第43話  交渉

 リットと魔力を隠し通す約束をしてから二日後、突然ジョルジュが屈強な供を連れて作業部屋を訪れた。


「フィン。お前は回復魔法が使えるのか?」


 唐突な質問に薬瓶を持っていた手がビクッと震え、落としこそしなかったものの、腕の中でガチャガチャと耳障りな音を立てた。


「…その様子だと使えるようだな」


 細められた目が獲物を狙う獣のそれに見え、フィンは怯えてがむしゃらに首を横に振った。


「ち、違いますっ。わたし魔法なんて使えません!」


 ゆっくりと近づいてくるジョルジュから距離を取るべく、フィンはじりじりと後ろに下がる。だが背中が壁に当たるともうどこにも逃げ場がなく、カタカタと震えながら彼を見つめることしかできない。

 彼が好んで着ける香水が鼻腔に強く感じる距離まで詰められると、男性にしてはしなやかな指先で顎を掴まれ、呼吸がしづらいほど上を向かされた。


「ほ~う、誰に入れ知恵された? リットか?」

「違う!」


 押さえつけられて動かせない首の代わりに否定を口にするが、ジョルジュは確信しているらしく、聞き入れてはくれない。息がかかるほど近くで覗き込まれ、フィンは緊張で気が遠くなりそうだ。


「まあ、いい。確かめてみれば済むことだ。おい、アレ・・を持ってこい」


 一人納得すると後ろを振り返り、背後に控えていた男になにかを命じる。すると靴音が一旦部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。


「みやげだ。どうするかはお前次第だ」


 ドサリと乱暴に放り出されたのは、かなり大きめの麻袋だ。中身がかなり詰まっているらしく、袋は大きく膨らんでいる。

 ジョルジュが顎をしゃくって開けろと示したため、フィンは薬瓶を作業台に置いてから恐々袋に近寄り、口を結ぶ荒縄を解き始めた。

 正直、嫌な予感がする。近寄って気が付いたけれど、麻袋からは朽ちて錆ついた金物と同じ臭いがしているし、触れた感じは温かく柔らかい。

 焦る気持ちを抑えて縄を解き、そろりと中を見たフィンは愕然とした。


「リット!」


 中には血まみれでボロボロ状態のリットが詰められていた。顔も腕も傷だらけで、意識がないようだ。微かに動いている胸元が、彼がかろうじて息をしていることを報せている。


「なんで…なんで? こんな酷い…」


 元の形がわからなくなるほど殴られて腫れた痣だらけの顔を、フィンはそっと手のひらで触れる。腫れた頬や目元は熱を持っていて熱いのに、額はぞっとするほど冷たい。

 すぐにでも治療しなければ、リットは死んでしまうかもしれない。

 反射的に立ち上がり、先ほど薬瓶を置いた作業台へ走る。しかし瓶に伸ばした腕は途中で止められ、手にすることができなかった。


「駄目だ。これはやらん」

「そんな! それがないとリットが死んじゃう!」


 懸命に奪い返そうと試みるが、大人の男に敵うわけがなく、あっさりと振り払われフィンは床に叩きつけられてしまった。


「お願いします! ひとつでいいんです! お願いします!」


 ジョルジュの脚にしがみ付いて何度も何度も頭を下げてお願いする。けれど彼は冷たい目で見下ろすだけで、薬を譲ってくれなかった。

 それならばと次に走ったのは、軟膏を仕舞ってある抽斗だ。先日ほぼ使い切ってしまったためあんまりないけれど、少しでも足しになればいい。

 蓋を壊す勢いで開けると、指先に掬い取ってリットの変色した頬になする。少ししかない軟膏を少しでも広く塗れるように、両の手のひらを使って満遍なく伸ばしながら、フィンは心の中で必死に祈った。


(お願いします、神様! リットの怪我を治してください! お願いします!)


 以前ジューンが教えてくれた創世録を思い浮かべ、人々に力を授けたという神へ、一生懸命にお願いし続けた。


「ほほう?」


 ジョルジュが何かに感心したように唸っているのも聞こえず、塗り薬が費えた後はリットの手を握ってひたすら彼の回復を祈り続けた。―――するとやがて、微かな呻き声をあげたリットは、繋がれた手で弱々しくもフィンの指先を握り返した。


「…ぅ」

「リット⁉ リット!」

「~~~っ、な…だよ、そん…耳元で、デカい声…うるせぇ…」


 うっすらと目を開けて悪態をつく彼の様子に、ホッと安心したフィンの目からは大粒の涙が次々と零れた。


「よかった! よかったよぅ…。ふええええん」

「バカ、そこで泣くな…、オレに涙が、かかるだろ…っ」


 感極まって泣き出したフィンから逃れようと、回復しきっていないながらも藻掻くリット。

 そんな二人を静かに観察していたジョルジュは、ふいに足を踏み出すと、フィンの傍に落ちている軟膏の入っていた容器を拾い上げた。


「なかなか侮れないな。こんなものを作っていたとは」


 思案顔で容器の内側に僅かに残っている薬の残滓を見ていたが、すぐに興味を失くすとそれを投げ捨て、床にへたり込んでいる二人を間近に見下ろした。


「やあリット、お前のおかげでしっかりと確認ができたよ。ありがとう」

「ご、主人様…」

「だが主である私に秘密はよくないな。フィンもそう思うだろう?」


 そうジョルジュが告げた途端、従者の男が動き出し、フィンを軽々と抱え上げた。


「まあいい。フィンには別の邸に移ってもらうことにしたんだ」

「ひゃあっ」

「フィ…ン!」


 ジタバタと暴れるも抵抗空しく、男に担ぎ上げられたまま部屋の外へと向かう。

 このままリットと引き離されたら彼はどうなってしまうのかと不安になり、咄嗟にジョルジュの名前を叫んだ。


「ジョルジュ様! お願いです、リットの手当てをしてください!」

「んん? 飼い主を謀った駄犬の世話をしろと? ははは、面白い冗談だ」

「冗談じゃないです! リットを助けてくれたら、ちゃんと言うことを聞きますから!」

「ダメだ…っ、フィン」


 取引の材料を持ち合わせていないフィンは、ジョルジュの興味を少しでも引いていると思われる自分自身を交渉の道具に選んだ。


「ふむ……いいだろう。お前の力が如何ほどかはわからんが、彼はそのまま外に放り出しておこう」


 少し考えたジョルジュは、横目でチラリとリットの状態を認めた後、フィンの取引に乗った。


「今日までご苦労だった。生きるも死ぬもお前の運にかかっている。まあせいぜい神に祈るのだな」


 そう解雇通告すると、フィンを抱えた男を伴い部屋を出る。

 麻袋のように男の肩に担がれているフィンは、ドアが閉まる寸前、青白い顔でこちらを見つめるリットに向かい、精一杯笑顔をつくって見せた。


「リット! 絶対に生きて!」


 彼に伝える最後の言葉。それはフィンがジューンからもらった、とても大切な宝物。


「ありがとう!」





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