第28話 柏原五子
光の中に立ち、彼女は少しだけ振り返った。
須和が頷く。話せと促す。
柏原は正面を向き、小さく鼻から息を吸い、鼻から息を漏らしてからおもむろに口を開き始めたのだった。
「
「まあ、確かに五人もいれば身体が弱くたって誰か一人くらいは……」
「そうじゃないわ、鈍いわね」
背後で話を聞いていた中井谷のぼやきに、振り返りもせず柏原は単調なものの呆れた声を漏らす。雪永も呆れたように顔を顰め、吐き捨てた。
「臓器提供のドナーですよ」
「え、ええっ!!」
中井谷や言根が仰天の声をあげる。雪永はその反応を見て、鼻を鳴らすように説明してやった。
「クローン作製の目的ではそう珍しくないよ。倫理委員会は反対してるけど、法律的には問題ない」
「そう、問題はないの」柏原も事もなげに肯定する。
「でも、ドナーが亡くならないと臓器提供はできないんじゃないの」
九条が不快さに顔を僅かに白くしながら言った。「そこも問題はないの、法律には穴があったから」柏原はやはり事もなげに説明する。
なかなか進まない話に焦れたのか、風坂が話に割って入った。
「有名な話だよ。パンデミックがあった当初、文字通り死んだ方がマシな苦痛に苛まれる病への処置として安楽死が合法化された。本人と家族が同意すれば誰でも可能だ。クローンに安楽死を同意させ、臓器をオリジナルに提供。よく使われた手だ」
「そ、そんなことがまかり通って良いのかよ……!」
「そうですよ。人権保護違反ですッ」
中井谷と言根が怒りやら悲しみやら不安で顔を歪めて声をあげる。
「本人の意思も確認される。クローン本人がイエスと言えば問題ないだろう」
「もし脅されればノーとは言えないだろう!!」
「そうですよ! 誰も本当に本人の意思か分からないじゃないですかッ!!」
「僕に怒鳴るなよ。事実を述べているだけだッ」
怒りを向けられた風坂は勘弁してくれと顔を歪めた。自分とてこの話に何も感じていないわけではないんだぞと。
しかし当事者である柏原だけは一番蚊帳の外にいるような冷静さで「続けてもいいかしら」と珍しく語気を強めて、言い合いを止めた。「どうぞどうぞ」と笑って続きを促すのは、倫理を持ち合わせているかも定かでないアンドロイドのアダムだった。
「……クローン人間がオリジナルと同等の人権を得るまでには長い時間がかかった。その理由をご存知かしら」
「人間と同等の存在であるかの証明が困難だったからだ」
答えたのは須和だった。
「そのとおり。クローンは人間の遺伝子の僅か20%未満の情報でつくりだすことが可能で、未だ残り未だに残りの80%近くが機能特定されていない。一部の学者たちはそこに魂が宿っていると説いている。もし魂と呼ばれるものが存在するならば、魂すら複製は可能なのか。魂という本質そのものを解明できていない社会で、この論争は長く続いた」
「クローンには自己意識が薄弱な個体が多く見受けられる。だから彼らは魂がない入れ物。外見や能力が人間と同等でも、本質は別物だという考えが強かったのさ」
風坂が負けじと説明を加えた。話を聞いた中井谷は信じがたいものを見るように、雪永に視線を移し「意志薄弱……?」と呟く。「なんで私を見るのよ」雪永が顔を引き攣らせ唸った。
「あなたはどう思う? 魂は何に宿るのかしら」
首だけ振り返る柏原の問いに、アダムは言った。
「僕のことより、君のことを話して。そうだな、ほら八歳の時の話を」
柏原はつまらなそうにまた前を向いた。八歳の時。それだけで何を言われているのかすぐに分かる。やはりアンドロイド達は相当な情報を収集済なのだと感心さえした。
「……一人目が臓器を提供したのは八歳の時だった」
「八歳って、そんな」
「偶発的な死だった」
そうではないと柏原は言う。あれは意図的ではなく必然の死。上手く身体が作られていなかったのだろう。元が弱い身体だった事も大きいだろう。しかしその死を利用しない手はなかった。あの日、一花は泣いていた。
『私はあなたと一緒にいるよ。これからもずっとあなたと一緒よ』
今も鮮明に覚えている、一花の言葉。
「その声を聞いて、私たちは自らの運命を受け入れたように思う。彼女は反応に乏しい私たちでも、妹であるかのように声をかけてくれた。……一花は数年おきに容体が悪化し、幾度かの移植手術が行われた。皆、自らの意思で同意していた。腹の底で何を考えていたかなんて分からない……、でもきっと悔いがあったとしても、選択を誤ったと思った子はいなかっただろう」
『一花も私も、あなたと一緒にいるよ。これからもずっとあなたと一緒』
彼女たちも同じように言った。その声音には一花と同じ何かが宿っていた気がする。
ぽつりぽつりと語られる、まるで小説のような語り口調のそれに耳を傾けていた雪永はとある違和感を覚え、訊ねた。
「どうして電話なの」
雪永はなんとなく分かったのだ。彼女達は互いの顔を見ていないと。だからどこか他人事のような音が乗るのだと。
そして柏原もそれを否定しなかった。
「父が私たち同士の接触を許さなかった。だから私たちは直接会ったことがない。でも私たちは知っていた。どこかで感じていた。ひとりであってひとりではないと。――けれど、一花が死んで」
「死んだ?」風坂が眉尻を吊り上げる。
「突然死だった。私が命を差し出す暇も与えられないほど。それで私は、唯一のひとりになった。いきなり」
「羨ましいくらいだけど」
「あなたにはそうかもね」
雪永の吐き捨てるような言葉に怒りもせず、柏原は言う。
「でも私は、まるで宇宙の彼方にでも放り出されたように感じた。今までずっと他にも私がいたのに」
なんと感じたかなどそのようにしか言いようがない。柏原は沢山の本を読んできたが、適切な言葉がいつまでも見つからない。そしてそんな言葉があってもきっと誰も本当の意味で自分の感じたことを知る人はいないと彼女は思うのだ。
『私の血を引くのはもうお前しかいない。家業を継げるのも、お前だけだ』
色のない、諦めた、疲れたような男の声。戸籍上、そしてDNAの上では父と呼ばれる男からの連絡。留守電に入っていたそのメッセージ。
この人はもう自分に一花を望んではいないのだと知った。この人も、望みを少し、削いだのだと。返事がない事を知りながら、繰り返し耳に携帯端末を押し当てては応えようとしてきた。
「柏原一花でもない。でも彼女のクローンでもない。柏原五子というひとりの人間として、ある日突然この世界に放り出されたのよ。そして、果て無い宇宙を歩くように今日まできた。アイデンティティも掴めないまま」
宇宙の中で消えてゆくならそれも良いと思って、このステージに立ったのだ。
柏原は振り返る。自らを語る前と語った後、少しも態度も表情も変えず、ステージに立つ前と同じように須和を見つめる。須和は初めて顔を合わせた時とは違う面持ちだった。その表情を見て、人間らしいと柏原は思う。
「皮肉ね。クローンを殺した男の前に、本物に成り代わったクローンがいるの。そして私もあなたと同じように自分を探しにきたのよ」
須和は何も言わなかった。誰も何も言わなかった。
これ以上話すことなど特にないなと思った柏原は、変わらない現状に無意味さを感じて尋ねる。
「――それで公務員さん、私のこの話が何か人の心を変えるというの?」
「ここにいちゃ分かりませんが、外に出ればそれも見えるでしょう」
八人の人間以外、誰もいない空間。
ステージに立つ五体のアンドロイドと、客席で沈黙を貫くアンドロイド達には何の影響もないかもしれない。しかしカメラの向こうにいる、自分たちからは見えない無数の存在が今自分たちを見ている。それの意味があると斎藤は確信していた。
そのように愚直に何かを信じる姿に何を思ったか、アダムが「外に出られるのは七人ですがね」と口を挟む。
「あー、もう駄目。さすがにこれ以上引き延ばせないなあ」
延長時間を気にしてか、八人全ての素性と本質が曝け出されたからか、アダムは今までと違い、途端に粗暴な手振りで自らの頭をガシガシと掻く。
「そろそろ決着をつけましょう。テロごっこはもうおしまいだ!!」
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