第8話 ホテルにて

 運命の夜七時。

 エレベータホールは帰宅ラッシュ。

 人いきれが立ち込めている。

 一日働いた皆様が降りたガラガラの箱に、俺は鼻息荒めに乗り込む。

 目指すはウラノスのロビーなり。

 ルキとこんな時間に会うのは初めてだ。

 打ち合わせもいい感じだったし、もう会って一年だし、可能性はあるんじゃないの……なんて想いを巡らしつつ、せいぜいディナーだろと落胆パターンも保険として心に抱いておく。

 エレベーターが開くとフロアの照明は暗めになっていた。

 静まり返ったロビーへと歩を進める。

 受付嬢はいない。背が低くて見えないのかと受付ブースの中まで見回したが空っぽだ。

 お帰りあそばしたのだろう。

 内線電話でルキの部署にコールする。

 どきどきしながら受話器を耳に当てるやいなや、野太い男声。

 よろけるわっ。

 いや、ありがとう、冷静になれました。

 ナイスミドル風バリトンボイスを長時間浴びると側頭葉に苔が生えるたちなので、用件を伝えて穏便に受話器を戻す。

 多少の妄想をしつつ、姫様のおなりをぼーっと待つ。


 照明の加減と空調の心地よさが脳内麻薬の分泌を促す。

 どれほど時間が経ったか、妄想が危険な領域に入り始める前に現実は声をかけてくれた。

「おつかれさま。時間とってごめん」

 少し弾んだ声が、鼓膜から大脳に染み渡る。

 低音の彼はちゃんと用件を伝えてくれたようだ。

「じゃ、行きましょう。今日はこっち。ホテル棟だから、いつもと違うエレベータで」

 ホテル棟!

 今日パンツ変えてきたっけか。

 俺の心に棲む中学生男子がまたもやムクムクと首をもたげる。

 心に棲まう莫迦ガキをなだめながら、ルキの三歩後ろをついていく。

 スーツパンツにロックオンしそうな視線を彼女の頭の高さに合わせる。

 いきなり、振り向かれたら勘違い……じゃなくて、ばれるだろ。俺の意識低い系なとこがさ。


 エレベータには二人きり、胸が高鳴る。

 なんか、告白でもされるかな。いきなりキスとか……ねえよ。

 我ながら、強靭な童貞力に辟易する。

「お腹、空いてるよね。ここのビュッフェ、結構おいしいよ」

 おお、やはり、まずは食事でもってことか。

「うちのグループ会社がちょっとした宴会をやってるの。顔合わせにいいかと思って。これから組むことになる仲間もいるし」


 ぷしゅー。


 俺の体内のどこかにある不思議な袋の空気が抜けた。

 脳内の中学生男子は眠りにつく。

 なるほど。まあ、そういう展開だろ。少しは予期してましたよ。

 落ち込みが恥ずかしさと共にじわっと広がっていく。へこむわー。

「やってる、やってる」

 バンケットルームが見えると、ルキは嬉しそうに声をあげた。

 続いて、耳に巨大な衝撃音が轟く。

 会場中央に設置されたリングで、うすらでかい男がバカでかい男に叩きつけられているのだ。スキンヘッドの巨人、ドレッドヘアの巨人、アフロの巨人、角刈りの巨人がくんずほぐれつ忙しそう。

 さながら、巨人界のヘアモデル対決だ。

「うちが提携しているダイナマイトプロレス。迫力あるでしょ!」

 ルキは自慢げに紹介してくる。

 ど迫力は認める、確かに凄い、でも興味はない。すまん、汗だくの肉体労働者たちよ。

「それより、メシ食いましょうよ」

 スパッと話題を断ち切って、ビュッフェコーナーへ向かう。

 色っぽい妄想的展開がないと知れば、残るは食い気だけ。

 そこしかすがりつくものはない。胃袋から手が出そうだ。

 壁際一面に並ぶ食事の数々、洋食中心だが寿司や天ぷらの屋台も出ている。

 ウラノスの数字や建物を見たってデカいとしか思わない。

 財力無双と感じ入るのは食い物からだ。

 大丈夫、目と香りでわかるぞ、確かにこの会社は儲かってる。

 舌なめずりしつつ、取り皿テーブルへ。

 収穫を載せる大切な道具を手にするまで後五歩と迫ったところで、邪魔者が出現した。

 行く手を塞ぐはカラフル衣装の少女たち。

 揃いも揃って凄い笑顔。

 なんだ、こいつら。

「私たち、二十四時間年中無休! あなたの夢まで会いに行く! 限界突破アイドル! アンリミットガールズです!」

 元気というか、能天気というか、ちょっとひくわ。

 ひいふうみい……四人の少女が一斉に俺を指さしてハモっている。

「略してアミガ! よろしくお願いします!」

 続いておじぎ、顔が膝につくほど体を前屈。

 チームワークはぴったりで、四人は同時に顔を挙げる……と同時に、動きや声が不揃いになった。

 わかりやす。練習してるのは挨拶ワンセットまでか。

 予定調和終了と共に、俺の両脇を通り過ぎ、少女たちはルキを囲みだす。

「ルキ姉さーん、会いたかったー」

「新しい衣装だけど」

「うちの猫が」

「今日、学校で」

「抹茶パフェを」等々、口々にとりとめなく話し始める。

 学校帰りの十代女子が憧れの先輩を捕獲した感じだ。

 ルキさん、大人気じゃないですか。

 しばらく、きゃんきゃんとまとわりついてたアミガはスタッフに呼ばれて「失礼します」と一瞬だけ抜群のチームワークを復活させて走り去っていった。

「なんか、なつかれちゃって」

 ルキ姉さんはテヘヘと笑う。

 頼りにされてんですよと話を合わす。実は、俺もあんたの背中について行こうと決めてるわけです、とは口に出さないでおく。


 俺はホテル自慢の料理を冷菜も温菜も一緒くたに皿へ盛り、ビールで堪能する。

 ルキは白ワイン片手に、微笑みながら四角いジャングルを見ている。

 リングではマスクマン二人がタイミングを合わせて飛んだり、掛け声の大きさを競ったり、コミックショーのような試合を繰り広げていた。

 やっぱりさっぱり興味が湧かない。

 見るともなしに試合を見て、皿が空いたのでおかわりを取りに壁際を見やると、ローストビーフのご出陣ではないか。

 肉塊を切り分けるシェフの前は八人待ち。

 ここはビール片手に並ぶしかあるまい。

 ロゼピンクな牛肉を山盛り調達してルキの元へ戻ると、えらいことになっていた。

 二メートル級のレスラー四人が、凄みのある顔つきでルキをガンにらみだ。

 全員、Tシャツを着ているだけで、タイツもシューズもリングに上がっていたまんま。

 特にパワフル力山は剥げ掛けの顔面ペイントで化け物度が増している。

 周囲には微妙に遠巻きな人垣で、どの瞳も興味津々とわかる輝き具合。

「おつかれさまです!」

 四匹の怪物が揃って声を上げ、頭を下げた。

 ルキ様はまあまあと手をふる。なんつーの、アネゴの貫禄。

 その後、しばし、ご歓談する姿を見ていても明らかにルキが格上だ。

 巨人たちが背中を見せてから、俺は歩みよった。

「お帰り。あら、おいしそう。ローストビーフは切り立て?」

 シェフ帽のおっさんが営業スマイルで切り分けてくれたことを伝えてから、レスラーについて訊ねてみる。

「なんか、なつかれちゃって」

 またもや、テヘヘと笑う。

 ちっちゃいのから大きいのまで、なんにでもなつかれるんですね。

 さらに詳細を聞き出そうとしたら、彼女はリングを指さした。

 見ると、先ほどの少女たちが上がり、挨拶を始めている。

「アミガちゃんたち、ダンス凄いから。見ておいた方がいいわよ」



 プロレス二試合、アイドルライブ数曲が終わり、歓談タイムに突入した。

 もうお開きまで一直線な空気だ。

 名刺交換に駆けずり回る人も多々見受けられますがぁ、俺は誰とも知り合いたくないので、ルキのそばをつかず離れず、彼女が色々な人と挨拶を交わすのを眺めるのみ。

 人間関係は狭く浅くがポリシーです。面倒くさいの最低。

 大皿料理の補給が途絶えた頃、入口あたりから歓声が上がった。

 モーゼが海を割るごとく、人の群れが二つに分かれていく。

 その中央を丸っこい体の男がひょこひょこと進んできた。

 ああ、あいつだ。チラシのやつ、霊能者。

「あら、鹿原さん。ちょっと、メイジくん。一緒にきて」

 ルキは驚き気味に小太りおやじの名を口にし、駆け寄っていく。

 お付きの者としては従わざるを得ない。

 いや、しかし、こりゃどうも、実物は写真よりインチキくさいわ。

 しかも、近寄るほどにその倍率が上昇。チラシ比八倍くらいのうさんくさ度。

「ルキさんじゃないですか」

 鹿原は満面の笑みだ。

 血色ツヤツヤの丸顔と黒目がちな瞳のため、表情は作り物みたい。

 髭のせいでカビの生えたスマイルマークにも見える。

 挨拶をする手も団子みたいなら、指先もまるまっちい。

 デブってのは霊能者的にどうなのか。ありがたみが増すのか、減るのか。

 福々しさと修行してない感を同じ濃さで感じるぞ。

 俺には魅力ゼロだが、さすがは旬の人気者。

 あっという間に人垣ができて、会話してるはずの我が姫君はまったく見えなくなった。

 数分後、人ごみはざざっと音を立てて移動を始めた。

 鹿原が動いたのだろう。

 人口密度が下がった場には、ルキが微笑んでいる。

「ふう、一仕事おわり。ねえ、メイジくん。このあと、飲みに行かない?」

 こりゃまた、晴れやかな笑顔でお誘いがっ。でも、また、ぬか喜び?

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