25.戒め(※マクシミリアン視点)
あの時、リタを抱きしめられたらどれほど良かっただろうか。
そんなことをしてしまえば、もう二度と元に戻れないのはわかっている。
きっと離せなくなっていただろう。だから自制をかけていた。
彼女は悲痛な顔で下を向いていた。私はなんとか励ましたかったが、手に触れることがやっとだった。
情けないことに、彼女に拒まれるのを恐れてしまったせいでそうすることも今までのようにはできなかった。彼女の目を、彼女の手の動きを、気にしてしまう。
祈りのような魔法を使う彼女は、血を浴びる私を見て負の感情を抱いてしまったのではないかと、不安になってしまったのだ。
ただ、目を開けてすぐに視界に飛び込んできた彼女は、今までよりも柔らかな表情で私を見ていた。
ああ、やはり情けない。
彼女を励ましたいのに、そんな表情を見せられると私の方が励まされてしまう。
◇
王城の心臓部。
隠された場所に、私たちは集まった。
初めて彼女が現れたあの日と同じ顔触れが集まって息を殺して見守っている。
ただ1つ違うのは、あの日は並んで見守っていたゾマーは、今は拘束された状態で彼女の前に置かれている。目と口を塞がれた状態で。
実に忌々しい。
普通であれば許されない。たとえティメアウス以外の国であったとしても。
記憶を消して全てなかったするなど、どうしてできようか。
ただ、リタがゾマーを許しているかといえば、否だ。その証拠に、彼女はいつもと違う様子だった。怒りと絶望に満ちていた。その姿をずっと目で追いかけてしまう。
淡い空色の装束を着た彼女。
フードの下から覗く月のような色の瞳は冷たく光っていた。
あの礼装で現れる彼女は幻想的で、人間であることを忘れてしまう。
やがて彼女は口を開いた。
ゾマーに向かい合い、見下ろして唱え始める。
「大いなる力よ、あなたの意思に反することをお許しください。我が身はあなたの代わり、我が力はあなたの指先、全ては結ぶ使命を遂げるため。祝福により与えられた力をもって繋がりを断ち切る罪を犯します」
口にするのは、呪文と言うよりも懺悔の言葉に近しい。
人の記憶を消す魔法が使えるのは、世界中を探してみても
高度な魔法だ。彼らだけしか使えなくて良かった。そんな魔法を簡単に使われてしまったら、世界はめちゃくちゃになってしまう。
彼らはその魔法を使うことを嫌う。それは彼ら
しかし、彼らは時としてそれに手を染めなければならない。
リタは初めてここに来た日にこの魔法について聞かせてくれた。使いたくないとも言っていた。
その意思に反して使わせてしまった。もっと監視をしていれば防げたかもしれない。彼女にこんな顔をさせなくてすんでいたかもしれないのだ。
彼女の詠唱に応えるように、地面に不思議な文様が現れてゾマーを囲む。するとゾマーから無数の糸が現れ空へと伸びてゆく。息を飲んで見守っていると文様から光りが現れてゾマーに伸びていった。
リタは魔法がゾマーを包む様子を見つめている。
苦悩に歪む顔で。
その表情もまた美しい。
ただ、前に彼女から翳りを見出した時とは違って彼女を遠くに感じてしまい寂しさが募った。
似ているのだ。
彼女の姿を見ていると、初めて人を斬った日に、初めて指揮をとった作戦で死者が出た時に、心を支配した感情を思い出す。
私の血に濡れた経験を重ねるのは適切ではないが、それに似たものを感じた。避けて通れない、己の役目に待ち受けているもの。覚悟しなければならない罪と向き合ったときのことを。
その苦しみを何度も重ねて、私たちはそれになる。私は国王に、彼女は
皮肉にも今回の騒動でリタは
彼女がまた人間ではなくなってしまった。
数日前にはその心を近くに感じたところだったのに。
やがてゾマーから伸びていた糸のうちの幾つかが途中から切れて消えていった。光が消えて、奴は動かずに地面に伸びている。
リタは、魔法をかけ終えたと父上に報告した。静かな声だった。父上はリタをじっと見つめる。彼女を、というよりも、彼女を通して別の誰かを見ているような目だ。
「ブルーム殿、此度は迷惑をかけた。
オリーヴィア王妃殿下は俯いた。父上は、リタやアレクのことを言っているのだろう。アレクはあの襲撃以降、オリーヴィア王妃殿下とは目も合わせていないのだという。
彼女はゾマーが起こした騒動に関与していなかったが、父上としてはそろそろ事態を収拾させたいところなのだろう。この機会を上手く利用して。
父上は彼女の手を握る。
「アレクシスの言葉に耳を傾けてやりなさい。そして、そなたを支持する貴族家の手綱を握るんだ。ラジーファーのようになってはならぬ」
亡国ラジーファー。
海を挟んだ先の大陸にかつて存在していた大国だ。王位継承権を巡る争いが激化した末に隣国を含む連合軍に攻め込まれた。滅んでまだ日が浅い。
かの国のことは、どの王国の王族も教訓として子どもたちに話して聞かせている。
「オリーヴィア。この子たちにこの国を引き渡すその日まで、この国を守るために私と一緒に歩んでくれ」
「……御心のままに」
彼女は静かにそう答えた。
その返答を、私はまだ完全に信用することはできない。私は私で動かせてもらう。きっとアレクもこちらについてくるだろう。今回の掃討作戦でも随分協力してくれた。
もうこのような騒動を起こさせない。二度目はない。
今回はリタが奇跡のような魔法を使ってくれたから許されたことをゆめゆめ忘れないでほしい。
私の大切な魔法使いを傷つけた罪は、許されるものではない。
◇
父上からの命で私とリタとヴァルター公がその場に残された。父上はリタをじっと見つめる。先ほどと同じ目だ。
「テア殿がこのことを知ればまた叱りつけに来るかもしれないな」
「は……母が陛下をですか?!」
リタは父上の言葉に驚きを隠せず大声を上げた。かなり動揺しているようで、「いやっ、でもお母様ならたしかに……」とか「ああ、どうしてこんなにも武勇伝が残っているの?!」と零している。
いつもの彼女に戻ったようだ。堪えきれずに笑ってしまうと彼女は自分が取り乱したことに気づいたようで、すっといずまいをただす。
テア・ブルーム。
リタの母君で、かつて父上と母上を引き合わせた
母上は時おり、彼女と過ごした日々のことを聞かせてくれた。いつか、心優しい魔法使いが私の元にもやって来るのだと話してくれていた。
「陛下はよく怒られていましたね」
ヴァルター公は懐かしむようにリタを見た。父上もまた、頷いて彼女を見ている。父上は彼女を通して、彼女の母君を見ていたのだ。
「ああ、教育係よりも数倍厳しかった。だが、口うるさくも愛情深いお方だったな」
「首根っこ掴まれて引きずられている陛下を見るのは楽しかったですよ」
「笑うでない。あのまま殺されるかと思うたわ」
父上とリタの母君のやり取りがどのような物であったのかは想像しがたいが、私たちと違い友人や兄弟のような近さがあったらしい。数々の思い出話が残っていた。
どうやら父上は昔はうっかりなところがあったようで、その度に彼女に締め上げられていたらしい。
今の父上にはその片鱗さえ見えないのだから、よほど徹底的に鍛えていただいたのだろう。
リタはどう思って聞いているのだろうか?
気になって隣のに居る彼女を見てみると、すっかり放心して固まっていた。
譫言のように「お母様……」と呟いて。
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