20:10-21:56

 叔父一家に混じって夕食を頂いた後、水亜さんが車で自宅まで送ってくれる手筈で、あの座椅子を持ち帰ることになった。

 車なら、一時間ほどで家に着くらしい。

 輪太さんにお礼を言い、水亜さんの車に乗り込み、真っ直ぐに伸ばした座椅子を後部座席へ運んだ。

 そして助手席へ座り、母の実家を後にする。

 夜の都内は様々な色が飛び交って、過ぎ去って、流れていく。

 信号機の青が四つ先まで並んでいる。

 車のテールランプがどれも真っ赤だ。

 空は暗いのに、変な明るさが不思議だった。

 赤信号の合間、水亜さんはカーナビを操作しながら、車酔いはないかどうかを聞いてくれる。

 車が高速道路に乗ると夜の景色は殺風景となり、等間隔に並んだ常夜灯が一定のリズムで通り過ぎていった。

 道路は滞りなく、風を切って速度が上がる。

 ラジオは雑音が入り、よく聞き取れない。


「てっちゃん、いいよって言ってくれたでしょ」

「はい」


 水亜さんが嬉しそうにハンドルを握り直す。

 水亜さんは、何故、あそこに曽祖父が居ると言ったのだろう。


「だって、てっちゃん大好きだったもん、あたし」


 私の質問に答えた水亜さんは、そのまま話を続ける。


「りんの奥さんってだけなのに、てっちゃんはあたしのことも孫みたく大事にしてくれたしね」


 水亜さんの横顔が常夜灯で明滅する。


「今でも、居なくなっちゃったなんて、あまり実感なくてね」


 ウインカーが左を指す。


「きっと、今日もあそこで囲碁か将棋をやってるんじゃないかな」


 車線を移り、しばらく真っ直ぐ走り続ける。


「少なくとも、あたしやりんが、あの家にいる限りは」


 水亜さんの視線が、一瞬バックミラーへ移る。


「あの座椅子、いつからあるかって知ってる?」

「いえ、知りません」

「あれね、てっちゃんがかずさんを居候させてた時に、てっちゃんが選んだのをりんに頼んで買ったやつなの」


 ウインカーが再びチカチカと鳴る。


「どうせ近場に住んでるなら、集会所に行くより自宅で手合する方が良いって言って、そのうちに、どうせ一人暮らしならうちに住めって言い始めちゃって」


 車が高速道路を降り、赤信号に捕まる。


「そん時に買ったのが、あの座椅子」


 青信号に変わり、再び車が走り出す。


「てっちゃん、結構変わり者だったからねー。かずさんのお住まいにも通ってたみたいだし」


 私は、父方の曽祖父が今の自宅に居る風景しか知らない。


「でもさ、まさか、ひまりちゃんの連れてきた彼氏くんが、かずさんのお孫さんだったなんて、思わないじゃん?」


 それは母から何度も聞いた。


「正に、現実は小説より奇なり、というか」


 気がつくと、見慣れた景色を車が走っている。


「あたしね、さっくんのお父さんとお母さんの家系、大好きよ」


 そういって、水亜さんはブレーキを踏んだ。


「はい、とーちゃく! お疲れ様でしたー」


 エンジン音が止まったのを確かめて、シートベルトを外し扉を開ける。


 マンションのエントランスへ向かおうとしたところで、父が踊り場から呼び掛ける声に気が付いた。

 降りて来た父が、水亜さんと話しながら、座椅子を担いでエレベーターへ運ぶ。


「朔、もう一度、水亜さんに礼を」


 判ってるよ。

 上まで来てくれた水亜さんに礼をして、玄関の戸が閉まる。


「どこへ置けばいい?」


 座椅子の置き場を訊ねられ、ひとまず和室に置いてもらうようお願いした。

 和室には、曽祖父母と祖母の位牌が並んでいる。


「君ってさ、とことん叔父さんたちに迷惑かけるよね」


 振り向くと、光陽が歯を磨きながら突っ立っていた。


「お帰り、朔」


 そのまま洗面所へ姿を消す。


 私は部屋に戻り、明かりをつけようとして、照明のボタンの前で手を止める。

 そのまま扉を閉めて、出窓から差し込む外の明かりだけの真っ暗な部屋をじっと見つめた。

 水亜さんが車で話してくれたこと、母方の曽祖父が使っていた暗い床間を思い返し、曽祖父の気配を思い出してみる。

 あの黄色い座布団の上で、赤色の着物が、皺の刻まれた微笑みが、澄み嗄れた声が、確かにあそこに居た。

 あの場所に、曽祖父は居た。

 そして曽祖父は、父方の曽祖父の気配を、きっと、あの座椅子に感じ、いつも向かい合って対局していたのだろう。


 私にも、感じられるだろうか。

 曽祖父を。

 父の祖父のことを。

 母の祖父がそうしたように。


 もし感じられたなら、その時に、曽祖父と再び会えるのだろうか。

 曽祖父と仲直りが出来るだろうか。


 でも今日は、無理。

 もう眠い。

 眠いから、寝る支度をしなくては。


 私は部屋の明かりを点けると、着替えを取り出し、再び照明をぱちりと落とした。

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