08/15

0:56-2:21

 共用廊下でこつこつと鳴る音に目を覚ます。

 誰かが夜遅くに帰宅したのだろう。

 意識の水面下から微睡み思う。

 しかし、玄関の鍵を回す音は、いつまで経ってもしない。

 再びこつこつと音が鳴る。

 そして、私の部屋の前で音が止む。

 微睡んでいた私は音の主にはっとして、寝床から飛び起き出窓を見た。

 この部屋の外に、共用廊下の照明はついていない。

 なのに、光がぼうと弧を描いている。

 黄色い人影と、夜明かりのような光がそこにいる。

 もしかして。

 もしかすると。

 萎んだ期待が再び膨らむ。

 寝床から起き上がり、部屋を忍び足で抜け出すと、音を立てないよう慎重に鍵を回し、玄関を開けた。


 玄関から覗いた先に、そのひとはいた。

 私に気が付いて、袖の広がる道化師のような召し物をたなびかせた。


「童」


 静かな低声が私を指す。


「先日は、話の最中さなかに済まなかった」


 あなた方が突然消えるのは、慣れてきたから気にしていない。


「故に、再度此処へ」


 月齢二.七五。

 確かめなくては。


「貴方は」


 玄関を閉める私の体温が引き下がる。


「貴方が、月齢二.七五?」


 率直に訊ねる。

 月光冠を纏うひとは何も言わない。


「光が会いたいって言ってた」

「やはり彼奴を知ってるのか」


 静寂を担う低声が訊ねる。


「どうして、直接会いにいかなかったんですか」


 私はさらに訊ね返す。


「会いに赴いた」


 鋭い目が私を射抜く。


「赴いた先に、貴様が居た」


 どういうことだろう。


「貴様の左手に有る、其の光」


 左腕を咄嗟に見る。


「其の光を俺は見付け、辿ったのだ」


 なるほど、そういうことか。


「其の光依り、彼奴を感ずる」


 満月の眼光が研ぎ澄まされる。


「彼奴は何処に居るか、存ぜぬか」


 その声は、静かすぎて眠気を誘う。


「童」

「私もずっと会えてません」


 夏の終わりのあの夜更けを最後に、私は光と出会えていない。


「そうか」


 鋭い眼光が眼を伏せる。


「ならば、致し方無い」


 満月の眼が踵を返し、こつこつと音を立てて立ち去ろうとする。


「待ってください」


 私は足音を呼び止めた。


「会えていませんが、あのひとといつも会っていた場所は知っています」


 満月の眼が振り返り、私を凝視する。


「何処だ」

「今日はちょっと……行けないです」


 行こうにも、電車はもう終わっている。


「都合は付かぬか」


 あと、とても眠い。


仮令たとい、貴様が其の場所を知り得るならば」


 その目元が、一粒の夜光を湛える。


「導いては、くれないか」


 その願いが、静寂の低声と共にまろび出る。


「其の光以外に、俺は彼奴を感じ取れぬ故」


 左手の白い糸は淡く仄明るい。


「頼む」


 このひとは、希う。

 このひとも、片割れに会いたいんだ。


 私は、あの草叢へ赴く手段が夜明けを待たないと無いこと、今夜は私の眠気が限界であることを伝える。

 月光冠を纏うひとは、私の意見を呑み、自らもこの先、私の前に現れる時刻に制限があることを教えてくれた。


兎角とかく、此処は居心地が悪い。ともすれば意識が保てぬ」


 また、不思議なことを言う。


「俺は暫し、此処にて貴様の都合を待つ。又、動ける時分に呼び付けるといい」


 そうして、月光冠を纏うひとは姿を消した。


 光源が消え、共同廊下に静寂が戻る。

 私は眠気がどうにもならない。

 動ける時間?

 今はそんなのどうでもいい。

 玄関を忍び開けて、私は暗がりの部屋のしとねを引いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る