08/14

18:03-19:40

 糸で編んだ紐を、左腕に結んでいる。

 七夕の日に光が手渡し、一度は風に飛ばされた、淡く光る白い糸。

 それを、他の糸と合わせてひとつの紐に仕立てたのは、立秋を過ぎて間もない頃。

 手先が不器用な母が、昔、友人から教えてもらったという編み方で、綺麗に編み上げた願いの紐。

 願ったのは、曽祖父との仲直り。

 しかし、その願いも、私には必要なくなってしまった。


 初めから、私は疎まれていなかった。

 曽祖父は、私を待っていただけだった。

 私が一人で思い込んで、曽祖父を避けていただけ。

 許しを得ることに、怯えていただけ。


 次の日曜に、父は祖父の元へ行く約束をしてくれた。

 もし、疎まれているわけではないと判っていたなら。

 それが、判っていたなら。

 もう少し、他の話もできたのだろうか。

 もう少し、祖母の話も聞きたかった。

 あの灰の眼が、今なら冷たいとは思わない。

 眼光の鋭さは、元からだった。

 そろそろ、後悔を思い込むのはやめにしよう。

 私はもう、大丈夫。

 座椅子の裏側に寄り掛かり、背中越しに曽祖父を思う。

 光陽みたいに座り込めたら良いのに、おかしな気恥ずかしさが先立って、なかなか正面を向くことができずにいる。


「何やってんの」


 そのうち、和室を覗きにきた光陽と目が合った。


「座椅子の後ろにいて、面白い?」


 面白いとは思ってない。


「今日は父さん、遅いみたいだから」


 今日は終日指導があるとは聞いた。


「テーブルの上、お願い出来る?」


 兄が襖の奥へ姿を消す。


 今夜は、兄弟二人だけの晩御飯。

 いつも料理を兄に任せてしまうのは、どうにかしないといけない。

 テーブルを片付けて、ランチョンマットを敷き、皿を並べる。


「君は一昨日、流れ星を見れたんでしょ?」


 鍋敷きにカレー鍋をどすり。


「良いなぁ。僕も見たかった」


 光陽は結局、流れ星を見ることは叶わなかった。


「次はいつだっけ」

「また、調べとく」

「お願い」


 白飯を丸く盛った丸皿に、カレーのルーが三日月のように注がれる。

 薬味をのせて完成。

 頂きますと、そろって手を合わせる。


「あれ、あのひとが帰ってくるのはいつだっけ?」


 白飯を崩しながら、光陽が聞く。

 私は、確か月曜だと返答した。


「また、公演のこととか、光条さんの話とか、聞かされるんだろうな」


 母の話題になると、光陽はいつもふてくされて、表情が翳る。


「君は相手をしてあげてね。僕は逃げるから」


 受験もあるしね、と兄は付け加える。


「そだ、パン焼こ」


 カレーの二杯目は、トーストで挑むらしい。


「君もいる?」


 私は首を横に振り、カレーと白飯を頬張る。


「何枚焼こうかなー」


 牛乳を飲みながら、光陽は食パンの袋に手を突っ込んだ。

 パンを二枚、オーブンへと並べてダイヤルをひねる。

 楚々とした明るい声が、鼻唄を歌っている。

 やはり、兄の声はとても綺麗だ。

 勿体無いくらいに。

 私は、兄の名を呼んだ。


「何?」


 明朗な流し目が振り向く。

 私は、言葉に詰まる。


「変な朔」


 兄へ意見を述べるには、どうも勇気が足りない。

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