第21話 ジャック様

 昨夜は心身共に興奮が覚めなかった。

 どうにか、アルコールの魔力で眠りに辿り着いた。

 だるい体を引きずり、会場への電車に乗る。

 目指すは横浜アリーナ、一万六千席の巨大ホールだ。

 もとより、俺の仕事は構成台本と企画だから事前にお役目は終わってるわけで。

 今日やることなんて、通しリハーサルの進行確認がいいとこ。

 お気楽極楽。とはいえ、頭も心も落ち着いてはいない。

 ルキとのセンセーショナルすぎる一夜が脳内を埋めていて、ざわざわしっぱなし。

 どんな顔して会えばいいものか……心ここにあらずなまま。

 悩み過ぎて、朝飯すら食い忘れていた。

 新横浜駅に降り立った時、胃袋が栄養補給を訴えてきた。

 横浜といえば中華街と一瞬思ったが、横浜アリーナは全く見当違いの立地だ。

 道路とビルばかりのコンクリートジャングル。

 食事処はどこも行列。

 もはや胃袋は中華スタンバイとなっていたので、コンビニで中華弁当を調達して会場入り。

 がらんとしたロビーでウーロン茶と共に食うことにする。

 時計は十二時を差している。

 集合時間まで一時間、ガラガラな通路。

「早すぎたか」

 ぼそっとごちて、俺なにをしてるんだろう感が高まる。

 ふいに、昨夜の柔らかな感触を思い出す。

 脳裏にちらつく白い肌。

 時間をもてあまし、健康童貞らしく性欲ももてあます。

 邪念を祓うべく、台本を取り出し、進行表をチェックしようにも、もてあましてるモノのせいで集中ができない。

 唇を奪えばよかったか、どっか揉んでおくべきだったのではと、採らなかった選択肢に責めさいなまれる。

 まあ、事実は採れなかったんだけど。

「食おう」

 気合を口に出す。

 性欲を食欲でねじ伏せるべく、レジ袋から弁当を出すやいなや。

「メイジくん、早いね」

 聞きなれた声。悩みの源泉。エロ妄想の対象がかろやかに現れた。

 誰もいない通路を、屈託のない笑顔と共に近づいてくる。

 何か見透かされている気持ちで心臓が弾む、これはトキメキ?

 いや、恋よりもっと本能的なやつだ。

「下見の時以来だけど、改めて大きな箱よね。スペシャルゲストのおかげでチケットはソールドアウト。まあ、無料だけど。でも、一万六千席満員って凄くない?」

 悪びれないというか、まるで昨夜のアレがなかったみたい。

「昨日のライブを再配信してるけど、かなりの視聴数よ。数字が楽しみね」

 当たり障りのない会話、あんなに当たったり触ったりしたのが夢のよう。

 剥き出しの感情でぶつかってきたあなたは、いずこへ。

「ルキさん! あの」

 開きかけた口は、彼女の人差し指で蓋をされる。

「しー!」

 まるでいたずらっ子に、やれやれというがごとき顔つきで、にっこり。

「ごめんね。ツアーが終わるまで、その話題はペンディングでいいかな? もちろん、なかったことにはしないから。後でちゃんと話す。約束する。何日かだけ我慢してもらえるかしら。お願い」

 両手を合わせて頭を下げて拝まれる。仏様になった気分。

「ええ、うん」

 仏様の心で受け入れることにした。

 正直、少しほっとした。

 ツアーが終わるまでの期限付きでも、いつも通りに接していいなら、いっそ楽ちんだ。

 劣情に流されない自信はある。

 言い方を変えれば、一線を越えられない童貞力。さらに言えばヘタレとか根性なし。

「ありがと。じゃ、昼食中、申し訳ないけれど。仕事の話、いいかしら?」

「ええ。モグモグしながら聞いてていいですか」

「うん。えっと、霊視ショーはゲストとやることになったの。だから、客席抽選はなし。メイジくん、いつも追加の案出しをしてくれるでしょ。今日は頭を休めていいわよ」

 早口で一方的に告げて、立ち去っていく。

 見慣れた後姿を見送る。

 俺の頭には「客席抽選はなし」しか残っていない。

「しょうがない」

 鹿原の野郎め、怖気づきやがったか。

 霊視ショーの抽選なしじゃ、対決ができないじゃん。

 夜までダラダラ過ごすのが仕事ってことか。ダラダラはそんなに嫌じゃないから、いいんだけどさ。

 まずは目の前の弁当をたいらげよう。



 通しリハーサルが始まった。

 アリーナ後方の席で進行を見守る。他に誰もいない区画だ。

 舞台監督に最前列へどうぞと言われたが、後方からステージ全体を観たいとか、それらしいことを言って避難させてもらった。

 ぶっちゃけて言うと真面目に働く皆様の体育会系ノリがつらい。

 あんたら仕事に本気すぎなんだよ。

 オープニングアクトは、横浜と言えば中華街ってことでドラゴン獅子舞のダンス。

 アクション俳優軍団のカンフー演舞が華を添える。

 そこにチャイナドレスのアミガちゃん達が絡んできて、歌と踊りで華やかな大騒ぎ。

 俺がビールを飲みながら考えたアイデアは、熱血スタッフの手でエンターテイメントショーに仕上げられていく。

 たった一名を除けば、腕利きのプロが揃ってる。その一名は安心して適当な企画をし、構成台本を仕上げる俺だ。

 アミガとカンフーが舞台袖に姿を消せば、入れ替わりに一回り大きなドラゴン獅子舞が登場。

 ステージからアリーナ中央まで伸びた通路の先にはリングを設えてあり、獅子舞は通路を走ってリングイン。

 中からダイプロのレスラーが現れる手はず。

 入場演出を本番通りに行って進行をチェックしていく。


 プロレスは全三試合。

 メインイベントには、プロレス業界最高のスーパースターがやってくる。

 ハリウッドでアクション映画の主演もこなす元チャンピオン、ジャック・ジョンソン、通称ジャック様だ。

 さすがにリハーサルに本人は出てこない。

 まだ会場入りもしていない。

 スーパースターだから、オールOKなんだろう。

 正直、プロレスはよく知らないが、でも、凄さは入場前に正面ステージの巨大ビジョンに流れる映像で充分に感じられた。

 浅黒い肌、筋肉が薄く浮き出たしなやかな体、黒い短髪に大きな瞳。

 マイク片手に対戦相手をリズムよく煽る。目、眉、唇、顔全体、全身を使って表現しつつ吠えるので、英語がわからなくても気持ちが伝わってくる。

 ただのパンチでさえ、長い手足をしっかり広げて大きく間を取って放つ。

 すべてのポーズが絵になる。

 魅せるプロレスを極めたような男だ。

 今はダイプロの若手がジャック様の真似をしつつ入場し、コメントを放ち、試合前後のパフォーマンスを行う。

 ガラガラの会場に響き渡る、デタラメ英語のマイクアピール。大げさなボディアクション。

 元ネタを知らないからクソつまらない・・・・・・のは俺だけらしい。

 対戦相手の力山は苦笑し、スタッフにもバカ受けだから似ているのだろう。


「ジャックのファイトマネーは、一試合でダイプロ全選手の年俸を軽く上回るわ」

 いつの間にか、右隣りに座っていたルキが解説してくれる。

 つまり、今日を含めてこのツアーで四試合、ダイプロ四年分の金を稼ぐのか。

 リング上の貧弱でオーラの欠片もない若手君じゃ、何の説得力もないけれど。

「本業のプロレスではペイパービューの視聴者記録も持ってるのよ。ネット配信、何万人になるかしらね」

 きっと、とてつもない人数になるでしょうよ。無料だもの。

 そして、何十万人、何百万人が観ようとも、配信の広告費なんざ雀の涙。

 そんなギャラのお高いスターを呼ぶとか狂ってるよ。


 試合後の演出が終わると、ジャック役の若手はジャケットをさっと羽織って通路を去っていった。

 上半身裸で短パンにジャケット。スタイリッシュ過ぎる。

 続いて、ステージに司会者とアミガが登場してバラエティコーナーだ。

 その後、鹿原役のスタッフが舞台袖から登場、霊視ショーの段取りチェックへと続く。

 フィナーレはアミガが再登場してライブパフォーマンスで締める。

 この子らは、リハーサルでも全力で歌い踊るよな、と軽く感動。

 これで、通しリハは無事に終了。

 ステージじゃ、スタッフが確認やらダメ出しやらを行っているけれど。

 もう、付き合わなくていいでしょ。

 構成の変更とか、司会者の台詞に質問とか言われたら面倒だから逃げることにした。

 いるとわかったら、質問されるもの。

 いなけりゃいないで何とかするくせに。

 ルキに「ちょっと、トイレ」と言って席を立つ。

 

 アリーナを出て、すぐの通路にイスがあった。体を預け、ジュースを飲んでぼーっとする。

 我が脳細胞は、またもや昨夜のリフレインを描き出す。

 いい匂いしたよなあ。

 もっとディティールを蘇らせようと目を閉じる。

 細身だけど柔らかかったよなあ。

 確かにこの腕の中に彼女はいたのだ。

 今日の態度からは、夢でも見たのかと思うけれど。

「ハイ!」

 ……うわおっ!

 ガランとした通路に響き渡る声が、俺の目をこじ開ける。

 目の前には、高そうなスーツを着こなした異様にガタイのいい男。

 あ! ジャック・ジョンソン?

 どうやら、早口の英語で、何かを訊ねているらしい。

 さすがは世界のスーパースター、俺が何も言わなくてもどんどん話しかけてくる。

 世の中のすべては自分を中心に回っているのだろう。

 相手を考えろ、お前の前にいるのは寝起き顔の東洋人だぞ。

 英語がわかる顔かちゃんと見ろ。

 ジャックよ、いつまで話し続けるのか。俺のまどろみを返してくれ。

 この際、譲歩しよう。英語、英語。えーと、なんて言えばいいんだ。

「えー、とー。エブリバディ イン アリーナ」

 とにかく、ドアを指差した。俺じゃない奴のとこへ行ってくれれば、なんでもいい。

「サンキュー」

 俺の肩を叩いて、ジャック様は元気よくドアへ向かう。

 力山のおかげで大きい人間には慣れたつもりだけど、英語で話されると急に怖くなる。

 圧が強いというか、言葉が通じないと感じるからか。

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