第27話 須和明弘


 彼は人殺しか? 彼は人殺しか? 毎日のようにニュースで騒がれた文言。

 彼は……、俺は人殺しか?

 そんなのは俺が知りたい。あの時、俺は誰を殺したのか。自分か、他人か、それとも人間ではない何かか。今でも答えは見つかっていない。


 ――須和明弘の話


 五年前、俺は国内でも有数の大学にスポーツ推薦で入学した。

 IT企業の社長である父は、仕事とは正反対の位置にあるスポーツに心血を注ぐ俺にも理解を示してくれた。アンドロイドが日々進歩する世の中で、人間が経営するIT企業に明るい未来はないことを、父は察していたのだろう。


「明弘、お前の人生だ。お前の好きに生きろ。会社の事は心配しなくていい」


 それでもいずれは会社を継ぐつもりで、厳しい練習の合間に会社経営を勉強する日々を送っていた。

 ……だが、目まぐるしい日々は一瞬で幕を下ろした。

 接触事故だった。悔しくなかったわけがない。だがいずれつけるべき区切りが少し早まっただけ。父に恩を報いる時が来たのだ、そう思った。


「お前の穴埋めはなんとかする! だからゆっくり養生しろ。俺たちの心配はするな」


 チームメイトも怪我で引退する俺を責めなかった。


「明弘、無理をしなくていいんだぞ。何もプロになる必要だってないんだ。やりたい事をやればいい。お前の人生だ、お前の好きにしたらいい」

「親父、あんまり気ぃ遣うなって。俺、本当に大丈夫だからさ」

「だが、まだ完治したわけじゃないだろう。心の傷だってそう簡単には……」

「そりゃどっちもすぐに全快ってわけにはいかないけど、いつまでも引きずってられないよ。前を向く努力くらいはさせてくれ」

「そうか。……」

「なんだよ」

「いや、立派に育ったなと思って」

「やめろよ恥ずかしい」

「いいじゃないか、本当のことだ。母親もいない環境で、俺も仕事ばかりでろくに一緒にいてやれなかった。申し訳なかったと思っているんだよ」


 あの時、父がその言葉の裏にどんな想いを抱えていたのか、俺には分からない。

 辛いと思う日もあった。でも親父や仲間が、声をかけてくれる誰かがいたから俺は大丈夫だった。家族の時間が少なかろうが、選手生命絶たれようが大丈夫だったんだよ。本当に大丈夫だったんだ!!

 ……――俺が抜けて最初の試合。テレビ中継が予定されていた。

 多少勇気がいったが、俺はモニターの電源をつけた。どんな結果でも受け止めるつもりでいた。

 だが、そこにあった現実は、あまりにも非現実的で受け入れ難いものだった。

 ――か? これは俺か? これは俺じゃないか!!!

 悪い夢だと思った。画面の向こうで仲間たちといるのは間違いなく俺だ。いや、違う、俺ではない誰かが……!! ――……。

 ここから先の記憶は断片的だ。俺はいつの間にか、無数の俺が眠る光景を見ていた。


 ――……


「すまないな。アンタのように上手く試合ができなかった。俺は父の会社を継ぐための教育を受けていたから、スポーツは専門外なんだ」

 培養液の中で眠る幾つもの同じ顔を眺めていた自分は、自分が来るなり僅かに驚いた表情を見せたものの、すぐに落ち着いた様子で話し始めた。

 コポ、コポポ、と僅かな水音がラボに響いている。

 自分の纏うそれを怒気と感じ取ったのだろうか。何の怒気と感じたのだろうか。奴は全くもって見当違いなことを口にしていた。

が起きていたら彼に行ってもらいたかったんだが、いかんせん成人状態までの強制的な成長だからな。普通のクローンとは訳が違う。まだ外に出すには危険すぎたんだよ」

「声も喋り方も随分俺と違うんだな……」

「そりゃ、同じ遺伝子でも育った環境が違う。まるきり一緒になるのは難しい」

 ぼやけた自分の声を軽く笑い飛ばし、爽やかに奴は肩を竦めてみせた。そして自分とは少し形の違うこちらの肩をポンと叩く。

「それでも俺たちは同一の個体だ。上手くやっていこう。父の企業を継ぐのは俺、試合をするのはまた別の俺、それでアンタは何をする? 正直オリジナルのアンタが少し羨ましいよ。父さんはアンタに自由をやりたくて……」

 奴の言葉が途切れた。空気を吸わせなかったからだ。

 何を考えているのか分からない顔がじっと自分を見つめている。その奴の瞳にも何を考えているか分からないような、表情を失くした男が写っていた。ゆっくりと相手の全身から力が抜けてゆく。力を込めた指だけはブルブル震えていたが、自分の呼吸は極めてゆっくりなものだった。

 そうだ、俺は俺の息が少しずつ細くなり、消えてゆくのをただ見ていた。

「……! なんだコレは、明弘、明弘、明弘ーーッ!!」

 全身水浸しになって、酷く寒いと思いながらもようやく静寂が訪れ、己の呼吸だけが聞こえるのに安心していた自分に、父の叫び声は耳を劈くような不快音だった。

 あの男はあんなにも誰を呼んでいたのだろう。俺か。ハ、俺って? 俺って誰だ。


 ――……


 ここから先は須和が語るまでもない話だ。毎日のようにニュースで騒がれた『自分殺し事件』。

 彼の父親はあくまでという人間を複製しようとしたのだろう。会社の地下で発見された十三体に及ぶクローンの遺体はいずれも出生登録をされておらず、人権を持たなかった。

 結局、裁判では殺人罪は適用されず、須和明弘のクローンの所有権は須和明弘本人にあるという父親の証言により、器物損壊罪も不適用。彼は無罪放免になった。

 しかし、世間の非難は酷いものだった。

 ――それでもいつしか世間は、無慈悲に、無責任に、自分を殺した男のことを忘れてゆく。

「それだけだ」

 静かにそう零し、須和は自分の話を終わらせようとした。

「それだけ? 他にはないの」

 誰も何も言えない空気のはずだったが、柏原だけは相変わらずだった。彼女は疑問をそのままぶつける。釈然としない終わり方だったからだ。そこに須和明弘はいないような気がしたのである。

 須和は僅かな躊躇いを見せた後、結局また口を開いた。

「……あの後、一度だけあの男に会った。勾留中に、特別面会が許された」


 ――あれはお前の未来だった。あれはお前だった。そして私の息子だった。


「……ッ、たった三言……!!!」

 項垂れて生気を失ったような父親だった男の言葉を口にし、須和は泣き叫ぶのを殺すように奥歯を食いしばる。それでも青年はすぐに息を吸って、「それだけだ」と出逢った時と同じ調子で、無感慨な喋り方に戻っていった。心を止めたような話し方だった。

「それだけじゃ何を考えていたのかなんて分からない。……暫くもしないうちに、あの男は自らこの世を去った。会社の経営が傾いた事と、息子を喪ったショックが原因だろうと警察は俺に告げたよ。息子? 息子って誰だ」

「…………」

「まあいい。皮肉にもあの男は自身のクローンは作らなかったらしい。奴に成り代われる人間も、跡を継ぐ人間もいない会社は呆気なく倒産した。――あれからずっと考えている。あの時、俺は誰を殺したのか。誰か殺したのか。未だに答えは見つかっていない」

 今ではない過去と概念の世界を見つめていた目が現実へと引き戻される。

 須和は七人の顔をそれぞれまた見つめて回りながら訊ねた。

「――どう思う。俺は人殺しか?」

「…………」

 誰も答えられなかった。誰も答えを持っていなかった。けれど今度は誰も須和から目を逸らさなかった。ただ途方にくれたような目と、憐憫を宿した目をしていた。

 須和はそれに怒りはしなかった。

「望む答えはない。ただ俺は俺が何者なのか知りたい」

「だからここへ来たのね。あなたが何者であるか、決めてもらおうと」

 柏原は言った。ようやく彼の存在に合点がいったように。

「……まあ、そんなところだ。だがここに立って分かった」

 この数時間を思い返し、須和は言う。

「他人に自分を決められるのは、腹が立つ」

 不意にパンパンパンと乾いた拍手音がステージに響き渡った。

 続いて、アダムを先頭にアンドロイド達がぞろぞろとステージに上がってくる。絶望的なゲームが始まった時と同じように、五体のアンドロイドは上段に均等に並んだ。中心に立つアダムがにっこりと笑って拍手を続けている。

「素晴らしい! 実に胸に響くスピーチだった!!」

「随分早い突入だな」

「誤解です」

「我々は受け入れられました」

 須和のひりついた言葉に、ケナンとエノスが変わらぬ微笑を浮かべたまま答えた。

 エヴァとアダム、そして斎藤も頷いた。アンドロイドは斎藤の意思によってステージに戻されたのだ。

「いやはや全く、ショーを続けていたなんて実にありがたいけど、人間ってのは時々不可解が過ぎる。一体何を企んでいるんです?」

 アダムはやれやれといった風に大仰に肩を竦め、冷たい人工の瞳で斎藤をスと見下ろす。

「人間も演出をします。盛り上がるように。――僕らを逮捕しますか。今、ここで」

「……」

 アダムは笑顔を浮かべたまま斎藤を見下ろしている。

「そんなことはしないはずだ。君は一際、我々人間に興味があるはず」

「視聴率は」アダムは答えず、隣のエヴァへと訊ねた。斎藤から目を離さぬまま。

「30%を越えています。開場前のモニターにも群衆が」単調にエヴァが答える。

 アダムは一秒だけ沈黙し、「どうぞ続けて」と柏原へと視線を移した。

「私?」

「君はまだなんだろう? 平等じゃあない」

「じゃあ、あなたも話して」

「僕?」

「私たちばっかり。平等じゃない」

 上段ステージから自分を真っ直ぐに見下ろす人工の瞳を、柏原は複製された瞳で見上げる。アダムは軽快に笑った。

「僕なんて単純なものさ。AIがボディにインストールされ、アルゴリズムの進化を

遂げながら日々使命を――」

「あなたを作った人の顔を覚えている?」

 言葉を遮られても不快さも見せず、アダムは微笑んで自分の頭部パーツをトンと指先で示した。

「もちろん。記憶媒体に保存されている」

「その人の声も」

「ああ」

「初めて声をかけられた時に感じたことも?」

「……――今は僕の話は必要ない。マジカルナンバー7に参加しているのはだ」

 アンドロイドも焦れるのか。アダムは笑顔のまま下段ステージの中央を示す。

 スポットライトが照らされるのを見て、柏原は自分の問いに答えが返ってこないことを悟り、大人しくその光の中に身を投じたのだった。

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