15:42-17:12

 高度およそ七里の成層圏で、光は天頂の円環と対峙する。

 本当は、昼間の月の気配を身近にしようと思い立って昇った空。

 しかし、一抹の疑念が沸き起こる。

 もし、あれが自分自身であるなら、祈りで空へ昇り始めるわけがない。


「其方は、何者」


 光は小首を傾げ、結びつく事象は思い当たらない。

 しかし、自身と何かしらの結びつきが生じているのは事実。

 今、この地に昇る太陽は、天の光の祈りで昇る。


「其れが、此処に於ける儂の役目で或ると?」


 悪心がする。

 気体の詰まる胸元を抑え、改めて居心地の悪さを感じ取る。

 だが、少年と共にいるときほど、自身の存在の薄弱さは覚えなかった。

 覚えなかったが。

 光は、白い布地を纏う掌を見つめる。


「お前さん、儂は、如何して斯様な場所へ来てしまったのか」


 儂は、確かに燃え尽きたはず。

 宇宙の深い闇の中で、片割れを飲み込み、体内を撒き散らして、真白く萎みついえたはず。


「此処が浄土ではあるまいな」


 あるわけがない。

 そんなものはこの世に無い。

 光はそこで、新たな疑念を自らに問う。


「儂は、の星から顕在しておる?」


 天体の体躯を持つものは、もとになる星が必ず存在する。

 しかし、見渡す限り、光は自らの姿を認めることが叶わない。


「居心地が悪い」


 悪態を吐いても、何も変わらない。


「一体、此処は如何様な……」


 俯く背後に、月の気配がその手を置く。

 気配に振り向くと、天頂にある円環と、共にいる昼間の月が仲良く西に傾き始めている。


「其の光は、儂では無いのかのぅ」


 意識するまで気が付かなかった、自分自身の不在。


「ならば、其れに寄り添う御月様は、お前さんとはならぬのかのぅ」


 重なるようで重ならない二つの天体を見上げ、光は夜明色の瞳を潤ませた。


「儂の願いは、また叶わぬのかのぅ」


 叶わなかった、以前の願い。

 片割れを置いてきたそこで叶わなかった、光の願い。


「お前さんの笑顔が見たかった」


 今度は、会うことも叶わないのか。


「其れは、嫌」


 独りは、嫌。

 有るはずの無い足元から、あおぐろい闇が蔓延はびこり絡み付く。

 成層圏から引き摺り下ろされ、光は大地へと墜落する。


「嫌」


 抗って浮き上がろうとするが、からだが大地から離れない。


「独りは嫌」


 宇宙という闇の中で、ひとり佇んでいた頃の記憶がぎる。


「嫌じゃ。儂は、独りは嫌」


 孤独に燃え尽きるのは嫌。

 光の体躯を闇が飲み込んだ。

 光の視界が暗がり、天頂の円環だけがまばゆい縁を描く。

 あれが儂だったら。

 傍に居る御月様もお前さんだったら。

 儂は、不明瞭とはならなかったのじゃろうの。

 光は、闇に呑まれて草叢から姿を消した。

 空には、月を引き連れた天の円環が、まもなく西陽を大地へ延ばす。


 誰も居ない広野。

 草叢には風が渡り、空には雲が流れていく。

 ただ、草叢の一箇所だけが黒く焼き焦げていて、それは、鳩尾から下の無いヒトの形をしていた。


 もうすぐ夏が終わる。

 燦々と照り輝く太陽の季節が終わる。

 天の円環は月の背中に就き、共に山間へ沈もうとしている。


 光。

 僕ハ、貴方ガ大嫌イダ。

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