Section5『父と子と』~時系列『現在』~

 静かな晴れの空の下で、墓標が果てしなく続いている。墓標は同じ十字架を象ったものであったが、一つとして同じ形をしていなかった。

 墓地。ここは死者が眠る空間。

 一つの比較的新しい墓の前で、カーキ色のトレンチコートを羽織った大男とその子どもらしき端正な顔立ちの少年が立っている。ふたりとも、ただただ無言だったがやがて父の方は口を開いた。


「母さんは私が守ってくれると信じていた。でもそれは果たせなかった」




 孤児院に暮らすエドワード・バーンズ……『エディ』にとって父、ヴィクターと会う日は特別なひと時だった。


 まず、エディには母親がいない。アメリカ、ジュノー市の隕石の落下事故によって現地民だった母はこの世を去った。

 ジュノーにはエディもいたのだが、奇跡的に無事であった。しかし母、キャロルとそのお腹に宿っていたエディの兄弟になるはずだった命は火の中に消えた。


 物心ついたときから母も兄弟も知らずに、ただ父を頼りに生きてきた。

 やがて父は仕事が忙しいらしく、ロシアにある孤児院にエドワードを預けた。エディは冷たい父親だ、とかいう反発心は持たなかった。なぜだか理由はわからないが、父は一人がいいのだろうと思っていた。


 エディも孤児院で一人だ。しかし、彼はその事についてふしあわせだとは思っていない。

 威圧感を与える図体のとんでもなく大きい父親を持つことでよく聞く「施設内でのいじめ」の標的にされることはなかったし、父が毎回持ってくるコミックヒーローのバットマンのオモチャをお守りにしていた。

 コミックを好むエディはなかでもバットマンが好きだ。同じDCコミックスのスーパーマンやワンダーウーマンみたいに特殊な能力も強靭な怪力も持ってないのに強い、というところに惹かれていた。



「ねぇ、パパ」


 バットマンのアクションフィギュアを手にエディはヴィクターに問う。

 ヴィクターは先刻からアームチェアで本を読みふけっていた。

 ヴィクターは本から目を離さず、

「なんだエディ」

 とぶっきらぼうに応じる。ぶっきらぼうではあったが冷たさは感じない。むしろ愛想がないなりの優しさがそこにはある。


 だからエディは質問を口に出す。


「バットマンはどうして、スーパーパワーを持ってないのにつよいの?」


 父は一瞬、無言になったあと本を静かに閉じる。


「戦うための目的があるからだ。彼は『ゴッサムシティを救いたい』という目的がある。そしてその信念……目的はどんな強大な力でも敵わない。だから彼は強い」


 よくわかるようなわからないような話ではあった。

 エディは釈然としないまま、更に疑問を問う。


「ぼくも、バットマンみたいになれるかな?」


 父はこちらを見、意味ありげに片眉を釣り上げた。

 双方にしばしの沈黙が流れる。

 やがて父の方は口を開く。


「さぁて、お前次第だな」



 エディとその父の二人は母がいる墓地に向かっていた。父が先に歩き、エディはそれを追従する形で歩いており、父は手加減せずにズカズカと大股で歩き、エディはついていくのがやっとで半ば小走りであとを追っていた。

 やがてエディがスタミナ切れの疲労でへとへとになると、父は後ろには目もくれず緩やかにスピードを落とした。


「パパ。お願いしてもいい?」


 息も絶え絶えのまま問えば、父は相変わらず視線をエディに交えないまま頷く。


「手、つないでもいい?」


「ダメだ。おまえはもう一二歳だろう? 甘えるのはよせ」


 冷たい返答であった。


「ごめん」


「すぐ謝るのもやめなさい。自分の失敗を認めるのはある種の強さだが、妥協が許されない局面もある」


「ごめん。あっ……」


 他愛もないやり取りをしていると、墓地についていたことに気づく。


 エディの母……そしてヴィクターの妻、キャロルが眠る丘の上の墓地だ。


 波音が耳を打つ。海の混じった空気は塩気が強く、なにより冷たかった。



 本当にここに母はいるのだろうか? エディはいつもそう思う。死ぬことというのはどういうことなのだろう?

 肉体から心だけが抜けることなのだろうか? それとも心という概念自体も消失し、無になることなのだろうか?

 母はどこにいるのだろう?


 色々思っていると、そんなエディの思いを打ち消すように父が肩をぽんと叩く。

「いくぞ、坊主」



 墓標が果てしなく続く空間で二人はしばし目をつむり、墓の前で立ち尽くしていた。

 言葉もなにもない、ただ波の音が大きく耳朶を打つ。それ以外は静寂だった。


「……エドワード、母さんのことについて、色々考えてただろう?」


 静寂の中から父の声が聞こえ、エディは目を開け父の方を向いた。

 父は無表情だった。


「母さんは私が守ってくれると信じていた。でもそれは果たせなかった」



 エディはとうとう父の言葉によって事実に直面した。目頭が熱くなり、こらえ切れず腕を顔に当てる。

 ママはもういない。死んだのだ。父は助けようと奮闘したが、それは水の泡になって消えていった。


 わぁっとエディは泣いた。赤子のように、遠慮なく。きっと波の音が泣き声をかき消してくれるだろう、そんな甘えもありながら。


「エドワード……」


 父の声が微かに聞こえる。エディは怒られると思った。

 男がそんな無様な姿を見せてどうする? と言い詰られるかと思っていた。


 しかし、


「涙は、子供の特権だ。今のうちに泣いておけ」


 義務的に言う声と、頭に力強くガシガシ撫でられる感触を実感する。


「忘れるな、大人になると泣くことはできなくなる。だから存分に泣け」


 その言葉を受け、エディはとうとう母の死を受け入れた。


 誰もいない墓地で波の音と泣き声が響き渡った。





 父が仕事に戻るために帰る日にエディは一つのお願いをした。


「私のベレー帽?」


 父が米軍のグリーンベレーという特殊部隊で活躍していた時から被っていた愛用の帽子をぼくにくれないかというお願いというより我儘だった。


「まぁ、いいが」


 すんなりと父は被っていた緑のベレー帽を外し、エディに深く被せる。

 サイズが完全に合ってなく視界は塞がり、エディは慌てて帽子の位置を正した。


 その様子を見た父は一言、


「ふん、似合ってないものだな」


 と滅多に見せない微笑を見せる。


「似合う大人になれよ」


 と立ったまま軽く抱擁をすると、父は踵を返した。


 父が施設の門を潜るまでエディはその背中をただ見つめていた。

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