第26話 中井谷武蔵

「中井谷武蔵。二十九歳。自分の話をします」


 観客席のアンドロイドは停止し、無人カメラだけが中井谷の姿を無言で捕らえ続けていた。

 最低限の照明しかつけられていないステージは薄暗く、肌寒く、中井谷という男を薄らぼんやりと曝け出す。

 不思議な感覚だった。目の前には誰もいないのに、中井谷には無数の人間が見えた。どんな思いで自分を見ているのか分かったような気がした。全ての人の思いは分からないが、でも一部の人間の思いは分かるような気がした。それはきっと自分が彼らと同じで、そして自分みたいな人間はこの世に一定数いるからだ。

 中井谷はニカッと笑って、「俺って多趣味でさ! 色んな事に挑戦してきたんだよね!」とスタンドマイクに向かって快活に喋りだした――。


「ご指名でしょうか」

 ステージ裏に唯一通されたエヴァは、両手を後ろに組み、天に伸び上がるかのような美しい姿勢のまま、変わらず淡白な声音で尋ねた。

 他のアンドロイドが要求通りついてこなかった事を確認し、風坂は「ああ」と頷く。

「要求がおありなんですね」

 交渉のセオリーを導き出しながら、話を迅速かつ円滑に進めるためにエヴァは先んじて言う。しかし斎藤は「いや」と否定した。

 すぐ横のステージから中井谷が流行りのアプリゲームのランキングで上位に食い込んだ話をしているのが聞こえてくる。

「ではなぜ私をここへ?」

「聞きたいことがある」風坂は言った。

「情報によります。開示が許されないものもあります」

「あんたらはマザーシステムを持たない。そうだったな」

「はい。基礎アルゴリズムを礎とし個々に独自の成長をします」

 アンドロイドにおける極めて基礎的な質問を秀才と呼ばれる男が口にするのに、アンドロイドであるエヴァの前に滑稽の文字は存在しない。彼女はやはり淡々と答えた。人間は追い詰められると混乱を来たす事も、このステージを重ねて統計がとれている。

「もしウイルスが他のアンドロイドを侵した場合、気づけるか」

「ウイルス感染はありえません。害悪と見なされアンイストールされます。我々は定期的な点検を行っており、常に新しい脅威への対策を立てています。従い、ウイルス感染はありえません」

「そうだな。ウイルスは例えだ。じゃあ、ひとつの思想である場合はどうなる」

「というと」

 情報が足りず質問の意図が測れず、その為に答えを用意できず。エヴァは先を促した。

 風坂はじっとエヴァの表情を探るように見つめている。機械的で変わらない表情の奥底を見抜くような視線だ。人の心を読もうとするような。しかしエヴァは人ではないので、ただ人工的な瞳でプログラムに従い会話対象を識別しているだけだ。

「ひとつの思想が基礎アルゴリズムに組まれていた場合、君たちはそれに気づけるのか? 根底そのものが覆されていたとしたら?」

「……というと?」

 一瞬の空白を置き、エヴァはまた先を促した。


「スノボって結構難しいんだ、コツを掴むまではね。コツっていうのは――……」

 

「大変なことになっちゃいましたね」

 照明のほとんど当たらないステージ階段に座り込み、言根は中井谷のマシンガントークを聞き流しながら、ポツリと零すように、しかし勇気をもって話しかけた。

 数段上に座って疲れたような顔をしている九条は、無視も怒鳴りもせずに「そーね。勝ち残ったも同然だったアンタにゃそうかもね」と投げやりに零した。RH=nullで人間としての価値を置かれていた言根は、今この皆して生きるか死ぬかのような状況は本意ではなかろうと。

 散々喜んだ自分を思い出してか、言根が「ああ……」と気まずそうに頭を掻く。

「あの時は思い切り喜んだけど、今は違うかなって」

「違う?」

「私の代わりに誰かが選ばれなくても、今日が思い出に貼りついて今度こそ一歩も動けなくなるんじゃないかって。自分の人生に責任も取れないのに、他の誰かなんて」

 家に帰れる事を喜んだけれど。家に帰って、布団に潜って、家に帰れなかった一人を思い出したら果たして自分は眠れるだろうか。そこに安息はあるだろうか。別の恐ろしい何かが、多分今度は一生纏わりついてくる。喜びの過ぎ去った今、冷静になれば言根はそう思うのである。

「……、自分以外の誰かのために生きるのもそう悪くないものよ」

 思いの外優しい声音が振ってきて、言根は顔をあげた。

「参るわね。頭も心もぐっちゃぐちゃになる! 独りだった時は、こんな場所に立つのなんてどんな手を使っても逃げたいと思ったし、選ばれなくても仕方ないとも思ってた。けど今は、――あの子がいる今は、あの子の為にも私はここに来なければならなかったし、例え仕方がなかろうと選ばれなければならないと思ってたわ。それで、今度はこの展開でしょ。勘弁してほしいわよ、全く!」

「九条さん……」

 形振り構わず逃げる事も、潔く自分の人生に諦めをつける事も今の九条にはできない。誇れるようなものがなくても、無様と思われても、足掻く必要が今の自分にはあった。――まあ事態がここまでくればある種の諦めもつく。自分のような人間ではどうにもできないところまで来てしまった。あのヤケクソサラリーマンは九条にも一目置いている、ような口ぶりだったが。調子の良いことだ。

 しかしあのサラリーマンにも子どもがいるらしい。馬鹿げた計画は九条にはよく分からなかったが、どんな思いでこのステージに立ったのかは想像できる気がする。

 だからこそ九条は口角を吊り上げ、皮肉っぽくでこそあるが、笑った。

「昔の私だったらとっくにキレ散らかしてた」

「え、散々……」

「あの程度!」

 ハンと鼻を鳴らした九条に、言根はもう何も言えなかった。

「今、私がそれでもここで正気保って座っていられるのは、あの子がいるから。どんなに人間に似たってロボットは何も分かっちゃいないわ。人間の価値は、その人ひとりだけじゃ決まらない。私という人間は半分以上あの子でできている。それに」

 監視カメラが彼女の姿を捉え続け、世界中に発信されている事も知らないまま九条は憤慨し足を組み直してみせる。

「……もし、あの陰険公務員の言う事が本当なら、私の大事な息子をこんな場所には立たせられない」

 怒りの滲む瞳を見てから、言根はステージの上の中井谷を見た。


「それで、俺は二十五歳の誕生日に決心した。東海道を縦断しようって!」


 九条と言根の座る階段とは反対側の階段には、柏原と須和の姿があった。

 柏原は耳元に携帯端末をそっと当てている。

 彼女は一言も喋らず、ただそこから流れてくる声を聴いているようだった。

「誰からの伝言?」須和が乾いた声音で尋ねた。

「大体は父さん。時々、私の声」

「……ああ、別の自分か」

 彼女はクローンである。別の自分の声を聞く事は可能だ。分かりにくい柏原の言葉の意味を汲み取り、須和は頷いた。

 柏原は携帯端末をしまい、水面を滑る静かな風のように語る。

「これをすると不思議と落ち着くの。地に足がついている心地がする」

「俺はもうずっとそんな感覚がないよ」

「どういう感じ? 自分を殺すって」

「自分が他にもいるってどういう感じだ?」

 不躾で不用心な問いに不快感を示すでなく、須和は尋ね返す。

「もういないの」

 柏原は遠くを見て零した。


「これが昨日までの俺だ。自分から目を背けた俺。でも今は違う。ここに立っているのは、自分だけの人生に真剣に向き合わなかったことを後悔している男だ」


 ずっと調子良く喋っていた須和の声音が変わった事に気づき、須和と柏原がステージを見上げた。言根と九条もだ。

 中井谷は喉がカラカラなのを誤魔化すように唾を無理やり飲み込み、笑い続ける。しかし彼は今までと違って、ひとつひとつ言葉を噛みしめるように、自分の気持ちを確かめるように、喋った。


「ここに来て、人生が変わった気がする。本当は何も変わってないけど。でも、身体の向きが変わったような感じだ。他の七人に比べりゃ俺は空っぽかもしれない。東海道縦断に後悔はないんだ、本当さ。――でも今日あいつらの人生を覗いて思った。あの時、もう一日テスト勉強に費やしてたらって。ハハ、意味分かる? そういう小さい後悔があるんだ。さっきまでは後悔とも思わないで、目ェ逸してたようなこと。もうちょっと真剣に部活やってたら、あの時勇気出して告白してたら。……そんな些細な事が、今になって気になってる。もしそうしていたら、今ここにいるのは違う〝俺〟だった」


 それはどんな自分だったろう。中井谷は思う。

 自分とはまったく違う選択肢をそれぞれに選び、自分を確立させていった七人の奇妙な登壇者を心の片隅に置きながら。

 しかし答えはない。だから彼はもうそれ以上は言わなかった。ありもしない自分に構っている暇はなかった。まだ時間が残されている。それは何十年かもしれないし、あと数分かもしれない。でもまだ時間があった。


「過去は変わらないが、身体の向きは変わった。明日から違う道を進む。今までとは違う明日を。……違う明日ってのは、俺だけじゃなくて皆にとってだと願います! 八人にとっても、世界にとっても」


 ひたむきにカメラを見つめ、中井谷は目には見えないが感じるその向こう側にいるであろう人々に訴えかけ、そして深々と頭を下げ、マイクの前を後にした。

 舞台袖で話を終えたらしいエヴァが去ってゆくのを見つけ、九条は袖から出てきた風坂と斎藤を半ば睨み「大丈夫なんでしょうね」とヒリついた声で尋ねた。

「彼女はアンドロイドだ。人間を守るのが仕事なら上手くいくはず」

 風坂がくいと眼鏡を指先であげる。

「傷ついたりしてないかな」

「人間じゃない」

 雪永の呟きに、心配無用と風坂は返す。しかし彼女は寂しげに零した。

「私だって心があるよ」

 弱々しいその姿に、風坂は気まずさに視線を彷徨わせる。すると上段ステージから中井谷が戻ってくるのが見え「おい」と不遜に声をかける。

 中井谷はバカにされてもいつでも言い返せるように、じっと風坂を見返した。

「……良いスピーチだったと思う」

 言根や九条が目を丸める。風坂はまた気まずそうに眼鏡の位置を指先で直し、自らの目元を手で隠した。

「悔いが残らないようにした」

 中井谷は爽やかに返す。そして、須和と柏原のほうへと振り返った。

「……あんたらは話す気になった?」

「……、俺は」

「待て。ここじゃなくてマイクの前で!」

「どこだって問題ない。全部流してるんだろ」

「え」

 須和の言葉に言根や九条達がぎょっとする。「よく分かりましたね」と斎藤は飄々と言った。「あんなわざとらしい会話促されたらな」うんざりしたように須和は言った。誰もいない場所で、わざわざ考えを聞こうとしたり深掘りしようとしたり。

「待て。じゃあさっきの俺のスピーチは」

「ちゃんと2画面で放送してますよ。全世界に」

「良かった」

 散々カッコつけてしまった、そして自分を吐露した決意はムダになっていなかったと中井谷は脱力した。

 会話の成り行きを見ていた柏原の前に、須和が立つ。

「俺が話したら、自分のことを話せよ」

 柏原は答えなかった。しかし、了承を得たと確信し、自分殺しと呼ばれた男は静かに口を開いた。その呼び名の真相を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る