カルナバル・パーティ

 自分は天国行きの直行便に乗ったのかと本気でヴラスターリが考えたとき、視界の端に狂うように走る車が見えた。

 車は無理なカーブとブレーキで対向車や障害物に奇跡的にぶつからず走っている。その上にヴァシリオスが四つん這いの状態で立ち、まっすぐ自分のことを見ている。

視線が合う。

 恋に落ちるほど美しい絶望色の瞳。

「ヴラスターリ!」

 叫ぶ。

「ヴァシリオス!」

 応える。


 恐ろしいほどのスピードで車が移動するのは、地上よりも一段高い空中に作られた高速道路だ。

 上に人がいるというのに関わらず、スピードをさらに増してエンジンを吹かして、他の車を足場にして飛び跳ねるようにして移動する目的を理解したヴラスターリは慌てた。

 車ごと自分のところに来るつもりだ、これ!

 車の走る道の先に自分はいない。けれどちょうど曲がれば――車が回転し、邪魔な壁を飛び越えて空中に浮く。

 自分まであと数メートル。

 ヴラスターリは手に力を集中させ、血で鞭を作るが伸びるのはせいぜい数メートルしかないのを別の血が――ヴァシリオスの血の鞭が伸びて、端を捕らえると力いっぱい引き寄せられた。

 腕を広げて、ぎゅうと抱きしめられた。

「うひゃあ!」

 胸の中に抱き留められたヴラスターリは悲鳴をあげる。

 大好きな香りとぬくもりのなかにいる安心は一瞬、このままだと落ちる。いや、落ちるだけじゃない。

 目の前にはビルがある。

「ひぃ!」

 壁にぶつかって蚊みたいに潰される?

 そう思ったとき、足元に穴があいた。

「きゃあ!」

 車のなかに落ちた。

「い、いたたぁ」

「っ」

 二人してしたたか体を打ちつけ、悶える。下にしてしまったヴァシリオスにヴラスターリは慌てた。

「やだ、ごめん、大丈夫、ヴァシリオスっ」

「舌を噛む!」

  切羽詰まった叫びをあげるヴァシリオスの腕に抱きしめられてヴラスターリは叱られた子供みたいに小さくなった。

 とたんに衝撃が襲ってきた。

 全身が揺れて、気持ちわるさがこみあげてくる。

 見ると、視界は――どこぞの会社のオフィスのなかで、いくつもの机や書類が散乱している。幸いなことにここには人はいなかった。

 恐ろしさに震えが走った。

「い、いきてる?」

「ああ」

 ヴァシリオスが小さな声で言い返すと顔をしかめて睨まれた。

「どうして空中から落ちてきたんだ」

「……いろいろとあって思いっきり投げ飛ばされたの」

 簡潔かつ誠実な回答をヴラスターリとしてはしたつもりだが、ヴァシリオスは眉間に皺を寄せこれ以上の問いは野暮と判断して黙ってしまうとひどい頭痛を覚えた険しい顔で、前髪を乱暴にかきあげる。

「このあとはどうなるの?」

「運転手が気絶していれば大丈夫だろうが」

「そういえば、この運転は」


「いひ」


 地獄の釜の、一番底にある絶望が声を出したら、こんな声だ。

「いひひひひひひ」

 不気味な笑い声がするのにヴラスターリはぎくりとした。

「まだ地獄のレース再開だな」

「え」

「来るぞ」

 なにが? そう問いかけようとしてヴラスターリは何も言えなかった。言えなかった。

 いきなり車が走り出したのだ。がたん、ごっとんと音をたてながらオフィスにある机にぶつかるにもかかわらず無視して進み始めた。

 乱暴な進行に信じられない気持ちで運転席をみれば、まだ二十歳くらいの少女だ。彼女はいひひひと笑いながらアクセルを全力で踏む。

 え?

「いくぜぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 車が応えるように再び走り出す。

「ちょ、ま」

 車はオフィスを突き破る――なんとバックして空中へと再び戻った。嘘でしょ。

 落ちる、そして乱暴に地面に着地。

 したたか体が浮いたり、落ちたりを繰り返してヴラスターリはヴァシリオスの腕のなかで目をまわした。

「あの野郎、まっろてよおおおおおおおおおおおおお」

 少女の絶叫が響く。

 もうやめて、おろして、死にたくない。本当に心のなかでヴラスターリは泣き言を叫んでいた。


「うさぎは、車のハンドルを握ると人格がかわる。実際、俺も現場に行くまでこの運転で死にかけたが」

 ヴァシリオスが淡々と説明をするのをヴラスターリはげっそりして聞いていた。

 後部座席で浮いたり、跳ねたりが一通り終わって、道路を走り始めた車のなかは比較的平和だ。恐ろしいスピードで景色がかわるのという心臓に大変悪い状況はあえて気にしないように努める。

 再会した以上、きちんと情報交換をする必要がある。

 今までのとをかいつまんで話し終えたヴラスターリは二回ほど舌を噛んだ。地味に痛い。

 ようやくヴァシリオス側の状況確認だが、しかし

「港での戦闘のあと、こちらのことを確認するためにうさぎと向かったんだが」

「よく、この車に乗ったわね」

 心の底からヴラスターリは問いかける。

「時間がなかったからな」

「私の運転に文句あんのかぁああああああ」

 運転席から怒声が聞こえてきたのにヴラスターリはひぃと声をあげた。気持ち、車のスピードが速まった気がする。

 あ、あああ。心臓にも胃にも痛い。

 本来非戦闘員であるうさぎだが、彼女には一つの悪癖がある。

 車のハンドルを握ると人格が豹変する。それもスピード狂いの戦闘向けへのものに。

 ウィルスといくつかの訓練を経て戦闘時に人格が変わる者はいる。

 うさぎの場合もそのタイプのようだが、彼女自身の戦闘能力は皆無だ。ただし、車に乗り込むことでいかんなく攻撃的になるのでタチが悪い。

「この車は彼女が作ったものらしい」

「能力で?」

「いや、改造車だそうだ」

「わーお」

 ヴラスターリはあいた天井を見た。

「丹精込めた車に穴あけちゃったけど、いいの? 助かったけど、ごめん。弁償するねっ」

「おめーらが死ぬと困るからな、穴開けたのは自分だし、あとでなおすからいいってことよ!」

 運転席のうさぎが声を張り上げる。頼もしい。

「今はやつだ! 私の前を走りやがって、逃げれると思うなよぉおおおおおおおおおおお」

 車がカーブしたのにまた大きく揺れた。

「ひぃいいいい」

「っ」

 ヴラスターリとヴァシリオスは二人揃って車の端っこまで転がされて、これ以上ないほど密着するしかない。

 が

 ぐぅ。

「あ、あああ~~」

 安心したことや嗅ぎなれた匂いについ体が反応してしまう。先、血を大量に消費したせいもある。

 朝から何もほぼ胃にいれていないのでもう限界だ。

 オーヴァードとして身体能力は高いがそれは決して体力などが失わないわけではない。特に血を主な力の元しているため、肉体の消費が激しいので空腹にはめっぽう弱い。違う。ヴァシリオスに食べることを教えられて弱くなったのだ。

「空腹なのか」

「食べてないからっ」

 真っ赤になってヴラスターリは自棄ぎみに答える。恥ずかしくて死にそうだ。

「……昼も抜いたのか」

「敵が襲ってきたの!」

 ヴラスターリは怒り狂って噛みつくように言い返す。

  車のなかは常に揺れて、二人揃ってくんずほぐれつ状態で向き合う。

 朝のことを考えるともっと気まずいかもと思ったが、そんな余裕はない。それはいいことなのか、悪いことなのか。

「私だってちゃんと食べようと、わっ」

「んっ」

 唇があたった。

 予想していなかった形でキスしてしまい、慌てて離れようとして背中を抱きしめられた。

 まだ喧嘩中だと軽く叩いて拒絶してやろうと思ったが、情熱的なキスは空腹に抜群の効果を出した。

 思わず抱きしめ返して、唇をそっと開いて、舌を交える。互いの唾液を重ねて、言葉よりも多弁に相手の心を読み取る。

 そっと額をあてて見つめあう。

 恋した瞳が、愛しいと告げている。

「怒ってない?」

「怒ってない」

 もう一度今度はちゃんとキスしようとして、思いっきり車が揺れた。

「リア充っ、爆発しろっ! 私なんて、私なんて彼氏いないんですよぉおおおお」

 思いっきり私怨まじりのうさぎの怒声のあと

「見つけたぜぇ、あいつだぁ!」

 先方を赤いスポーツカーが爆走している。そこに乗るのは二人組。

 一人は運転手、もう一人は女だがその手から転がるのはいくつもの赤い花びら。それが大地に落ちたと思ったら爆発し――巨大花へとなってうねうねと動いている。

「あれが追いかけてきたやつ?」

「そうだ」

 うさぎの見事なハンドルさばきでうねる花を華麗に避け切り、車を追いかける。

 何でも港を出てすぐにこのはためいわくな敵を見つけ、いきなり攻撃を受けて狂暴化したうさぎは恐ろしい執念でここまでずっと追いかけっこをしてきたそうだ。

 攻撃をしたいがヴァシリオスは接近しなければどうもできない。敵は植物と恐ろしい運転テクニックで牽制し続けるのに、それがますますうさぎを燃えさせる悪循環に陥っている。

 そんなときに空中から落ちるヴラスターリを見つけて優先したというのが先ほどまでの経緯だ。

 が

「あの花野郎をどうにかしてねぇとおおおお」

 うさぎが汚い言葉で吐き捨てる。

「わかった。それは私がする。助けてもらったからね」

 いい加減にヴァシリオスの胸から体を起こしてヴラスターリは向き合う。心配そうな瞳に見つめられて笑ってしまった。

「戦うのはいつものことだから」

「空腹なのに?」

「……それは、まぁ」

「以前戦ったとき、空腹で力が出ないと泣き言を言っていたのは誰だったか」

「そんな過去を持ちださないで」

 敵対していたとき何度も刃を交えた――そのなかで彼に追いつめられてしぶしぶ撤退するときに負け惜しみで放った言葉だ。まだ覚えていたのか。

 実際、空腹に軽く眩暈が――車にも酔ってきた――そんなこと言っていられない。

「ほら」

 声をかけられて見ると、ヴァシリオスが右手の中指でゆっくりとネクタイの根本を押して解き、ボタンを一つ外して首元をさらしてきたのにヴラスターリは戸惑った。

「え、えっと」

「飲みたいんだろう?」

「……、うん」

 つい素直に頷く。こんなふうに誘われて断れる女はいない。

 ずるい。

 うさぎの怒りの声が聞こえるが幸いにも植物を避けるのに夢中でこちらまで意識がまわっていない。

 ヴラスターリはヴァシリオスのさらされた首筋に噛みつく。

 歯をあてて、皮膚を切り裂いて、血肉を――命をすする。熱くて、どくどくと脈打っている。たまらなく甘く、とろりとしている。

  大きな手が優しく背中を叩く。

「んっ、んはぁ」

 少し啜っただけで、満足感にうっとりとした顔になってしまうヴラスターリの頬にヴァシリオスの大きくて武骨な手が、そっと伸びて、撫でてくる。

「これで戦えるか?」

 髪の毛を指ら絡めて囁かれる言葉は血よりもずっと濃厚で甘い。

 と、大きく車が揺れた。ああ、せっかくいい雰囲気なのに!

「はやく植物どうにかしろぉ!」

 じれったうさぎが唾と一緒に怒鳴ってきた。

「アリオン、そろそろ動ける? 手になってほしいんだけど」

「んー……落ちないように車にへばりつけばいいんですか?」

「そんなところね」

「任せてください」

 軽口を叩ける程度には回復したアリオンがぐにょりと溶けてその形が巨大な人の手になって、包み込んでくる。

 あいた穴から顔を出したヴラスターリはその手で胴体を車に固定してもらい、血を集めて武器にする。

 撃つならば、SVLK-14S。

 祖国の技術を集めてくられた最高の銃を構える。アリオンの支えてくれているためぶれないし揺れない。

 息を吐く。

 心が鎮まる。--どれだけ戦闘で高ぶっていても、この瞬間になると一瞬に無に落ちる。

 引き金を引けば人は死ぬ。

 罪悪感なんてひとかけらもない。

 オーヴァードがバケモノだというが、こんな武器を作り続けて、それを活用している人間社会のほうがよほどにバケモノだ。

 バケモノがバケモノを殺す。それだけ。

 引き金をひく。

 飛び出す弾丸は迷うことなく、群れる植物の隙間も縫って、まっすぐに女の脳天を打ち抜いた。

 その瞬間を狙ってうさぎが加速する。

 目の前の車に追いついた。

 待機していたヴァシリオスがしなやかな獣のように飛んで窓から相手のスポーツカーに飛び乗る。その手には紅のカランビットが握られていた。

無駄のない素早い動きで後ろから運転手の首をかき切る。

 鮮血。

 車が大きく揺れる。

 脳天を撃たれた女ががくがくと震えながら動くのに、ヴァシリオスは振り返ることもなくナイフを投げて首を突き刺し、二度目の死を与えると女の体を足場にして素早く車の中に戻ってきた。たかだか一分もかからない手際のよい殺しだ。

 車は運転手を失っても走り続けるが、その先は壁だ――ぐしゃりと鉄が潰れた音とともに爆発した。

「完全に死んだわね」

「だろうな」

 淡々と言い返すのは、戦場帰りの癖だ。

 死があまりにも軽い。

 それがいいことなのか悪いことなのか。いや、きっと悪いことだ。

 ため息をつきながら震えはじめた携帯電話を見た。

 高見からだ。

『いま、どこだ? 敵は生け捕りにしようとしたら自害された』

 長い一日がようやく終わりそうなのに、ほっと溜息が出てきた。

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