Section2『リユニオン』~時系列『現在』~

 ジョン・ヒビキは研究所の付近まで辿り着いていた。

 天気はまた下り坂を一直線に突き進んでおり、打ち付ける雨が防雨着のフードを叩いていた。

 脇腹にはずんとした痛みが広がっている。先刻、巨大な人喰いワニと交戦したときにできた傷であった。


 格納庫らしき建造物の近くでジョンは足を止める。

 急がねばならないのはわかってはいるが、せめて傷口の縫合くらいしたかった。


 愛銃のカスタム・ガバメントを片手で構えつつ、半開きになったシャッターの内を窺う。埃っぽいその中には未開封の缶詰が棚の上に並んでいた。食料庫か?


 ジョンはゆっくりと庫内に入り、人の気配が居ないことを確認すると拳銃をホルスターに戻した。


 防雨着を脱ぎ、防弾ベストを外し、戦闘服を脱ぐ。


 下着として着ている白いシャツには赤黒い液体が患部付近を中心にべっとりとこびりついていた。


 シャツの裾をめくろうとしたその時。


 ガタッという乾いた音が場内に響き渡る。

 ジョンはすばやくガバメントを抜いて、音の方に向けた。


「誰だ、隠れてないで出てこい」


 声を潜めつつ怒鳴る。

 その方から「ジョン? ジョン・ヒビキ、あなたなの?」と聞き慣れた声が聞こえた。


「ミラ? お前なのかい?」


 その誰何に応えるように奥の扉を軋ませ、髪を赤く染めた少女がゆっくりと姿を表した。

 間違いない、ミラ・クラークだ。ジョンは確信して、ガバメントを下ろす。


 ミラはジョンの姿を視認すると、駆け寄り胸に飛び込んできた。


 その体臭を嗅ぎ、相変わらずこいつはくさいなとジョンは辟易しながらも、同時に懐かしくなる。あまりにも多くの災難が起こりすぎて、自分とカイルとミラの三人で過ごした日々が今や遠い昔の出来事のように感じられた。


 ミラが顔を上げて自分の顔を見る。その瞳には小さな水の玉が浮かんでいた。


「ミラ? お前、泣いているのか?」


 訊くと彼女は顔を歪め、自分の胸板に頭を打ち付けた。


「リッチーとデズが死んだよ……。酸の雨が降ってきてね、ふたりともそれに打たれて死んだの」


 リッチーとデズが……とジョンは衝撃を受ける。無線でつい先刻話したばかりのあの二人が死ぬのはあまり実感がわかない話だ。どこかで生きて出てくるのではないかとすら思った。


 しかし泣き腫らしたミラの瞳を見て、二人は死んだと実感した。


 酸の雨が降ってきたのもおそらく事実だろう。この島は想像以上に凶悪的な大自然を有している。自分も、巨大なワニに遭遇してその片鱗を味わった。


「ジョン、怪我してるの?」


 ミラがそう言って自分の傷口に軽く触れる。

 ジョンは苦笑を浮かべ、


「巨大なワニの話はしただろう? 奴らに飛ばされてね。なに、軽い傷だ。縫えば塞がる」


「あたしが縫合したげるね」


 彼女はそう言って躊躇いもなくシャツの裾を捲った。露わになる自分の肌に軽い羞恥心を覚える。

 紛いなりにも彼女は女性だ。自分の裸を見せるのはあまり気持ちが落ち着くものではない。


「よせよ、自分でやるから」


 制止するジョンにミラは、


「やらせてよー。あたしこう見えても手先は器用なんだよ?」


 とポーチから縫合用の糸と除菌袋に入れられた針を取り出した。


「ああ、まったく……」と呆れ果て、「不細工な縫い方はするなよ」と続かせた。



 雨は先刻ほどの激しさではないものの降り続け、庫内には金属製の天井に打ちつける音が鳴り響いていた。



「カイルと、ハーヴ……? と言ったかな? 彼らはその後、連絡は取れないの?」

 ミラが消毒液を傷口にぶっかけつつ訊く。

 じわっとした痛みが患部に広がり、あぁ本当にこいつは大雑把だなと思いつつジョンは、


「あぁ……手が離せない状況、交戦中かな? とは思っている」


 と言って、不意に自分のSDIの発光色が気になった。


 首に取り付け脊髄を通して脳に伝わっているその装置は、自分の生体反応バイタル状況を記録、表示することができる謂わば『持ち運ぶ心電図』のようなものだ。


 ジョンは右手に付けた端末を左手で操作し、自分の情報を引き出す。

 ホログラム画面が表示され、左上には小さくジョンの人物情報プロファイルが浮かび、そして大画面を締めているのは黄色のハートだった。

 黄色か……、とジョンは嘆息した。緑が正常な状態として、赤が危険な信号、その中間に位置するのが黄色だ。言うならば「注意CAUTIONしろ」と言ったところか。


 ミラがゆっくりと傷口を縫い塞いでいく。ちくちくとした痛みに耐えながらジョンは、


「ジェーンさんとレイにも会ってないのか?」と尋ねた。


 ミラはうなずき、「あたしが会ったのはリッチーとデズだけだよ」とつぶやいた。


 そうか、とジョンは短く返す。ジェーン・ナカトミは強い女性といった印象だから安心できるとして問題はレイ・スピードだった。

 島に降り立つ前の無線を通しての震え声に、こちらまで不安になったのは記憶として残っている。

 なんとか踏ん張ればいいのだが。


「よし! 完成!」


 ミラのその声でジョンは傷口の方に向いた。

 傷口は綺麗にさっぱりふさがっていた。赤黒い線が入ってるだけで、よく見ると透明な糸が綺麗に患部を通して縫い塞がっていた。


「言ったでしょ? 「手先は器用だから」って」


 したり顔で言うミラにジョンは、


「まぁそうだ。もうちょっと手順を慎重にやれば完璧なんだけどな。ほら消毒液を傷口にぶっかけるとか……」


「なにさ、細かいよねぇ! ほら、見なさいこの縫合痕! まるで傷口がそう「なかった」かのように」


 調子に乗り、傷口をなぞるミラにジョンは苦笑しつつもこう言った。




「「なかったこと」にはできない。リッチーさんとデズの死もそうだ。だからそれらを活かして生きるしかない。軽く休憩をとって、行くぞ。仲間たちの死を無駄にしないためにもな」

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