Section6『開戦前夜』~時系列『現在』~

 『その子』の無垢な瞳が、カイルはすごく好きだった。

 しかし今はその子の瞳には静かな諦めの色をしている。見ていて悲しいほどだった。


「いいから、撃って」


 その子が透き通るような声で言う。カイルは拳銃を構えるものの、引き金を引くことはできない。

 なんて悲しいことを言うんだ。君が好きだったのに。カイルはそう叫びたかった。

 お転婆でいつも世話を焼かされ、時には喧嘩もした。でも愛おしかった。そんな君も――。


「ルーシィ、きっと助かるよ、僕ら。だから――」


「駄目でしょ。生存者はひとり……そういうルールなんだから」


 まるでゲームのように話すルーシィ。


「くそったれルールがなんなんだよ! いいかルーシィ、僕は――」


「カイル」


 ルーシィが静かに、しっかりとカイルを呼ぶ。

 彼女は安らかな慈愛に満ちた表情でカイルを見た。


「また、会おう? デビッドと待ってるよ」


 カイルはもはや涙を我慢していなかった。ぎりぎりと歯を食いしばりそして――。




 銃声が島にこだまする。




 カイルはハッと目を開けた。

 反射的に出した手が虚空を掻く。


「夢か……ちくしょう」


 言い聞かせるようにつぶやき、身を起こす。


 カイルは遺伝子を戦闘特化に改ざんして生まれた人形(ドール)だ。ジョンやミラも同じく。

 生まれたときは余計な個性など存在せず、人生を経てていくうちに自分の性格というものを構築していく。その点は普通の人間と同様だ。


 しかし、とカイルは思う。自分の人生の記憶においての空白の期間。そこに自分は取り残されている。そんな気がした。今の自分は本当の自分ではない気がするのだ。

 この間のバーンズとの対峙で煮えきれない違和感を感じた。あの男はカイルの名を知っていた。


 もしあの男がおれについてなにか知っているなら。


 考えたところで軽い頭痛がする。カイルは毒づき、汗まみれの身を起こした。


 ぬるいシャワーを思い切り浴び、浴室に搭載されたホログラフィック・テレビを見る。


 二〇〇〇年代の古い映画をやっていた。一〇分しか記憶を維持できない障害を持つ男が復讐をするサスペンスだ。

 終わりから始まりへと時間を遡っていくこの映画の結末は、善良だと思っていた周囲が主人公を騙し続け、主人公も自ら設定した嘘(フェイク)の情報を追っているという救いのない結末だった。


 浴室を出た後、カイルは洗面台に立った。鏡の脇に置いてある「精神安定剤」とラベルが貼られたタブレットケースを手に取る。

 二、三錠口に放る。ラベルのホログラム表示が切り替わりそこにはこう書かれていた。


『警告 一:劇薬につき一回一錠服用する。二:最後の服用から一日と三時間は使用しないこと。三:服用後三時間はカフェイン、アルコールを摂取しない。また喫煙も控える』


 カイルは煙草を一本咥え火を灯す。煙の辛味が神経をリラックスさせる。

 灰皿に吸いさしを突っ込むと、カイルは薄汚いベッドに横になった。睡眠の波はまたたく間に押し寄せ、その波に呑まれていく。



 翌日、カイルは目を覚ますと歯を磨き、ジャージに着替えた。

 ミラを起こしに部屋をノックする。


「ミラ、起きるぞ! 起きてとっととジョギングに行くぞ」


 返事がない。

 カイルはもう一度ノックをした。その反動でドアがきぃと開く。

 なにかおかしい。カイルはそう思った。いつもなら寝癖ぼさぼさのミラがあくび混じりに出てくるところだが。


 カイルはドアを蹴り開け、居間に行く。


 ミラが死んでいた。


「ミラ……!」


 カイルは血を流しているミラに駆け寄り、蹴り起こした。


 ミラは「でゅふ」と間抜けな声を出し、起き上がる。


「なにすんのさー! せっかく気持ちよく寝てたのに」


「血糊はわざわざ買ったのか?」


 カイルが頭を掻きながら問えばミラは元気よく頷く。


「うん! 死体ごっこしてた」


「死ね、もう一回死んでろ」


 カイルはため息をつきながら吐き捨てる。まったく、これだからこの少女の彼氏をやめたんだ。


 ミラは悪びれずに喉を鳴らして笑っていた。



「カイル待ってよぉ」


 遠慮なくジョギングに取り組むカイルの後方でミラが息を切らして走っていた。


 はるか遠方では相も変わらずヴィック・バンの教徒がうるさく呪詛を唱えている。


「カイルぅ」


 カイルは無視して走り抜けていく。


「カイル……」


 もうこの女にはうんざりだな。


「スカトロ野郎!」


「誰がスカトロだ!」


 反応して振り向いてしまった。

 ミラは看板を指差す。そこには『ケージファイト! 賭け金最大一〇〇万ドル!』と書かれている。


「ジョンのやっているあれじゃない?」


 ミラが興味津々に言う。


 ケージファイト、文字通り檻(ケージ)の中で格闘(ファイト)するギャンブル・スポーツの一種だ。


 賭け金は一二ドルから受け付けで、最大一〇〇万ドルの賞金を手にすることができる。


「つまらん賭博だ。如何にもヒビキ少尉が嵌まりやすいやつだな」


「硬いこと言わずに行こうよ」


 ミラがカイルの脇に回り込み腕を包む。


「まったく……」


 カイルは自分自身の甘さに恥じつつも、ボーイを呼んだ。


「ヒビキに一五ドル」


 うきうきなミラが言う。


「同じくヒビキに一五ドルで」


 賭け金をボーイの胸ポケットに収め、入場した。



「続いては『ジョン・B・ヒビキ』選手! 無類の不敗神話をベイク選手は打ち砕けるか!」


 歓声とともにジョンが入場する。


「頑張ってー! ジョン! あなたに賭けたよー!」


 ミラが拳を振り上げ、応援する。


 ジョンは瞑想をし、相手の出方を待っていた。


 カイルもまたジョンの出方を見ている。


 ジョンは目を開け、ベイクに近づいた。


 そのまま相手に殴りかかるかと思いきや、凄まじい速さで回避をしている。


 相手の攻撃特化の動きをすべて見切り、防御に転じている。


 遊んでいるな、とカイルは思う。中東での動きとは程遠い相手を舐めきった動きだった。


 ジョンはベイクに蹴りをお見舞いし、続けて素早いジャブを繰り出し最後に力いっぱいのストレートを繰り出した。


 ベイクは金網まで追い詰められ、内にいる観客たちがベイクの手足を掴む。決め時リーチだ。


 ジョンはベイクを雄叫びを挙げながら殴り続けた。


「野蛮だねぇー!」


 ミラが顔を覆う。


「お見事! 勝者、ジョン・ヒビキ選手! 不敗神話にまた一ページが追加されました!」


「当然の結果だな。出来レースにすらならない」


 カイルがミラに耳打ちした。


 ミラはそんなことなどお構いなしにジョンを拍手で讃えた。




「よぉヒビキ?」


 ドールズのセーフハウスで、カイルはにやけて賞金で買ったビールをジョンに放りよこした。


 ジョンは困惑気味に受け取り、


「見てたんですか?」


 と言う。


「このビールしか買えなかったがな、もっと賭けておくべきだった」


 ミラはビールをひと煽りし、


「ジョンはやっぱり流石だよ、あれこそリング・サバイバーと言うか」


「――今していることは、これまでしてきた行為よりはるかに崇高な行為だ」


 カイルはジョンのこの言葉の意味がわからなかった。


「そこでディケンズを使う?」


 反応したのはミラだ。彼女は椅子の上で体育座りをし、ビールをまた一口飲む。


「あの本、また読み返してるけど今の革命の混乱下でも当てはまる部分があってね。革命の裏で豪遊する貴族なんて、本当はあってはならない」


 ミラもジョンもかなりの読書家だ。カイルは映画は好きだが大して本は読まない。


「『人生に蘇った』んだよ、僕たちは」


「そして『金の糸』に掴まって『嵐』をやり過ごす」


 ジョンとミラがフレーズを交わし合う。


 口を緩めて笑うミラにカイルは遠い昔の想い人を重ねていた。


 彼女の名前はルーシィ。お転婆だったが、学があり読書家だった。


 おれには不釣り合いなくらいの、ふわふわした少女だった。




 そしてその少女をおれは殺した。

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