第5話 真夏の思い出
ダメージを受けていない目でウラノスのロビーを見るのは初めて。
俺の住処で換算すると十部屋以上はある広大なフロアに、白くまぶしい大理石が敷き詰められている。
その真ん中にある受付ブースに、女性一人がちょこんと鎮座。
空間の無駄使い極まれり。
それにしても、初めて来た時はシンプルだった内装がごちゃついている。
かつては殺風景だったのに、いまやアイドルやプロレスのポスターが 前後左右の壁を覆わんばかりに自己主張。
趣味が悪くて最高だ。
ネットを軽く騒がせているコンテンツビジネス参入の効果だろう。
社長は悪い人に騙されてるか、アタマに注射でも打ったか。
株主総会直後に、中堅どころの芸能事務所とマイナーなプロレス団体を買収した。
株式掲示板では「そんな連中を囲って何をする気か」「怪しげなオカルトで止めておけ。いや、それもやるな」と自称株主な皆様で絶賛お祭り状態になった。
好きなこと、バカなことをやるその姿勢、嫌いじゃない。
外野がどれだけ騒ごうが、金があるんだから変なこといっぱいやりゃいいんだよ。
俺みたいな外注に回ってくる痛い仕事を増やすためにね。
社長ご乱心のおこぼれに預かるべく、俺はよく訓練された作り笑いを浮かべる受付嬢に近づく。
城戸ルキの名を告げると、笑ってない目で会釈をして内線をかけてくれた。
腹の中じゃ「ちょっと待ってろ、場違いな貧乏人」とつぶやいてるんだろう。
では、お姫様の到着まで、フロア見物としゃれ込もう。
まずは強烈な異物感を発しているプロレスラーの等身大パネル。
赤と金でまだらに染めた連獅子風の被り物に歌舞伎ペイント、傷だらけの上半身、身長二メートルでリングネームはパワフル力山……りきやま? ちからやま? かなぐらい振っておけよ。
大男を呆れ顔で見上げていたら間近で誰かが俺の名を呼ぶ。
声する方を向いたものの、上下差に目線が泳いでしまい、メイクばっちりなお顔にピントを合わせるまで二秒かかった。
受付嬢さんのサイズは目分量で百四十二センチってとこ。
「こちらへおいでください」
タイトなスカートに包まれた尻がクリクリ動くのを眺めつつ、後をついていく。
立派なヒラメ筋からして、学生時代はスポーツに燃えていたに違いない。
バスケやバレーは高さが必要だから陸上や体操あたり、などと考えているうちに会議室へ通された。
十人以上の団体さんもどんとこいの楕円形テーブルが据え付けられており、壁一面は窓になっている。
街はもとより、遠くにはうっすらと富士山まで見える。
この風景一つをとっても会社に金が唸ってるのを感じる。
風景をめでる趣味を持たないので価値は感じないけども。
「城戸がまいりますまで、しばらくお待ちください」
広い会議室に一人きり、手持ち無沙汰この上なし。
窓から街を眺めてみるが、真下を見ても高層階すぎて人が豆粒みたい。
これでは可愛い子探しすらできない。今度来る時はオペラグラスを持ってこよう。
「メイジくん、おつかれさま」
アイスコーヒーを持った受付嬢を従えて、城戸ルキが登場。
淡いブルーのスーツで相変わらず凛と決めている。
俺のグレースケールな日々で彼女との時間だけがRGBに彩られている。
「企画書ありがとう。評判いいわよ」
右手の親指を立てて小さくグッジョブしてくれた。
笑みとウインク。俺、気分はヘブン。
「今朝、会議があって正式に契約を結ぶことになりました。もちろん、条件に納得してもらえればだけど」
俺の辞書にノーという文字はない。
いや、あるんだが、今はない。
「金額とか期間とかはこちらの通り。この場ですり合わせて合意に至れば、その内容でドラフトを起こします。とりあえず、この条件でどうかしら」
社判の朱色も鮮やかなA4コピー用紙が差し出された。
十分な金額が記されている。でも、はなからOK以外の返答をする気はない。
これからもルキと会えるなら、契約内容なんか適当でいい。
この場に契約書を持って来てくれれば、今日は印鑑こそ持ってないが、手足を総動員して二十回の指印を押してやる。
俺が条件を了承すると彼女は口元をほころばせた。
いや、俺を見て呆れ笑いか。
喜びすぎが伝わって無様なのか、俺。
「ありがとう。じゃあ、これで進めていきましょう。ところで、今日はちょっとお願いがあるんだけど」
まかせておけ。できないことでもできると返事しちゃうぜ。
「うちの会社、自営業の方と新規契約を結ぶ場合、インタビューをさせてもらう決まりなの。これからいいかしら」
「うん、大丈夫」
恥ずかしい性癖だって言ってやる。
そんなもんないけど。いや、あってもオブラートに包んで言ってやる。
ルキはポケットからICレコーダーを取り出した。
質問事項が書かれているシートを見ながらゆっくりと唇を開く。
姿勢を正して原稿を読み始めた。
見た目だけなら、女子アナ系ニュースキャスター並みだ。
「それでは、名前からお願いします」
続いて、生年月日や住所と通り一遍の個人情報を訊かれていく。
声がリリカルだから事務的な口調も心地いい。
聞き惚れながら適当に答えていたが、徐々に質問内容が変わっていった。
連想ゲームや心理テストみたいな、なんだろう、適性診断ってやつか。
海と山だとどちらが好き?
では、山といって連想するものは?
オカルトという言葉から連想するものは?
草原に家が建っています。どんな家ですか?
質問にどういう意味があるかは謎ながらレスポンスを返す。
好きなスイーツは?
おすすめのラーメン屋は?
おすすめのお笑い芸人は?
コンビニで必ず買うアイテムは?
ネットで拾った企業の裏話はありますか?
なんだ、これ? 雑談?
頭の回転速度を試してるのか。ま、答えていくけどさ。
子供の頃、好きなお菓子はなんでしたか?
虫採りといえば、どんな虫ですか?
夏は暗くなるまで遊んでいましたか?
小学校の頃、クラスにお友達は多かったですか?
児童公園で相撲を取ったことはありますか?
海馬をくすぐるような質問が続く。
即答できず、記憶をまさぐってから答えていく。
答え同士がシナプスでしながり、情景を結んでいく。
俺はガキの頃から、夏になると近所の公園で蝉を採っていた。
いつも夕陽が沈むまで遊んでいたが、群れるのは嫌いだったからいつも一人だった。
あれ、じゃ、なんで、相撲を取った記憶があるんだ?
棒で地面に土俵を描いた。
何度も挑んで何度も負けた。足が出たり、軽く突き飛ばされたり。
悔しくて、楽しくて、帰宅すると一直線に公園に向かった。
相撲の相手はどんな髪型でしたか?
砂まみれの服をはたいてくれましたか?
相撲では一回だけ勝ちましたね?
ひとつのアンパンを二人で食べたよね?
「あっ」
思わず、声のトーンをあげてしまった。
目の前のいたずらがばれたような笑顔と、あの夏の少女が重なる。
「う……」
ルキ……こみ上げてきた懐かしさに言葉が詰まる。
思い出のかけらが頭のそこかしこから集合する。
いつも別れ際。ハグして軽く頭突きしてきた。
じゃあね、コツンって。
夕暮れの公園での、たぶん数日だけの、でも濃い記憶。
いかん、なぜか目が潤んでくる。
「どうしたの? メイジくん」
そうか、そうだよ、メイジくんって呼ばれてた。
「私のこと、思い出してくれた?」
小首をかしげて上目づかい。ずるいわ。可愛いわぁ。
「ああ……思い出したけど、でも、そっちこそ俺のことよく」
「見た瞬間にわかったわよ。昔のまんまだった」
ええっ、そうか?
かなり情けない姿だったのに。
まあ、確かにガキの頃も情けなかったか。
「あの、余談ごめんなさい。まだ、インタビューは終わってないの。もう少し続けていい?」
俺は言葉を出せず、うなづくのみ。
感情が波立って、まともに答えられる気がまったくしない。
「じゃあ、もう少し突っ込んだことを聞いていくね。答えたくなかったら、そう言ってくれていいから。あなたのパートナーとして色々と知っておきたいの」
「パートナー?」
「外部スタッフと担当者のことよ。うちではそう呼ぶの」
それからほぼ一時間、インタビューは続いた。
一発、心の壁を割られてからの質疑応答。ルキは聞き上手でコントロール上手だ。
心のガードは崩れてプライバシーはボコ殴り。
子供の頃の生活、中学、高校でのこと、遊び方から乏しい恋愛経験まであけすけに、ひたすら一方的に話した。
こちらから逆質問をしたら、訊いてるのは私だからって全部はねのけられた。
「アンケートはこれでおわり。おつかれさまでしたっ」
最後は実務の話になった。つまり、予算とスケジュール。
企画料だけでも月収をはるかに越えて、サイト制作費がさらにドン。
締め切りも無理のない範囲。
夢のような好条件だ。
「じゃあ、契約書は今日中にメールするわ。内容を確認して返信をよろしく。問題なければ、すぐに締結を済ませるよう上をつつきますね」
では、これから頑張っていきましょう。
彼女は右手を差し出した。
俺の固く骨張った指と柔らかな指がきゅっと絡む。
二人で会議室を出て、エレベータホールへ歩いていく。
その間、彼女はずっと世間話をしてくる。
エレベータが閉じる前に、もう一度握手。
さらに不器用なウインクに笑顔とたたみかけてきた。これ、絶対にからかってるモードだ。
いや、嬉しいんだけど。
扉が閉じて一人の空間になっても、俺はドギマギしていた。
何かが始まる予感が半端ない。
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