第2話 「ง่อย《ンガーイ》、つまり奴隷の暮らしは大変なんですね」

#2-1


 頂点に昇っていた太陽が傾くのを見て、方角がわかるのではないかと少女は思った。と同時に、この世界が球体なのかが気になる。


 ―もしかすると本当に世界を象が支えているかもしれないわよ。フフフッ。


 少女は想像して少し笑った。 


 もう何時間も歩いている。急に異世界で奴隷の少女になり、そのまま勢いで売られてしまった広場を王子バルディエスらと抜けてしばらく歩いていると、目の前に広がったのは広大な砂漠だった。聞けば、この砂漠を超えた先に王都があるのだという。自分を動物のように引く主人バルディエスに「砂漠を越えるなら馬よりラクダのほうがいいのでは?」と言ったが、少女の進言は無視されることとなった。そもそもラクダがいるのか、疑問である。


 途中一度だけオアシスと呼べるような小さな水場に寄った。鎖は自生していた木に括りつけられ逃げることはできなかったが、少女は大きめの葉を何枚か集めて簡易的にサンダルを作ったおかげで、その後の旅路が幾分か楽になった。そして、奴隷商人のキャラバンにいたほうが砂漠越えはより楽だったのだろうなと思った。


 ―それも生きていればの話だろうけど。


 酷使した膝を何度か軽く叩いてから立ち上がる。少女の体というものに慣れていないため、どのくらいで限界が来るのかはわからなかったが、限界だといったところで砂漠の真ん中に捨てられるか、そのまま引きずられるだけなのだから、少女には歩くしかなかった。


 「あとどのくらいなの?」


 少女が問いかけても額に汗が滲んでいたバルディエスは答えない。


 「やっぱり砂漠は馬よりラクダのほうがよかったんじゃないかしら。馬は一本でも足を怪我すると他の足に負担がかかって死ぬこともあるのよ」


 時折顔の表情を強張らせていることから聞こえていないわけではないだろう。少女は構わず頭上のバルディエスに向かって話しかける。


 「ラクダはいる?背中にこぶがある偶蹄目*よ。背中のこぶには脂肪が入っているから砂漠の旅には役に立つの」


*偶蹄目…哺乳類の分類の一種。指の蹄の数が偶数。ラクダのほかウシ、キリン、カバなど。


 たまに砂に足を取られながらも少女は歩いた。歩きながら話しているとそれだけ体力を消費してしまうことはわかっているのだが、こうして考えごとをしていると足の痛みがごまかせて、彼女にはより楽だったのだ。


 「それにしても綺麗な白馬ね。知ってる?白馬には優性白毛とサビノ白毛、二つの種類がいるのよ。持っている遺伝子が違うの」

 「あーもう、うっるさい!」


 バルディエスが大声を上げると、それに驚いた馬が止まった。そして少女も止まる。汗でじっどりと湿った手で鎖を引っ張ると彼女の両腕が上がった。突然の怒号に少女はぽかんとした顔でバルディエスを見ていた。それまで、どんな話をしても無視され続けたのに、どうして白馬の話をしたらバルディエスが怒り出したのかさっぱりわからなかったからだ。もしかすると、自馬よりもラクダが優れているように聞こえて腹を立てたのだろうか。だとすると謝らなければいけないのは、この白馬か。それもおかしな話だと思った。


 「いいか、貴様は奴隷だ!奴隷は主人の命があるまで口を開くな!聞かれたことにだけ答えろ!いいか!」


 バルディエスの声を聞いて従者たちもその場で馬に足踏みをさせて止まっている。どうやら奴隷は自ら進んで口を開いてはいけない決まりがあるらしい。まぁ少女は、奴隷というものはそういうものだと薄々気が付いてはいたのだが。


 「では、聞かれたことに答えられなかったら?それはそれであなたの命に背くことにならない?」


 少女が答えると、苛立ちを抑えられないバルディエスは少女の頭を蹴った。体の軽い少女はそれだけで飛んでいきそうだったが、バルディエスの持つ鎖が邪魔する。


 「妙な理屈をこねるな!黙って歩け!それだけだ!」


 バルディエスの大きな声が砂漠の砂に吸われていく。


 「殿下、急がねば日が暮れます」


 従者の一人が歩み寄り声をかけると「わかっている!俺に指図をするな!」と言って睨みつけた。従者は「失礼いたしました」と言ってまたバルディエスの後ろへと馬で戻る。


 一同は再び歩みを進めた。少女は蹴られた頭を押さえながらバルディエスの隣を静かに歩く。が、しばらくするとまた少女の口が開く。うっとしいバルディエスは「あー」っと声を出し彼女の声を聞かないようにしていたが、彼女にとってはバルディエスが聞いていようがいまいが、さほど関係なかった。頭を使うという彼女本来の習性を止めることができないだけだった。




 「だいぶ来たな」と呟くバルディエスは従者を呼びつけて筒に入った水を飲んだ。陽がだいぶ傾いていて、もうじきこの砂漠の気温も下がり始めるだろう。その前には王都に着かなければならない。


 「あなた、バルディエス・デールという名前なのよね。どちらが姓なの?」

 「姓?なんだそりゃあ」


 水を飲んで少しだけ気分が落ち着いたバルディエスは少女の方を向く。


 「ファミリーネームよ。一族が持つ名前はどちらなの?」

 「ファミリーネーム?わけのわからんことを。どちらも俺の名だ。それと奴隷の分際で気安く俺の名を呼ぶな」


  つまり彼には姓がない。


  ー日本の皇族と同じ仕組みをとっているのかしら。それともチベットみたいに全員が姓を持たないのか。


 彼は身なりもよく、貧民でも先ほどの奴隷商人でもないことは見ればわかる。しかし、本当にそれだけなのか。


 「ではどうやって王家の一族であることを証明するの?」

 「そんなもの、見ればわかるだろう。俺は王子だ」


 そう言って彼は上衣を捲し上げて自身の腹を晒すと、その左わき腹にはだいだいに近い色をした模様があった。刺青だろうか、菱形を三つ重ねたようなその模様がどうやら王家の紋章のようだった。


 「わかったら、その無礼な態度を少しは改めろ、いいな」


 行くぞ、と一堂に声をかけて歩き出す。しばらく考えていた少女も鎖に引かれて強引に歩き出した。歩き出すと同時に口も動く。


 「あなたが私を買ったのは、私の処女に興味があったからよね?それはこの土地に一般的にある処女信仰なのかしら、それともあなたのフェティシズム?」

 「黙って歩け!」


 少女の口はそれから1時間ほど、王都の門をくぐるまで止まらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る