第44話  兄弟(★)

 フィンを救出するための先発隊の準備が整ったのは、オクトール夫妻の訪問があってから十日ほどが経った頃だった。

 一番時間がかかったのは、ベイクウィッドを訪問するための建前理由を作ること。なぜならたとえ王命だとしても、ベイクウィッドの領主に断りもなく領内に立ち入ることはできず、かといって秘密裏に潜入するわけにもいかないからだ。

 そもそもフィンは王家の血を継いでいても、王族ではない。臣に下り公爵となったゼオンの娘なので、ヴォルターが表立って動くわけにはいかないのだ。

 だから公明正大に、そしてベイクウィッド領主や郊外の邸に逗留しているはずのジョルジュたちにも怪しまれないよう、疑いようのないお膳立てを用意した。それは———


「では父上…いえ、陛下。私ギルバートは陛下の名代として、この度の我が弟ライハルトとオクトール辺境伯が息女イーシャ嬢との婚約にまつわる書状を届けに行って参ります」


 旅立ちの日、早朝より謁見の間にて玉座に座るヴォルターの御前で、ギルバートは片膝を折った最上の敬礼を以て出発の挨拶を述べた。


「ああ。しっかりと頼んだぞ」

「はい。お任せください」


 ヴォルターの言葉にしっかりと頷いたギルバートは、宰相のダンケルが恭しく差し出したものを見て、僅かに目を見開いた。

 純銀のトレイの上には紫色のビロードが掛けられており、更にその上には、同じ色の紐で括られた証書と、ヴァラにグリフォンと剣をモチーフにした徽章が並べて置かれていた。

 

「殿下、こちらは陛下がご用意された任命書と、国内のどこへも通行可能な許可証となります徽章でございます」

「そうか、かたじけない」


 書状と徽章を受け取ったギルバートは、再びヴォルターに向かって深く頭を垂れ、心からの感謝を込めてお礼を申し上げた。


「陛下、お気遣いいただきありがとうございます。立派に役目を果たしてまいります」



 *



「は? 今頃になって面会だと」

「はい。出立前にどうしてもと仰っておられます」


 すべての準備が終わり、さあ馬車に乗り込むぞという段階になって、グイードから面会希望があると告げられた。

 出発予定時刻が迫っていたため、時間がないと一蹴したところ、相手がシェセリアーナとライハルトだと教えられ、仕方なく、仕方なく! 面会に応じることにした。

 忙しいのにわざわざ来客のために部屋やお茶の用意させるのは時間の無駄だと言い、馬車が停められている近くの部屋まで来るよう伝えさせた。


「ギル様。たとえ家族でも、王妃様とライハルト殿下にこんなところまで足を運べというのは、さすがに失礼ですよ」

「何を言う。時間が差し迫っているというのに、無理やり面会しろなどと言う母上たちが悪いのだ。向こうがこちらに合わせるのは当然だろう」


 グイードが窘めるも、一秒たりと無駄にしたくないギルバートは、椅子の一つもない簡素な部屋で壁に寄り掛かり、イライラと二人を待った。

 やがて部屋の前に立っていた衛士がシェセリアーナとライハルトの到着を報せ、開けられたドアからよく似た母子おやこが部屋に入ってきた。


「出立前の慌ただしい時に、時間を割いてもらって悪いわね」

「ええ、本当にその通りです」


 社交辞令でそう言ったシェセリアーナの言葉に、ギルバートは真正面から嫌味で返す。


「慌ただしいとわかっておられるのなら、遠慮していただきたかったですね」

「あら、少し前に長旅から帰ってきたばかりの息子が、再び旅に出るのよ。滅多に会えないのだもの、たまには見送ってあげましょうと思うのはいけないことかしら?」

「ほお? あなたがそんな殊勝な方とは存じ上げませんでした」

「いつも城にいないから、母のこともわからないのね。そんなことで陛下の名代なんて務まるのかしら?」


 毒と棘だらけの言葉の応酬に、グイードを含めた側仕えや護衛たちはまた始まったと内心で溜息を吐く。そんな中シェセリアーナとともに訪れたライハルトだけは、呆れを隠すことなくやれやれと面倒くさそうに、二人の間に割り込んだ。


「二人ともいい加減にしてください。顔を合わせれば言い合いばかり。…本当によく似た者同士なんだから」

「似てない!」

「似てません!」


 ライハルトの呟きに同時に同じセリフで否定する二人の、どこが似ていないというのだろうか。

 居合わせた者の気持ちは一つになったが、今ここでそれを口にする勇気ある者はいなかった。


「わかった。わかりました。ですから二人とも落ち着いてください。兄上、時間がないのでしたらいちいち母上に突っかからないでくださいな。余計に長引きます。母上も素直に心配できないのでしたら、引き止めるような真似はしないことです」

「「…はい」」


 面立ちはシェセリアーナによく似ているのに、カリスマ性と芯の強さはヴォルター似のライハルトに叱られ、ギルバートとシェセリアーナはしゅんと肩を落として謝った。


「とにかく兄上、仮初かりそめではありますが、僕の婚約の件でオクトールまで遥々向かわれるのですから、お礼を申し上げます」

「いや、俺の方こそ感謝している。フィンを救うためとはいえ、オクトール辺境伯の息女との…それもまだ一歳の赤ん坊との婚約話を受けてくれて」


 正直なところ、救出に向かう分隊は早々に決まったものの、隊を動かすための口実がなかなか見つからず、ギルバートやゼオンをはじめとしたフィンの救出に関わる者たちは皆、一様に頭を抱えていた。

 そんな時、ベイクウィッドまでの遠征が不自然なものにならないよう、ライハルトとオクトール辺境伯の娘イーシャを一時的に婚約させようと言い出したのはヴォルターだ。

 

『ライハルトはまだ婚約者がいないんだから、ちょうどいいじゃねーか』


 突拍子もない提案に皆が異を唱えたが、当人であるライハルトは妙案だと言って快諾したのだ。


「会ったことはないけれど、僕にとってもフィリアは従妹なのですから、協力できることはさせてください。それに兄上の助けになれるのが、僕は…嬉しいのです」

「ああ。とても助かる。ありがとう」


 やや年齢が離れているせいか、普段それほど交流がないのだが、こうして兄弟で協力し合うのも悪くない。

 昔ヴォルターがゼオンと共に尽力し、今の平和な世の中を創ったと教師たちに聞いている。次代の王となるギルバートとライハルトも、父たちのような関係になれればいいと兄弟は思った。


「では兄上、ご武運をお祈りしております」

「ああ。必ずフィリアを連れて帰ってくると誓う」


 共にヴォルターから受け継いだ空色の瞳で、兄弟は互いの決意を認め合った。

 美しく強固な兄弟の絆。そんな二人の姿を目の当たりにした配下たちは感動し、忠義の心を更に高めたのだった。


「……あなたたち、わたくしを忘れているのではなくて?」


  約一名の存在をすっかり忘れたままで。





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