第4話 その女、謎につき

 真昼の祝杯は最高だった。

 小汚くてゴキブリを飼ってるが、味は絶品な中華屋で巨大餃子とビール三杯。

 美女と儲け仕事が舞い込んできたのだ。

 前祝いにガッと飲み食いしてもバチは当たらんでしょ。


 容赦ない真夏の空気に汗を噴き出し、店を出て三分でアルコールを世界へ放出。

 でも、浮き立つ気分のまま安アパートを目指す。

 醒めていく余韻も、まぶたの裏にこびりつく彼女の笑顔が押し留めてくれる。

 千鳥足だか、嬉しくてステップを踏んでるのか、自分でも不明。

 無事帰還して自分の部屋へ。そこはもうサウナ。

 窓をオープン、扇風機をスイッチオン、八畳分の瘴気を解放する。

 部屋の空気が入れ替わるのも待たず、PCを立ち上げてメールチェック。

 ニューマシンはお預けとなったが、心は折れていない。

 むしろビンビンだ。

 彼女からの一報は?

 新着なし。

 俺はニンニク臭い溜め息を吐いて寝転がった。

 天井の顔模様を眺めながら、さっきまでいた空間に思いを馳せる。

 ハリウッド映画に出てくる悪の企業みたいなビル。

 社員の平均身長が五メートルはありそうな高すぎる天井と無駄に広大なロビー。

 ガンガンに効いた冷房、インスタントではないコーヒー。

 そして、城戸ルキ。

 キドルキなあ。可愛かったが、いたっけ、あんな知り合い。

 んー、検索しよう。


 机に座り直し、検索窓に彼女の名を打ち込む。

 いくつかヒット。

 ワクワクとリンクを辿るも、ページを見ると主婦だったり、中学生だったり、同姓同名ぽい。

 俺が今日会った女神には行きつかない。

 『城戸 ウラノス』でも芳しい結果は出ない。

 目をつむり、今日の出会いを思い出す。

 まぶたから唐辛子成分を落とすまでは声だけの印象。

 ちょっと大げさに感情を表すアニメ声、怒った時のビジネスライクな声色まで鈴を転がすよう。

 いざ、視力が戻ってみると、シャンプーの広告に出そうな長い黒髪。

 ころころとよく変わる表情。

 でも、凛とした雰囲気。

 そんな女子、俺の人生にいたかね。

 いや、いない。


 起き上がって再度メーラーをチェックする。

 何もない。

 こんなにメールが待ち遠しいのは、振込通知以外では何年振りだろう。

 彼女、確かに仕事の資料を送ると言っていた。

 言ってたよな?

 手元に名刺はあるし、俺の目元はまだ少し熱を持っている。

 だから、あの出会いはリアルだったはずだ。

 ウラノスとの仕事、成功報酬とはいえ、俺にとっちゃ破格のギャラだし、通れば別の仕事を呼び込む実績にもなるだろう。

 でもな、だからやりたいわけじゃない。

 底辺ワーカーから抜け出したい気持ちは……うん、どう心をまさぐってもない。

 第一、働くのは嫌でござるよ。

 モチベーションはひとつ。脳にがっつりインプリントされた彼女だ。

 あの話は流れましたという連絡でもいいから、再会の口実をつかみたい。

 つながりを確認したい。

 頭の中がどうどう巡りをして何も手につかない。

 思わず、ソリティアを立ち上げる。

 カードをめくりながら、メール着信のポップアップをちらちら気にする。

 今までソリティアは何万回揃えたろうか。人生の無駄使いにも暇つぶしにもこれ以上はないゲームだ。

 それにしても今日は調子が悪い。五回続けてカード不揃いでリトライ。

 ハートの3が出ずにいらついていた時だ。

 待望のメールが到着した。


--------------------------------------------

桜葉メイジ様

御世話になっております。

株式会社ウラノスの城戸です。


本日は御時間を頂き、ありがとうございました。

御打合せさせて頂きました案件の資料をお送りします。

企画書の弊社への提出締め切り日は来週の木曜となります。

その他の事項につきましては資料内に記載されております。


それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。

--------------------------------------------


 ビジネスライクな文面だ。

 素敵な笑顔のかけらも、激情した時の怒気も匂わない。

 俺はすかさず返信を書いた。


--------------------------------------------

ウラノス 城戸ルキ様


お世話になっております。

桜葉メイジです。


資料は受け取りました。

さっそくアイデア出しにはいります。


ところで、以前お会いしたのはどこでしたか。

よろしければ、ヒントをお願いします。

--------------------------------------------


 手短すぎるかも知れないが、軽く返事ができるように追伸風に訊ねてみた。

 すぐに返信がきた。


--------------------------------------------

桜葉メイジ様

御世話になっております。

株式会社ウラノスの城戸です。


さよならする時のメイジくん、昔と同じ手の振り方をしてたね。

前にバイバイをした時も真夏だったよ。

じゃあね。

--------------------------------------------


 真夏のバイバイ?

 今の季節に別れた女性?

 いや、恋人どころか恋人未満どころか異性の友達なんかゼロ。

 同級生?

 卒業シーズンでもないし、つか、俺、中学から絶望的に男子校だ。

 つまり、出会ったのはガキの頃、お互いの頭身が低かった時分か。

 小学校の同級生なんざ、顔も変わったろうし。

 どうりで記憶を探っても見つからないわけだ。

 待てよ、そうだ、卒業アルバム。

 確か、どっかのダンボールにあったはず。


 押入れの奥に詰め込んだダンボールを漁る。

 エロ本とマンガの中から小学校の思い出一式が詰まった紙袋を発掘。

 だが、卒業アルバムの名簿には『城戸』も『ルキ』もいなかった。

 ということは、非同級生でガキの時分に出会った女子?

 そんな超現実的な存在、考えたこともなかった。

 あーもー!

 いかん、脳を酷使し過ぎ。

 脳みそがしょっぱくなってきた。

 気分を変えよう。

 彼女のことは置いといて。企画を考えなきゃ話にならん。

 今度あった時、印象を良くするためにも。

 まずは資料を読み込むテンションにしなきゃ。

 クールダウンだ。

 とりあえず、外へ出よう。


 西日に照らされた町へと足を踏み出す。。

 蒸し暑い大気がまとわりつく。

 負けないで前へ進むと、ほんの少し風が起きる。

 家にとどまるよりは涼しい。

 歩を速めるほどに、頭の中のグチャグチャ感が薄まっていく。

 自販機でがぶ飲み麦茶を買って一気にあおり、ひどくむせた。

 人影まばらな午後の商店街で、咳と涙を大音量で撒き散らす。

 横隔膜も肺もたっぷり運動したせいか、やたら気分はすっきり。

 無意味な涙を拭って、深呼吸ひとつ。

 気を取り直して、さらに歩く。

 コンビニでちょろっと買い物をして、その隣にある小さな神社に入る。

 サイズこそ小ぶりだが、境内に掲げられた看板にはメジャーどころの神様がずらっと記されている。家内安全、商売繁盛、受験合格、夫婦円満、縁切り縁結び、子孫繁栄その他もろもろ。あらゆる願いに応じられる豪華ラインアップ。

 誰を祀るとかって、各神社が好き勝手に決めていいのかな。

 賽銭箱に小銭を放り込み、手を合わせる。

 仕事がうまくいきますように。

 城戸ルキと仲良くなれますように。

 どの神様でもいいから、聞き届けて。

 一心不乱に念じれば、心がすっと透明になって、すっぽり空いた頭の中に神様の声が……聞こえるわけはない。

 最後に、よろしくねと境内奥に声を投げてベンチに腰かける。

 横に置いたレジ袋にはどら焼きとポテトチップと缶コーヒー。

 甘い、しょっぱい、苦いで永久機関のように食えるコンボだ。

 糖分と塩分の最強コラボで脳を落ち着かせよう。

 今度はむせないよう慎重にコーヒーをすすり、雲の出てきた空を見上げる。


 何を書けばいいかわからない。

 まともな企画書など書いたことがない。

 かといって、考えればできるようになるのか? 

 答は、ノー!

 我が人生、はなからオリジナリティに無縁なり。

 いつものごとく、ネットでテンプレートをあさり、ネタを寄せ集めてでっちあげよう。

 神頼みのおかげか、十秒で企画案の方針が決まった。

 それが俺の生き様。マイスタイルを貫くのだ。

 太陽は傾いて、風が出てきた。

 頬を生暖かい空気がなでていく。

 遠くの入道雲が朱に染まっていく。

 夕焼け、綺麗なもんだね、じっくり見るのは久しぶり。

 

 あっ! いやいやいや。ちょっと待て。


 この風と空気、空の色。

 脳みその奥。こみいった場所にしまった記憶が揺れ動く。

 放課後の児童公園で何日も続けて遊んだ女の子がいた。

 たぶん、小学校二三年の頃。

 あの頃は凄いお姉さんに思えたけれど、一歳か二歳上だっただけだろう。

 内容は何も覚えてないが、面白い話をたくさん聞かせてくれた。

 尊敬して惹かれて毎日会いに行って。

 いきなりバイバイを告げられた。

 涙でぼやけた夕焼け空と赤いスカート、長い髪。

 ルキって名乗っていたよな?

 うん、ルキだよ。たしか。


 懐かしさが胸の内に広がっていく。

 難問の尻尾をつかんだ晴れやかさも。

 帰路の足取りも軽く、こもり仕事の準備に再度コンビニに寄り、菓子とジュース類を買い込んだ。


 部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。

 ウラノスから依頼された仕事は、いわゆる自己啓発本の販売促進企画。

 平たくいえば、虚言癖のある話し上手からゴーストライターが聞き書きした本を「人生のチート術」を求める甘えたお客様に届ける。

 ネットに山ほど溢れる怪しげな情報と、自己啓発系商材が料理の材料だ。

 いくつものサイトを覗いては企画書をあさり、使えそうなネタを引っ張る。

 パチモノのパワーポイントとフォトショップで、盗んで繋げてロジックを通す。

 図と画像と、検証のしようがないデータを貼りまくって説得力を出す。

 もちろん、全体の整合性が保てるようにテキストは最後にざっと改竄する。

 ウソもパクリもクリエイティブ。

 模倣は芸術の基本で応用で最終形。

 糖分をむしゃむしゃ補給しながら集中作業。

 ぶっ続けで三時間、企画書は粗く組み上がった。

 ここから体裁と装飾を施せば完了だ。

 しかし、目はしょぼしょぼ。

 根性の限界を越えると体に悪い。今日は終了にしよう。


 でっち上げってことに目をつむれば、初めて担当する「大手企業向けソーシャルな仕組みを使った商品販促プラン策定」は、思ったより順調に進んでいる。

 オンラインビジネスの上流工程はすべて俺にまかせろという気分だ。

 深呼吸をして、新たなポテトチップスの袋を開けた時、メッセージソフトの通知がポップアップした。


『リュウ:そっちで日付をまたぐ頃、いつもの場所で! 』


 小学校の同級生からお誘いが来た。

 ちょうど、仕事が一段落ついてないけど、飽きたところ。

 すかさず、俺はOKと返す。


 ☆


 リュウは公立小学校で共に学んだ親友だが、卒業後の人生は大違い。

 俺はご覧のとおり、インチキくず野郎。

 あいつは大学生の頃から事業を起こし、企業売却を繰り返して今はシンガポールに在住する、複数の企業に出資する資産家だ。

 今年頭の同窓会に彼がファーストクラスで飛んできた時、十年以上ぶりに再会。

 小柄な美少年はスキンヘッドでマッチョな年齢不詳人物に変わっていたが、一気に時間をさかのぼり、昔通りの会話ができた。

 同じオンラインゲームをやっているとわかり、それからは、週に数回、剣と魔法の世界で会っている。


 夜、オンラインゲーム「KAIJU忍者」にログインし、俺はいつものサーバのいつもの街に向かった。

 このゲームは米国製のハンティングRPG。ユーザーは狂った和風世界で忍者となり、世界を総べるSHOGUNの命に従いKAIJUを倒していく。

 俺の職業は魔法忍者だけども、見た目は錫杖を持ったマント姿の長髪オヤジ。三角帽を被っているのが唯一の魔法使いらしさで、忍者要素は皆無なキャラクターだ。

 このゲーム、空手忍者とか漢方忍者とか芸者忍者とか、日本人には理解不能な忍者だらけである。

 ログインして、しばらく町をぶらついているとチャットソフトが自動起動した。

 スピーカーからリュウの声がボイス変換されたアニメ女性声で流れてくる。

 ゲーム内で振り向くとピンクのツインテールをなびかせた小柄な美少女が微笑んでいた。

「リュウか?」

「ああ、可愛いだろ。シンガポールでも日本の萌えは人気だしな」

 何が、だしな、なのかわからないが、見た目はともかく、この声をマッチョなハゲが出してると思うと怖気が走る。

 おまえ、この前はごつい黒人ヒップホッパーだったろうが。

 まあ、しかし、突っ込んだら負けだ。あえてスルーした。

「えっと、見晴らしのいいところで話そうか」

「もう少しいじれよ。ほら、喧嘩忍者リュウ参上!」

 短い手足をバタバタしてウインク、親指をくわえてポーズを決めた。

 可愛いだけに腹が立つ。

「テンプラ草原でいいよな。それとも、サシミ山にするか?」

 渾身のポーズを無視して、会話を進めてやった。

 俺たちは江戸の街が一望できるサシミ山に向かった。

 東京タワーや江戸城、巨大な萌え少女モニュメントの合間に長屋が建ち並ぶ、クールジャパンな風景を見ながら立ち話す。

「城戸ルキねえ。覚えがないな。学校の子じゃないだろ」

「やっぱね。公園での記憶しかないんだよな」

「いいんじゃね、なんでも。女目当てであれ、おまえが表に出る仕事をやる気になったのは嬉しいよ。イリーガルな仕事で食ってると根性が卑屈になるからな」

「でも、成功報酬だぜ」

「まずは始めたことが大事なんだよ。本気でやれば技術もマインドもついてくる。今回がダメでも次につながってく」

 ピンク髪の萌え少女に、男口調のアニメ声でさとされる俺。

「あぶねっ!」

 リュウが剣をふり、俺を背後から襲ってきたザコ怪獣を叩き切った。

「ここ、怪獣が出るのかよ」

「低レベルとはいえミッション中だからな。ところで、ウラノスについて何か知ってる?」

「いや、投資先として考えたこともないし、ネットで流れる程度の情報しかない。まあ、ちょっと気にしておくよ」

「頼む。リュウのとこ、情報量が桁違いだからな。案件が自己啓発モノだろ。なんか、うさんくさくてね」

「うさんくさくない仕事した覚えないだろうが。まあ、大企業は結構自己啓発が好きだぜ、アヤシイで切って捨てちゃもったいない。おっ?」

 今度はリュウの背後から襲いかかったザコに、俺が火炎を食らわした。

「合成素材、結構落としてるぜ。リュウ、いる?」

「んー、どれも使い道ないな。持ってっていいよ。しかし、ゲームはルール通りに動けば結果が返ってくるからいいよな。決められた属性の決められたダメージを与えれば、敵さんは死ぬ。ビジネスじゃ、そうはいかない」

「たいへんだね。インターナショナルビジネスマンは。ご苦労様」

「おまえこそ。大企業相手にフリーランスで働くんだろ。潰されないようにしろよ」

「ご心配、感謝」

 その後、二時間ほど狩りをして現実へと帰ってきた。

 目の前には、組みかけの企画書。

 後は明日だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る