20:57-23:32

 窓を開けて手を伸ばし、掴み取ったそれは、七夕の日に風で飛ばした光の白い糸だった。

 前に窓を覗いた際、おかしな光の筋があるとは思っていたが、まさか、ここに引っかかっていたとは思わなかった。

 無事に手元へ戻ってきたことが、なんとなく嬉しい。

 私は再び窓の外を見て、山の上の異変に気付く。

 山の上が変に明るい。

 まるで、あそこだけ昼間になったみたいに。

 昼間と思いついてはっとした。

 もしかして、天の光がまだあそこにいるのだろうか。

 今この時間に居るなど思えなかったが、もしまだ居るとしたら。


 私は、白い糸を無くさないよう鞄に結びつけて部屋に残し、屋根裏部屋を抜け出す。

 降り際に掴んだ白いシャツを羽織り、叔父には何も言わなかった。

 からだは充分快復している。

 明日こそ会いに行こうと思っていたが、今日でなくてはいけない気がする。

 浅はかで幼稚な勘が働いている。

 絵空事に縋っている。

 また、光陽に馬鹿にされるんだろうな。

 そう思って、私は歯を食いしばる。

 急勾配を駆け上がり、息が切れて目の前が真っ白になりそうになる。

 息を整えて、額から伝う汗を拭い、いつもの広野へ先を急いだ。

 実は、ただの工事か何かの光だったらどうしようかとも頭によぎった。

 思い違いなら、引き返せばいいか。

 でも、もしそこに、あの光が居てくれたなら。


「……いた」


 私は目の前の光景を疑いながら、光の元へと近づく。

 天の光はからだを深く折り畳み、球体のように丸まって手を合わせていた。

 声を掛けると、光はからだを震わせて起き上がり、私の顔を見上げて驚く。


「其方、何ゆえ斯様な時刻に此処へ」

「貴方こそ、どうしてここに居るんですか?」

「儂は」


 光は突如口籠もり、表情は青褪めていた。


「暫し、深く眠りけたようである」


 周りの景色がさらに鮮明となる。

 このままでは、この広野だけ昼になってしまう。

 そんな気がした。

 私は羽織っていた白いシャツを脱いで、光のあたまから被せてみた。

 光が遮られて、辺りが少し暗くなる。


「白いシャツでは、意味がないかもですけど」

「否、幾許かは他方への影響も抑えられよう」


 光が礼を述べて微笑んだ。


「随分と夜も更け往く時刻であるが、帰らぬと心労の止まぬ者もおるのでは」


 叔父の顔が脳裏に過ぎる。


「明日にしようと思っていたんです」


 今でないと、聞けない気がした。


「話を、聞いてもらえませんか」

「何の話かの?」


 首を傾げる光を前に、私は身を硬らせた。


「死んだ人と仲直りするには、どうすればいいですか」


 途端、からだが冷たくなっていくような気がした。

 駆け上った後の疲れが、今になって眩暈に変わり、立っていられない。


「おいで」


 光が私を呼ぶ。

 私は光に近付き、跪いて光へもたれた。暖かな陽だまりの香りと、悪寒が溶けて消えて行く。


「其方は、亡き者に会いたいのかの」


 私は首を振る。


「仲直りがしたいと、話して居ったのぅ」


 光は私の額に祝福を与え、無い眉を顰めて唸り声を上げる。


「仲直りか」


 私は曽祖父と、仲直りがしたい。

 しかし、どうすれば良いか判らない。


「いつも、お盆の前になると、亡くなった曽祖父と対峙するんです」


 家には、曽祖父の位牌がある。


「曽祖父は、叔父を慕う私のことを許さないんだ」


 私の祖父を、きっと許さずに亡くなったから。


「でも私は、あのひとと仲直りがしたい」


 どうすればいい。

 きっと支離滅裂だろう私の話に、光は口を挟む。


「其方の曽祖父は、其方の家に居ると感ずるか」


 私は顔を上げる。


「身体は朽ち、何も残らぬというのに?」


 光の眼差しに、私の体温が引き下がる。


「其の魂の在り処を、何処と推し量る?」


 曽祖父の魂の居場所。

 位牌の中。

 ではないとしたら?


「其方の曽祖父の魂の在り処は、其方の思う其処では無い」

「どこ、なんですか」


 答えが知りたい。

 教えてほしい。


「先ずは、其処に居ると思うた場所で手を合わせ、気の済む迄、呼びかけると良い」


 光は、祈りの仕草を私に示す。


「然し、其処では無いと思うたならば、思い当たる他の場所を探し当て、其処で再び呼びかけると良い」

「そこでも、なかったら?」


 辿々しく問う私に、光は笑む。


「また、他の場所へ赴き、手を合わせて呼びかけると良い。こたえが来る迄。同じい場所へ再び赴いても良い」


 暖かい光の手が、私の手を包み込んだ。


努努ゆめゆめ、諦めぬようにの。必ずや、応えは来る」


 その言葉を最後に、光は姿を消した。


 真っ暗闇の草叢で、私は肌着のまま居座り、気が付いた途端、くしゃみが止まらなくなった。


 早く帰らなくては。

 もしかしたら、叔父が私のいないことに気が付いて心配しているかもしれない。


 私は草叢から立ち上がると、広野を後にして、駆け足で帰路についた。

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