26.間の悪い友人
「リタは何も悪くない」
マクシミリアン殿下は私の手を両手で包み込んでそう仰った。国王陛下とヴァルター公がこの場所から出られた後、私たちはそこに残っている。
優しく触れる手から、殿下が私のことを心配してくださっているのが伝わってきた。彼の言葉や優しさを、これからも私は思い出すことになるだろう。
人の繋がりを消してしまった過ち。
この後悔は消えない。
胸の中に残るこの気持ちとこれからうまく向き合っていかなければならない。
だからこそ、もしまたこの後悔に飲み込まれそうになった時は、殿下の言葉を思い出して前に進むしかない。二度目が起こることはないように。
幸いにも国王陛下たちからお母様の武勇伝を聞かせていただいたこともあり、今はどうにか前を向いていられる。
お母様のように、伝説が残るような仕事をしたいという思いが後ろから押してくれているのだ。
お母様は仕事に対してあるこだわりを持っていた。
そのため、かつてお母様が担当した国に行くとその数々の武勇伝を聞かせてもらうことが多々ある。
身分差なんて気にも留めず、王族にも強くしかるお母様。
私はお母様と一緒に仕事をしたことはないからその姿を見たことはないが、各国の国王たちからそのお話を伺うたびにヒヤリと汗をかいてしまうしてしまう。
しかしその業績が評判を上げており、お金を払ってでも自国に呼びたがる国王もいるほどだ。
一緒に聞いていたお師匠様は「テアは相変わらずだねぇ~」なんてにこにことしながら言っていたのだが、私としてはちっとも笑えない。
だって、王太子たちを容赦なく引きずり回していた魔法使いの娘として見られるのだから。
まさかティメアウス王国も担当したことがあったなんて知らなかった。私の担当先が決まった時に教えてくれても良かったのに。
国王陛下はお母様からも忘却の魔法のことを聞いていたからあのお言葉をかけてくださったのかもしれない。
それにしても、国王陛下の口から殺されるかと思っただなんて言わせしめるお母様はこの世で一番強い生き物のかもしれない。
私はこの先も、きっと各国を巡りお母様の武勇伝を聞くことになるのだろう。
そんなことを考えていると、殿下の手が動き私の手を握る。
「リタは何も悪くない。それなのに、あんな懺悔のような呪文を言わせてしまった。すまない」
殿下は何度もそう聞かせてくださっている。
蒼い瞳を揺らして。
「お心遣いをありがとうございます。でも、これは私の仕事の責任ですので」
そう返して手を退こうとするのだが、なかなか殿下の手が離れない。このやり取りももう、途中で数えるのを止めたくらい繰り返されている。
殿下は私が忘却の魔法を使いたくなかったことをわかってくださっている。だからとても責任を感じられていることも伝わってくる。
それだけに対処の仕方がわからない。その海の中のような色の瞳でずっと見つめられ続けると心臓に悪いのだけれども。
やがて見かねたブラントミュラー卿がやって来た。
「……殿下、そろそろお手を離されませんと朝になってしまいます。ブルーム様が睡眠をとれません」
「あと5分したら帰す」
殿下とブラントミュラー卿のこのやり取りもまた、途中で数えるのを止めたくらい(以下省略)。
かくして私は寝不足だ。
◇
翌日の昼下がり、私は暇に任せて薬屋の店内を掃除していた。特に注文もなく、お客様はまばらだったのだ。何かしていないと睡魔に襲われてしまう。
棚の商品を取り出して棚板を拭いていると、カランと鐘の音を立てて扉が開いた。お客様が来たと思い、慌てて振り向く。しかし入ってきたのはオスカーだった。
へらりと笑ってみせる彼は後ろ手に何かを隠している。
……何を企んでいるのだろうか?
「まぁ~た仕事をサボっているのね」
「仕事だよ。師匠が誰かさんに持って行ってやれって言うから来たんだよ」
オスカーは口を尖らせて隠していた手を前に出してくる。その手には薔薇の花束が握られていた。
白色い薔薇。すべすべとした花弁には露がついている。きっと用意してすぐに持って来てくれたのだろう。
その薔薇たちが姿を現わしたとたんにパッと店内が明るくなった気がした。
やっぱり花は良いな。見るだけで気持ちが明るくなる。
「間引きしたやつだけど、こいつらも綺麗だから飾ってやってくれ」
「とっても素敵! お師匠様にありがとうって伝えて!」
「俺には?」
「はいはい、おつかいご苦労様です」
「なんで俺にはぞんざいなのかなぁ?」
「いひゃい……!」
オスカーに両頬を抓られる。淑女の顔になんてことを。
しかも腹立たしいことに、彼は私の顔をグニグニと動かして形を変えて遊んでいる。プッっと吹き出しながら。
失礼極まりない。
思わず睨むと、彼は手を離してヒリヒリと痛む頬を撫でてきた。
いきなり頬を抓ってくるくせに、撫でる手は妙に優しい。しかもなんだか、幼い子どもの面倒を見るような顔をして私を見てくるのが癪だ。
「オスカーのばか。もう遊びに行ってあげない」
「おいおい、子どもみたいなこと言うなよ」
「今日は眠いからオスカーの相手してあげられないの。帰って」
「なんだぁ? そういやクマができてるな」
そう言うや否や、彼は私の頭を自分に引き寄せる。突然のことで体勢を崩してしまい、そのままトンと彼の胸にぶつかった。頭の後ろでは、髪がくしゃりと絡ませられる感覚がする。
彼の行動はいつも口より先だ。事前に断りを入れるとかして配慮してくれないだろうか。
「少し寝たらどうだ?」
「この体勢で?」
「目を閉じるだけでも違うんじゃねぇか?」
「本当にいい加減ね」
溜息をついていると、カランと鐘の音が耳に届く。そして、言葉を詰まらせた声も。この声の主を私は知っている。
恐る恐る振り向けば、顔面蒼白で扉に挟まっているエーミールさんが居た。
彼は私の第二のお父様。
そして間が悪いことに、私は今、オスカーに抱きしめられているようにも見える体勢だ。
見られた相手が庭師さんたちならいざ知らず、エーミールさんは私と彼が軽口を叩ける友だちであることは知らないわけで、しかも私は今、薔薇の花束を持っているわけで、客観的に見るとかなり……誤解してしまうかもしれない。
「き、君! 私の娘に何をしている?!」
エーミールさんは目にも留まらぬ速さで私をオスカーから離した。いつもは穏やかに話すエーミールさんだが、父親の勘なるものが働きかけているせいで今は少し怒りが滲まされている。
「……え? 娘?」
オスカーはポカンとしてエーミールさんを見つめる。その手は私の頭を支えていた時のままだ。彼にしては珍しい、虚をつかれた表情だ。
「え、エーミールさん、これはちょっとした事故なんです。私が転びそうになったので支えてもらって……ねっ?!」
私はオスカーに念を送る。はい、と言わせるために。幸いにもその意図は伝わって彼は話を合わせてくれた。随分と気圧されていた様子でしどろもどろだったが。
エーミールさんは訝し気に私とオスカーを見やっていたが、ふと何かに気づいたかのように目を見開いた。
「あれっ? 君は以前、殿下の遣いでリタに薔薇を届けに来た子だね?」
「はい、私は宮廷の庭師見習いでオスカー・ホフマンと申します。今日は師匠の遣いでリタに花を届けに来たんですよ。彼女は王宮の庭師たちの人気者なので渡してきて欲しいと言われたんです」
「それはそれは……早とちりして悪かったね」
後ろ首を掻いて謝るエーミールさんからは先ほどまでの気迫が消えており、ほっと胸を撫でおろした。
ただ、その目はすぐにすっと細められる。どうやらまだ父親の勘が彼の警戒心を煽っているようだ。
エーミールさん、娘が生まれたら本当に大変だろうな、なんて思ってしまう。
依然として気まずい空気が流れている。
とりあえずエーミールさんにはオスカーのことを、オスカーにはエーミールさんのことを紹介して2人の警戒心を解くことに努めた。
しかしその努力は上手くいったのかどうかわからない。幾分かは空気が和らいだけど、なんだか……なんだか不穏だ。
やがてオスカーが、仕事が残っているから王宮に戻ると切り出した。ドアノブに手をかける彼を、エーミールさんが呼び止める。
「オスカーくん、君は庭師さんにしては騎士のような手をしているね」
「……騎士団の方が稽古をつけてくれるんですよ。それでは、私はこれで失礼します」
そう言うと、オスカーはひらひらと手を振ってお店を後にした。
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