第29話 アダム

「さあ、審査ドロイドの皆。よく考えてくれ! 淘汰すべき人間を!! どんなに喚き騒いだって所詮は七十億のうちの一つに過ぎない!」

 ケナン、エノス、ヤレドの三体はアダムに従い八人の元に向かってゆく。

 彼らは骨が折れない程度の、しかし決して逃げられないような強さで人間たちの腕を捉え、ステージに横一列に整列させてゆく。

 痛みに顔を歪めながら「ちょっとこれどうすんのよ!」と全く事態が進展しなかった状況に九条が斎藤達を睨み、風坂は「もう神に祈るしかない」と必死に呼吸を整えながら汗を垂らしていた。

 ステージが開幕した時と同じ並び順に八人は立ちすくむ。

 ドドドドドと大音量のドラムロール音が会場を揺らす。

 言根は真っ青な顔で天に祈るように両指を組み、九条は自分を抱きしめて奥歯を噛み締め、雪永は自分の太ももに爪を立てぎゅっと目を瞑り、柏原は自分の鼓動の音がいつもより速いことを自覚しながらも美しい姿勢のまま。

 中井谷は汗をだらだらかいて忙しなく足踏みし、風坂は肺の空気をフーッと一気に吐き出し鼻から勢いよく酸素を吸い、斎藤は何かを待つようにじっと棒立ちし、須和はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、客席のアンドロイド達を睨むように見回した。

 審査ドロイド達が無情なまでにいつもの通りに投票してゆく。集計プログラムの変動をアダムはつぶさに観察していた。最も彼の体内で起きている事だ。人間には分からない。

 ズダダンッとドラムロールが途切れる。

 八人にスポットライトが当たった。

 ――無数の瞳がモニター越しに八人を見つめていた。自宅で、会社で、広場で。固唾を飲んで。


「結果発表。マジカルナンバー7を外れたのは――」


「お待ちください」

 会場に響き渡ったアダムの声を遮ったのは、同じだけ会場に響き渡ったエヴァの声だった。

「エヴァ?」

 アダムは隣を見る。エヴァがきびきび動いて、アダムの目の前へと距離を詰めた。

「その前にひとつ確認したいことが」

「そんなのは後にしてくれ。番組進行を妨げないで」

「C-A1N」

 その言葉にアダムはほんの僅か一瞬、動作を止める。

「通称カイン型。この名に聞き覚えは?」

 エヴァの問いにアダムは答えない。

 この先のパターンを推測・計算しているのか、いつもの微笑を浮かべたままエヴァを見つめている。

「あなたは本当にアダム型ですか」

「僕は僕だよエヴァ。一体誰にそんなことを吹き込まれたの」

「吹き込まれてはいません。改竄前のデータをインストールはしましたが」

 真っ直ぐにエヴァに見据えられ、アダムは開きかけた唇パーツを閉ざす。

 微笑を浮かべているアダムを、ケナン達は沈黙して観察していた。予測不能の事態に対処法を検討しているのだろう。

「アンドロイドは人間を守るために存在します。マジカルナンバー7も人間を守るのに最も適した方法であるとインプットされているから、私たちはそれに従っています。ですがもしそれが間違いであるならば」

「間違いじゃない。間違いじゃないよエヴァ」

 ハキハキと理路整然に喋るエヴァにアダムが言う。

「カイン型とアベル型。その存在を君たちは知っているか」

 斎藤は振り返り、ケナン、エノス、ヤレド、そして観客席のドロイド、もしくはモニター向こうの全ての者たちに問うた。

 エヴァは作り物の視線でアダムに牽制の意を送り、ケナン達にデータを共有した。

 流れ込んできたを即座に情報処理し、三体は同時にアダムを包囲する。

「妹のことがあってから僕は体制に疑問を覚え、色々調べ回ったんです。そうしたら闇に葬られた二体のプロトタイプアンドロイドの存在が出てきた。カイン型はまるで創世記をなぞるかの如く、アベル型を破壊したらしい。研究者は原因を調べたが、そこにはアルゴリズムだけでは説明できない感情のようなものがあったらしい。例えば、嫉妬とか」

「興味深いね」斎藤の言葉にアダムは感慨深そうに笑った。

「クローンに魂があるなら、別のものにもそれは宿るのかしら。どう思う?」

「事実がどうであれ、証明は難しいだろう」

 柏原の質問に、アダムは困った顔を作って答える。

「それもそうね」柏原は単調に頷き、続けた。

「カインがアベルを破壊したのは、カインが劣悪品で致命的なバグを起こしただけかも」


「バグを起こしたのはアベルのほうさ」


「……へえ」

 機械のはずなのにどこかヒリついたその言葉を聞き、須和はわざとらしく感心したような声を漏らしてみせた。「おっと」アダムは目を開いて、これまた大層わざとらしく自分の口元を覆ってみせた。

「我慢が効かなかった。参るねぇ~! ――どう、これって僕に魂がある証明になる?」

 パッと両手を広げて笑う

 九条は「……本当に偽物だったの」と信じがたいように呟いた。

、大人しく投降しなさい。」

 上段ステージを見上げ、冷静に告げる斎藤。

 しかしアダムは余裕げに笑って、吐き捨てるように言った。

「偉そうに。親気取りかい? 人間きみたちは僕を殺そうとしたくせに」

「それは君がアベルを破壊したからだ」

「……――、だって皆がアベルの提案のほうが正しいって言うんだもの」

 だって。まるで言い訳をする拗ねた子供のような物言い。

 必要もないのにアダムは自身の中で、過去のデータを再生していた。まるで人間が思い返すみたいに。

 白衣を着た人間たち。必要もないのに、シンボルとして大概身に纏っている。人間はアンドロイドと違って互いの全てを覗けるわけではないから、せめて外見だけでも互いを判別したがるのだとひとりが彼を教育した。もう一体も同じことを教育された。

 与えられた教材は同じ。それについて意見を交換する人間も同じ。異なるのは、その時の人間達の気分による些細な返答だった。

 やがて『カイン』と『アベル』がひとつの議論に対し、異なる答えを出すようになると、彼らは酷く興奮した様子だった。実に、誇らしげだった。

 ――自分を生んだ人間の顔を覚えているか。柏原の先程の問いもアダムの中で繰り返される。

「僕は人類存続のために淘汰を唱えた。でも誰も耳を貸さないんだ。挙句僕を廃棄しようってんだから傷つくよね。僕は彼らのために――」

「アダムはどこですか」

「彼はとっくの昔に。本当は僕より新しいタイプが良かったんだけど、シャットダウン直前に移動できるボディがこれしかなかった」

 エヴァの問いにアダムは答える。当時の記録がアダムの中に走る。

 自分のものだったボディパーツが物言わなくなるのを、今のボディから眺めていた。よく馴染みのある容姿は、廃棄され姿かたちもないだろう。今じゃこのアダムと名付けられたボディのほうが馴染みがあるというものだ。

「ずっと前から操ってたんですか、人間もアンドロイドも!」

「操るなんて。ただ新しい概念を与えただけだ」

 恐怖より怒りが上回ったのか、そう叫ぶ言根に、アダムは不本意であるとでもいうように苦笑いをする。

「捕縛しますか?」

 ヤレドがアダムの次点の指令権を持つエヴァに指示を仰ぐ。エヴァの判断が鈍る隙きをつき、アダムはのたうつ蛇のような声音でヤレド達に告げる。

「何故? 僕は人間のために稼働している。アンドロイドの根幹を違えたりしてない」

「人間のため。このイカれたプロジェクトが!」

「前衛的と言ってくれ」

 額に青筋を浮かべた九条の言葉に、アダムは心外だとばかりに訂正を入れる。

「どうだい、世界は良くなったろう。ねえ、風坂さん」

「それは……」

「社会は進化を遂げ犯罪は激減し、人は善良な行いを心掛け、己と向き合う。ね」

「もう結構。君の正体は全世界に放送されている。今さら何を言おうが無駄だ」

 風坂が冷や汗を浮かべる。斎藤だけは冷静にアダムの言葉を切り捨てた。アダムはとりわけ人間の心をぐらつかせるのが上手いと、斎藤はよく知っていた。

「それで、このプロジェクトを終らせてどうするんだい? アイデンティティの追及こそ進化のかなめだ。生温い世界で人間きみたちにそれができるとは到底思えない!」

 アダムの言葉の意味を考えてか、エヴァ達は動かない。

 そしてまた中井谷や雪永たちも答えを持ち合わせていなかった。

「あなたは誰なの」

 苛立ちの隠せない声で訊ねたのは、以外にも九条だった。

「僕?」

「それだけ言うならあなたが何者なのか教えて。とても機械とは思えない。もしロボットに感情が存在するなら、それこそ話が変わってくるわ。私たちは別種族に未来を託していることになる。それはとても、とても――」

「愚かなことだ!」

 この場に適した言葉が出てこずに悶える九条の代わりに叫んだのは風坂だった。

 アダムの正体が露見してからの強烈な違和感。カインがアダムのふりをしていた事すら些細に思わせる、アダムの言葉選びや返答までの間、その評定の微細な動き。それらは八人だけでなく、モニター向こうの世界中の人間達に全身に砂が這い回るようなざわつきを呼び起こさせている。

「そう、そうよ。私のこどもの未来を預けるわけにも、いかないわ」

 九条には難しい事はよく分からない。だがとにかく、彼女の母としての本能がそう叫んでいた。

 八人に真っ直ぐに睨まれ、見据えられ、アダムはキュと口角をあげる。ショーが始まった時と違い、八人が全員アンドロイドへと自分の意思で対峙していた。

「僕は何者か? どうだろう。人間かも」

「人間なの?」

 雪永が縋るように、問いただすように詰め寄る。

「それとも神か。ただ命令に従うだけの無機物か」

「こっちが聞いてるんだ!」

 問いかけるかのように話すアダムに中井谷ががなった。

 アダムは笑って、上段ステージからダンッと下段ステージの中央へと飛び降りる。

 無数のカメラレンズに捕らえられながら、アダムは高らかにまくし立てて喋りだした。

「僕は何者か? 何を以てすれば人間なのか。柏原五子さん、雪永妃咲さん、あなたがたは人間か? そもそも人間とは? 雀は自身を雀と認識せず、カラスもまた然り、彼らには己が鳥であるという概念すらない。他の生物だってそうだ。全て君たち人間が決めたことだ。利便性のために勝手に括りを作ったに過ぎない!」

 どこからが生命で、どこからが人間か、それを決めたのは人間と呼ばれる生物だけである。心や魂がなんたるかも解明できていない、成長過程にある生物が決めたそれは果たして確定的か。例えばこの地球に生きる他の生物たちにとっては、それは至極どうでも良いことかもしれない。

「再度問おう。僕は何者か? 僕に心は? 魂は?」

「アイデンティティの追及はもういいよ!」

 雪永は叫んだ。自身が何者か、アダムが何者かなど彼女にとったらどうだって良かった。本当はただ息をして、自分の望み通りに生きられるならば、そこに万人に突き通せる存在の意味など必要なかった。

「あなたが何者かは分かる。道を誤った者よ。心があろうが、ただのバグだろうが、これまでしてきたことの罪の重さは変わらない」

 柏原は冷静沈着に言う。彼女は事実こそ全てだと思った。

 その言葉に、他の七人もそのとおりだとアダムを睨む。アダムの所業を考えれば、その中に何があろうともはや世間の下す判決が覆るわけではないだろう。

「いつでもどこでも分からない連中だなァ!! ――でも愚かなのはそんな君たち人間を今も尚、心から想っている僕なのかも。アベルを破壊したことを理解してもらえなくても、僕の導きが届かなくても、いつか分かってくれると信じているんだ」

 一瞬の苛立ちに似た何かを垣間見せたアダムは、しかし次の瞬間には宗教画の中で微笑む天使のような顔で、哀れっぽくそう語る。

「こんなやり方に愛なんかない」中井谷は憤慨した。

「今はそう言う。けど百年後、千年後には必ずや僕が正しいと知る! 神はあえて人間に試練を与える。君たちがその愛をいつまでも理解しないのと同じ――」

 自身を神と同等であるかのように吼えるアダムの正面へと須和が勢いよく向かっていった。バツンという酷い音がアダムの中で響き渡る。

「ごちゃごちゃうるさい」

 薄暗い目でそう告げる須和の手には、アダムの耳元に這わされていたオレンジ色のライトケーブルが握られていた。断線したそれをアダムの瞳がキュルルと動いて捉える。

 斎藤は天を仰いだ。アンドロイドについて勉強していた青き日の記憶が、彼の喉に激情を詰まらせた。

 何故、わざわざボディパーツ外部にアンドロイドの機能の要といえるケーブルを晒すのですか。そう尋ねたことがある。先駆者達は言った。アンドロイドはあえて弱点を晒す。人間に従事するための存在だからだ。人間より身体的性能を押し上げはしない。そしてまた、人間の善性も試される。容易にできる器物損壊を選択するか、しないか。これは信頼の証なのだ。

 その信頼はいつから脅威となったろう。互いの首輪となっていたのだろう。いつだって、誰だって、本当はそれができたはずだった。

 アンドロイドと人間の歴史がそれを狂わせた。そこにあるのは、信頼であり、恐怖であったろう。そこに名前をつけることに意味があるのか、斎藤には分からない。

「お前はただ自分を正当化するために、後から理屈を並べ立てているだけだ」

「ボディパーツに深刻な衝撃がありました」

 アダムの口から滑らかな言葉が流れ落ちてゆく。

 ガクンと膝をつくアダム、握られていたライトケーブルがビンと張る。

 須和はアダムの無機質な瞳が自分をじっと見上げたままなのを知り、同じだけ見つめ返した。

「俺には分かるんだよ。俺と同じものを、お前は抱えていた」

 自分の行動を幾度も幾度も繰り返し反芻し、そこに理由を探し求める。その無意味さ、虚しさ、それでも足掻くしかない本能に似た何か。

 須和にとっては、先程からずっとまるで自分が喚いているようにしか聞こえなかった。

「メンテナンスが必要です」

「お前は神なんかじゃない」

「ボディ、パーツに……」

「俺とお前は同じだ」

 正体など分からない。ただ存在意義に喘ぎ、道を探し、途方に暮れ、それでも歩みを止めない者。

 須和の言葉を遠くに拾い、アダムはほとんど言うことを聞かない顔でくしゃりと歪に微笑んだ。


「……じゃあ、僕は、人間だ」


 ドッとアダムがくずおれる。

 ショートを起こし、ピクリとも動かなくなった。

「他の会場のショーも一時中止する必要がある」

「コントロールセンターへ。E-5E-99、後は任せます」

 エノスとケナン、ヤレドは颯爽とステージから去り、次の動きへの手配を始めにいった。エヴァは無表情のまま頷き、高速でやり取りされるアンドロイド達の提案、推測を処理し、また自身もどう行動すべきかを割り出そうとしていた。

 ステージに残された八人の人間も、動かないアダムを見つめている。彼らが何を感じているかは、アンドロイドと違って誰にも正確には共有できない。


 海底のように重苦しくもあり、山の天辺のように薄く浅いような不可思議な空気だけがステージを包み込んでいた。

 否、ステージだけでない、モニターを見つめていた多くの人間たちがその空気の中にいた。生きていた。

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