第11話 アキバでアミガ

 俺の心には牛が棲んでいる。

 そいつは寝際になると起きだして記憶を反芻し始める。

 昨夜はルキに押されるようにタクシーから降ろされ、へろへろと帰宅。

 万年床に横たわるや否や、牛が首をもたげた。そして、悶々と朝を迎え、徐々に高まる室温を感じながら二度寝三度寝を重ねて、蒸し風呂と化した部屋で備蓄のビールを飲み干した。

 はて、今は何時だろう。

 時間を確かめようと枕もとの携帯電話に手を伸ばす、と同時に着信バイブが響いた。

 心身の反射神経が鈍っているのが幸いして驚かずに済んだ。

 ゆっくりと手を伸ばし、振動を楽しみつつガラケー端末を耳にあてる。


「メイジくん? 急で悪いんだけど、夕方空いてるかしら?」

「うん……空いてます。えっと、会社に行けばいいんですか」

「ううん、秋葉原のライブハウス。アミガが出るの」

「はあ」

「店から拝み倒されちゃって。ドタキャンで舞台が空いたらしいのよ」

 固定ファンがいるアミガなら、ファンクラブのメーリングリストで情報を流せば、ライブ直前でも百人程度はすぐに召集できるのだとか。

 電話を切って深呼吸を一発。

 今は午後五時。六時半に現地集合だから、たらたらと準備をしても十分に間に合う。

 ダメさを満喫する時間はお開きだ。

 ジムに行って身なりでも整えますか。

 おそらく今の俺からは人本来の香りが漂ってるだろうし。



 約束の十五分前に駅へ到着。

 人生を変えた激辛な出会い以来、かなり久々な秋葉原だ。

 目指すライブハウスは怪しい雑貨店やジャンクフード店がひしめく辺り。

 土地勘は十分なので、ぶらり寄り道だらけの一人旅としゃれこもう。

 帰宅時間にぶつかったので、人間観察のネタには事欠かない。

 服装ひとつ取ってもアキバならでは。

 年齢不詳のセーラー服にメイド服、十年は着倒しているチェックシャツ、詐欺師っぽい超高級スーツが入り乱れる。こざっぱりした学生風とか、地味で真面目な背広とか、買い物かごの主婦とか……ありがちな格好はほぼ見かけない。

 いつも通りの非日常、なべて世はこともなし。

 歩道には、アニメやアイドルのジャンルショップが軒を並べ、それぞれに美少女をフィーチャーした看板を飾っている。

 微笑む女性がアニメかリアルかは店の品揃えによるが、妄想が現実にはみ出してる様に違いはない。「おいおい、出ちゃってるよ」と声をかけたくなる、二次元と三次元を股にかけた欲望の見本市は見飽きない。

 大通りのビルには国民的アイドルグループの常設シアターが入っている。

 同じアキバでライブといっても、マイナーなアミガとは大違いだ。

 ビルの壁面には縦横5メートルはある少女のバストショットが貼り付けてあり、白い歯を見せて微笑んでいる。

 喰い殺されそう。

 気の弱い男子を吸い込む効果は十分だろう。

 この艶やかな唇には、童貞なら誰もが吸入されたいと思うさ。


 四車線もある横断歩道を渡って裏道に入ると、町並みはさらにマニアックな雰囲気をたたえる。

 コミックやパソコンの中古ショップ、ネット関連商品とジョークグッズを集めた雑貨店がいくつも現れ、その隙間に絶版ソフトウェアを売る露店が悪びれずに店を広げている。

 表通りは会社勤めのプログラマ、裏通りは居所不定のハッカーに向けた商いって感じかね。

 実際は表裏両方の通りに表裏両方の人種が出入りしているんだけどね。

 これ、歴史的に正しい有様だ。

 アップルがパーソナルなコンピュータを創造した頃から、各時代のサブカルキッズと、金勘定の上手な大人達が罵り合い、殴り合いながら、肩を組んでIT業界をでかくしてきた。

 その最先端ならぬ最下層で俺もメシを食っている。

 歴史の重みに肩がきしんじゃうよ。

 ライブハウスのある通りに出ると、網膜に強い刺激が飛び込んできた。

 ビジュアルインパクトの原因は鮮やかな原色Tシャツだ。

 着ているのは体脂肪率四十パーセント超級なお兄さん、派手なのに加えて表面積もでかい。広く、でも頼る気にはなれない背中には「あみがっ!」と大々的にプリントしてある。

 彼女たちのファンはお気に入りメンバーのグッズに身を包み、ライブへと赴く。

 彼らの間では戦闘服と呼ぶらしい。


 気づけば、カラフル衣装のお兄さんアンドおじさん集団の真っ只中に突入していた。

 俺の二メートル前を歩く巨体はレッド、これはダリこと安田リンのカラー。

 多いのはピンクでモンモこと桃田モモのカラーだ。

 そしてパープル、これは高尾レン。ブルーは早田キラリ。

 四人揃ってアンリミットガール、略してアミガってね。

 なぜかファンの大半は立派なお腹をしていて、シャツの正面にプリントされた少女の笑顔は横方向に伸ばされている。

 あの口の形だと「あみがっ」と発音できず、「あみょぎゅ~」と言いそうだ。


 色とりどりの男たちは雑居ビルの一階、マイナーアイドルのポスターが貼りまくられたドアに入っていく。

 一歩、足を踏み入れると、よく炒めたクズ野菜のような香りが漂ってきた。

 男たちの体臭だ。

 「がんばれエアコン!」と空調にエールを送りつつ、場内を見回す。

 キャパはぎゅうぎゅうに詰めればスタンディングで百人ちょいってとこ。

 今日の客層は当たり判定こそ大きいが、柔らかげだから大丈夫そう。

 もちのように詰め込めるはず。

 もう一度、言っておこう。「がんばれ、エアコン」。


 入ってすぐの壁際に長机があり『当日券』と貼紙、スタッフの女性が忙しく応対している。

 金は払いたくないが他に受付もなし、仕方なく列に並ぶ。

 あー、俺もファンの一人と思われてるんだろうなどと、恥ずかしさの混じった感慨に目を伏せると聞きなれた声が耳をくすぐった。

 あら、嬉しや、ルキが駆け寄ってくる。笑顔を見るだけで身体の奥底から安堵感が噴き出してきた。

「メイジくん、おつかれさま。こっちへ来て」

 手で促されて、バーカウンターに行くと、女性スタッフから白いリストバンドを渡された。

「ライブ中は手首に巻いていてくださいね。お帰りの際はプレゼントと引き換えます。お楽しみに!」

 見た目も感触もシリコン製で、手首に巻くと肌に吸い付くよう。たぶん、素材がお高いんでしょう。でも、これ、何のためだろう。色も形も何一つ特長のない品物だけど。

 手首を返してリストバンドを眺めていると、はずむ声でルキが話しかけてきた。

「それね。ウラノスで用意した仕掛けなの。とりあえず、最後まで付けていて」

 別に異論はない。終演後のネタばらしを期待しましょう。

 客電が消えて、間髪入れずにスピーカーから荘厳な旋律が流れてきた。

 「ツァラトゥストラはかく語りき」だ。

 会場全体に手拍手が起こる。

 いや、しかし、この曲、手拍子に合わないね。ドラムロールが盛り上がったところでステージに照明があたり、何もない空間が神々しく浮かび上がる。ここでポップな曲に変わり、少女四人がステージ袖から駆け込んできた。

 会場は揺れんばかりの大歓声。

 『モンモ! キラリ! レン! ダリ!』と客席の誰もが声を揃えてコールをかける。

 さながら教祖様降臨といった熱狂ぶりだ。

 俺は客席最後方で、なかば呆然としながら、祝祭を全身で体感中。平均年齢高めな男たちの低音コールも全身で体験中。


 アミガたちは一気に三曲を全力で歌い、踊りきった。

 やっと静まったステージでは、モンモが荒い息を整える間もなく、客席に語り始めた。

 だが、当然うまく喋れるわけもなく、さらに焦ったためか言葉をかんでしまう。

 そこへ他のメンバーが突っ込みを入れては進行役を次々に買って出る。

 しかし、やっぱり、息が荒かったり、呂律があやしかったりで失敗するという寸劇が始まった。

 お決まりなのか、観客はニヤニヤと見守っている。

 初心者には見てるだけでこっ恥ずかしくなるこのくだりをメンバー人数分繰り返して、アミガお決まりらしい自己紹介挨拶で一盛り上がり。

 会場のテンションは一気に高まった。

 そうか、君達、楽しいのか。俺にはさっぱり理解できないぞ。

 そして、さらに曲が流れる。

 もう、十曲を越えただろうか。激しく踊りながら、歌う曲ばかり。

 四人の小さな体でどこまで持つのか心配にすらなる。

 俺推測の客席体感温度は四十度、ライトが照らし続けるステージでは五十度を越えるだろう。

 照明に少女たちの汗が散り、虹がきらめく。

 打撃格闘技のシャドーファイティングさながらだ。

 だが、こんなにラウンドが長い競技などない。

 時折、挟まれるトークの時間だけ、普段のキャンキャンでグダグダな彼女たちに戻ってくれるので、見ているこちらがほっとする。

 一時間強のステージを終えて、四人は深く深く頭を下げて舞台裏に消えていった。

 無人のステージにアンコールの大合唱が降り注ぐ。

 たった五分ほどの休息を経て、再度照明が少女たちを浮かび上がらせた。

 ラストはバラード調のラブソングを高らかに歌い上げる。

 すべてが終わった瞬間、四人揃って笑顔で手を振った。

 その表情はアイドルというより、長距離を完走した陸上選手。

 やり遂げた喜びが迸っている。

 色気のかけらもない、神々しさすら感じさせる。

 それってアイドルとして正しいのか疑問ではあるけれど。

 彼女たちが「ありがとうございました」と叫ぶと、客席は「こちらこそありがとう」とレスポンス。

 拍手と声援は鳴り止まない。

 この空間にいると、ファンでもなんでもない俺ですら胸が熱くなる。なんだか、ありがたさに手を合わせたくなる。


 会場全体が明るくなると、観客は一斉に拍手もコールも切り上げた。

 なんだ、この切り替えの早さ。

 その上、ステージ上のアミガもいつもの表情に変わって、「退場受付」という紙が貼られたテーブルへ小走りに移動し始めた。

 いや、ドライ過ぎるでしょう。

 女性スタッフは手際よく観客を一列に並ばせて「退場開始でーす」と声を上げる。

 すると、観客は行儀よくスタッフの前に並び始めた。

 次々にリストバンドを渡していく。

 そして、その横にいるアミガ達と握手を始めた。四人のさらに向こうには出入口があり、外に設置したテーブルにはCDやTシャツ等のグッズが置かれている。

 なるほど、リストバンドは退場時の握手券になるわけか。

 そして、そのまま物販スペースへの導線ができている。これなら、さっさと追い出せる上にお金も落としてもらえる。

 俺も列に並び、リストバンドを渡した。

 アミガ達は俺の先にいるファン一人ずつと声を交わしている。

 どうやら、彼女達はリピーターの名前を覚えているらしい。

 原色シャツのおじさんが娘ほどの年頃のアイドルに向けて 心底嬉しそうに相好を崩し、小さな手をぎゅっと握っている。幸せそうでよかったね。

 アミガの四人共が俺のことを覚えていてくれた。昨日の今日だから当然っちゃ当然か。

 少女は守備範囲外だけど、ついさっきまでステージ上で美しく輝いていた娘が、汗でくしゃくしゃの髪と衣装のまま、こちらの目を見つめて、俺のためだけに微笑んでくれる。

 これは……確かにたまらん。


 ニヤニヤと口許のゆるむ俺を、ルキは微笑ましい顔で迎えてくれた。

 なんとも、バツが悪い。頬がポッと赤くなる。

 お姉さまは、どうやら、大忙し。

 アミガと挨拶もせずに出てきたのだろう。あの子ら残念がるよ、なついてるのに。

「さてと。今日はね、まだ終わりじゃないの。こっちに乗って」

 なんだか、大急ぎだね。

 俺は促されるままにタクシーに乗り込む。

 あの、ライブの余韻をゆっくり噛みしめたいんですけど、と頭の中で文句を言っても始まらない。

 彼女の気持ちはもう次へ向いているようだ。

「力山さんの団体、ダイプロの興行があるの、今からならメインイベントに間に合うわ。運転手さん、後楽園ホールにお願いします」

 ダイプロ? ああ、ダイナマイトプロレスの略ね。

 車はすぐに動き出した。やれやれ。

 窓外の風景に、かつて、秋葉原でタクシーに乗った日の記憶が蘇ってきた。

 恐怖のモンスターと戦慄の催涙スプレー、色々な痛みが思い出されて、いまだに涙がにじんでくる。

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