終章 彗星の周期と夏季休暇

エンディング

「あー……疲れた……」

「藤原さん、ものすごい顔でげっそりしてるね……」

「そりゃ期末試験が終わったら即終業式とか……この学校がいかに無茶なスケジュールを組んでいるか……」

 私にとって学費がかかる試験。例えそれが主要五教科だろうと保体だろうと少しのミスが大きな損失となれば集中力はいやがおうにも高まる。クーラーの効いた教室で私は最後の試験へと鉛筆を走らせて、その後頭を休める間もなしに熱気が籠った講堂にすし詰めにされて……私が精密機械であれば熱暴走でハードディスクが溶けだしている。金子さんの付き添いが無かったら教室に戻れていたか怪しい……。

「まったくあんな無意味な集会、各担任が必要事項を伝えて解散でいいじゃない。非効率だわ」

「ふふっ、でも滝沢さんが出たおかげでSクラスの生徒が初めてまともに学校行事に参加したって、先生たちビックリしていたね。やっぱり、の効果は凄いね」

「……まあね」

 その言葉の本来の持ち主はかぐやなのだけど、私はあえて受け入れる。

 いや、受け入れざるを得ないが正確か……。イースの催眠術は確かにかぐやが消えたことでそれと同時に彼女の存在を人々の中から消していった。けれど、前回の消失同様に人々の中には消失の個人差があって、とりわけ学校という習慣の力が影響を及ぼす場においてかぐやの痕跡は色濃く残っていて……まさかアイツの遺産をまるまる相続する羽目になるなんて思いもしなかった。

 別にマドンナだろうがなんて呼ばれても良いけど……仮に私が特待生特権で終業式に出なかったらそれはそれで特待生以外の生徒も真似して追いかけてきそうで……あの欲望むき出しの目はダメでしょうが……暗い同調圧力よりははるかにマシだけど、憧れもまた厄介な感情。ここ数日は暴動を抑える意味で学校行事に付き合わなくちゃいけなかった。……改めてかぐやの調査員としてのコミュ力に驚かされる。催眠ありとはいえ、あれだけの人間の目をよくもまぁ捌けたものね……。

「はぁ……」

「ふふっ」

「何がおかしいのよ」

「だって、口では文句だけど顔は笑っているんだもん。滝沢さんツンデレって言われない」

「……いや、ナイナイ。ありえないし!」

「あ! また笑っている。特に最近は滝沢さんの笑顔が多いから嬉しいなぁ」

 ……一つ予想外だったのは金子さんの私への態度だ。あのアーン事件から彼女はかぐやの恋愛ごっこに巻き込まれているものだと思っていたのだけど……どうやら私と距離を近づけようとしているのは本心のようで……今も席が隣なのを良い事にギャラリーが私に近づくのをそれとなくブロックしている。

 ……かぐやめ……なんでアンタは毎回爆弾を落として消えていくのよ……。

「ねえ、滝沢さんはこれから暇? 今日から夏休みだし、これからどこか遊びに行かない?」

「今日……そうね……」

 そば屋のバイトはシフトがうまく重なって休み。午後がまるまる空いた形で、確かに遊ぶ余裕はある。

「……今日はパス。ちょっと用事が」

「それって女の子?」

「⁉」

 金子さんの視線が私の通学カバンに注がれる。ストラップ代わりに取り付けた月光の髪飾り。愛らしい表情を一瞬だけ凍結させて睨む様は普段の小動物的な愛らしさからは程遠い捕食者。私だってチベスナって言われるけど、垣間見たそれは一瞬血の気が引けるほどで……。

「誓って人に会う用事じゃないわ。一人暮らしの支払いとか色々今日の内に済ませなくちゃいけないの。銀行四時まででしょ。それが終わるころにはそれこそグッタリしているから!」

 なんで浮気を弁明するみたいに……けどここでしっかり説明できないとろくな目に遭わないって本能が告げている!

「ふーん……」

「ああー……三日後! 三日後なら丸一日オフだから! その日は何でも付き合う!」

「やった! じゃあ三日後ね♪ 楽しみだなぁ~」

 ……この女っ……したたかというか、かぐやとは別の意味で厄介だぞ。

「でも意外。滝沢さんって一度断ったらそれきりだと思っていたけど、やっぱり何かあった?」

 金子さんのまなざしを受け止めつつ、髪飾りを視界の端に入れる。確かに、今までの私だったら人間関係なんて無駄な物、切ってしまった方が速いって思っていたけど――

「――別に、想われるっていうのも悪くない、って思うようになっただけよ」

「‼」

 なんてセリフだとクサいかしら。

 その後は何故か「滝沢さんが私の事を――」などと一人の世界に入り込んだ金子さんから逃れるように駐車場へ。普段通りに前カゴに鞄を放り込んでカブを発進させる。

「……」

 ハンドルの感覚はすこぶる軽いし、目の前にデカくて手足の生えた障害物も無いので制限速度でも快適に風を感じることが出来る。

「……!」

 不意に視界に髪飾りが舞う。かぐやがいなくなり、私は違反から逃れられる抜け穴を失った。制限速度で巡行していても時間によっては必要以上に取り締まる人たちもいる訳で、私はお守り代わりにカバンへ髪飾りを取り付けたのだった。

 感傷に浸っているようで……別にこんなものがあるからって前カゴに彼女を感じる訳じゃない。けれどイースのメッキはそれなりに効果があるのか今のところ点数は引かれていない。今日もスピードでカブは銀行へ到着する。

 ATMを目の前に通帳と払い込み用紙のにらめっこ。今までかぐやが渡して来た百万円単位の報酬のおかげでそれなりに潤ってはいるけれど……このままの生活を続けて大学まで保つ事やら……毎度通帳を通す瞬間が一番怖い。

 無意識の動作で払い込みを終わらせる。最後に戻って来た通帳を手に取り、そう言えば今日は両親からの入金もあった日だったなと目を走らせた。またもはした金、これじゃあ手数料の方が高い。でも、日時だけはきっかり同じ所だけは親の愛情とやらを感じていいのだろうか。

「……⁉」

 私は急いで銀行の椅子へ腰を下ろした。そしてもう一度通帳の印字を何度も舐めるように確認する。

「いやいやいや……さすがにこれはやりすぎでしょ……」

 入金額一千万円、名義は「エリありがとう」とふざけた物。かぐやの事だ。全てが終わったら何らかの形で私の大好物が届くように設定したのだろう。だからってこの金額は相当に怪しいもので……ホントちゃんと現金化できるんだろうな、ここまで期待させておいて、後で没収とか最悪だぞ……。

「……別にそこまで守銭奴じゃないし……それに――」

 私はかぐや、あなたにこれだけの分の借りを返せたと思っちゃいないわよ……。

 いつの間にか現れて、気の向くまま、あるがまま、わがままに振り回して、一方的に好きになって……おいかぐや、私は――

「――あーーーーーー納得できねーーーーーーー‼」

 時刻は午後八時。本来であれば趣味の昼寝に費やす時間。なのに、この一か月の間に私の体はだいぶデトックスされて元気が有り余ってしまっている。こんなところにもかぐやの影響……そして、夏休みに入った事で時間的余裕がより浮き彫りになって……あれ、私って今までどういうふうに時間を使っていたっけ……。

 納得していたつもりなのに、結局大人ぶっていただけ? この、このもやもやする感情は一体……。

「バカヤローーーーーー‼」

 まるで欲求不満の中学生、私は高ぶる感情を発散させるために竹林の山の中を原付で爆走する事にした。けれどいくら加速しても虚しさは募る一方で、結局何もつかめずにガソリンを無駄遣いしただけ。

「……」

 明日の出勤の分も怪しくなった所で私は給油のために街へと下る事にした。このまま直進すればかぐやがやって来たクレーターを通過する事になる。いっそ思いっきり横切れば、私は過去を振り切ることが出来るだろうか。

「……ん⁉」

 急制動。サイドミラーの端に何か輝く物が。まさか……。

「‼」

 カブを旋回させてクレーターへ。そしてヘッドライトを対象へ差し向ける。

 果たしてそこには一本の光る竹が。

「……」

 私はそれに近づくとその表面を軽く押し込んだ。するとそれは予想通りパックリ半分に割れて輝きを増す。もう何度も浴びた来訪を告げる輝き。次にくる衝撃に備えて足を踏ん張って両手で頭部を覆う。

「ふう……到着……ってエリ? 何でここに⁉」

「それはこっちのセリフよ。急に帰ったと思ったら、いきなり戻って来て……」

 結局本人を前に出るのは悪態だけか……。私は自分の悪癖にため息をつきながら声の主を見つめる。

 木琴のような温かかくて聞き心地のいい声、腰まで伸びる絹のような髪、すらりと伸びた手足に珠のような素肌。好奇心を映す輝く瞳。

「ただいま」

 こんなこの世の物ではない美女を見間違えるはずがない。目の前にいるのはあの日のままの輝くかぐやだ。

「……アンタ母星を救うために次の旅に出たんじゃ無かったの。なんでまた地球なんかに戻ってきたのよ」

「いや~普段からあんまりにも働いちゃって……いいかげん有給とか休みをとれって言われちゃったんだ。だから長期休暇って事で地球にきちゃった♪」

「いや、有給って……ココに来ている時点で休みじゃ無いじゃない。思いっきり調査員の機材使っているわよ」

「地球でいう所のワーキングホリデーってやつ」

「なんでも地球の文化で例えられると思うなよ……」

 相変わらずのマイペースというか……ほんとかぐやはぶれない。どこまでもかぐやのままだ。

「ふぅ……」

「あ! いまエリ安心したでしょう」

「は⁉ なんでそんなことが分かるのよ」

「エリが『ふぅ……』って言う時は肯定的な意味合いがあるって知っているからね。ほんとエリは素直になるのが下手だね」

「うっさい!」

 全くかぐやは、変なところは鋭くて……全く……もう……。

「……お帰りなさい」

 もう降参だ。一度素直になろうと思うと、言葉は自然と出てきた。

「うん」

 なにも言わずとも私達の足はカブプロへ向かっていた。それぞれのポジションに腰を落ち着けてカブは空を駆ける。

「ところでエリ、さっきも言ったと思うけど私半分仕事で来たんだよ」

「アンタ本当にワーカーホリックね。真面目というか、私が体壊したのバカにできないじゃない」

「私のデータで他者を好きになるメカニズムは分かったんだけど、それだと片手落ちなんだって。だから今度は両想いに関するデータが欲しいって事で、エリを落としに来た」

「はぁ⁉」

「ちょっとエリいきなり高度を下げないでよ! 落ちちゃう!」

「知るか! 浮遊の制御はアンタの担当でしょうが!」

「メインはハンドルの、ライダー次第なの!」

「ふざけるんじゃないわよ!」

 恋を知って、今度は愛ってこと? イースの人間は地球人を何だと思っているんだ! そんな事、そんな事検証しなくたって……。

「あの~エリさん」

「……」

 申し訳なさそうに顔を向けるかぐや。私は無言でカブを水平に戻しながら一つ考える。

 もしこれがイースの正式なミッションなのであれば、フリを続けていればかぐやを地球に留めて置けるんじゃ……。

「……ふふっ」

「ええっとエリ、いまものすごく悪い顔しているんですけど」

「別に何も企んで無いわよ。そうね、じゃあまずは夕飯でもおごってもらおうかしら。それとガソリン代もお願い。もうそろそろ危ないのよ」

「またお金? かぐやは本当に現金だね」

「当然、先立つ物が無い人間なんて私は見向きしないわ」

 って事にしておこう。だってこれ以上素直になればかぐやは帰ってしまう。せめてお互いの夏休みいっぱいまで、めいっぱい捻くれて、ワガママを押し付けあって、恋愛ごっこを満足するまで楽しもうじゃない。

 空を駆ける風の端は温もりを拭い去らない湿度を保っている。夏はまだまだ終わらない。

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かぐやとエリ 蒼樹エリオ @erio_aoki

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