第20話 東京帰還

 ビジネスホテルの絨毯は、自宅のせんべい布団より柔らかな寝心地だった。

 改めて、我が劣悪な住環境を思い知る。

 ルキと迎える初めての朝だ。  

 伸びを一発、ベッドを見上げると憧れの人がいる。

 愛しのお姉さまは、何かから身を守るかのように毛布を体に巻いて、ベッドの上に鎮座ましましている。

 視線の先にはテレビ、朝のローカルニュースにはこのホテルの従業員が出演中だ。

 なるほど、昨日の衝撃音、隕石だったのか。

 ホテル真裏の駐車場に落下、怪我人なし。

「おはよう、メイジくん、あの、ごめんなさい……驚いて、寂しくて」

「おはようございます。大丈夫ですか」

「うん……落ち着いたけれど。明るくなったし。でも……」

 はぐれ子猫みたいにプルプルと震えている。

 すがるような目で見つめてくる。

 どうすりゃいいの? 難易度、高すぎ。

 ええと、もしかして、ハグ? ハグ?

「ルキさん」

 とりあえず、ベッドサイドに立って、両手をゆるく前にならえ。

 すると、彼女がそっと抱きついてきた。

「ありがとう。ごめんね。甘えて」

 ささやきが耳元に響く。俺も背中に腕を回す。

 そのまま、二人、動かず……。

「ごめんなさい、着替えてくるね」

 腕をほどくと、ルキは部屋の外へ、ゆっくり去っていった。 

 彼女のぬくもりを味わえたのは体感時間で一分ほどだが、慌てふためいた昨夜より、しみじみと幸せを感じた。

 目を閉じて、感触の余韻を噛み締めたのも束の間、ホテルの備え付け電話が脳に冷たい風を吹かせる。

 無粋な電子音が、俺を妄想から引き剥がす。

「もしもしっ」

「よおー、メイジ? ルキルキに変なことしてないよねっ?」

 この声は、世界一残念な超絶天才爆乳美女学者、ジュディさん。

「これから言うことをよっく聞いて、その通りに行動するようにっ。なお、私が事情を知ってる理由と、指示の内容についての反論は一切認めない。アーユーオーケー? オーケー! よし、じゃあ、指示をだすわっ」

 オーケーしてねえよ。

 意向をはなから無視する気なら訊くなよ。

「ルキルキと一緒にホテルを出て、タクシーで秋田駅へ移動。新幹線の指定券を一番早い東京行きに変更して、二人でとっとと戻ってくるっ。ああ、ウラノス東北支社との打合せは私からキャンセルを入れとくわっ」

 勢いが凄い。

 反論する間がないし、口を挟んだところでこの女傑に勝てる気はパーフェクトにゼロ。

 言うことを訊くのみだ。

「繰り返すわっ。くれぐれもルキルキに変なことをすんじゃないよっ。そんときは、人体実験の材料にするからねっ」

 おまわりさん、ここにマッドサイエンティストがいます。

「はいはい、わかりました。無傷でママの元へお返しします」

「よし、約束ねっ。あっ、そうだ。いい忘れてたっ。おはよう!」

「あっ、ああ、おはよう」

「いい返事じゃん、じゃあねっ」

 切れた。台風みたいな人だね、しかし。

 

 ホテルのロビーに着。

 エレベーターからここまで、俺たちは熱愛カップル並のパーソナルスペースで移動してきた。

 いま、ルキはソファにこぢんまりと座っている。

 昨夜ほど取り乱していないが、はぐれた子猫のよう。

 おどおど。何かに怯えているようだ。

 パニック症候群みたいなものかしら、言葉しか知らんけど。

 医者に見せないでいいのかね。いや、ジュディも一応医者か。

「ルキさん、気分はどう?」

 フロントで精算をし、タクシーを頼んで彼女の元へ。

 隣に座ると腕にしがみついてくる。

 細い指先がシャツに食い込み、逃さないぞという意思を表す。

 恐れとか、寂しさとか、そんなネガティブな気持ちばかり感じる。

 残念ながら愛はまったく伝わってこない。

 俺の一生に、愛ゆえにしがみついてくれる女性は現れるのだろうか。


 タクシーの中でも、駅の構内でも、彼女はひたすら俺にべったり。

 通りすがりの皆様は、さぞ痛い男女とお思いでしょう。

 列車では少しでも彼女を守る気持ちで、俺は通路側に座った。

 意外とそういう気遣いができるタイプだったのな。自分で驚く。

 新幹線が駅を滑り出す。

 俺は、ホームで買った鶏めし弁当を開ける。ちょい遅めの朝飯である。駅弁はおかずも飯も濃い味付けで、昼夜を問わず、酒の肴にベターなんだけど。ルキのためだ、本日はノンアルコール。

「食べないんですか。体、もたないですよ?」

 語りかけても、ルキは首を横に軽くふるだけ。

 ペットボトルの緑茶を少し口にしただけ。 

「俺、腹減って倒れそうなんで。食いますよ、お先」

 固めの飯に、冷たい肉。なんで、これがうまいのだろう。

 去年までは駅弁なんて数年に一度食べるかどうかだった。

 いまや、遠出の仕事では当たり前の食事になっている。これが出世の味か。

 隣席のルキの様子を横目で見ながら、箸を運ぶ。

 身に染み込んだ早食いのため、五分余りで完食してしまった。

 腹がふくれると眠気である。

 つい、目を閉じてしまったのが運の尽き。

 一瞬のまばたきを予定していたが、目覚めた時は最初の駅、大曲を出るところだった。

「メイジくん、昨夜はごめんね。それから、ありがとう」

 え、ルキさん。いつもの感じに戻ってる……?

「迷惑かけちゃったね。ごめんなさい。けど、もう大丈夫だから」

「おっ、おお。何よりです、うん」

「安心したら眠くなってきちゃった」

 手を口元にあてて、大あくびを一発。

「おやすみなさい……」

 今朝までの姿はどこへやら。

 憑きものが落ちたかのように、やすらかな様子、すぐに寝息を立て始めた。

 なんだったんだ?

 ま、いいや。俺も寝よ。


「メイジくん、着いたよ」

 耳元にウイスパー・ボイス。これぞ天使のささやき。

「メイジくん、東京だってば」

 素敵な声が鼓膜に染みいる。

 俺は今、目覚めている。

 しかし、あえて、起きないことを選ぶ。

「いだっ!」

自らの声で目覚める。頭頂部が痛い。なんで?

「起きないから、頭突きしてみました。おはよう」

「おはよう、ございます」

 なぜ、頭突き。確かに起きたけど。

「さっさと降りましょう」

 ルキに促されて、俺は頭のてっぺんを押さえながら席を立つ。

「痛いっすよ」

「ちょっとくらい我慢して、他の人にこんなことしないんだから」 

 彼女はやさしく微笑む。

 それ、どういう意味? 特別に近しい仲ってこと? 親愛の情を頭突きで示すって、どこの風習?

「ほら、ぽーっとしないで」

 急かされて下車、ホームでルキはそっと俺の手を握り、歩き出す。


 東京駅の新幹線出口は朝から混雑中。

 改札を出た広場で、ルキは立ち止まる。

 俺と正面から向き合う。

「じゃあさ。私はタクシーで本社へ戻るね。ここで解散!」

「ああ」

「ちょっと、頭を下げて」

 ルキが俺の両頬を手で挟み、彼女の顔の位置まで下げた。

「メイジくん、ありがと」

 !

「あがっ」

 な、なんで、また頭突き。

「明日は神奈川よ。昼イチに横浜アリーナ集合! 遅れちゃダメだからね。じゃあね」

 後には頭を擦る俺が残るのみ。

 少し困惑、少し嬉しく、たくさん眠い。

 とにかく、帰って、ビール飲んで寝よ。

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