EpisodeⅢ『対峙-Duel-』

Section1『フリーフォール』~時系列『現在』~

 カイルはハーヴを逃した後、木陰に張り付き動けないでいた。


 遥か彼方の崖から、フィオラが自分を見ているのがわかる。

 その視線は目視できないにしろ厭でも伝わった。


 だが、自分の心の内までは覗かせまい。けっきょく、体という容れ物がある限り、心の中では見通せないのだ。


 カイルはタブレットケースを取り出し、精神安定剤の錠剤を口に放り入れた後、首の関節をこきゃこきゃと鳴らした。

 自分を落ち着かせるための習慣ルーティーンでもある。


 そう言えばフィオラとおれが撃ち合いをするのは初めてだな、とカイルは思う。今までは射的場の記録だけで、模擬戦すらもなく彼女と自分がこうして銃を向け合うのは初のことだった。

 当然、射的場のお遊びめいたルールは捨てるのが賢明な判断だ。彼女はヴィック・バンに寝返った敵なのだから。


 しかしな、とカイルは心の中で言った。

 フィオラ。君は急ぎすぎる。結果に急ぐあまり冷静な対処という奴を見落としているんだ。知らなかったのかい? いつぞや君に言った「狙撃手としては三流」という台詞は、君のそうした面を伺ってのことだったんだよ。


 そう思ってるとカイルの向かい側の木のひとつにまた穴が開く。


 その銃撃は、こう叫んでいるようだった。


 ――隠れてないで闘え、臆病者。


 ああ、わかったよ。とカイルは煙幕手榴弾スモークグレネードを取り出し、ピンを抜いた。地面に落とし、煙が舞う中、カイルは多機能グラスをかけ、熱源反応サーモグラフィーモードに切り替えた。


 熱源反応モードが周囲の状況を認識する。煙という気体をのぞいては。

 カイルは鼻と口を掌で塞ぎ、一気に奔った。フィオラから逃げるためではない。フィオラに見つかっているというこの状況から脱出するためだ。


 カイルは心の中で、自分を狙っているフィオラに言う。


 ――悪く思うなよ、フィオラ。


 カイルは狙撃場所を探すために今いるエリアから抜け出そうとしていた。


 ――ここは戦場だ。「そんなのあり?」なんて無ぇんだよ!




「煙幕(スモーク)!? そんなのあり?」


 カイルを狙うフィオラは、彼のいるエリアが一面の煙に包まれて素っ頓狂を思わず口に出した。

 模糊とした意識を取り戻し、急いで照準器スコープ熱源反応サーモグラフィーモードに切り替える。

 熱源反応があればそれは赤い枠として表示され、その他の無機物は青となって表示される。


 しかし、人影らしきそれは射程サイト内のどこにもなかった。


「くそ……!」


 毒づきが思わず出る。



 カイルは卑怯な手段を使った。


 彼の望んだこと。


 それは私との決着ではなかった。


 彼は私を敵兵のひとりとしか見なしてなかった。


 許せない。



 混乱する意識の中で徐々に湧き上がってきた怒りにフィオラは奥歯を噛み締める。


「あなたがその気なら……」


 フィオラは伏射姿勢から立ち上がる。

 戻ってきた愛犬ブルックスが、何事かと自分の顔を覗き込んでいた。


 先刻の射撃で自分の位置関係は、カイルにもばれているだろう。


 狙撃戦の基本は裏の取り合いだ。相手の想定するさらなる裏をかく手段を行使したものが、勝者となる。

 そうフィオラは父親に教えてもらっていた。


 フィオラは「行くよ、ブルックス」と手を振り、次の狙撃ポイントを探すために行動した。




カイルは先刻いたエリアを広く見渡せる崖を目指し奔っていた。

 急勾配な上り坂であったが、カイルは難なく地面を蹴っていく。

 彼も戦闘用に作られたドールである。このくらいの坂なんとでもない。

 問題は……とカイルは走りながら周囲を見やる。この一体は所謂「ハゲ山」で隠れるのに適している木も岩も何もなかった。

 少し登れば、たくさんの木々や巨大な砂山があるのだが……。

 

 この坂を登りきれるか、にすべてがかかっている。


 幸い、フィオラには見つからずに狙撃ポイントまで辿りついた。


 追い風が、カイルの背後から激しく吹いている。


 この追い風なら弾は充分に軌道に乗るな、とカイルは伏射姿勢になりながら思った。


 狙撃の基本は計算である。

 当人のいるエリアはどんな状態か? 天気は晴れか曇りか雨か。風は強いか弱いか。気温は高いか低いか。使っている銃はボルトアクションかセミオートかその他か。何より、自分の精神状態は安定しているか。


 そういう自分の状態や状況を感じながら、相手の裏をかく。それが狙撃戦というものだ。


 そして、自分カイル彼女フィオラもおたがいに面識があったし、おたがいのことをかなり知り尽くしていた。


 ゆえに相性が悪い。狙撃の信条や考え、技術の違いだけではない。

 本来の狙撃戦で行われる相手の手の内の探り合いなどが機能しない状態だったのだ。


 そんな彼らに残された道はひとつ。「純粋な実力で、殺し合え」である。

 純粋な実力、とは持っている装備や技術、そして排除しようという殺意、そのすべてを駆使して闘えということだ。


 できるかな? とカイルは一抹の不安を思う。これが人格や個性といった感情がすべて除去された人間兵器ヒューマノイド相手なら、簡単に取り組めただろう。


 しかし彼女フィオラは、敵対するにはあまりにも知り尽くしていた。それはもう、元カノのミラや所属部隊のチームメイトよりも。


 そういった面で、フィオラ・ウィリアムズは強敵と言えるし、なにより良いライバルと言える。


 この戦いは自分自身の……もっと言えばそういった彼女への情との戦いとも言える。


「くそ、面倒くさいぜ」


 カイルは悪態をつきつつ、強化狙撃銃レジェンドを降ろした。


 照準器スコープを覗き、フィオラがいそうなエリアを狙う。まず第一候補、手前の崖、いない。第二、奥の錆びついた展望台、いない。第三、いない。第四、いない?

 焦燥感が徐々に募ってくる。なぜだ? 彼女が考えそうな「まさか」と思う位置に彼女の姿がいない? 自分の思考を予測されてるとでも言うのか。一体どうなっている?


 焦りそうになった思考を慌てて取り繕う。ここは戦場である。「どうなっている?」なんてない。そうだ、冷静に考えろ。


 先刻の煙幕による目眩ましで彼女は憤怒し、自分の今現在持っている武器、装備を駆使して死ぬ気でカイルを追い詰めていくだろう。そして彼女が持っていた最大の武器というものは強化狙撃銃エネルギー・スナイパーではなく、ブルックスだ。つまり嗅覚の鋭い犬を使って自分の今いる狙撃ポイントをあぶり出そうという算段だ。

 ブルックスは自分を知っている。自分の匂いを脳裏に刻んでいる。そしておそらく飼い主とカイルが今敵対関係だということも察しがついているだろう。


 という事は、彼女の今いる位置は、先刻自分がいた場所か? そう思い、スコープから目を離し肉眼でそのエリアを見た。


 キラッとそのエリアから光るものが見えた。太陽光と狙撃用照準器の交錯による反射光だ! まずい、気づかれている!


 狙撃弾が足もとの土を削った。砂埃が舞う中、カイルは「滑空(ウィング)モード」と利き腕につけた端末の指向性音声識別機マイクに怒鳴りつける。


 防雨着が滑空状態に変形したのを確認すると、すぐさま崖から飛んだ。


 滑空しながら、カイルはフィオラが自分を狙っていた位置を見た。



 カイルは「崖から飛んで逃げる」という判断は、その場から逃げる選択肢としては英断だったと思う。

 

 このスーツについてある滑空機能で崖から飛んだほうが早く逃げれたし、通ってきた物陰がない坂を下っていくよりも飛んでしまったほうが早くその位置から降りられた。


 しかし不安があった。


 滑空中は無防備である。武器の使用はできないし、なにより滑空する姿は目立ちすぎた。


 飛んでいる最中を、もし彼女が狙っていたら?


 フィオラの居た位置から再びするどく光るものがあった。


 右足に激痛が奔った。撃たれた、と知覚した時にはカイルは落下していた。


 急速に地面が近づいてくる。


 川が見える。


 あの川におれは落ちるのか?


 死ぬ時はひと思いに死にたいものだが。


 そう言えば、おれがこの島に来た理由はなんだったか?


 任務のためか?


 もっと大事な何かがあったみたいだが。


 太陽を浴びてきらきらと光る水面が見える。


 やっぱり川に落ちるんだな。


 真実も知らずに、おれは死ぬんだな。


 ん? 真実? それってなんだっけ。


 あぁ、溺れる。





 カイル・カーティスは川に落下した。





「悪く思わないで。ここは戦場。「そんなのあり?」などない」


 フィオラは自分の肩の上で眠っているカイルに言い放った。


 川に溺れたカイルを助けた後、水を吐かせ、彼を肩に担ぎ研究所(アジト)へ向けて歩いていた。


 眠っている彼を殺すことも考えたが、やめた。


 無抵抗の敵を殺傷するのはヴィック・バンの信条に背いていたし、捕虜として捕らえたほうが良いという独自判断だった。


 傍らにはブルックスが時折カイルの顔を覗き込むようにして歩いていた。


 これでいいのか? とフィオラは自問する。ヴィック・バンの信条に背く、というのは言い訳で、自分は「カイルに打ち勝った」という結果に満足しただけではないか? ライバルへの勝利という優越感に浸っているだけではないのだろうか?


 そこまで考え、思考するのをやめる。


 雨が再びポツポツと降り出し、フィオラは歩む速度を早めた。


 向こう側には坂と、その先には研究所が怪しげな靄を醸し出しながら暗く佇んでいた。

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