ガチャ

 

 勝手に開けやがった。不法侵入。

「おいっ」

 いきなり、腰を蹴飛ばされた。強盗か。

 やばい。殺される?

 ドアに背中を向けたまま、布団をひっかぶる。

 物理的防御力はともかく、気分的な守備パラメータは高い体勢だ。

「鍵くらいかけときなよっ。それに寝すぎっ」

 聞き覚えのある声。

 おそるおそる振り向き、見上げる。

 散らかった部屋に不釣り合いな、金髪長身巨乳の美女がそびえ立っていた。

 糊の効いた白衣も、その下の真っ赤なライダースーツも、寝起きの目には眩しすぎる。

 ジュディは目が合うとニヤッと笑った。

「起きなさいよ。次は頭、蹴るよ?」

 慌てて起き上がり、布団の上に胡座をかく。

 この人は言った以上はやるから。

「きったない部屋ねっ」

 ブーツを脱ぎ、部屋を見回して豪快に笑う。

「椅子もないのね。まあ、いいわ」

 天才美女は長い足を起用に折り畳み、俺と向き合って胡坐をかく。

 散らかった貧乏アパートとのアンバランスさが異常だ。

「雨に濡れた犬みたいな臭いの部屋ね。研究室時代を思い出すわっ」

 ジュディはいきなり自らの右足をつかみ、顔を近付ける。クンクンと匂いを嗅ぐ。

「大丈夫ねっ。バイクで来たから蒸れてるかと思ってさ。この程度なら部屋の臭さに楽勝で紛れるし」

 俺が生涯に出会った残念美女のダントツ一位は、はにかむように微笑む。

 はにかむなよ、どういう精神構造なんだ。

「しっかし、死にそうな顔ねっ。ちゃんと食べてんの? ピザでも取ろうか?」

疑問型で言っておいて、返事も聞かずに白衣からガラケーを取り出す。

「マルゲリータ、クアトロフォルマッジ、ミートデラックス、全部Mサイズで。それから、チキンバスケット、シーザーサラダ、オニオンリングを二つずつとダイエットコーラ4本」

しばらく話して、俺にガラケーを投げて寄越す。せめて手渡せよ。行儀悪いな。

「住所、言っといて」

 はいはい、仰せの通りに。

 ガラケーを投げ返して、俺の目下最大の関心事について訊いてみることにした。

「何しにきたんですか?」

「連絡が取れない契約スタッフの安否確認と叱責」

 棒読みで微笑み、でも、目が笑っていない。

 怒ってる?

「会社支給のスマホは電源切れっぱ。メールは何通送ってもリアクションなし。ルキルキさあ、困るのを通り越して、私に泣きながら愚痴ってるわっ。とりあえず、スマホ見せてくれるかなっ」

 スマホはジーンズの前ポケットに入れっぱなしだ。

 慌てて取り出し、充電ケーブルを繋ぐ。

 液晶に電源残量ゼロと表示される。

「せめて十パーはないとメール受信も厳しいわね。ちょっと待とっか。メイジ、何か面白い話をしてよっ」

 なに、その無茶ぶり。

俺は、スーパーモデル級の美女がライダースーツに白衣を羽織って汚いアパートの部屋で足の臭いを嗅ぐ……より面白い話なんか知らないぞ。

 長い眠りから目覚めたばかりで、脳はアイドリング状態だし。

 そもそも、人と話すのは苦手だし。

「持ちネタのひとつもないの? しょうがない、私が話すわっ」

 うへへへと聞こえてきそうな笑顔。

 なんだよ。実は話したかっただけかい。

「SGBが順調なの」

「なんですか、それ」

「サイオ・ギャザリング・ブレスレットよ。ライブでいつも配ってるでしょ」

「ああ、シリコンバンド」

「あのさぁ、最先端科学技術の結晶よ。つまらない名前で呼ばないでっ。サイオ・エナジーは、人の精神活動を燃料に変換する画期的なシステムなんだからっ。環境に優しく、人口が増えるほど多く生産されて、全世界の資源問題を解決する究極の発明っ! 最高の科学者が最高の発明をして超最高科学者になったわけっ」

 喋れば喋るほど自分に酔うタイプらしい。素晴らしい発明をした私は素晴らしいと無限循環で褒め称えてるよね。

 目なんか半分閉じちゃって、唇は半分開けちゃって、指先なんか反り返ってる。

 極端な美人だから、そういう姿も様になるんだけど。

 しかし、俺、信じてないんだよね、サイオ。

 ジュディ博士の自己陶酔は見ものだから、余計な口は挟まないけれども。

「サイオの実用化には四つのキーがあるの。採取量、純度、保存性、変換率よっ。今回の全国ツアーでは、毎日SGBが満タンになって回収されたから、どの素材と製法がベターか十分にテストできたわ。そして、純度。サイオは喜怒哀楽のうち、喜と楽に感情が振れた時、もっとも高純度で得られるの。ハッピー・エナジーと言っていいかも。呼び名としちゃバカっぽいかしら」

 はなからバカっぽい話だと思ってるよ。

 凄い発明だと言って投資を募る系ビジネスモデルにありがちな。

 スピリチュアルな人達はフリーエネルギーとか大好きだ。仕事でさんざん見て来たし。片棒も担いできた。

「保存性はいわば、電気におけるバッテリーね。実はサイオが自然に溜まった物質は世界中にあるの。材質は石、金属、植物と様々。なかでも、パワースポットと呼ばれる場所や、ご神体といわれる宗教絡みのオブジェは、数百年数千年も前から存在する物だらけ。それらの差違や共通点を研究してSGBに生かしているわ。最新のSGBなら、蓄積したサイオは百年単位で保存できるしっ」

 パワースポットと来たよ。やっぱり、そっち系か。

「変換率については、装置の設計次第なんだけど、シミュレーションでは……」

 ジュディの止まらないサイオ語り。

 美人を眺めるのが好きな俺ですら苦痛に感じてきた。

「まあ、そういうわけで。メイジのおかげでツアーは成功。私の研究も順調ってことよっ。ねえ、そろそろ、スマホ使えるんじゃない?」

「あ、はい」

 充電器から外し、電源を入れるとバッテリーは二十パー超まで回復。

 メール受信と不在着信、留守録を告げる電子音が延々と鳴り響く。

「その音、ルキルキの恨み言だと思って聞きなさいよっ」

 恐る恐るメールを開く。

 最初の一通にはツアーの動員人数と今後の計画が書いてあり、モンモを霊視アイドルとして売り出すとか、国内外から大物アーティストの参加オファーが続いているとか、【声】が聞こえる新人を発掘したとか、景気のいい話題が続く。

 長文はその一通だけ、後は連絡してくれという内容が様々な言い方で何通も。

「留守録もちゃんと聞いてよっ」 

 ジュディに言われるがまま留守録を確認する。五本も入っている。

 古いデータから再生すると、最初はシンプルな折り返し電話をくださいという内容。

 その後、懇願、謝罪、涙声、無言と順を追って、徐々にこちらへの圧が高まっていく。

 背筋がぞくぞくする。

「ルキルキの気持ち、わかってあげなっ。秋田の彼女は確かにいっちまってた。距離を置きたくなるのももっともだわっ。でも、無言で打ち上げを抜けたり、ルキに連絡しなかったりって、社会人としてどうよっ」

 生まれて始めて、社会人としての心得を説いてくれた人は金髪美女でした。

「だいたい、ルキは今、聞こえてるのよっ。なのに、これだけ取り乱すとかおかしいんだからっ」

 ん?

 なんか、妙なこと言ってない?

「ジュディさん、聞こえてるって? なにが?」


 コンコン


 話の腰をかっくんと砕くノックの音。

「ピザでしょ。食べながら話しましょう。いいよ、私、出るから。奢るしっ」

 安アパートのドアを開けるライダースーツの金髪爆乳美女。

 デリバリーの兄ちゃんは一瞬固まったようだが、驚きに負けず、会計を済ませて帰っていった。職務ご苦労様です。

「布団の上、置いていい?」

 天才は両手に箱を抱えて訊ねてくる。

 別に汚れたってかまわないんだけど。

 もしもに備えて、ビニールのゴミ袋を敷くことにする。

「私もペコってるから、ちょっと食べるのに集中していいっ? ルキルキの話、ちゃんとするから」

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