間
マトリョーシカ・シンドローム
「それで、残りの死体も発電所のところに転がっていた、というのが今回十二人の暗殺者たちの末路だと」
ヴラスターリはパソコンの画面を睨みつけて頭をかいた。
現在画面には霧谷雄吾の苦笑いが浮かぶ。
高見から連絡で、霧谷たちはそのまま隠れアジトの一つに無事移動したことを知った。
安全性の確保のため、霧谷はその場を離れず、アジトの場所も不明として面会はもっぱらネットを通して行っている。
その回線も二重、三重のセキリティバリアに守られた彼を見つけ出すのは、いくら能力の高いブラック・ドックでも至難の業だろう。
それぞれの対戦したエージェントの報告から、その数は十二人。
一人はこの街の発電所で感電死をしていたそうだ。調べてみるとその灰になった者の能力はブラック・ドック――街全体の管理をネットワークを通じて手のうちにおさめようとしていたようだ。それは一時成功し、すぐに限界を迎えて自滅した。あまりの大規模なことに脳の演算計算が追い付かず、脳が焼き切れ、挙げ句に肉体まで燃えてしまったのだ。
他の暗殺者たちも似たり寄ったりに死んでいる。あっけないと思うべきなのか、それともこの程度で収まったからよかったというべきなのか。
街を舞台にした乱戦は多くの人間を殺し、混乱を産んだ。
巨大ワーディングの展開も本部が爆破されて出来ない現在、この街を停止させているのは強制的なソラリス能力による行動の制限――敵が発電機によるネットワーク世界からこの街を把握し、支配しようしたような手法をUGNも持っている。
霧谷雄吾が街全体に自分の化学物質をまき散らしたのちテレビ放送をハイジャック、人々に暗示をかけてその動きを制限するという荒業だ。
明日には記憶処理班が大規模な後始末を行う手筈となっている。
コードウェルが行ったハイジャックと似た手法で人の行動をここまで制限できるのだからそら恐ろしい。人々は昼間見たものを、街のなかの惨状が見えなかった状態になっている。
今から二十四時間――人々はオーヴァードの行うことを何一つ認識できない。戦闘が起こって巻き込まれても、それを認識できないのだ。たとえば人が目の前で死んでも「なぜか急にその相手を認識できなくなった」となる。
それに違和感を覚えない。
それだけの大掛かりなことをしたせいで霧谷の顔にはやや疲れが見える。彼はこの状態を維持するために常に能力を解放し続けているので、動きなどに著しい制限がかけられている。
本当はこうして話すのも億劫だろうに。
「明日まで、この警戒状態を維持することになります」
「承知しました」
「急なこととはいえ、苦労をかけました」
「いえ。それでパンドラ・アクターは」
「はぁーい」
画面ごしに明るい声がした。
パンドラ・アクターが霧谷の後ろから顔を出してくる。
「げんきでーす」
「……みたいですね」
「一瞬死ぬかと思いましたが、ゆーごがなおしてくれました。えっへんです」
胸を張るパンドラ・アクターに霧谷が目を細めて微笑んでいる。
敵は間違いなく、一番触れてはいけない逆鱗を踏み、そのせいで死んだ。馬鹿なやつめ。
「お、おおー。げんいーちです」
パンドラ・アクターの声が上ずる。不思議に思って見てみると、パソゴン画面の端に小さな丸いアイコンが点滅し、通信の文字が浮かび、その画面にはサングラスの男がいるのにヴラスターリは理解する。
UGN本部にいる日本人エージェント、藤崎弦一だ。
常にサングラスと淡々とした口調のため、彼の心意を知ることは難しい。
ヴラスターリもアッシュの使いで二度、三度、顔を合わせたが苦手なタイプだ。そんな男がどうして、と疑問に思っているとパンドラ・アクターが霧谷の手元のキーボードをなにか押したらしい。
「えいやです!」
「あ。パンドラさんまだ通話中で」
霧谷が止める暇もない。
画面の横に藤崎の顔が現れた。
「……通話中だったのか。すまない。かけなお」
「だめです、だめです。だめですよー。げんいちー。ワタクシサマは待てません。何でございマスか!」
パンドラが駄々っ子のよろしく叫ぶと藤崎は動きを止めて、口を開いた。
「……無事だったか。エルピス」
「はい! 死にかけましたがこの通りです」
「そうか」
「はいデス!」
にこにことパンドラ・アクターが笑って画面に顔を近づける。そんなことをしても藤崎は画面から出てきたりできないのに。
「無事ならいい」
ふっと藤崎が口元をほころばせた。
あの男が! ヴラスターリは硬直した。
それにエルピスというのは?
「妻が迷惑をかけたな。……ヴラスターリ」
藤崎に声をかけられてヴラスターリははっと正気に戻り、その言葉の意味を吟味した。
「妻?」
「ああ、ここにいる藤崎エルピスは俺の妻だ」
「はーい、えるぴすでーす!」
パンドラ・アクターが元気よく腕をあげる。
「え」
うそでしょ。
ヴラスターリはちらりと霧谷を見ると、彼は笑って頷いた。
「本当ですよ。パンドラさんは、藤崎の妻です。レネゲイドビーイングですが、その存在を隠すため、または安全性を証明するために夫婦になったんです。藤崎エルピスは人間としての名前ですね」
「そう、なんですか」
人型のレネゲイドビーイングが人間と結婚。そんなこともあるだろうが、まさか、藤崎が結婚しているとは思わなかった。そういえば彼は左手の薬指に指輪をはめていた。ただのフェイクかと思ったが本当だったのか。
大混乱しているヴラスターリをよそにパンドラは会話に余念がない。
「げんいち、ワタクシサマ、ちょーちょーがんばりました」
「ああ」
「次はいつ帰りますか?」
「……今回のこともあり、休暇を申請した。今から支度して、そちらに向かう。明後日には」
「おー、はやい、はやいですよっ!」
ぴょんぴょんと跳ね飛ぶパンドラは子供のようだ。
「雄吾、すまないな。いつも」
「いや、気にしなくていい。弦一。帰ったら食事をしよう。みんなで」
この会話を聞いてもいいのだろうかと思ったが、一方的に通話を切るわけにもいかないのでヴラスターリはぐっと我慢した。
藤崎がすぐに話題を戻した。
「今回の事件、FHは関わっていないと言っているそうだな」
「らしいですね。数名のFHエージェントが討伐に関わっていたようです」
UGNエージェント数名から報告を受けているが、ならば、一体誰がこんな大事を行ったのかという疑問が浮かぶ。
これだけの大掛かりなことには当然金が動く。それだけの財を持つ何者かの尻尾を掴まないことには動きようがない。
藤崎は少しばかり考える顔をする。
「いや、またあとで確認して連絡をいれる。悪かったな」
「いえ」
「あーあー、げんいちー」
藤崎はパンドラ・アクターの呼びかけを無視して通話を切った。
「あーーー。げんいちー」
寂しそうなパンドラ・アクターに霧谷が笑っている。果たして、その心の中はどんな感情が渦巻いているのか。昼間のことを考えてヴラスターリは居た堪れない気持ちを味わった。
「こちらも通話を切りますね」
「はい。では、本当にありがとうございます。たぶん明日にはストレンジャーから保護した一般人についても取り調べなど終わり、それぞれの似顔絵を送れると思います」
「似顔絵ですか、ああ、一人取り逃がしてますからね」
本部襲撃を受けたローザたちは全員生きてはいるが重症のため、現在集中治療室で治癒を受けている。それにかかわったと思われる女が一人逃亡中だ。
現在情報を集めて後方情報支援員であるうさぎたちが犯人たちの似顔絵を作成しているところだ。明日はヴァシリオスもそれに協力するため駆り出されてしまう。本当は今すぐに、というところだが今夜はだめだとヴラスターリが噛みつく勢いで猛反対して、二人で家に帰宅したのだ。
「作成はだいぶ終わっているので、またメールをします」
「はい」
通話を切って、はぁとため息をつく。
「つかれたー。ヴァシリオス、今日の夕飯なーにー? いい匂いがしてるーー!」
伸びをして立ち上がり、リビングからキッチンに向かう。
キッチンに立つヴァシリオスの背中はすらりと伸びて、隙がある。
男性用のシンプルな青いエプロンを身に着けてせっせっと手を動かしているのに悪戯心が芽生え、気配を殺して近づくとそっと形のよいお尻を撫でる。
「夕飯はなに?」
「っ……シーバスのグリル」
皿の上には蒸した野菜たっぷりにかりかりに焼かれたスズキ。それには檸檬、オリーブオイル、チーズをまぜたソースをたらりとかける。
スパナコピタというホウレンソウのパイ。
思わずよだれが出そうだ。
それと同じくらい、肉体の刺激を我慢して渋い顔のヴァシリオスはそそられる。
「お肉は?」
「パイのもう一つはひき肉とトマトソースを混ぜてやいたものを挟んでる……っ!」
お尻を撫でているとヴァシリオスが調理の手を止めて、ヴラスターリの腕をとって自分の腹へとまわさせて抱きしめるように強制してくる。
甘えん坊の猫のように背中に顔をうずめてヴラスターリは息をする。
「おなかすいた」
「ホットワインは?」
「いる。けど、ビールが飲みたい」
「まだ報告があるんだろう?」
「そうなのよね。たぶん、あいつから連絡が来るわ」
はぁとヴラスターリはため息をついて大人しくお手伝いすることにした。抱擁を解こうとしたとき、キスをすることも忘れない。
お皿に盛られたご馳走をキッチン前にある二人用のテーブルに置いていく。
あたたかいホットワイン。色は赤。二人で乾杯をして食べ始める。
パイのさくさくした歯ごたえとホウレンソウの苦味、かりかりの魚はたっぷりのソースがかかっていて濃厚だ。ホットワインは飲み進めると代謝もよくなって体が温かくなる。
ゆったりとした食事を楽しむときは言葉はいらない。仕事のことも忘れる。
ほっとしていると、パソコンのアラームがうるさく鳴る。この時間帯に連絡してくるタイミングの悪いやつは決まっている。
「まったく」
あらかた食べつくした皿とワインを置いてヴラスターリは仕方なく立ち上がり、リビングのテーブルに置いてあるパソコンのスイッチを押してコールを受けた。ソファに腰かけて、見つめた画面いっぱいに嫌いな男が浮かぶ。
「ハーイ、アッシュ」
『エージェント、出るのが遅いぞ』
不遜な言い方だ。腹を立てて思わず通話を切ってやろうかと思ったのを寸前で我慢した。
「それは申し訳ない。私は恋人と食事をしていたので、そちらを優先させていただきました」
『フン、あのジャームか。お前みたいなババアを相手にするとはあれももの好きだな』
「……口のきき方に気をつけろ、ベベ(坊や)」
表情を変えずにヴラスターリは言い返す。
「人の名前もろくに言えないのはお馬鹿さんのすることよ? マリアはいるのそこに?」
『いるわ。ヴラスターリ』
アッシュの後ろからマリアが顔を出した。
「ベベはずいぶんと生意気になったのね」
くすくすとマリアが笑う。
『おい、マリア』
『ごめんなさい。面白くって』
「それで、今回の件だけど……なにがあったの」
ストレートにヴラスターリは聞いた。
『なにとは』
「FHの仕業なの?」
曖昧にマリアが首を振る。
『確信がとれてないのだけど、あきらかにおかしいわ』
「おかしいっていうのは?」
『今回の主犯だけど、こちらが掴んでいるのはコードネーム【マトリョーシカ・シンドローム】が関わっているということだけよ』
「マトリョーシカ・シンドローム?」
思わず聞き返していた。
「誰、そいつ」
『ある国のエージェントよ。旧時代の生き残り』
マリアの唇が笑みを作った。
『国が囲んでいたオーヴァードよ。戦争帰りで、そのあとその国でいろいろとエージェントとして仕事をしていたけど、かなりの過激派で、飼われていた国に対してテロ行為をしてそのまま逃げていたようよ』
淡々と告げられる言葉に脳みそがフル回転する。
国が囲む戦争帰りのオーヴァードなんてろくでもないものに決まっている。戦争に投下され、それでも生き残って国に仕える、その神経が理解できない。
国に踊らされ、死ぬしかなかった仲間たちを抱えて死ぬまで生き続けたオリジナルの記憶が刺激される。
敵のオーヴァードの行動理由は復讐? しかし、刺客たちからそんなものは感じられなかった。むしろ。
「遊んでいるような」
ぽつりと今まで感じていた違和感の正体に気が付いた。
刺客たちは好き勝手に暴れまわったが、あれは霧谷を殺そうというよりも楽しんでいるようだった。
あまりにも杜撰で、目的のない――ジャームのようで、少しだけそれからズレた存在。
『今回あなたたちの相手にしたその十二人だけど、こちらにデータをある程度送ってくれる? 確認がとれてないけど、そいつら、たぶん、オーヴァードの失敗作よ』
「失敗作って?」
『オーヴァードが発見、確認されたはじめの頃、可能性のある者を捕らえて国は実験したわ。かなりきわどいこともしていたことはあなたなら言わなくてもいいわよね』
ヴラスターリは頷いた。
『そのなかで覚醒して死ななかったけど、発狂した者たち……完璧なオーヴァードではないけど、かといってジャームでもないそういう出来損ないよ』
「ああ」
国に目星をつけられ、人体実験によって覚醒されられた者たちは心身ともに壊れていく。かろうじて人の形を保って生きているもののことを出来損ないと言われていた。
人格に多大なる欠点を持ちながらもオーヴァード--かぎりなくジャームに近い存在。
戦争後、国はその存在が非合法の実験によって作られたことを秘匿するために殺していったはずだ。そもそも人格崩壊を起こしている者たちはそこまで長く生きられない宿命を持っている。
心が壊れているものは獣と同じだ。思考が出来ない。ゆえに簡単に狩り殺されてしまう。
ただ極たまに獣の本能的なカンと幸運に恵まれて生き残る者もいる。
それをバケモノというのだ。
『そういう飼い殺された面倒者たちが国を裏切った背徳者なんてろくでなしを誰かが利用した。ただ今回用意した駒はなかなか食わせ物だったようね。舞台で好き勝手しはじめてるみたいよ』
「というと?」
『さすがに脚本家もここまで大事にするとは思わなかったんじゃないかしら』
何か掴んでいる、と確信できる笑み。
マリアは今からの狩りを楽しみにしているようだ。
「その後始末をここにいる私にしろというの? いつもながら身勝手ね」
『それはアッシュに言ってちょうだい』
『マリア!』
アッシュが狼狽えて叫ぶのを聞くと先ほどの怒りが少しばかり収まった。
「どうする、アッシュ坊や、私と取引する? 私は構わないわよ」
『調子に乗るなよ、雌犬』
屈辱に満ちた目にヴラスターリは牙を剥いた。
「そんなことを言ってる立場なの? あなたもさすがに今回はお尻に火がついて大変なんじゃない? あなたを守ってあげる。かわりに彼のジャーム登録を消して、エージェントとして登録をして、霧谷が用意したヴァシリオスの書類をつっぱねているのは坊やでしょう?」
『本当にそれと一緒にいるつもりか』
「悪い?」
聞き返す。
沈黙。
「……私は今まであなたに迷惑はかけたことないでしょう。もし、彼のことであなたに迷惑をかける可能性があるっていうなら私のことは切り捨ててもいいわ。
今回の件、私が出来るだけ隠密にカタをつけてあげるんだから、そのお礼としては安いと思わない?」
また沈黙。
部下には辛辣なくせに、こういうところでは情が深い男だ。もうすこし冷酷な男だったらもっと容易く捨ててやれるのに。
「アッシュ」
『……』
視線が合う。似合わないサングラスに隠された子供ぽい青い瞳のアッシュに深い空の色にヴラスターリは微笑む。
「最後のお願いぐらい聞いて」
『今回の件でそいつの有能さをみせつけてやれ。それ次第だ』
「ありがとう。坊や。私に好きな人がいなかったらあなたに惚れてたわ」
アッシュが歯をむき出しにして怒るのについ笑ってしまった。
「ああ、いま、犯人たちの似顔絵が出来た。そちらに送るわ。あとその主犯と思われる男の写真とかあるの?」
『こちらに一枚だけ遠目にあるわ』
マリアが一枚の写真を出してきたのにのぞき込む。
「……年寄り?」
ぱっと見てわかるのは男であり、髪の毛が白い――年齢も影響されているだろうが非合法の実験を体験したために精神的ストレスのせいだと理解する。しかし――胸がざわめく。どうして、なぜ。わからない。ただ、ひどく、この男に見覚えがある。どこで見た。どこかで。
「……その男、本当に敵なのか」
背後から声がしたのに振り返るとヴァシリオスが顔をしかめていた。普段ならば立ち聞きなんて無作法なことをしない彼が珍しく嫌悪をむき出しにしている。
「どういう意味、ヴァシリオス」
「……そいつを見た。だが」
「見たって」
スマートフォンがうるさくなり始めたのにスマホの画面を見ると霧谷の名前が出ている。
『出なさい』
マリアの言葉に慌てて画面をタップする。
「なんですか、リヴァ……ストレンジャーの本部が襲われた! いま、対応に、ま、まって、まって、敵襲って、一人? 男が黒崎を連れて……逃亡? 写真を送る、は、はい……写真」
ひどくいやな予感がして震えながら送られてきたメールを開いた。
一枚目。
そこに映し出された切り込んだ白髪を帽子のなかに押し込み、顔も隠された初老の男。それても身なりを見れば四十代はとうに過ぎていると予想できるが鍛え上げられた筋肉から若々しさも覚える。
二枚目。
笑って、ぐったりとした黒崎を片腕でひきずっている。
三枚目。
わざと帽子を外して顔を晒す。
その顔は――楽しそうに笑って
「--っユキサキ!」
耐え切れず、叫びをあげる。
過去の亡霊が自分を追いかけてきた。
瞼の裏に広がるのは
さぁ、遊ぼう!
強くなってニューゲームだ。なぁ
イクソス
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