第10話 見知らぬ天井

 まぶたを開くと柔らかな色合いの照明が飛び込んできた。

 天井には白木が美しい木目を見せている。

 うちの人面が浮かぶ茶けた天井とは大違いだ。

 だいたい、ここはどこよ。

 身体が重い。火照ってる。病院……じゃないよな。

 そうだ、俺、酔いつぶれたんだ。

 じゃ、飲み屋か。旅館みたいな座敷だったもんな。こういう小部屋もあるわけね。

「起きた?」

 ふすまを開けて、ルキさんあらわる。

 俺は「うん」と応えたつもりだが、喉にも腹にも力が入らないので「ふぉん」という返事になった。

 いや、しかし、真下から見上げる彼女は初めてだけど、この角度もいいね。

 パースがついて小顔がさらに小さく見える。

「もう、宴会は終わってみんな帰ったわ。うんとね、今は九時」

 そんな早い時刻を告げられたら、もうひと眠りしたくなっちまう。

「ちょっと早いけど、アミガには未成年もいるしね。プロレス軍団は飲み足りねー食い足りねーと喚きながらネオン街へ消えてったわ。きっと高カロリーな店に行くんでしょ。鹿原さんもさっさとお帰り。残ったのはあなたと、そのお世話役の私だけ」

 そりゃ、申し訳ない。放置して帰ってもよかったのに。

 もしかして、何かお話でもあんの?

 あの件で。

 どの件かっつーと、あやふやだけど。酒が入ると俺の脳は揮発性メモリーと化すので。

 そういや、鹿原にケンカ腰で挑んだっけ。結果、どうなったんだろう?

 殴ったのか、蹴ったのか、やられたのか、まったくわからん。

「……なんか、ごめん」

 何もさだかじゃないのに、つい謝ってしまう。

「何に?」

 ルキはそっと訊ねてくる。

 意外なほどやさしい声だ。逆に迫力がある。

「たぶん、俺、まずいことした気がするんですよね。なんとなくだけど」

「ああ。鹿原さんのこと」

「うん、怒らせました?」

「まあ、褒められたふるまいじゃなかったけど、大丈夫。誰も気にしてないよ」

 軽く笑いながら否定してくれた。

 なぐさめかなとも思うけど、ほっとする。

 でも、やっぱ、このしくじりだったか。

 彼女にしてみれば、自分が仕切るプロジェクトの目玉タレントにトラブルを起こされたわけで。怒りでハートが沸騰してたっておかしくない。

 まさか、俺、仕事から降ろされたりして。また、元の暮らしに戻ったりして。

「メイジくんさあ。スピリチュアルとかチャネラーとか苦手でしょ」

 うわ。そんなド真ん中な質問してくるか。しかも、いたずらっぽい目つきで、下唇を噛みながら。可愛すぎるじゃないか。怖すぎるじゃないか。

「うん。まあ」

 曖昧に答える。お茶をにごす。うやむやにする。

 それが俺のベストエフォート。

「何本もその手の仕事で組んでるもの。ずいぶん前からわかってたわ。これ系って、子供にとってのピーマン並みに好き嫌い極端に分かれるしね」

「ルキさんはどっちなの」

「私はどっちでもないかな。醒めてるから。ただの仕事だと思ってる。うちの会社には通販や求人、システム開発とか色々な部署があるけど、その中では面白い方かなって程度」

 そういう考え方もあるか。大人のお姉さまは違うね。俺はつくづくガキだ。

「うーん、俺も割り切らないとダメですねぇ」

 溜息ついちゃうよ。

「そんな、無理でしょ」

 えっ、笑いながら全否定。俺、やっぱクビ?

「君はそのままでいいよ。スピリチュアルが嫌いでも問題なし。メイジくんに期待してるのはステージの企画と構成、そこで面白いのを作ってくれればいいから」

 どうやら、首の皮はつながってるようだ。

「君にはエンターティメントに専念して欲しいな。鹿原さんを世紀の大魔術師に仕立て上げようが、ペテン霊能者を懲らしめるという企画にしようが、なんでもありだから。共犯関係の悪人でも、ウソを暴く正義の味方でも、思う道を突っ走ってちょうだい」

 いや、俺の憂さは晴れるけどさ。それじゃ儲からないっしょ。

「でも、ビジネスにならなきゃルキさんだって困るんじゃない」

「それは気にしなくていいわ。うんとね、確かにビジネスだけど、メイジくんの考えてるビジネスモデルじゃないから。そもそも鹿原さんのイメージを守るためにやるわけじゃないし」

 うーん、わからん。

 滅茶苦茶なステージの方が話題になるってことか?

 主役をいじめ過ぎてケツをまくられたらまずいんじゃないの。

「とにかく、何か起きても私が受け止めたげる。それがプロデューサーの役目だしね」

 胸をぽんと叩く、控えめなふくらみが軽くたわんだ。頼りがいのあるアネゴだ。

 おお、まっすぐなまなざしで、俺の目を見つめてるっ。

 てっ、手を握られたっ。

 ああ、手のひらから脈が伝わるっ。

 お姉さま、仕事にはクールだけどお熱いんですね。

 いや、ちょっと待てよ。

 考えてみれば、和室に布団。

 二人きり。

 仕事の相談で意気投合。

 しかも、夜だ。

 これは何か起こっても不思議じゃなくない?

 よし!

 意を決して、そっと華奢な手を握り返してみる。

 一瞬、時が止まる。静寂が部屋を支配する。

「あの、ですね。唐辛子スプレーなら持ち歩いてますけど」

 ごめんなさいと言って手を引っ込める!

 足も!

 布団かぶって亀になる!

 許して!

 忘れてくださいませ。

「こらこら、寝るんじゃないの。ほら、タクシー来たって」

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