07/09

6:49-8:41

 また、明けてほしくない夜が明ける。

 空のだんだん白むのを、呆けながら眺めていた。

 また、あのひとは、昨日見せてくれたように、祈りながら朝を呼んでいるのだろう。


 山麓の彼方から光芒が射し、旭光きょっこうが顔を覗かせる。


「御早う」


 時を同じくして私の顔を覗くのは、心に噂を立てたあのひとだ。


「おはようございます」

「本日も、其方の多幸と息災を祈ろう」


 光は私の前で手を合わせ、祈りを捧げてくれる。


「ところでの、此処へ赴く手前、例の笹を見かけたのじゃが」


 私が飾り付けをした七夕の笹だろうか。


「白い糸は如何したのじゃ?」

「白い糸は、風に飛ばされて無くしたんです」

「成る程」


 光は、私の髪を眺めながら腕を組む。


「じゃから、其方自身の髪を糸の代わりとしたか」

「そうですね」


 私は自分の髪を横目に見て、平静を保つ。


「其方の髪、麗しく長い薄灰色」


 見たままを光は口にする。


「まるで、月の大地のようである」


 また、不思議なことを言うんだ。


「この髪は、叔父の髪が長かったので、同じように伸ばしているだけです」

「ほぅ。其方には、叔父が居るのか」

「はい」


 そう。私には叔父がいる。

 その叔父と仲が良い所為せいで。


「如何した」


 光の問いに目を逸らしてしまう。


「儂にも、髪の長い友人が一つ居る。其の友人の話をしても良いかのぅ」


 私の動向をお構いなしに、光は私の傍らに添い、首を傾けて目を細めた。


「彼は、儂の大地の友人である。何時も笑みを絶やさぬ、皆の智識ちしきの拠り所。小柄だが逞しい幹の身体と、枝葉を束ねた長い髪を腕代わりとした、深き森の大樹である。また、儂の統括する星域の、唯一荒廃した星其のものであった」


 光の眼光が細く煌き、遠くの広野を見渡している。


「荒廃した彼の大地は、彼の力だけでは如何どうにもならぬかった。故に彼は儂を呼び、大地の修復を願い、儂と片割れは其れに応えた。空の友人の助力も重ね、彼は見事、緑豊かな星として、生き長らえる道筋を辿り始めたのじゃ。儂は、彼に祝福を与えた」


 光は、その祝福を私の額で再現する。


「其れから、彼の元へ遊びに赴くのも、儂と片割れの愉しみとなった。彼と会うとの、必ず二人で歌を唄った。命の芽吹きを愛でる唄である。今も、其の唄を憶えておる」


 光は必要の無い咳払いをした。


「唄い聴かせようか」

「結構です」


 私はきっぱりと断った。


「其れは残念じゃのぅ」


 光はにこりと笑うと、私の正面に浮き上がり、居住まいを正す。

 夕焼け色の召し物は大輪のように広がり、長い裾が波打っている。


「彼れは、まことに、愛しい日々であった」


 追懐に目を細める光の口元が、急に逆さ三日月を成す。


「只、一度だけ、儂の片割れと衝突したことがあってのぅ」


 光の視線が墜落する。


「其の真因は、儂に有るのじゃが」


 その視線が大地を這う。


「儂の預り知らぬ内の事象であり、儂が聴く頃には収束しておった。片割れは、自ら砕いた身体の一部を彼に預けた。自らの信念を貫くためである。大地の友人もまた、片割れに応えてくれたのじゃ」


 そこまで話したところで、光の姿が急に霞み始めた。

 空を仰ぐと、またしても雨雲が忍び寄り、遠くで大地に溶け落ちるのが見える。


「もう暫し、話していたかったが、致し方ない」


 光は空へと舞い上がった。


「風邪をひかぬようにの」


 光はそう言い残すと、天高く昇り、曇天の彼方へ姿を消した。


 遠くで溶けていた雲が近付き、まもなくここにも雨粒が落ち始める。

 私は雨避けを差し、光を隠した曇天を見上げて、しばらく立ち尽くしていた。

 少し、寂しい気分になった。

 私は目を瞑り、長い息を吐いて雨音に耳を澄ませる。

 広野はけぶり、草花に露が溜まる。

 私の長い髪は、鈍色に萎れている。

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