りんごを食べる幸せ

「だったら、何が欲しいんすか? まさかタダってわけじゃないでしょう」

 慈善事業でアニメーションを作って回っているわけないだろう。

 『ペルセポネ』には彼なりの思惑があって「お代はいらない」などといったことを言っているに違いない。

「……鋭いですね。後払いの報酬はいりません。ですが」

「ですが?」

 車を駐車場に止め、彼に大量の食糧を手渡した。

「いくつか条件があるのです」

「はあ」

 目を輝かせて紙袋を見つめる光景はまるで年相応の少年で、中性的な顔立ちにぱっつんと切られた前髪は、中学生女子と言っても疑われることはないだろう。

「ボクはまだあなたの小説を読んでいませんが、必ずアニメーションを創ります。あなたがその条件さえ満たしてくれれば」

 少し怪しさを含んだ語り口に不安はあったが、ここまで来たら乗りかかった船、大抵のことは無条件で呑もう。

 そう決意を固めると「では1つ目」慣れた風に『Persephone』は親指を立てた。


「──作品が完成するまで、ボクと一緒にずっといてください」


「……?」

 要求のベクトルが予想していた方向と全然異なっていたので、ネジを抜かれたように思考が固まってしまった。

 ○○の銘柄を買ってほしいだとか、パトロンとしてマンションの家賃を払ってほしいだとか──金銭的な面での要求がなされると勘ぐっていたからだ。

「えっと。それは俺の家に来るということですか?」

 『Persephone』は黙って頷いた。

 ……いや、無理だろ。

 家賃をケチったワンルームは、パーソナルスペースを確保できる広さがない。

 見ず知らずの人と2人で過ごすってねぇ。

 それに。

「……仕事も休めってことですよね?」

「はい。ずっと一緒です」

 はぁー。長いため息が出た。俺はこれまで何とか集団ポリスの中で生きてきて、色彩のない人生でもレールの上に乗り安定を選んできた。

 明日だって超重要なしょうもない会議がある。俺はそこで建設的な意見を出し上司のクソ案に頷き、会社を大いに盛り上げなければならないのだ。

 俺が頭を抱えると、構わず彼の人差し指が立つ。

「そして2つ目です。ボクと一緒にいる間は、ボクの言うことをなんでも聞き入れてください。食事、娯楽──まあそんな無茶なことは言いません」

 その条件については特に問題ない。

 元々150万くらいは覚悟を決めていたのだから、金で解決できることであればお安い御用であった。

「最後、3つ目。ボクと話すときに敬語は不要です。ボクもフランクな口調でお話させていただくのでよろしくお願いします」

「……」

 もちろん敬語なんてどっちでもいいし、金ならいくらでも出す。

 居候するのもギリギリ許容だけれど、しかし。仕事をサボタージュするのは……。

 高校の時はいつでも学校を抜け出せたというのに、本当につまらない大人になったのだと自覚する。

「以上がボクに対する報酬となります。……どうですか?」

 ふぅー。

 肺から煙を吐き出す要領で、いつもの通り心を落ち着ける。

 無表情に三本指を立てる『ペルセポネ』の眼光は俺を試しているようだった。

「お断りします。と言ったら……?」

 気持ちは8割拒む方向に傾いていた。

 甘い気持ちで”天才”に触れるべきではなかったのだ。

「そうですねえ。また宿です」

「そんなことしたら死ぬんじゃ」

 ケロッと淡白に──まるで自分の命を他人事のように扱う彼に鳥肌が立つ。

 これまで幾人もの「死にたい」と言っている人間を見てきたが、本当に死にそうなやつなど1人もいなかった。奴らはどこかで自分が死ぬわけないと知っていた。

「じゃあ。まずこのマックでも食べて──」

「──食べませんよ。断られたらここでサヨナラです」

 でもこの少年は本当に死の淵にいる。

 このまま別れたら明日か明後日、明々後日──いずれきっと死ぬ。

 そしてそれを知った俺は一生十字架を背負って生きていく。

 今目の前で生きている人間が死ぬだろうと解っていて、それを回避する努力をしないということは未必の故意──俺が彼を殺すようなものなのだ。

 仕事か人命。──前者が選び取れるほどクレバーには生きられない。

 俺に選択肢を与えない、彼はまさに『Persephone冥界の女王』だ。


「──チッ。……食えよ。あと、家帰ったら即シャワーな」


 覚悟を決めて俺は仕事をサボる選択をした。

 もともと好きじゃない仕事だ、決めてしまえばなんだかスカッとする。

 それに俺の為だけのアニメーションが作られるんだ。

「ありがと。『透明少年』さん」

 彼は口元のみを綻ばせた。

 しかし全ては『Persephone』の掌の上という感じで気分が悪い。

「よろしく。……しかし『透明少年』さんかぁ」

「どうしたの?」

「語呂が悪いし……なんか貶されている気分になる」

 好きなバンドから取ったはずなんだけどなあ。

 俺がそう言うと、彼はこめかみに指を当て頭を回転させる。

「じゃあ……でいいかな?」

「……いいね。……

 こちらだけ”お兄ちゃん”と呼ばれるのもこしょばいので、彼の汚れた顔を伺いながら勝手にあだ名をつけてみた。ダメかな?

「ぺるさん?」

「『Persephone』って名前、なんだか長いだろ? 嫌じゃなければ、これで」

「ふふっ。悪くないね」

 鼻を鳴らしてペルさんは笑う。どうやら気に入ってもらえたようだ。

 ──ぐぅ。

 鳴ったのは俺からではない。

 まるで人間らしい一面を見せてくる”神様”に、俺は少しニヤけてしまった。

「食べれば」

 俺がそう促すとペルさんはポテトから手をつけた。

「い、いただきます」

 ──ばっ。

 ぎこちなく唱える呪文と共に、急にスイッチが入ったかのように動き出す。

 両手がポテトの山に伸びていく。

「むぐぅ」

 作法は褒められたものではないが、ポテトスティックを腹に流し込んでいく様はまるで掃除機だ。ガソリン給油のように、彼の目にエネルギーが灯る。

 リスみたく頬を膨らませ、喉につかえたと思えば炭酸飲料で全てを飲み込む。

「もっ、もっ。……ごくり」

 彼以上にモノをおいしそうに食べる人間を今まで見たことがない。

 無感動だった表情に活気が入りまるで人が変わったようだ。

「もごもご。……お兄ちゃんも食べなよ」

 ビッグバーガーを貪り食いながら、彼はテリヤキバーガーを投げよこした。

 車内には濃密なファストフード臭が漂い、学生時代より数倍胃袋が小さくなった俺は、それだけでお腹いっぱいになりそうだった。

「ばくばく、うぐっ。もごごご」

 しかし安価なナゲットをまるで宮廷料理のように扱う彼の姿に、いつもより商品が美味しく見えて包み紙を外す。

 ──ゴクリ。

 車内灯に反射した照り焼きソースが艶やかに光る。レタスは瑞々しさを保ったまま彩を加え、まだ温かみのあるバンズが俺の食欲をそそる。

 俺がじっとバーガーとにらめっこをしている間も、ペルさんはまだ速度を落とすことなく食事を続ける。あの小さな体に一体どうやって入るのだろうか。

「じゃあ、いただきます」

うえうえ食え食え

 ストローも使わずスムージーをがぶ飲みするペルさんに倣い、テリヤキバーガーの半分ほどを一口に詰め込んで食べる。

 彼に至っては普通のハンバーガーを丸ごと口に押し込んでいるのだが。

「ばくっ。ぐびぐびずずずー。もぐぐ」

 どんな咀嚼音だよ。

 それでも本当に幸せそうに食べるから、俺の食欲まで誘発されるのだ。

 絶対に残ると思っていた夕食が、それから俺たちの腹の中に消えるまで時間はかからなかった。


「やば。食い過ぎた」

 充満した食用油の香りに吐き気が促進させられて、車のドアを全て全開にする。

 後部座席に寝転がるペルさんはお腹を押さえ、星の1つも見えやしない夜空を見上げ幸せをかみしめているように見える。

 彼の目尻からついに何かが漏れ出したかと思えば、それは涙だった。

 一筋の線がこめかみを伝って座席を濡らす。

 驚いて目を瞬かせると彼は目を瞑り呟いた。


「ボクは……生きているん、だ」


「おい?」

 ──スピー。

 返事はなかった。

 微笑みながら寝息を立て、薄汚れたパーカーからまた腐った匂いがした。

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