18:26-19:36

 雲が砕けている。

 砕けた雲の間で綿菓子を掴むように、陽の光が柔らかなまばゆさを覗かせている。

 昨日の曇天は、再び強まった風に吹き飛ばされ、原型を留めていなかった。間から覗く陽光で、残りの厚い雲が灰色の影を落としている。

 一方、白くすっ飛ばされた青空は、陽光から遠ざかるとともに、元の青さを取り戻していた。真白い雲を際立たせ、いまだこの時間が昼であることを主張している。


 その青空色を真似る髪飾りを煌めかせ、光は大地に寝そべっていた。

 袖に隠れた腕を折りたたみ、手首を枕代わりにして、うつ伏せに目を閉じている。

 青々とした草叢には長い裾が扇状に広がり、まるで、そこだけ先に黄昏が訪れたようだった。

 私はその寝顔を見つめながら、まもなく訪れる夜の帳を思案する。

 夜の帳は、目の前に眠る光の姿を跡形もなく消し去る。初めてこの光と出会った頃に見たように。

 しかし、光は、朝や昼には再び姿を現した。そして、何事もなかったように、私に声をかけるのだ。


 光のまぶたがぴくりと動く。

 まもなくからだを起こした光が私の姿を認めると、草叢に広がった裾をそのままに、遅よう、とだけ口にする。

 夜明色の眼光を天へ、天地の境目へ、私へと向けて止めた。そして、必要のない息を吐いて、私に話しかける。


「間も無く、陽が暮れるのぅ」

「そうですね」


 私はつい、素っ気ない返事をした。


「陽が暮れてしまうのは、いささか侘しいものである」


 それを、貴方が言うのか。貴方は、あの光そのものだと公言していたのに。


「陽が暮れたあと、貴方はどこに行っているんですか」

「向こうへ行っておる」


 光が指すのは青空の向こう。


「此処には居れぬからの」

「何故ですか」

「儂の体躯は、其の明るさ故、深き闇夜を負かしてしまう。陽が暮れる中、儂が此処へ居っては、総てのものが休めぬじゃろう」

「闇を、負かす」

「儂の光を受け止める衛星が居るなら話は別であるが、此処には居らぬようであるからの」

「衛星」

「御月様じゃの」


 光が笑みをこぼす。


「儂の光を受け止め、地上へ返す月明かりは、儂の光とは違い、総てのものの眠りの妨げにはならぬ。屹度きっと、互いの眠りを確かめながら、心易く、眠れることであろう」


 こうべを垂れ、光の表情がみるみるうちに冷たくなる。


「そう……お前さんは、儂の光を受け止め、彼の者共へ返してくれる……」


 俯いた光に声を掛けようとしたとき、彼方の光芒が最後の筋を失い、夕闇が辺りを支配した。


 光の姿が瞬く間に消え去り、私は思わず天頂へ視線を送る。

 雲は相変わらず散り散りに砕けて、藍に染まり始めた空を横切っていた。

 流れる雲の隙間から、一番星が見え隠れして、存在を示すよう強く輝いている。


 いや、もしかしたら、あの一番星があのひとなのかもしれない。

 どこかは知らないが、置いてきてしまったという、月齢二.七五というひとのことを思って、空を漂っているのかもしれない。


 あのひとは、私に願いを聞いてほしいと言った。

 どうして、私なのだろう。

 何故、私に望みを託そうとするのだろう。


 私は視線を空から剥がし、天地の境目を眺めていた。

 山麓は陰り、残光を真後ろへ隠す。

 あそこだけ赤が残っている。

 間もなく、その色も消えた。


 夜の帳は否応なしに下ろされ、この地に闇夜が訪れる。


 こつこつと。

 乾いた音を立てて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る