神の子対完璧なる男Ⅸ

 ラロ・シド・カンペアドールという星が落ちた。それと時をほぼ同じくして、海でも一つの星が落ちんとしていた。ラロと同じく若くしてカンペアドールを任され、その特異な才能から海上の全権を任されていた男。

 『烈海』ピノ・シド・カンペアドール。

「……正気ではない」

「くく、正気で大事が成せるモノか。貴殿らが教えてくれたのだ。ローレンシアは甘くない、と。ゆえに、我らもまた狂気に塗れるまで」

 ピノは顔を歪める。何か工夫をしてくるかと思い向かい合った海戦、そろそろ格の違いを理解し退くかと思った頃合いで、彼らは突如狂気の牙を剥いた。真っ直ぐと、何の工夫もせず、最短最速で正面突破。

 ここはガルニアと大陸の狭間、近くに陸地などない。船が大破すれば溺れ死ぬしかない場所である。そこに、自ら沈没の選択を取るなど、誰が考えようか。船の横っ腹や後方を突くのとは意味合いが、結果が、全然違うのだ。

 しかも、船の性能は、強度は、エスタードが勝ると言うのに。

「頂くぞ、卿らの船を」

「ふざけるな、蛮族が」

 彼らの船が瓦解し、エスタードの船の足回りを一時的に停止させる。狂気と覚悟、旗艦周辺が彼らのそれに足を取られている間、陣形は既に崩壊しつつあった。それも仕方ないことだろう。こんな戦術とも呼べぬ戦い方を見せられてしまえば、誰でも思う。こんな馬鹿どもと外洋で戦いたくなどない、と。

「ぐ、旗艦の舳先に立つ、あれが」

「そう、我らが女王、アポロニア・オブ・アークランドである!」

 紅蓮に燃ゆる髪が、雰囲気が、遠く離れたところからでも視線を惹きつけて離さない。ピノは信じ難い思いであった。偉大なる人物とは引力を備えるもの。そしてそれは伝説、逸話と共に在るものなのだ。実績が引力を生む、はずだった。

 それは英雄王も、烈日も、黒金もそう。若かりし頃の彼らも傑物ではあったが、全盛期は数々の伝説を備え、圧倒的な力と物語が重なった時代であろう。そう、英雄とはただ強き者にあらず。功績を積み、逸話を生み、伝説と化した者たちを言う。

 だから、あんなモノはありえない。

「ただ、旗を、掲げるだけで、これか」

 舳先で旗を掲げているだけ。命じるわけでも、威嚇して来ているわけでもない。それなのに味方は昂り、敵は委縮する。

 これはもう、巨星の領域であろう。

 紅蓮が目を焼く。輝きが、存在そのものが、伝説と化す者がいたのだ。

「……だが、エスタードは負けん! 海で『烈海』が敗れることなど、あってはならないのだ! 私が、勝たせて見せる!」

「この足回りでか? 我らが旗艦に乗船しているのに、か?」

「何の問題もない。老騎士よ、私を侮るな」

 ピノの剣と『鉄騎士』ペリノアの剣が重なる。そして、今度は古強者であるペリノアが驚嘆する番であった。

「なんと、この、剣の重さは」

「戦士の国でカンペアドールに名を連ねる者が、弱いと思ったか? カンペアドールの血統である私が、見た目通りの優男だと思ったか? ならば、甘い」

 見た目に反し、重く鋭い剣。そもそも膂力があるのだろう。その上、体重移動などで重さを増している。巨躯の騎士と変わらぬ手応え。

 それが凄まじい速さと巧みさまで備えているのだ。

「ぐ、おおお!」

「蛮行にて大事は成せぬ。緻密な計略、広い視野で以て成すのだ、これから先の時代の大事とは! 君たちは古過ぎる。狂気如きに、屈しはしない!」

 ペリノアを圧すピノ。その貌もまた苛烈なる戦士そのもの。隠していたのだ。閉じ込めていたのだ。自分の中に潜む狂気を、獣を。

「私とラロが導く。次の時代を、その次の時代も! エスタードの手で!」

 彼は知らない。その星がすでに墜ちたことを。

「総員、全力を賭して戦え! カンペアドールの名の下に!」

 珍しきピノの咆哮、檄。それは波及する。彼が積み上げてきた実績、信頼、『烈海』の名が彼らを鼓舞する。これが正しき将の姿だとでも言わんばかりに。

「老体、傷を負いながらも決死でここまで辿り着いたのであろうが、ここが貴様らの終着点だ。滅ぶがいい、海の藻屑と化して!」

「なんの。わしらはガルニアの騎士、此度は退かぬよ。退いた先の虚無を、わしらは知っている。女神が墜ち、王が去った。あの痛みは、筆舌に尽くしがたい!」

 ペリノアが、その部下たちが、瞳を燃やす。どす黒き、恩讐の炎。

「何を恨んでいるのか知らぬが、仕掛けてきたのはそちらだ。前回もな」

「その道理に何の意味がある?」

 アポロニアの炎だけではない。彼らを突き動かすは、古参の騎士たちを突き動かすは、もう一つのカリスマ。『烈日』が焼き尽くした『戦乙女』の――

「死力を尽くせイ!」

「受けて立つ。七王国を、舐めるな!」

 狂気を宿した騎士たちを、エスタードが双翼、ピノが受け止める。道理に伴わぬ侵略者、大義はこちらにある。正義も、何もかもが――

 それでもなお、

「勝て」

 その一言が全軍に伝播する。彼女は今、戦える状況ではない。船が、海が、彼女から剣を奪った。それがたまたま偶然、彼女の適性と合致した。

 今の時点で誰も知らぬ『騎士女王』の正しき運用方法。御旗を掲げ、自らの騎士たちを鼓舞する。それだけで精強なる騎士たちは皆、瞳に狂気を宿る。

「この、私が、ここまで引き上げられる、か」

 胸躍る。かつて『戦乙女』との戦場でも似たような気分を味わったが、それを超える体験が其処に在った。彼女こそが、騎士の王。

 今、確信する。

「見ているか、ランスロ、ゴーヴァン。あの御方の血は、いや、お二人の血は正しく引き継がれた。これが我らの女王、騎士の女王だ!」

 『弓騎士』トリストラムは有頂天であった。どれだけ疲弊しても、疲れた気がしない。無限に、それこそ永遠に戦っていられる気がしてしまう。

 きっと、他の者も同様であろう。

「負ける気が、しない! 巨星すらも、この旗の下であれば!」

 ガルニア統一と言う小さな伝説だけで、これなのだ。ならば、ローレンシアに辿り着き、大事を成した彼女がどれほど膨れ上がるのか、彼には想像できない。それこそが巨星に届き得る何よりもの証左。ゆえに彼は笑う。

「許せ、エスタードの将よ。だが、これも戦争だ」

 彼は、自らの家系に連なる弓、フェイルノートを構え、射貫く。

 その矢は――

「あ、ぎ、これは、『弓騎士』か⁉」

 一つ船を挟み、針の穴を通すかのように、ピノの腕を撃ち抜いた。

「隙有りィ!」

 ずん、と重い剣がピノの腹に突き立つ。

「が、は」

「アポロニア様、存分に――」

「ぐ、がァ!」

 そのお返しとばかりにピノはペリノアの首を刎ねた。トリストラムさえいなければ、ペリノア以外の騎士たちは全て片付いていた。敵船の残骸も沈み、足回りが回復しつつある状況。逆転の目は、ゼロではなかったのだが。

「く、そ。どちらにせよ、か」

 しかし、どうやら敵も馬鹿ではなかったようである。

「閣下、指示通り、船底に穴を空けてまいりました。あとは――」

 数人の騎士たちが皆満身創痍で、血濡れでピノの前に立つ。腕を矢で射貫かれ、腹を貫かれた自分と比較しても遜色がない状態。彼らを見て、すでに、もうこの船に、船を動かせるだけの人員が残っていないことを知る。

 ペリノアは囮であったのだ。狂気に浮かされながらも、目的を完遂する。

 ピノごと旗艦を沈め、僅かばかりの可能性すら残さない。

「私も焼きが回ったな」

 騎士たちを斬り捨てながら、ピノは嗤う。負ける要素などなかった。常人であれば選択不可能な、選択肢とも呼べぬ方法以外は。

 賢しき己が、愚者の一撃で死ぬこととなるとは。

「すまない、ラロ。君に、負担をかけることになる」

 全ての騎士を討ち果たし、ピノは甲板に座り込む。止血する気にはなれない。どうせ、この船は沈む。自分もまた、ここで死ぬ。

「ヴァイクとの同盟は、少し後退するだろうが、君がいれば、何とか、なるだろう。まだ、エルビラでは足りぬかもしれないが、君と彼女のおかげで私はさほど絶望せずに逝ける。大丈夫だ、エスタードの黄金時代はすぐそこ」

 ピノの眼が、曇る。

「先に逝くよ、ラロ、みんな。エスタードを、任せた」

 そして、大敵となるであろう『彼女』をピノは見つめる。消えゆく景色の中、恐ろしい話だが最後に彼女を見つめたくなった。海でもなく、自分の愛した船でもなく、怨敵である彼女に、視線が向かってしまう。

「……くそ、美しい、な」

 そして、意識が、紅蓮に塗り潰されて、消える。最後に思ったことは、まだエスタードに『烈日』が残っていた幸運、彼らでなければ彼女は止められない。逆に言えば、今ならばまだ、『烈日』が輝くエスタードが勝つ。

 だからこそ、さほど悲観せず、彼は逝く。自分の代わりがいると信じて。

 まさか、すでに片翼がもがれていることなど、知る由もなく――

 ピノ・シド・カンペアドール、沈む。


     ○


 全ての報せを王都エルリードにて受け取ったエルビラはしばらく、押し黙っていた。まさか、よりにもよってあの二人が、こんな状況下で欠けるなど想像もしていなかったのだ。これでエスタードの舵取りは大きく変わる。

 あの二人が要であったのだ。新生エスタードにとって。まだ、カンペアドールにすら古い戦士たちが居座る中、王家とのバランスを調整しながら舵取りが出来る二人を欠いてしまうことになる。自分では代わりにならない。

 何故ならば、自分には彼らを納得させる力がないから。あの二人は普段使わぬだけで皆を納得させる力があった。自分には、それがない。

「……エルビラ様」

「ラロ様が各地に散らせていた眼を、すぐに撤収させてください。私にあの御方ほどの人を見る目はありません。ガリアス辺りに利用される前に」

 ラロとピノは世界中に独自の情報網を築いていた。ただ、広がり過ぎた網の目の管理は至難の業。眼を取り込まれ、誤った情報を流されても見抜ける見切りや、そもそもそれを許さぬ人への目利きが無ければ運用は難しい。

 全て捨てるわけではないが、縮小せざるを得ないだろう。

「承知いたしました。ヴァイクの件は?」

「今は、放置します。そう言う状況下ではありませんし、ヴァイクを納得させられたのはピノ様らの力あってこそ。凡俗では、彼らに利用されるのが関の山」

「承知いたしました。苦しいですね」

「ええ、本当に。私の立場では……」

 エルビラもカンペアドールではあるが新参であり、実績は少ない。ジェド、ロス家の背景で何とか食い込んでいるだけ。自分があの二人と同じ振舞いをすることなど許されない。彼らは積み上げた上で認められたから、ああ動けただけ。

「いい状況だと、思っていたのですがね」

「……アルカディアとネーデルクス、ようやく仕込めたのに。無念です」

「それはきっと、あのお二人が一番そう思っていますよ」

 エルビラは顔を曇らせる。昔から裏の世界ではアルカディアとネーデルクスは鬼門とされていた。前者は突然失踪し帰らぬ人となり、後者は強かで保身に長けた貴族連中の層が厚く食い込む前に消されてしまう。ゆえにガリアスなどは『蛇』の最高戦力を潜ませたとの噂もあるほど、あの二国は難しい。

 そこをラロが長年かけて少しずつ切り崩していた矢先に――

「今集められるカンペアドールを」

「既に手配済みです」

「さすが、ラロ様に鍛えられた武官は違いますね」

「我らは所詮、手足です」

 謙遜ではなく、彼らは自分が頭足り得ぬことを知っているだけ。近くで見てきたからこそ、その力は彼らが一番よく理解している。

 凡人では、羊飼いになれぬことも。

「では、招集次第、私が皆様に報告致します」

 エルビラは天を仰ぐ。我が世の春、エスタードは隙の無い完璧な立ち回りであった。ここまでは、ガリアスすら寄せ付けずに、世界の裏側で直実に力を伸ばし、いずれは覇権を、そう思えるところまで来ていたのに。

 たった二人欠いただけで、この絶望感。分厚いと思っていた層は、思っていたよりも薄っぺらで、どれだけ彼らに依存していたかを嫌でも知ることとなる。


     ○


 最悪の報せを聞き、ディノたちは人目が付かぬよう部屋に集まっていた。

 ディノ、テオ、そしてクラビレノ。たったの、三人。

「……デシデリオが死んで、セルフィモも死んで、次はラロとピノ? 何の冗談だよ! 大カンペアドールもなに笑ってんだ!」

「ディノ、頭を冷やせ。あの場で消沈する様など、見せられるわけがないだろう? 特別扱いは出来ない。特に、老いたカンペアドールの前では」

「それは、そうだが。にしても、よ」

 テオがディノをなだめるも、それで飲み込めるわけもなし。

「あの二人は図抜けていた分、敵も少なくない。我らが懸念すべきは内外の敵に備えること。そして、エルビラを支えることだ」

「……あれが二人の代わりになるとは思わないけどね」

 クラビレノが口を開く。それは二人としても同感ではある。どうしても戦士である以上、彼らの腕前も評価の基準に入ってしまう。

 それでもあの二人が言い切ったのだ。

「信じるしかないだろう。ジェド様が鍛え、ラロとピノが目をかけた彼女を」

「……おかしな話だぜ。あいつらはよ、弓で、俺らは矢だ。それなのに、矢の俺たちだけが残っちまった。どこに飛べば良いのかも、わかんねえのに、な」

「そうだな。その通りだ」

「ま、折角戦争があるんだし、小難しいことは後回しにしてガルニアの猿どもをぶち殺せば良い話。私はそれ以外、どうでも良い」

 そう言ってクラビレノは部屋を出て行く。宙ぶらりんになってしまった、弓を失った矢、戦うことしか知らぬ彼らもまた、考えねばならぬ時が来た。

「とりあえず、支えてやれ」

「あん?」

「鈍い男だな、お前は。いつまで経っても子どものままだ」

「て、テメエだけには言われたくねえよ!」

「これでも愛妻家でね」

 テオもまた槍を担ぎ、部屋を出て行った。

 ディノにはわからない。彼らが当たり前にわかっていることが、自分には見えないままであった。デシデリオが、セルフィモが、彼らがカンペアドールになれず、何故自分がなれたのか。ラロとピノが何故彼女に期待していたのか。

 これから、どうすべきなのか、何も、見えぬまま――

 彼は部屋を出て、しばらく歩くと、

「あ、ディノ様」

「おう、エルビラか。難しい顔してるな」

「これは、生まれつきです。眼が、悪いので」

「そーかそーか。ま、強そうで良いと思うぜ。弱そうなのよりずっと良い」

「そ、そうですか。初めて、言われました」

「大変だろうが、俺らがいる。存分に使え。あの二人の分も、俺とテオはそういう役割だ。クラビレノだってそうだし、マクシミリアーノもいる。まだエスタードは死んでねえ。チェ様どころか大カンペアドールだって現役なんだぜ?」

「凄い話ですね、本当に」

「ああ。良いハンデさ。だから、ま、笑っとけ」

 ぽんぽん、と頭を撫でディノは歩き出す。後輩に無様は見せられない。これは精一杯の虚勢である。それでも、張るのが男の、先達の意地である。

「……よし!」

 その後ろ姿を見つめ、頬をパシッと叩き、赤らめた熱さとじんとする小さな痛みと共にエルビラもまた動き出す。彼らの代わりは無理でも、やるべきことをする。出来ることをやって、それに――

「まだ、手はあります」

 自分の師、それに一度として勝てなかった兄弟子が、この国には残っている。彼らを呼び出す口実は、すぐにでも用意できるだろう。

 まだ終わっていない。これからが、始まりである。


     ○


 エル・シド・カンペアドールは静かに目を瞑る。巨大な嵐がやって来た。時代のうねり、如何に優秀であろうともそこには逆らえない。自分たちはかつてそれを追い風に世界を駆けあがった。シャウハウゼン率いる超大国ネーデルクス、ティグレなど時代を征した怪物たちも跋扈していたが――気づけばもう誰もいない。

 自分が受け止める立場になって幾星霜、参天の巨星が天頂に輝き、今の今まで脅かす者は現れなかった。あのラロですら違ったのだ。

 力だけではない。智略だけでもない。全て兼ね備えてなお、風が吹かねば天に届かぬのが人。そして今、風が吹き荒ぶ。

 巨大なる向かい風が。

「チェ」

「はっ」

「老いたな、貴様も」

「父上に比ぶれば、そうなりましょうな」

「俺様は勝つぞ。ようやくな、時が来たのだ。最後まで敵にならぬかと思っていたが、ここに来て時代が俺の敵と成った。祖国とやらのために、芽は潰したつもりが、やはり生えてきた。もう手遅れ、全てが遅い」

「はい。ゆえに、存分にお暴れ下さい。縛るものはございません。覇国エスタードの道は、おそらくもう消え申した。あの二人と共に」

「ああ。そうだな」

「なれば、天輪が全てを焼き尽くすか、半ばにて墜ちるか、二つに一つでしょう」

 エル・シド・カンペアドールは嗤う。結局自分にこの名はあまりにも分不相応であった。導くものではなかったのだ。導こうとしたものは全て絶えた。

 自分に遺されたのはこの力だけ。

「ぐはぁ」

 怪物は嗤う。時代が敵と成った。敵が、来てくれた。それをチェは見て苦笑した。今の彼を見て自分よりも年上だと、ましては自分が息子だなどと、信じる者がいるだろうか。敵が、闘争が、この怪物を高める。

 若やぎ、力は漲り、全てを圧倒する怪物と化す。

 父を見てチェは思う。負ける姿など、倒れる姿など、想像も出来ぬ、と。

「暴れるぞ」

「御意」

 狼の小僧は焼き尽くされた。次は『青貴子』、その次はアポロニアとやら。すぐに世界は理解する。誰が最強であるか、を。


     ○


「遺体の処理は八割ほど。こちらには運良く、罹患した者はいませんでした」

「はいはい、僕って強運だからね。ただ、敵味方含めて死体の処理には細心の注意を払うこと。感染したらさ、焼くからね」

「りょ、了解です!」

 ルドルフは報告を受けて、苦笑する。どうやら生き残っている者で感染している者は今のところ見当たらないらしい。ゲリラ戦とはいえあれだけ両軍ぶつかったのだ、ゼロと言うことはないだろうが、それが戦死していれば、話は別。

 まさに神がかり的な運。意識してもせずとも、自分を、国を守るらしい。

 愛、とするには随分と歪んでいる。いや、それを利用している者が歪んでいるからこうなっただけ、か。どちらにせよ――

「さて、たぶん次は巨星だぜ」

「……はい」

「勝てる?」

「勝ちます」

「そ、なら信じましょ。あの男を超えてさ、負ける要素なんて思いつかないんだけど、たぶん、そこまで世の中甘くないんだろうね」

「え?」

「いや、退屈しないんだろうな、って思っただけさ。星の離宮にいた時は、想像もしていなかったから。……ま、ぼちぼちやりましょ」

「祖国のために、ですね」

「いや、そこは結構どうでも良いや。今のネーデルクスを好きになる要素ないでしょ。貴族の肥満率知ってる? マジでビビるから」

「え、ええ……」

「ただ、ラロに勝ってつまんないのに負けるのはなしかな、って。そんだけ」

「負けませんよ」

「負けたらの話。って言うか、サボってないでチミも掃除行ってきなよ。どう考えても護衛要らないでしょ、今は」

「つ、つい先日まで筋肉痛でおんぶ必須だった人が、よくもいけしゃあしゃあと」

「はいゴーゴーゴー」

 ラインベルカを無理やり送り出し、ルドルフは天を仰いだ。腹が立つほどいい天気、風もない。だけどすぐ、嵐が来る。

 たぶん、とびっきりのが。

「退屈しないね、ほんと」

 ルドルフは大きく伸びをして、少しだけ散歩する。動かないと動かないで退屈だが、さりとて匙より重たい物は持たない主義なので軽作業と言う名の重労働に従事する気はない。ジャクリーヌが遠くでじっとこちらを見ているが無視。

 彼もとい彼女は終戦後、槍のことについて聞いてきた。だが、ルドルフはそれをはぐらかした。と言うよりも語れるほど知見がない、が正しい。教わったままやったら出来た。骨格レベルで似ているのだろう、と教えていた者が言っていたが、逆に言えばそうでもない限り、おそらく自分の動きは正解でも何でもない。

 それをしたり顔で語っても、皆を正解から遠ざけるだけ。

 何となくそう思ったのと、あと単純に面倒くさいからバックレた。

「お、またのんびり咲いてるねぇ、チミ」

 ルドルフは足元に咲いていた白い花をえいやと摘む。それを片手にある男が舞台を降りた場所に訪れていた。間違いなく最強の敵だった。もしかすると、未来を含めても自分が戦った中では最強になるかもしれない。正直、天運なしでどう勝てば良いのか想像もできないし、たぶん勝てないだろう。

 少なくとも天運を持つ彼はそう確信していた。

「一応、お気遣いの礼と餞別」

 そう言って彼は花を裂け目に放り投げた。

「将軍なんてろくなもんじゃない。どうせ僕もさ、血まみれ者同士行先なんて同じだろうから、気長に待ってなよ。そっちに行ったら、愚痴でも何でも聞くから。殴ってもいいけど、手加減はしてほしい。こっちはインドア派なんでね」

 そして踵を返す。蒼い空に目をやって――


 結果としてこの戦が、ルドルフ・レ・ハースブルクにとって戦場における最大の勝ち戦となった。これより彼が相手取るのは時代の覇者であった巨星であり、ある意味でそれ以上に厄介な内側の敵である。王子であるクンラートを擁立し、長きに渡り自分たちを生み出した貴族と戦うのが彼の天命。

 その果てに彼は時代の覇者となる男に敗れ去るのだ。

 それが神の子である彼の限界、であった。

 『もし』、彼が神の子ではなかったら、全ての結果は覆っていたかもしれない。その場合はここで散った男が、巨大な壁となって立ち塞がっていたのだろうが。

 しかして歴史に――『もし』はない。

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