第五話――闇に在り問う鏡

 こんこん、と短杖たんじょうで机に広げた地図を叩く。ふわ、と填め込まれた輝石に光が宿ったのを確認して、タウはもう一度こん、と打ち鳴らした。

「……間違いありません。この街です」

 顔を上げ、疲れた色を滲ませつつもきっぱりとタウは宣言する。聖霊、時には神からとされる天啓という名の導きを、聖霊術と組み合わせて表して見せていた。

 この地方を描き出した地図の上、モイラと記された街の上でふわふわと蛍のように小さな光が滞空する。覗き込む赤い瞳にそれを映したアルファは、隣に立つデルタを真っ直ぐ見上げた。

「じゃ、手当たり次第に探してみようか」

 組んでいた腕を机に伸ばし、もう一枚の地図を広げてデルタは全員の顔を見回す。タウを椅子に座らせたゼータは、デルタの広げたモイラの地図を覗いて唸った。

「……つっても、遺跡もなんもねえし、神殿に訊いても何も起きてないんだよな」

 同意を求めて見下ろした先で、杖を握ったままのタウが頷いた。

「ええ、それどころか暫く他の街でも神殿への襲撃は起きていないそうです」

「無いに越したことない、んだけどねぇ」

 言葉と裏腹に顔を曇らせた少年の気持ちは全員が理解していた。何ひとつ解決したと言えない状況でのこの知らせは、嵐の前の静けさとしか考えられない。

「……もっと、何か」

 短杖を握り締め、タウが瞼を閉じる。途端にぐらりと姿勢が崩れ、

「おい!」

 慌てた声と共に伸びた腕が痩身を支えた。筋肉に覆われた腕に縋った、その手から短杖をもぎ取ってゼータは血の気の引いた頬を覆う。

「無茶すんじゃねえよ」

「でも」

 力なく寄りかかったままの呟きに、苦笑してデルタは首を振った。

「辿り着いて終わり、ってわけにもいかないだろうし倒れるのはやめてほしいなぁ」

「着いて神殿行ってこれ、ってぶっ続けだもん。疲れてるなら疲れてるって言えばいーじゃん」

 呆れた顔のアルファに睨まれて、タウはようやく頷いた。

「……ありがとうございます」

 その頭上で溜め息を吐き、頭をがりがりと掻いてゼータは屈み込む。間近で揺れた柔らかな黄緑色の髪にタウがたじろぎ、固まったことに構わずゼータはタウの脚と背中に腕を回して抱え上げた。

「っちょ、待ってください自分で」

「デルタお前窓際でいいか」

 慌ててしがみついたタウと、平然と訊いたゼータに苦笑してデルタは頷く。廊下側のベッドに下ろされ、ブーツを脱がされそうになってとうとうタウから泣きが入った。

「過保護になってないあんた」

「……んなことねえよ」

 脱いだブーツを床に下ろし、腕に締めたベルトを緩めてコートから手を抜いたタウを横目にアルファが呆れた表情を浮かべる。言われたゼータが目を逸らし、机に広げたままの地図を丸める。

「実際もう遅いし、疲れてるのはみんな一緒だけどね」

「だろ。明日動くしかねぇんだしとっとと休もうぜ」

 デルタの助け船に乗っかって、机の上を片付けたゼータは素早く踵を返した。相棒と顔を見合わせて、

「しょーがないか、じゃおやすみー」

 話を続けるのも面倒とアルファはドアに歩み寄る。隣の部屋に移動する背中へひらひらデルタが手を振り、畳んだコートを足下に置いたタウの声が送り出した。

「ふたりとも、おやすみなさい」

「お前もな」

「はーい」

 ぱたん、と客室の扉が閉まり、言い合う声が遠ざかっていく。肩の力を抜くように大きく息を吐いたデルタは腰のホルスターを外して枕の横に置き、革鎧の留め具に手を掛けた。

「やらせてる立場で言うのもなんだけど、そんな頑張んなくていいよ」

「……はは」

 予備だった真新しい眼鏡を外してベッドサイドに短杖と並べ、タウは頭を枕に乗せる。ぼやけた視界に天井を映し、そのまま傾けて隣を向いた。

「んー、水浴びられるとこって隣なんだっけ」

 取り出した拳銃を点検するデルタが、独り言のように呟いた。

「そう仰ってましたね」

「今からはちょっと面倒だなぁ……」

 明日でいいか、とベッドに倒れ込み、デルタはランプに手を伸ばす。

「しっかり休んでおいてよ」

「分かりましたって」

 軽い調子で言葉を交わし、パチンとランプが切られ。暗い部屋は静かになった。



 長く伸びた雑草を掴み、手のひら程の刃渡りのナイフが断ち切った。

「勝手にやっていいのそれ」

「許可取る先がねえんだろ」

 切られた草を地面に捨て、短くなったそれを踏みつけ道を作ってゼータは言い返した。その後ろで丈の高い雑草を鬱陶しげに押さえ、ひょこひょことアルファが前進する。続いて歩きにくそうに足を上げたタウが、恐る恐る草を踏みつけていた。

「……にしても」

 最後尾に居たデルタは、ベレー帽を押さえて視線を上げる。

 街の端にあるその洋館は、街に住むひとびとの誰に訊いても詳しい事情を知る者が見つからなかった。近寄る者も居なければ住人の気配も無い、荒れ放題の庭に囲まれ蔦の蔓延る外壁は、激しい衝撃でも加わろうものなら倒壊してもおかしくない。上を舞う鳥すら止まるのを躊躇うかのように見えて、少年騎士は目を細めた。

「いかにも幽霊屋敷、って感じだよねぇ」

 ぼそり呟いた、その言葉自体に蹴躓いたように前方で新芽色の長い髪が派手に散った。

「ゼータ!?」

 アルファを追い越し駆け寄ったタウが膝を着いた、心配そうな顔を見上げてゼータは気まずそうに顔を逸らした。転んで受け身を取った拍子に投げたナイフを片手で引き寄せ、よろよろと立ち上がる。深呼吸して屋敷を睨みつけた、その袖がつい、と引かれた。

「……何だよ」

「いえ、その」

 大丈夫ですか、と囁いた隣の神官がおずおずと伸ばした手を、気づいていながらゼータは振り払わなかった。

「あんたそんなんでだいじょぶなわけ?」

 追いついたアルファに平手で背を打たれて緑の瞳が睨み返す。発端となった発言の主はただ黙って肩を竦めていた。

 ようやく辿り着いた玄関ポーチは、全員が入って余裕があるほどの広さだった。扉の正面で目を伏せていたタウは、一息吐くと組んでいた手を解く。

「……淀んでいます。この屋敷全体が、通常の悪霊などとは比べものにならない程の力で」

「当たりだと思う?」

 尋ねたデルタに頷きだけが返る。武器を背負うベルトの金具をふたつ外し、ごとんと落ちた鞘から大剣を引き抜いたアルファが隣に目をやった。

「あんたは?」

「様子見てからだ」

 草の汁を拭ったナイフを片手に持ったまま、ゼータは大きな両開きの扉を見上げる。

「ゼータ」

「心配すんな」

 背後から呼びかけたタウに短く言って、手袋を嵌めた手がドアノブを掴み気づいた。

「……開いてる」

 カチン、とホルスターの留め具が鳴らされた。短杖を握り締めるタウを一度振り向いて、ゼータは捻ったドアノブに力を込めた。

「三、二、……そらっ!」

 勢いよく引き開けられた扉の奥に銃口を突きつけ、視線を固定したままデルタは呟く。

「どう思う?」

「…………へーき、かな」

 デルタの前に、射線から外れて低く屈んでいたアルファはそれでも構えを解かなかった。詠唱した術を維持するために黙っていたタウがこくり頷いて、扉を足で押さえたゼータが声をかける。

「入るぞ」

 それでようやく大剣を下ろし、まずアルファが室内へ足を踏み入れる。

 埃っぽい空気が充満し、がらんとした空間を形成する壁や床はところどころ黒ずみ痛んでいる。

「照らす光を」

 続いたデルタを追いかけたタウが短杖の輝石に息を吹きかけ、泡の形をした柔らかな光を生み出し漂わせる。ぼんやりと照らし出された部屋には家具らしきものも一切見当たらず、顔をしかめたアルファが玄関ホールだったらしい場所を見回して振り返った。

「誰もいないんじゃないのこんなとこ」

「ひとが入った気配みたいなのはないね」

 目を細めたデルタも同意する、その言葉を聞きながら殿のゼータが室内に踏み込んだその背後で。

 ギ、と軋む音がした。

「っ!」

 身を翻し白いコートの背中を庇った、その目の前で起きた風圧にゼータは腕で顔を覆った。ドン! と爆発音に近い音で閉まった扉を茫然と見て、はっと我に返りドアノブを掴む。

「……開かねぇ」

 がちゃがちゃと空しく音だけが響いた。舌打ちしてナイフを仕舞い、振り向く動作に合わせて右手でイヤリングを握り込む。

「普通の屋敷じゃないことは分かったね」

 大鎌を喚んだ拍子の風が収まるのを待って、デルタが屋敷の奥へ目線を投げた。と、周囲を漂っていた光の泡がぴたり、と一斉に静止し、

「ちょ、何?」

 針で突かれたように弾けた。灯りを失った目を瞬かせ、暗さに慣らす為アルファは強く瞑る。同じ動作でいち早く目を慣らしたデルタが素早く警戒したが、それ以上何か起こる気配は感じられなかった。

「おい」

 短杖を握り締めるタウの肩に手を乗せ、覗き込んだゼータはその顔色に気づいて眉根を寄せた。

「タウ、おいどうした」

「……あ」

 真っ青になったまま、タウが手を伸ばす。その手を握られ握り返して、俯いた。

「すみ、ません。その、術が切れて」

「勝手に消えたんだな?」

 訊き返されて頷いた、その様にデルタがちらりと目を向ける。

「……ふたりとも」

 あれ、と銃を向けた先へ顎をしゃくり、応じて見たゼータは知らずなんだあれ、と呟いた。

 奥の吹き抜けには二階への階段が設えてある。そこに、光の泡と対極の印象を与える冷たく鮮やかな炎が灯っていた。オレンジの中に何処か金属質な光沢を帯びた、作り物めいて揺らめく灯火は先程までは存在していなかったものだった。

 灯火は全員の視線を集めると、くるりくるりと回ってふたつに分かれた。手すりの上で踊った、そのステップの最中にぽつぽつと増えて手すりを登っていく。

「来い、ってことなの」

 やがて出来上がった炎の列は、道標となって見えた。その正面に立った少女騎士が呟けば、答えるように一際大きく揺れ動いた。

「……用心してください」

 支える護衛官へ縋る手に力を込め、眼鏡の神官はふたりの騎士に歩み寄る。蒼白の顔を嘲笑う灯火が照らし出した。

「僕とゼータが追っていたものと、とても気配が似ているんです」

 信じがたい、と語る瞳でタウは告げる。

「覚悟してください。とんでもないモノが待ち受けていることを」



 デルタの持つ小さなカンテラが足下を照らす。未だ両脇で揺れる灯火の形の何かを横目に、アルファは隣を歩く相棒に声をかけた。

「おかしーよね?」

「そうだね」

 応えて、デルタは首を後ろへ捻った。目が合ったタウは両手に短杖を握り締めたままこくり、と頷く。

「正直、入ったときから淀んでいてそちらの感覚は当てにならないんですが。それでも物理的に判断出来ます」

「……なぁ」

 最後尾で来た道を見ていたゼータも怪訝な顔で三人を見た。言いたいことは分かっていて、アルファも頷き返す。

「うん。廊下長すぎ」

「だよな」

 外観から考えれば突き当たっていて当然の距離を、四人は既に通り過ぎていた。来た道も行く先も暗く閉ざされ、唯一の違いは灯火があるかどうか。戻って無事な保証が無い以上、とにかく前進するしかなかった。

「ちょっと休む?」

 デルタに訊かれ、しかしタウは力ない微笑みのまま首を横に振った。

「いえ、大丈夫です」

「いざとなったら俺が担ぐ」

 ぞんざいに言い放たれた言葉と裏腹に優しく手が背中を撫でて、そのまま緩く押し支える。少しだけ体重を預けたタウがまた進み始めれば、デルタも肩を竦めて前を向いた。と、

「やっとかぁ」

 先行していたアルファに追いつけば、ようやく見えた行き止まりの扉を大剣の切っ先がつついていた。

 確かに実体があることを確かめて、少女騎士は大剣を正眼に構える。

「――せやッ!」

 気合い一閃一刀両断された扉を内側へ蹴り飛ばし、その破片が落ちた音が響く部屋へ転がり込む。

 部屋の中は明るかった。廊下と比べれば、ではあったが。雪崩れ込んで構えた、張り詰めた緊張を保ったままデルタは正面に見える影に照準を合わせた。

「……鏡、かな?」

 十人ほどが集まれる神殿の会議室よりもひと回りほど大きな部屋の、壁に四つの人影が映っていた。それが自分たちと全く同じ姿であることを捉えて、タウは預かっていたカンテラを高く掲げた。

「扉とかはなさそうだな」

「これぶち破ればいいんじゃないの」

 返ってきた発言をじと目で睨み下ろしたゼータに、冗談に決まってんでしょと噛みついたやりとりの後方で、

「何か気づいた?」

 訊かれたタウはくるりと背後を振り返った。扉型の穴が開いた壁から見つめ返す自分と向かい合って、唸る。四方の壁のどれを見ても映る光景に抱いた違和感を探り、近づいて覗き込んで。

「……っ、ゼータ!」

 は、と息を呑み咄嗟に呼んだのは最も信頼する名だった。壁に背を向け、驚いた顔のゼータに向かい叫ぶ。

「これは鏡じゃ」

 その言葉は不自然に途切れた。背後から肩を掴まれ引き摺られ、手からカンテラが滑り落ちる。

「タウっ!」

 床を靴底で打ち、叫び伸ばされた手は空を切った。容易く神官を飲み込んだ壁は、しかし突如硝子を張ったように護衛官を拒む。

 驚愕すら追いつかず凍り付いたタウの後ろ、同じ姿の筈のソレは歪んだ顔でゼータを嘲笑った。その手が振られたことを合図に壁は黒く幕引いたように閉ざされる。

 一瞬の出来事が残したのは、床に転がる火の消えたカンテラだけだった。

「……タウ……?」

 すとん、とゼータが崩れ落ちた。夢の最中のように壁を見つめたままの彼女が取り落とした得物を拾い上げ、デルタは隣に立つ相棒を見下ろす。

「……やってみて」

「うん」

 大剣を弓引く動きで引き絞り、床を蹴って勢いよく突き出す。アルファが容赦なく行った筈のその一撃は、黒く染まった壁に傷ひとつ付けることなく止められた。

「ゼータ」

 デルタの一度目の呼びかけに応えなかった肩は、再度繰り返されてようやく震えた。

「タウが気づいたこと、分かる?」

 手渡された大鎌の柄を握り、緩慢な動作で立ち上がったゼータは届かなかった手のひらに視線を落とした。

「いや……」

 頭を振り、未だ姿を映し返す横の壁に目をやって呟く。

「……鏡じゃ、ない?」

「え」

 つられて横を向いたデルタが、気がついて目を見開いた。

「そっか、合わせ鏡なのに映ってない」

 目の前に並び立つもうひとりの自分たちの背後は薄暗く、鏡ならば映るはずの背後の壁は存在していなかった。

「なら、あの中に入れれば」

 ふら、と踏み出したゼータの腕をデルタが慌てて掴む。

「ってそんな単純な」

「でもあいつがいねぇんだよ!」

 髪を振り乱したゼータの絶叫に少年は怯んだ。腕を振り払い足を踏み出したその行く手を、塞いだのは小柄な騎士だった。

「ねー、ゼータ」

「……何だよ」

 じっと見つめる真っ赤な瞳は、その強さのまま問いかける。

「あんたはさ、タウのために必死になれんの」

「当然だろうが」

 即答したゼータの苛立たしげな様子に怯むことも、いつものように激昂することもなかった。

「うちだって必死なの。だって姫さま助けたいもん、だから」

 その実直さ故にはっきりと分かる根底が、

「タウもあんたも必要なんだから、何とかなってくんなきゃ困るの」

「……は」

 懸命に追い続ける心が、ゼータの動揺に衝突した。自然と上がった口角が、吐き捨てる強さで台詞を押し出す。

「随分勝手な言い草じゃねえか、お前らだって同じ状況だろうが」

「うちらは何とかするもん」

 えへんと胸を張ったその後ろで、デルタが苦笑したのにはふたりとも気づかない。

「お前らでどうにか出来ることが俺やあいつに出来ねぇことあるかよ」

「それどーいう意味」

 膨らんだ頬を笑って、ゼータはアルファの横を通り過ぎた。壁の向こうの自分と顔を突き合わせた、その背中にかかる声。

「……タウも大丈夫だと思ってるんだ」

「あいつは、……何だかんだ頼りになるんだよ」

 言い残して、ゼータは手を差し入れた。躊躇いなく突き進む姿を飲み込み、真っ黒で不透明な壁へと変じるのを見届けて。

「ならゼータ、キミの方が」

 目を細めたデルタへ、アルファは相棒の普段の仕草を真似て大袈裟に肩を竦めた。

「いよいよゼータにちょっかい出せないじゃん」

「元々タウに睨まれるから出来ないんだって」

 それより、とデルタは火の消えたランタンを拾い上げ、そのまましまい込む。

「こういうトンデモ現象はオレらの手に負える類いの話じゃないと思うんだけど」

「…………んー」

 売り言葉に買い言葉であったことは自覚があるのだろう。目を逸らしたアルファの頭を軽く小突いてデルタは踵を返した。

「ま、どっちにしろやってみなきゃならないみたいだし」

 確かにあった筈の出口は、壁に変じた際にか消失していた。入ってきた穴のあった辺りを一瞥し、少年騎士は自分の似姿の前へ立つ。

「それじゃあまた後で」

 気安い挨拶だけ残して、あっさりと向こう側へ足を踏み入れ消えていく。

 ひとり立つアルファは、深く吐いて呼吸を調えた。映った姿を睨みつけ、桃色の髪を弾ませて一息に飛び込む。

 そうして誰もいなくなった部屋は、黒く溶けて掻き消えた。



 上も無ければ下も無く、前や後ろも定かではない。色も何もない空間を、何故か通常通りに歩きながらアルファは声を張り上げた。

「おーい」

 響いた声はどこにも届かず跳ね返りもせず吸い込まれた。進んでいる実感に乏しく、時間の感覚を掴みかねて首を傾げる。

「んー……」

 もはや惰性のように運ぶ足は暗い背景にくっきりと輪郭を持っていた。周囲の黒さと反発する色彩に、自分の手を薄気味悪そうに見ていたアルファがふと顔を上げた。

「なに、あんた」

 目の前に立っていたのは自分と同じ形をした、自分より褪せた色をしたモノだった。焦げ付いた色の眼を三日月の形に歪めて、ソレは金属の塊を振り上げる。

「ナニ、って。わかんないの?」

 開いていた筈の距離を一足で詰め、小さな体躯が弾丸のように突っ込んだ。ぎりぎりで受け止めたアルファの眼前で同じ顔が笑う。

「うちは『アルファ』。あんたそのもの」

 押し返し振り回す大剣の旋風を、掠める事も無くソレは跳び躱す。床無き床に着地する姿を睨む顔は当然のことながら、混乱の色が濃く表れていた。

「うちの偽物ってことなの」

「……ニセモノ」

 くす、とソレが嘲笑った。重たい得物をわざと鏡合わせに構えて、一拍速く駆けた刃先に押されアルファがたたらを踏む。

「ニセモノなのは、イラナイのはあんたなんじゃないの」

「は?」

 すぐさま翻り切り返す刃を、剣の腹に腕を添え頭上で受けたソレから表情が抜け落ちた。

「だって、うちは姫さまを不安にさせやしないもん」



 硝煙の匂いを漂わせ、デルタは発言の主を睨み据えた。親指で撃鉄を起こし再び狙いを定めた、向いた銃口に臆する様子はソレの顔に無い。

「図星の自覚あったにしても、行動が短絡的じゃない?」

「煩いよ」

 吐き捨て、見慣れた少年の顔をデルタは笑った。

「いくらオレの顔でも、そんな態度じゃ女の子に嫌われちゃうね」

 侮蔑の滲む冷たい表情で、ソレは二丁の拳銃をホルスターから引き抜く。

「……ソンナノ、本当に必要?」

 両の親指が動いた、その動きを把握した頃には二本の腕が跳ね上がっていた。二発の銃弾は一瞬前まで体があった場所を駆け抜け、横に飛び退き膝を着いたままデルタは握っていた右手の銃の引き金を引いた。

「当然。いつだって格好良くいなくちゃ」

「でも」

 掠れた茶色の髪を掠めた銃弾を気にする素振りはソレに無く、両手を広げる。

「肝心要の相手にさあ、無様な姿晒してるでしょ」

 たん、と再び銃声が響く。首を傾けたまま、ソレは口元を歪めた。

「意義も誰も守れない、キミはナンデそこにイルの?」



「げ、ほっ……、っは」

 取り落としかけた短杖を握り締め、再び言葉を紡ぐ。先端の輝石に宿った光を束ね、長く伸びたものを刀身としてタウは左手で構え直した。乱れた呼吸を無理やりねじ伏せ、落ちかけた眼鏡を押さえ込む。

 その様を哀れんでソレは見ていた。黒ずんだ短杖を柄とした鈍色の刃からは、ぽたりぽたりと液体が垂れる。

「アナタなんていなければ」

 一歩、二歩と歩く、その動作に合わせ緩やかに腕が持ち上がる。赤黒い染みの広がる脇腹を右手で押さえ、ふらつく脚を叱咤しタウは歯を食い縛る。

「アナタなんていなければ、彼女は巻き込まれなかった。アナタが背負わせた」

「……っ、僕、は」

 横薙ぎに振るった短杖の、術によって紡ぎ出された刃はしかし空を切る。再び咳き込んだタウの肩に鈍色の切っ先が食い込んで、

「アナタが彼女を不幸にする。アナタなんていなければ」

 とうとう崩れ膝を着いた、前髪落ちる視界に突き立つ二本の脚。

「ボクなんていなければよかったのに」



 転がった体を足蹴にして、汚れた外套を踏みつけソレは鼻で笑った。

「役立たず」

 濁った黄緑の髪を掻き上げ、片手で無造作に刃先を振り下ろす。貫き縫い止められた手のひらがぴくりと動き、苦痛を堪える呻きが洩れた。

「ヨワイ、なあ。笑っちまうぜ」

 ずっ、と大鎌の刃先が退けられ、血の染みた手袋をブーツが踏みつける。その足首を握った手を蹴って払い、得物を肩に担いでソレは嘲笑を浮かべた。

「兄貴みたいに、先生みたいに強けりゃさぞ安心だろうにな」

「……う、ぁ」

 蹴り払われた手が、傍らに落ちた大鎌を探し這いずった。ソレは足下の柄を踏みつけ、風が霧散し力なく転がったアクセサリーを興味なさげに見下ろす。

「届かねぇよ。お前がどうしたって、お前のその手はトドカナイ」

 ソレが長い柄をくるりと回し、カッ、とゼータの首の真横へと曲刃を突きつける。

「だからもう」


「アキラメロ」


 それぞれに突きつけられた、歪んだ救済の言葉。どうしようもない後悔を終わらせる手段を示して、暗闇の中でソレは嘲笑う。

 けれど。

「……ふざ、けんな」

 吐き出して、ゼータは猛然と身を起こした。

「ハァ?」

 首を断ち切り損ねて固まるソレに体ごとぶつかって、崩れる体勢そのままに傍らへ手を伸ばし掴む。

「それ、でも」

 苦痛が滲む声色で、それでも立ち上がってイヤリングを握り締めた。

「俺は、……俺が」

 親指が弾き上げた輝石は清冽な風を喚び、鮮やかな新芽色の髪を靡かせる。両手に大鎌の柄を持って、ゼータは真っ直ぐに相手を睨みつけた。

「タウの隣で、守ってやりたいんだ」



「……いいえ」

 呟いた、その言葉をソレが捉えると同時に刃であった光が弾けた。至近距離から貫かれたソレが、苦痛の声を吐いて転がる。

 血で汚れた痩躯に柔らかな光を纏って、立ち上がったタウは曇りかけた意識を首を振って払った。

「それでも彼女は僕を厭わないで、手を伸ばすんですよ」

 悪態を吐いたソレを見下ろすタウの傷がゆっくりと癒えていく。それを阻まんと振るわれた力ない切っ先を打ち払って、瞳を輝かせ笑った。

「ゼータが諦めていないのに、僕が勝手に終わらせたくはないんです」

「……バカバカ、しい。自分の都合よく、他人を信じて」

 顔を歪め、言葉の内容を唾棄してそれはぐらんと立ち上がる。穿たれた傷はぽっかり穴が空いて、くたびれた人形に似ていた。

「分からないなら、とても寂しいことでしょう」

 ふと陰った表情に、哀れみの色が塗り重ねられる。

「これほど信じられると思える気持ちを知らない、だなんて」

 それが引き金であったかのように、ソレは足を踏み切った。

「……ダマ、レァアァッ!」



 乱射された銃弾はてんでんばらばらの方向に飛んでいった。駆ける脚を止めぬままデルタは額から流れる血を拭い、なおも自分を狙い続ける銃口を見て、笑った。

「所詮、紛い物ってことだね」

 引き金にかけた指に力を込めたソレが、沈黙したままの拳銃に凍り付く。精巧な模写故に実物と同様に弾切れを起こしたリボルバーを逆上し投げ捨てる、その様に呆れて立ち止まった。

「自分の手の内くらい把握しとかなきゃ。無闇矢鱈でどうにかなるほど甘くないよ」

 親指が撃鉄を弾き、銃声が響いた。膝を打ち抜かれて転げたソレから目を離さずに、デルタは装填した弾を撃ち尽くした右手の銃を下げる。

「エラソウ、に」

「とんでもない」

 だらりと垂れていた、指先からぽたり液体を落としていた左腕を右手で庇って言葉を返した、その表情は余裕を感じさせた。

「それがオレの立ち位置さ。何しろ大砲並みの破壊力を任されてるもんでね」

 そう、デルタが一歩踏み出した、それを目の端で捉えたソレがにぃと笑う。懐から取り出した火薬の束は導火線に火を付けられ後は足下へ滑らすだけ。

 確信の元はっきり映した標的は、左のホルスターから引き抜いた銃を右手に握っていた。



「知らない」

 大剣を打ち付けた床が、空間が震えた。交錯の末に負った傷は数知れず、けれども両の脚でしっかと踏みしめ武器を掲げる。

「うち、もう決めたの。姫さま助けるって」

 その正面に立つ小さな体もまた同じく傷だらけで、剣先を引き摺っている。焦げ付いた目を烈火の色が睨み返して、小さく息を吐き横薙ぎに剣を振り回す。それを大剣の腹で受け止め、そのまま吹き飛ばされて転がったソレはぞろり不気味な動きで身を起こした。

「アンタなんかに、なにがデキルって」

「うるさい」

 無造作に叩き潰す大上段の大振りを、流しきれずにソレが握る刃は叩き折られた。愕然とした顔から発せられたナンデ、というノイズを、飛び散る欠片を踏みつけて。

「あんたが何言ったって、知ってたって関係ない。行かなくちゃいけないんだから」

 言葉をも叩きつけて、

「だから、――退いてッ!」

 躊躇いなく、アルファは大剣を振り切った。



 ソレは、何の形跡も残さずに消えた。何も無くなった空間を踏み越えて、留まる事無く歩き出す。

今更ながらに自覚した傷の痛みに顔をしかめながら、てくてくとアルファは暗闇の中を進んでいた。

「ねー、だーれかーぁ」

 何度目かの呼びかけは同じように虚空に消え、思わず溜め息を吐いたその耳に、

「……おーい」

 ようやく聞き馴染みのある声が届いた。真っ先に合流を果たした相棒の、頭に荒く巻かれた包帯を見咎めて少女は目を丸める。

「うっわ、やられてんじゃん」

「お互い様じゃない?」

 ずり下がる包帯を押し上げて、デルタは少女の全身を見渡した。大きく目立つものこそ無いものの、刃物が掠めた傷は無い所を探す方が難しい。と、視界の端に映った物にデルタは首を動かした。

「アルファさんと、デルタさんも」

「タウ、無事……ではなかったみたいだけど」

 小走りで近寄って来たタウは、コートに残った染みを押さえて苦笑した。眼鏡の奥で視線が動き、表情が陰ったことに気づいてデルタは肩を竦める。

「ま、すぐ来るでしょ」

「……そうですね」

 左手に持ったままであった短杖を目の前に翳し、タウは素早く二言三言紡いだ。柔らかな光がふたりの騎士の体を包み、それが霧散したあとの温もりが体温に馴染んでからデルタは左手の包帯を外す。

「うん、ありがと」

「アルファさんはどうですか?」

 訊かれ、ぱたぱたと体中を叩いていたアルファは頷き。

「あ」

 タウの背後で視線を止めた。つられるように振り向いて、目が合ってタウは顔を綻ばせる。

「ゼータ」

 駆けてきた脚を緩めて、呼んだ相手の前で止まる。そうしてゼータは少しだけ上がった息を調えて手を伸ばした。

 その手を取って、タウは祈った。伝わる温もりは痛みを払って、繋がる手に力が籠もる。傷を癒やす術が役目を終え、見合わせた顔に柔らかな笑みを浮かべたゼータの耳でイヤリングが揺れた。

「ごめんな」

「いいえ」

 その笑顔を眩しそうに見つめたタウの、喜色の溢れた声にかぶせてわざとらしい咳払いがひとつ。

「あんたらほんとさー」

「……っ」

 じと目のアルファが見上げた先で、タウの手を振り払ったゼータがそっぽを向いた。

「悪いけどまだ全然片付いてないからね」

「分かってますよ」

 すみません、と言いつつもくすくす笑いながらのタウには言うだけ無駄だろうと、デルタも矛先を変えた。

「終わったら勝手にしてもらって構わないから、もうちょっとだけ頼むよ」

「終わってもなんもねぇよ」

 よほどいたたまれないのか護衛官が背を向ければ、汚れた外套越しにアルファが一発拳を入れる。

「あんたが一番最後だったんだってば」

 次いでぐい、と裾を強く引かれ、振り向いたゼータはアルファの指す先を見た。

 何も無かった筈の空間に敷かれた、灯火の照らし出す道。手を離して大剣を持ち、アルファは真っ先に踏み出した。

「……待ってて、今行くからね」



 その言葉を鼻で笑い飛ばし、虚空に腰掛けていた彼女は立ち上がる。

 侍らせた灯火の光が、ばさりと払った髪を鈍く光らせた。銀から青く、深い色に染め上がるそれを指先で弄び、銀の杖を携えて。

 彼女は、待っていた。


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