第3章4

 綾は厨房に行って武器を探した。少しでも戦いの役に立ちたい。大鎌や双剣は使えなくとも、得意な料理の道具ならば。

 フライパンを背に提げ、鞘に入ったナイフをポケットに入れ、包丁を手に構える。

「お姉様! まだそんなところに!」

 大鎌を持ったミナカが厨房に飛び込んできた。

「私も戦う」

 ミナカがきっとして、

「お姉様は、わ・た・し・が守ります!」

 包丁を取り上げられ、広間に引きずっていかれる。

 そこには屋敷の者がほぼ全員集まっていた。ホシミ・ツキミは斥候に出撃したので見当たらない。

 この屋敷で最高位の先任巫女騎士アークメイデンナイトが、指揮者として作戦を説明する。

「我々がこの屋敷に隠れていたのは、落ち延びた仲間たちの再集結を待つためであった。大陸連合国軍の主力はこの屋敷に向かって移動しており、既にこの場所は察知されたとみてほぼ間違いはない」

 ミナカがうなずく。指揮者は続けて、

「よって、再集結場所としての意義は終了した。屋敷は|放棄と決定する」

 巫女騎士メイデンナイトが部屋に入ってきて、指揮者に斥候からの伝令内容を耳打ちした。指揮者は、

「敵は屋敷を完全に包囲しつつある」

 大テーブルの上に森の地図が広げられており、その中央に赤い石が置かれた。これが屋敷の位置だ。続いて、チョークの線で敵部隊が示される。二重、三重、四重…… とてつもない重囲である。さらに旧ティターニア方面からも増援の矢印。メイデンポリス占領軍をも投入しているのだ。

 ジャガン鎮軍は一気に森を埋め尽くす勢いだった。少数ゆえに機動性の高い紅蓮組を大軍で確実に封じ込める意図だろう。奇襲効果の低い昼間に攻勢をかけるのも、闇に乗じて紅蓮組が逃げるのを防ぐためだ。この徹底ぶりはいかにジャガン鎮軍が紅蓮組を恐れているかという証でもあった。

 指揮者は、チョークで攻撃ルートを引いた。赤い石の位置から、森を抜け、ジャガン州を抜け、大陸連合国の中心部まで一息に。

「我々は敵主力に突撃をかけ、中央突破を敢行する。非戦闘員脱出の囮であることは忘れるな。突破後は各自、独断専行で連合国の象徴たる呪縛の塔に向かい、これを打倒せよ」

 自殺行為であることは明白、しかし反対はない。数の差があまりに圧倒的で、これ以外にやれることはないのだ。なにより、これで非戦闘員脱出の囮となれるのであれば皆は本望と信じている。

 ミナカは指揮官に問うた。

「敵主力に、異神ペイガン・ゴッドは?」

「確認されている。仇を取ってやれ」

 ミナカは笑顔を浮かべ、

「狭間の異神ペイガン・ゴッドが相手なら、今度は楽しめそう」

 外から風を切るような音が聞こえた。続いて爆発音が響き、屋敷全体が揺れる。繰り返されるにつれ、爆発音がだんだん近づいてきている。大陸連合軍による砲撃が一発ごとに精度を増し、屋敷への狙いを絞りつつあるのだ。

「さて、諸君」

 指揮者の巫女騎士が剣を抜いて掲げた。

「連合国軍の侵略でティターニアは蹂躙され、国は失われたが―― しかし!」

「しかし!」

 皆が唱和する。武器を掲げる。

「ティターニアは倒れたか?」

「ティターニアは倒れていない!」

月の巫女ルナルメイデンは倒れたか?」

「いや、月の巫女ルナルメイデンはここにいる!」

「妖精王にお仕えするため!」

「火となり焔となりて!」

 月の巫女ルナルメイデンは剣を振り下ろした。

「行け! 我が身を捧げるときがきた!」


 非戦闘員は脱出のため屋敷の屋上に集められた。

 綾もその一員として、準備を手伝う。

 取り仕切っているのは厨房を束ねていたホタル。てきぱきと指示をして、大きな布を広げていく。一刻を争う事態なのに、あせらず、止まらず、皆を励ましていくホタルは強く頼もしい。

 屋敷の平らな屋上には、美しく繊細な意匠の棟がそびえていた。その優美な形状は、この屋敷とは明らかにデザインが異なる。木造りで左右には翼のような骨組が張り出しており、布が張られていく。

「なんだか飛びそう」

 綾の呟きにホタルが、

「|天守は飛ぶよ。疾風精シルヴェストルのご加護をもらって。帆布はマビノギオンと同じ作りだからね。我々はこの天守に乗って、城から脱出してきた」

 月の巫女ルナルメイデンの装束であるマビノギオンと同じとは、つまり妖精の依代となる結界を生じさせて、妖精のご加護が受けられるということだ。

 森の上、高台に設置された隠れ屋敷は、高台の一角が大きくせり出している。突撃回廊だ。そこに通じる扉が開かれ、完全武装の巫女騎士たちが並んで現れた。

 屋敷の屋上から綾が覗いていることに気付いて、列の先頭にいるミナカが手を振ってきた。なんていい顔をしているのだろう。殺気も気負いもなく、ただ純真な子供のように素直な笑顔を向けてくる。

 綾も手を振り返しながら、

「がんばって! すぐ帰ってきてね!」

「お姉様~! ずっと一緒よ~」

 楽しそうに大鎌をくるくると振り回してから数歩進み、クラウチングスタートのような体勢を取った。

 綾は気が抜けて、

「あの調子なら大丈夫ですよね」

「――うん、もちろんだとも」

 骨組の固さを調整しながら、ホタルが微妙な間を置いて返答する。

「また、すぐに会えますよね?」

「皆、来世でも妖精王に奉仕する誓いを立てているんだからねえ。きっと会えるよ」

「来世?」

 バネがはじけたような勢いで、ミナカがスタートを切った。突撃回廊を数十メートルほど走り、高台の端から空高くへとジャンプする。森林の上、梢の頂きを着地点にジャンプを繰り返しながら、まさしく飛ぶようなスピードで敵の主力に向かっていく。ミナカのマビノギオンからは火の粉のような光が後を引き、風を切ってジェット機のような爆音を轟かせていった。

「いい子だったよ。ほんと来世でも会いたいもんだ」

 さばさばとしたホタルの物言いに、綾は意味をつかみかねた。

「まさか……?」

「まさか、帰ってこられるものとは誰も思っちゃいないさ」

 第二、第三と巫女騎士が滑空突撃していく。彼女たちが持つ紅蓮組巫女騎士の証、焔水晶が輝き、光の尾を引いている。誰一人としてつらい顔などしてはいない。決意と命にあふれていた。

「だって、あんなに強いじゃないですか!」

「数千倍もの敵を相手に囮をやるんだ。しかもティターニアを滅ぼした異神ペイガン・ゴッドの連中まで来ている」

「……ミナカ!」

 綾は屋上の端まで駆け寄ったが、ミナカの姿は既にはるか彼方、よく見えなくなっていた。声が届くことはもうない。

 自分はなんということを言ってしまったのか。がんばって、だと。死の覚悟をしているミナカに、そんな言葉を贈ってしまったのか。

「みんなはティターニアの言霊を残すために戦うんだ。あたしたちの義務はそれに応えて脱出することだよ」

 立ち尽くす綾を引きずるようにして、ホタルは天守の屋根に登る。

 作業員たちが、翼の骨組に張り巡らせた綱を引いて左右の翼を開ききった。翼にはびっしりと始原文字が記述され、全体が疾風精シルヴェストルの結界文様をなしている。

「翼を全開、離陸準備を完了! 疾風精シルヴェストルを呼べるはずです!」

 総舵手が叫び、天守は若干揺れた。しかし浮き上がってはくれない。

「おかしいね、浮力はもう十分なはずだ」

「帆布を再確認!」

「締め直してみろ!」

 作業員たちが走り回って調整するが、翼は波打つだけで状態は変わらなかった。疾風精を呼べず、風が来ないのだ。

 空を大砲の弾が走り、屋敷をかすめ飛ぶ。大砲の照準調整は着実に進んでいる。おおまかであれ、ここの場所がばれているとしか思えない。じきに連合軍の砲門は屋敷を捉え、直撃するだろう。

 屋敷は姿を隠す加護効果と弾避けの祝福効果に守られているが、集中砲火を浴び続ければ限界はある。ましてや装甲のない木製の天守に当たろうものなら、ひとたまりもない。

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