白虎竜③


「卵がある」その言葉にコージョーは青ざめた。白虎竜ハ・ク・ルゥが卵を育てるのは夏前の温かい時期であったからだ。


「温泉で暖められて狂ったのか」 

 コージョーは苦い顔で呟いた。‪ ───‬白虎竜ハ・ク・ルゥは番で卵を守るはずだぞ……‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬。


「全員退避しろ! 素材も全て放棄だ!」

 ゾグルが川に向けて鋭く檄を飛ばした。しかし、すでに遅かった。


 風が吹き、ふっと日が陰る。次の瞬間、薄灰色の塊が白虎竜ハ・ク・ルゥの解体作業めがけて飛び込んで来た。

 衝撃と共に川の水が跳ね上がり、雨を降らす。水底の石は砕け飛び、周りには血肉が散乱した。

 ある者は肉が裂け腕の骨が剥き出しなり、ある者は溢れるはらわたを押さえて泣き喚く。それでもまだ楽な方であった。衝突の最も近い所では半身が潰れた者や首が明後日の方向へ向いて動けない者もいた。

 そこには地獄があった。

 強者が逃げ惑う人々を一方的になぶる。竜の爪や牙の前では人間の体は羽虫同然だ。気持ちいいほど爽快な秋晴の下で不条理あ た り現実ま えを突きつけられた。


「トンイ、まだ使える火竜砲ファルウスを探せ! コージョー、時間を稼ぐぞ!」

 ゾグルは短く指示を出すと胸元から護身用の銃を取り出して川上に向けて走り出した。‬


 硬い鱗と堅牢な筋繊維をもつ竜に対して、拳銃ではあまりにも心許ない。本来ならば挑発にすらならないはずだった。だが、白虎竜ハ・ク・ルゥの頭部を目掛けて放たれた弾丸は幸運にも黄色く濁った瞳を貫いた。

 竜は大きくのけぞると短い鼻先を地面に押しつけながら、傷のついたあたりを前足で掻き毟る。


 コージョーはその様子を見て負傷者の指揮を始めた。

「ジョウン、ホムラ、歩けねぇやつを背負って川下へ逃げろ! チータ、カッタはもうダメだ! バシン尾の方に回るな! 巻き込まれるぞ!」

 数多の竜を狩ってきた男たちが武器も持たずに逃げ出していく。野営地までそう遠くはないことだけが彼らを励ましていた。


 吹子のような鳴き声を繰り返しながら白虎竜ハ・ク・ルゥは再び立ち上がった。掻き毟った左目付近はぼろぼろに爛れ、表皮の一部が口元から垂れ下がっていた。それでも、川上に立つゾグルを見つけると、眼光鋭く睨みつけた。

 ゾグルは視線を合わせたまま、じりじりと岩陰へ下がっていく。

 肌を舐める風が吹いて、崖からぱらりと小石が落ちた。


 白虎竜ハ・ク・ルゥはぐわりと体を持ち上げ、ゾグルの隠れる岩に向かって飛びかかった。地鳴りと共に水しぶきが上がる。ゾグルは紙一重でそれを躱すと他の岩陰に身を潜める。

 手負いの白虎竜ハ・ク・ルゥは興奮した様子で翼をばたつかせながら、次々に岩陰を薙ぎ払っていく。

 ゾグルは微妙な筋肉の動きや息遣いを察知して、なんとかそれらを掻い潜る。左側の視界を奪えたのが大きかった。常に死角に回り続けることで何とか均衡を保つことが出来ていた。

 ゾグルは広角が上がるのを止められなかった。腹の底から熱いものが込み上げてきて、両肺を満たしている。生きるか死ぬかの瀬戸際で血が騒ぐのを止められない。彼は父の顔を思い出していた。幼い頃からろくに家にも帰らず、狩場こそが自分の居場所だと言わんばかりに出ていく。そんな父親が大嫌いだった。


 突然、白虎竜ハ・ク・ルゥが動きを止め耳元の羽虫が鬱陶しいといった感じで首を振って暴れ出した。


「ゾグルさん! 火竜槍ファルウスありました! 一本です!」

 河原でトンイが叫ぶ声が聞こえた。


「ゾグル! お前が打て!」

 コージョーを見ると岩の上に立ち、鏡を使って竜の目元をチラチラと照らしていた。

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