#1-5


 「俺に、この無礼なガキを買えだと?」


 予想外の提案を受けたバルディエスは呆気に取られている。少女の檻を背にチャンスとばかりに商人は「ええ、ええ」と続ける。


 「この娘は奴隷の中でも目玉にするつもりで運んでおったのです。よいですか、バルディエス様、子どもの奴隷は高く売れるのです。しかもおなごでございます」


 「だから何だと言うのだ」


 「大変失礼を申し上げますがバルディエス様、生娘のご経験はお有りでしょうか?生娘は若ければ若いほど、殿方に強い快楽をもたらすのでございます。ですからですね、子どもの生娘は非常に高価に取引がされるのであります」


 「…そうなのか」


 「ですからバルディエス様、この奴隷を私から買われ、ご自分でその味を確かめてみてはいかがでしょうか。荒々しい飼い猫を慣らすのも、きっと一興でございましょう。決して損はさせませんぞ」


  じっと少女の顔を見つめてくるバルディエスの頬に一筋汗が流れて、喉が大きくなった。少女はまっすぐ、その真ん丸な目でバルディエスを見つめ返し、「私、処女よ…たぶん」と静かな声で言った。


 「馬鹿者!黙っていろ!」


 振り返った商人は小声で少女に言った。


 「誰が馬鹿よ…」


 少女は俯いてぽつりと呟くと、急に静かになってしまった。


 「おい商人」


 バルディエスはそれまで抜いていた剣を鞘に納めると何処か彼方を見ながら商人に声をかけた。


 「はい、バルディエス様」


 「いくらだ」


 バルディエスは随分とばつが悪そうである。


 「いくらだ!早く申せ!」


 急に声を荒げたバルディエスに驚いた奴隷商人は手早く檻越しに少女の手枷に縄を通してぐっと引っ張った。俯いていた少女だったが、強く引き寄せられてバルディエスを見上げるように顔を上げる。


 「そうでございますね、銀貨2枚ではどうでしょう?大変お値打ち品だと思われますが?」


 「銀貨2枚か…」


 バルディエスは顎に手を当てながら少女の顔を見ていた。少女は自分が値踏みされているのだと理解すると同時に、新しい疑問が湧いてくる。


 「ねえ、銀貨2枚って高いの?安いの?」


 商人に疑問をぶつけるが、それどころではないと一蹴されまともに取り合ってもらえない。


 「ねえ、あなたはどう思うの?私に銀貨2枚は妥当だと思う?」


 今度はバルディエスに問う。するとバルディエスは顎に当てていた右手をグッと結んで奴隷商人に言った。


 「こんな不躾な娘が銀貨2枚もするわけがないだろ!貴様!俺をペテンにかけるつもりか!」


 どうやら自分の価値は銀貨2枚もないようである。では適正価格はいくらなのか、銀貨1枚にどのくらいの価値があるのか、少女の中の疑問は尽きない。


 「とんでもございませんバルディエス様!普通奴隷は銀貨20枚が相場でございます!しかもこの者は生娘ですぞ!銀貨2枚は破格のお値段ではございませんでしょうか!」


 少女は周りを見渡し、この薄汚れた奴隷たちは銀貨20枚で取引されるのだと知った。すると、先ほどの銀貨2枚はずいぶんと安いのではないか。


 「あなた!私をそんな値段で買えるのであればやはり買うべきよ!市場相場の1/10で買い物をしないのはどう考えても損だわ!」


 バルディエスに進言した少女だったが、バルディエスにはその少女の口調がどうしても癪に障る。商人も必死になって「少し黙っていてくれ!」と少女の口を塞ごうとした。尚も少女は続ける。


 「あなたが買わなくても、私はこの後市場で売られて、あなたの10倍の値段で買われるのよ?だったらここであなたが買って、市場で10倍の値段で売ればいいじゃない。あなたにとって損はないはずよ」


 「やめてくれ!殺されちまう!」と泣き出す奴隷商人の後ろでひとつ、コホンと咳が聞こえた。奴隷商人がぐしゃぐしゃの顔で振り返るとバルディエスは離れて様子を見守っていた従者を呼びつけ、その小袋から銀貨を2枚取り出させた。


 「いいだろう。この奴隷を、このバルディエス・デールが買い取ろう」


 従者が銀貨を商人に手渡すと、商人は腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。静まり返っていた広場に、少女が檻から出される音だけが響く。


 「で、ではバルディエス様、確かにお品物は御収め致しましたので、私共はこれにて失礼を」


 檻から出た少女の手枷に細く長い鎖が巻かれ、その先端はバルディエスが握っている。そのジャラジャラとした金属の音は、それまでの静寂の中で、ことの成り行きを見守っていた者たちにはどこか心地のいい音に聞こえた。


 「でも、あなたも王都に向かうのでしょう?」


 少女が尋ねると奴隷商人は精いっぱいの愛想笑いを浮かべてバルディエスに言った。


 「いえ、思いのほか長居してしまいましたのでまた機会に致します。早く向かわないと品物が腐っちまいますんで」


 「あら、でもさっきは積み荷は反物と麦だって―」


 「いや、それでは御名残り惜しいですがこれにて。この度はお買い上げいただき誠にありがとうございました」


 少女の言葉を遮るように商人は急いで支度を済ませ、広場を後にする。バルディエスの隣で見送った少女が広場に隣接する民家に目をやると、どこも少しだけ窓が開いていて、その隙間からいくつもの目がこちらを覗いていた。もしかすると自分が殺されるのを待っていたのかもしれない。しかし少女はその命を繋いだ。


 「では奴隷、行くぞ」


 3人の従者がバルディエスを取り囲むように集まると、一人が出発の笛を鳴らした。ゆっくりと歩きだす馬と一緒に少女も歩き出したが、手枷に付いた鎖を強く引かれて転んでしまう。石畳の上に麻布一枚の少女が倒れると、あちこちから血が滲んでいくのがわかった。しかし、尚もぐいぐいと鎖を引かれて少女は引きずられていく。


 「ほらどうした、早く立て」


 急いで体を起こそうにもバランスがうまく取れず立ち上がれない。なんとか手枷のついた両手を支えにして起き上がると、バルディエスは満足そうに笑みを浮かべて言った。


 「おい奴隷、お前はただ歩くこともままならぬのか?早く歩かぬとお前より身分が上の俺の馬が腹を立ててしまうではないか」


 地面の熱が焼け付くように肌に伝わって、足の裏に小石が刺さったような気もする。あまり経験したことがない痛みだったが、顔に出すのは癪だと思った。そのほかに今わかることと言えば、この満足げに笑う嫌な男、彼に付き従わなければ彼女に明日はないということだ。彼女は顔もわからない頭の中の教授に語りかけた。




 ―なるほど。つまり私は、こうして奴隷になったわけですね。




第2話へつづく。


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