第3話 渦巻く魔力 (追加・修正版)

「おお!来てくれてたんだね、踏葉とうはちゃん!」


「お迎えにあがりました、卉原くさばら美月みづき様、陽哉はるや様……なんちゃって」


 少女は、スカートの裾を広げ、丁寧にお辞儀をしながら微笑みを浮かべる。――と、少女は、僕の眼を覗き込む。


「――ほほう、君のお兄さんの親友の妹さん……と、伝わっているみたいね」


 少女の大きな瞳を、ちらりと兄の方へ向ける。

「説明がお上手ね~、ハルにい

「だろ~?」

 どや顔の兄に向けて少女は、無邪気に笑う。


 ハル兄……、陽兄はるにいと呼ばれているのか、兄は。そもそも、僕は兄の友人関係について詳しく知らない。兄の親友の妹というが、ただの顔見知り程度という訳ではないらしい。


……先程より頭が冴えてきた。目の前のことを、何とか認識し始めている。


 僕の前には、僕よりも小柄な、女の子の姿。

 明るく心地よい声、大人びて、澄んだ響き。

  どこにでも居る、あどけない女の子に見えるが――


 右分けされた前髪がふわりと揺れ、かつて僕を呑み込んだ視線が、僕の元に戻る。透き通っていて、緑にも青にも見える瞳、珍しい色付き――。


「改めまして、わたしは、藤咲ふじさき踏葉とうは。藤が咲く、踏む葉っぱって書くの。」

 うふふっ、少女は、柔らかに微笑む。


 藤咲――どこかで聞いたことのあるような。。

 踏む、葉っぱで、踏葉……、女の子の名前としては、かなり珍しい響きだ。瞳の色と相まってか、『葉』が相応ふさわしい名前のようにも思えるが、『踏む』という字が名前に入っているのが妙に頭に残る。


「由来は自分でもわかってないんだよね~。踏むって名前に入るの、なんか気になるよね…。まっ、よろしくね!」


「……よ、よろしく…お願い…します…」


 僕は自ずと、声が――。でも、消え入りそうで、僕自身も発したかどうか、わからない――。

 けど、踏葉は、僕を見て大きく頷いた。彼女の両眼に、線の細い僕の顔が映る。


「ふふっ、丁寧語じゃなくていいよ~。同い年だもの。気軽に“とうは”って呼んで」


 同い年、なのか、僕と…?

 腑に落ちるような、意外なような……。

 中学二年生にしては、ただならぬ雰囲気というか、堂々とした出で立ちというか、漂う気配というか――。率直に言えば、本当なのか疑いたくなる。


「疑わずとも、ほんとだよっ」


――えっ。僕は、ぎくりとする。

 ……?かと思えるような


 図星過ぎて、またタイミングも合いすぎてて――


 いや――、ただの気のせいか。


「……よ、よろしく…と、踏葉……………さん……」


 やはり癖で、『さん』をつけてしまう。名前の呼び捨ては、僕にとっては難しい。


 ふふっ……まぁ、いいでしょう。そんな僕を見透かしたように、踏葉は、にやりと覗う。

「ってことで、立ち話もなんですし、行きましょっか!」




「とは言っても、すぐそこなんだけどね。駅から徒歩1分くらいかな~」


 桜を視界の右に捉え、歩道を道なりに進む。駅のロータリーには、『塔里郷駅前』と示した背の低い古びたバス停と、木製ベンチが見渡す限り二基ほど、点在している。左側には、『KOBAN』と書かれた建物がある。


「美月くん、さっき学校行ってきたんだよね?戸瀬先生、お元気そうだった?」


 踏葉は、歩きながら僕を振り向き、軽やかに言った。自然に話を振る少女のあどけなさに、一瞬答えるのを忘れそうになる――が、踏葉の視線と、後ろからの兄の足音で、呼び起こされる。

 というか、使用人の荒井あらいもえを除き、女の人と話すのは……あまり慣れてないのが、正直なところ……。


「……うん…。」僕は頷くので精一杯だ……。


「そっか。良かった。」踏葉は安心したように微笑む。


「この横断歩道は、渡らずに、左に道なりに進む」


 踏葉はそう呟きながら、一車線道路に入っていく。道路沿いには、一軒家が立ち並ぶ。車通りもなければ、人も外に出ている様子がない。


「あっ、もう建物見えてる……と思うよ!」


 あそこっ!と踏葉が指さした先には――、数軒並ぶ先に、一軒家よりも高い、茶色っぽい建物が見えるような……気がする。アパートらしき建物、か。

 ぼやけてて、しっかり目視しきれなかったが、近づいていくにつれ、レンガ調な外壁に、所々ツタが這う様子が見えるようになってきた。


「さ、着いたよ!ほんっと、すぐでしょ~。」


 正面には門などはなく、中庭の様にひらけた空間が広がっている。その空間の奥から右にかけてL字に建物がそびえ立っている。L字型の建物には、四角い窓が几帳面に並んでいて、そのほとんどは濃い紫色のカーテンで閉められている。見たところ、三階建てだろうか。

 正面玄関は右奥に見える。丁度L字の角辺りか。円形の石のタイルが、正面玄関らしき扉へと僕らを導く。正面玄関は扉はガラス面が僕の等身大の大きさで張られており、中の様子が良く見える。人は居なさそう……。


「ただいま帰りましたよ~」


 踏葉がガラス戸を内に開ける――と、すぐ見えたのは、カウンター。


「ここが受付兼管理人さんの居る場所。管理人さんは今、買い物に行ってて、いないのよね。」


「お邪魔しま~すっ……、って、そうなのかぁ。管理人さん今お買い物中かぁ」

 お会いしたかったなぁ……。兄の気の抜けた声が響く。


「あっ、でも、商店街の辺りなので、そのうち帰ってくるかと!美月くんに顔を合わせておきたいだろうし」


 踏葉のその言葉に、おおっ!と兄が頬を緩める。

 踏葉は微笑みながら、話を続ける。


「受付を見て左側の建物には1フロアに2部屋ずつ、お部屋がある。ちなみに、この受付の裏側が管理人さんが住むお部屋になってて、その上階にも住めるお部屋が2つあるから、実質住人が住めるのは8部屋だね。」


「右側は、1階が大広間、2階が図書ルーム、3階はフリースペースになってる。住人は自由に使ってよくて、特に食事は、1階の大広間で住人皆で食べたりするんだ~」


「大体こんな感じかな――。見て回るのもいいけど、ひとまず、疲れたでしょう。大広間でゆっくりしますか」


 受付の右廊下を進むと、すぐに大広間、と呼ぶ場所へと着いた。そこには、2列の長机と、数十脚の椅子が並べられていた。まるで食堂の様な配置だが、どこか机と椅子の木目調が温かみを感じる。


「あれ、あゆみー?」


――と、踏葉は大広間に入るなり、誰かの名前を呼んだ。


「あゆみも登校支援クラスの同級生で、ここに住んでるから紹介したいのだけど……忙しいのかな」


 あゆみさん、という方もいる……らしい。

 登校支援クラスの同級生であり、住人の一人、か――。

 心臓がどきん、とする。


 そう考えると、目の前にいる少女も、登校支援クラスに通う同級生なんだよな……と、改めて腑に落とす。


 踏葉は廊下の先の階段を見やるが、僕らに向き直る。


「好きなところ座っていいよ~」


 とりあえず僕らは、入口に近い、手前の席に並んで座ることにした。

 踏葉も向かいに座ったとき……


――とん、とん、とん、

 足音か……奥から聞こえるのは。


「おっ、来たかな~?」


 踏葉も音に気付いたのか、階段の方を振り向く。

 そして現れたのは――長い白髪の美少女。

 一見して、日本人、いや東洋人離れのした顔立ちに、右肩に流され、お腹の位置まで伸びた白髪。前髪で右目を隠し、赤色をしている左目。

 美形な容姿――一度目にしたなら、誰もが見惚れる、というのもお世辞などではない……


「……早かったな」美形の少女は、思ったよりも低いトーンの声で、無愛想に呟く。


「お、お邪魔してます、ふたたび……」その容貌は、兄をも恐縮させている。


「どうも」

 端的に答えた少女は、視線を逸らしつつ、机の端にすっと立つ。


 より距離が近く――。

 圧倒されていると、赤い眼光が、鋭く僕らに向けられる。

 いや……、僕らではない。明らかにに向けられている。


「コーヒー紅茶ココア緑茶、どれがいい」


 冷たい声が耳に刺さる。

 視線を向けられると、どうしても戸惑ってしまうところがあるのが僕だ。


 少女の目線が細く、険しくなる。じっと僕を見る。

 それがさらに僕を焦らせる。


 えっと、コーヒー、紅茶……、後、何だっけ……


 コーヒー、紅茶…………、コーヒー、紅茶――、えぇっと……。

 先を必死に思い出そうとするが、思い出せない。

 思い出そうとするほど、言葉が出てこず、どんどん焦ってくる。

 何を問われたか――、次第に分からなくなって――。


 すると、少女はさらに目を細め、親指から指を伸ばし、ゆっくりと呟いた。


「コーヒー……、紅茶……、ココア……、緑茶……。選べ」


 確実に僕を見ているが、いや眼光からの圧も存分に浴びているが……ただじっと、僕を待ってくれているのか……?この子は。


――何でも大丈夫だよ。踏葉のささやきが机の向こうから聞こえる。


 僕の目の前に、4本伸ばされた細く白い指――。

 自然と、頭の中が整理されていく。


 えっと……この飲み物の中で、今飲みたいのは――。

「――緑茶、で…」


「ホットか、アイスか」


「―――ホット、で」

 ふぅん。少女が息をく。


「……っ…」

 その眼光が、兄に向けられる。兄は表情がすっかり縮こまっている。


「僕も、温かい、緑茶で……」


「踏葉は」


「ホットのココア!」


 答えにうんとも了解とも言わず、少女は僕の背後を通り、奥へと立ち去っていく。


 踏葉はるんるんとした表情で、兄は緊張が途切れてほっとした様子をし、僕はただ静寂に、待っていると、少女がお盆にカップを4つ乗っけて持ってきた。

 黙々と、緑茶を僕らに、ココアを踏葉に、黒い飲み物の入ったマグカップを机の端に置く。


「ありがと」

 踏葉がにこやかに微笑むのを見やり、少女はカップの前の席につく。


 腕を組み、上目遣いで僕を見つめる。踏葉の時のように、吸い込まれる訳ではないが、じっと構えた眼光の、奥底に何か……、したたかさを感じる。


「――葦屋あしやあゆみ」


 あゆみ、と名乗った少女は、微かに口を動かす。


「―――その……、よろしく」


「…………よろしく、あゆみ……さん」


「『さん』は要らない。てか、人を物珍しげに見るな」


 ぎくり……、思っていたことを言われた、というよりも、その迫力に凄みを感じる……。


「この髪も、瞳も、皮膚も、地の色。次そういう目で見るなら、許さない」


 眼光の鋭さに、思わず肩身を狭める。目が合うのもおこがましくなってしまう……。

 踏葉はというと、にこにことした表情で見つめてくるし……、僕はどこを見たらいいのか……


「言葉はぶっきらぼうだけど、中身はと~っても優しいし、勘の冴える子だから、あゆみは」


うるさい」


 踏葉の呑気な口調。あゆみは顔を逸らし、一言――冷たくあしらう。


「ふふふっ、珍しいことには心惹かれるものよ」


「あたしはそういう目線には一生慣れない」


 ただならぬ雰囲気を漂わせる踏葉に、赤い眼光が白みある長髪や肌に映えるあゆみ。


 あゆみの東洋人離れした美貌や色調は、明らかに目を引くものがある。とても同い年とは思えないほど、強かな気迫に押されそうになる。

 踏葉の柔らかな表情・存在感や、緑にも青にも映る瞳、その透明感に、引き込まれる心地がする。心を読まれてる……というのは考えすぎだろうけど。


 二人が同席し、会話しているのが、奇妙に思える。

 しかし、その特異なことが、自然と二人を引き合わせたのか……、相反するようで、お互いの思いを体現する、二人の言葉の掛け合いを見ていると、関わりの深みを感じられる。


 珍しいことに、心が惹かれる――確かに、そうかもしれない。

 しょせん僕は、何も持たないちっぽけな人間なのだから――


 僕はただ――


「あれ、もしかして、まだ言ってないのか、踏葉」


 はっ、と我に帰る。

 僕が悶々と考えているうちに、思うより話が進んでいたらしい。


 言ってない――って、何のことだろう。

 ちくりと、針のようなものが胸に刺さった気持ちになる。


「――うん……。まだ……」


 踏葉の曖昧な表情に、呆れた顔つきのあゆみ。

「あんたは?」

 兄に向ける眼光がますます鋭い。


「…いんや……まだ、です、ね……?」

 兄はたじろぎすぎて背もたれにぴったり背中を委ねている。


「…まぁ、こういう話は、タイミングも大事だし…」

 踏葉は考えるポーズをしながら口を動かす。


「悠長ね。言っとくけど、貴女も笑ってられないほど珍しいのよ」

 抑揚のないあゆみの声。


「ううん、そっか……ごめん美月くん。不安にさせてしまって」

 踏葉の柔らかな声。


「ご、ごめんなさい……」

 兄のか細い声。


「別に、あんたは、謝らなくていい――が。踏葉はもっと自覚しろ、自分のことだろ」

 兄を一瞥いちべつした後、踏葉に向けてしかめっつらさとす。


「――うん、そうする。今、教えるね」


 のんびりとした口調で、しかし何かを悟ったように、踏葉は僕を見て、頷く。

 やれやれ、と言わんばかりのあゆみの態度。

 兄はうつむき加減だが、案ずるように踏葉を見つめている。――兄も何か知っているのだろうか。



「わたし、人の心が視えるの」



 僕を見据え、淡々とした踏葉の声が響く。



 初めて耳にする言葉の流れへの驚きと、何だ、そういうことだったのか――と、接して感じた印象に納得する気持ちが、僕の内側で渦巻く。


透視とうし能力というのだけど……。もともと視力がね。遠くのものも、細かいものも、他人ひとより良く見えるし、比べると視野も広いらしいの。誰かの考えてる事とか気持ちを読んだり、一瞬でその他人ひとの過去を知れたりもできる。」


「視力検査だと、毎回測定不能レベルだな」


 あゆみが小声で呟く。

 数値が測定不能って……。視力が良いという次元を超えている。さらに、思考や、過去が読めるって……。

 ちらちらと踏葉と目が合う。緑青に透けた瞳の奥に、僕がどう映っているかと想像すると身の置きどころのない気持ちだが――、不思議と、抵抗なく視線に身を委ねる僕もいる。この僕の思いも、きっと踏葉に、はっきりと伝わっているのだろう。


「あと、記憶力も……。一度見聞きしたことは、絶対に忘れない。脳内に全てインプットされる完全記憶」


 踏葉は、右の人差し指で頭の側面を指さしながら、しかし、ひけらかすでもなく、控えめに語る。

 透視に加え、物事全て記憶できるって……、理解は何とかついて行っているが、事の壮大さが僕の気持ちのキャパに収まらないというか……、そわそわするというか……。

 初めて出会ったとき、雰囲気に圧倒され、呑み込まれたのも、この秘めていた力を分からぬまま感じたからなのか――今更ながら腑に落ちる。


「生まれつき固有の能力を持った体質――、正確に言えば、私はなの」


 ――。

 人智を超えた力を持つ人間に、僕は出逢ってしまった。

 そのインパクトは強烈に、鮮明に、僕の頭に刻み込まれた。



 この先のことは、あまり覚えていない。


 出されたお茶を飲んでしばらく会話が行き交った後、ハイム内を一周廻り、滑り込んできた大家おおや千景ちかげ由希ゆきさんという方に息切れ交じりに挨拶され、そのまま流されるように兄と電車で帰路に立ったが……。


 あまりにも、塔里郷での出逢いがどれも、印象深すぎて。


 僕の人生を揺るがすような、そんな出逢い。


 空気がおいしいと、感じられた悦び。


 ここに居ていい、ゆっくりでいい、と、他人ひとたちから無言で伝う雰囲気。


 温かくて、優しい世界がある、安堵感。


 そして――未知なことに惹かれる心。


 心の躍る感情が、新たな風が、暗闇に溺れる僕を、またたく間にとりこにした。



 、と動いたのは、自然な流れであった。



 準備も、必要最低限の服と道具、小物をダンボール箱に詰める、簡単なものでよかった。量も少ないため、僕と同時に乗っけて車で運ぶことになった。


 だから、


 もう、触れなくていい。

 考えないように、考えないように――


 無意識に、前向きの軌道に、乗せていた。



 そして訪れた、――旅立つ日。


 車内では、父と二人きり。

 後部座席に座る僕の右に、段ボールが積まれている。


 兄はいよいよ司法試験の勉強に戻るらしく、玄関先での見送りとなった。忙しい時間の合間を縫って、僕の為に力を尽くしてくれて、感謝してもしきれない。


 つやつやした漆黒の車、車内独特のにおいも、しばらく嗅ぐことがないのか。

 泣き顔で見送ってくれた、兄の姿も、寡黙にじっと運転する父とも――。


 はやる気持ち、名残り惜しむ心には、風に揺られる木々と空が映る。

 静寂のまま、ただ時が過ぎていく。

 看板の示す地名が、どんどん見知らぬものとなっていく。

 だけど、いつも立ちこめる薄暗い気持ちが、かすんでいく心地……がした。



「前よりも表情、柔らかい感じ。よかった」

 踏葉に言われて、初めて自分の口角が上がっていることに気づいた。


 塔里郷――、今日からここが、僕の居場所。


  ―第三話 了― 

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Little Stars. ~僕たちの居場所~ 弦葉ひなた @Hinata_Tsuruha

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