4―5

「わざわざ、かぐやを引き連れてくれるとは、地球人も案外協力的だな」

「……」

 改めて監察官の姿を間近で見る。神経質そうな顔は以前にもまして皺が……いや、ひび割れと言った方が合っている、それが顔全体に刻まれている。シルエットだけ見れば同じように筋肉質だけど、左右の上半身に下半身、それぞれが独自のバランスで筋肉をつぎはぎしたようでまるでフランケンシュタインの怪物。前回は気配を消せていた三つの頭部もスーツ越しに荒い呼吸を膨らませている。これは一体……。

「いやいや……君たち正気なのかい……。たかが私一人回収するために命を懸ける事無いじゃないか……」

「どういうこと……」

 いや、問うまでも無いのだろう。前の激突の時に監察官は言っていた。「誰もが自由に飛べるわけじゃない」。以前の鋼のような活動体を再現しているのだろうし、パッと見は私もあの日の恐怖を連想して背筋が冷たくなる。でも……彼が今立っているのはかぐやのクレーターの淵。それぞれの頭部が苦し気に呻くたびに皺から常に砂をまき散らすサンドマン。今の彼には以前のような時空を超えてどこまでも目標を追い詰める冷徹な殺人マシーンの印象は受けない。むしろ、僅かな痕跡に賭けて這う這うの体でやって来た漂流者。メッセンジャーの表情は疲労の色が濃く、悲哀すら感じる。

「本当に、察しが良いのだな。なるほど、■■■が執着を見せるのも、分かる」

「だったらほっといて欲しい、ってのが本音なのだろうけど。君たちも強情だ……。一体何が君たちをそうさせるんだか……」

「「「「決まっている。母星のためだ」」」。確かにお前一人放っておいた所で、残りの調査員が総がかりで、情報を収集すれば答えが見つかるかもしれん。だが……虚しい事に情報開拓を続けれる度に、知識が積み重なる度に、同時に限界も見えてくる。

 並の調査員が調査できる範囲の星は、すでに掘りつくしている。我々とて、あと■■■で範囲内の情報を調べつくすだろう。他に広範囲に飛べる者は、適切な才能がいないのであれば、■■■よ、お前に頼むしか、ないのだ」

「この間は近くを調べろ、で今度は遠く。文句をコロコロ変えるのはプレイボーイ的にはいいのだろうけど、一人の女の子を口説くには不誠実じゃないかい」

「あくまで地球などといった、下等な星から手を退け、と言っているに過ぎない。今イースでは貴官の論文、以前の活動体の記録に私達の生体データを解析して長距離使用のバックアップを考案中だ。母星の強力なバックアップの下でより広範囲を効率的に調査できるのだ。その魅力が分からない■■■ではないだろう」

「分からないかな。仮にそんなブースターが出来たのなら私はより遠くへ、今のようにバックアップが届かない範囲までさらに手を伸ばすってだけの話だ。君たちの提案にロマンなんて一ミリも感じないなぁ」

「こんな未開拓の! 後進的な! 見るべきものの無い惑星に! 何があると言うのだ!」

「あるわよ!」

「!」「「「「‼」」」」

「……っ」

 二人の……いや、一人と四人の視線が一斉に私に向く。イースの、使命を持った、命を懸けた人間同士の会話。思わず、少し割り込んだだけなのにプレッシャーが凄まじい。正直呼吸をするだけでも精いっぱいだ。

 でも――

「確かに……アンタたちの、イースに比べたら地球だなんて遅れたちっぽけな星よ。お金に困らない、そもそも通貨の概念さえ通り越して来た文明なんて羨ましくて仕方がない! 何で私がそっちに生まれなかったのか残念なくらいにね!」

「ちょっとエリ――」

 私はかぐやの腕をより強く握り直す。守られるな、主張しろ! 声を張れ、私の体温が、思いがイースの人間に伝わるように、

「でも……っ、かぐやはそんな不完全な惑星の最も不完全な概念である恋愛に意味を見出した。かぐやとアンタたち監察官の、それぞれのイースに正義があること本気である事は身に染みて理解している。その上で私はかぐやに賭けたいって思った。かぐやの好奇心は、未知の可能性に向ける眼は間違いなく本物。かぐやなら世界を救う方法の一つや二つ、簡単に見つけられると思ったわよ」

「「「「そんなこと我々も理解している!」」」。だが滝沢エリよ! お前のような、小さな一人に、何が出来ると言うのだ! 我々は惑星の総力で、■■■を支援できる。それに代わる何かに、成れるとでも? ちっぽけなお前が⁉」

「な‘れる!」

「まずアンタたちと違ってかぐやのやる事を信じることが出来る!」

「少女漫画のリアリティの検証、やってやろうじゃないの。バカバカしくてアンタたちには付き合いきれないでしょうけどやってやろうじゃないの!」

「このバカが非常識な事をしでかそうとしたら地球人の目線で止めてやる! 地球の恋愛だけでなくマナーもプレゼントしてやるわ。お得でしょ!」

「そっちが望むならどんな事も協力してやるわよ! 精神だけ飛ばして何が研究だ。本当に識りたいのであれば机上の空論なんてこねくり回さずにアンタ達も本気で恋愛してみればいいじゃない! 私はかぐやが活動体を得た意味を信じて、協力者になってやるわよ!」

「「「「ふざけるなぁ!」」」」

 全身にひびを広げながら監察官が飛び出してくる。

「エリ!」

 当然かぐやは私の手をすっぽぬくいて迎撃に。私は衝突の余波に耐え切れずに吹き飛ばされる。

「その、程度の……その程度の、力で、星を、救えるとでも、思っているのか!」

「カハッ……コヒュッ……」

 備えていたつもりでも、受け身は失敗して、背中を思いっきり打ち付けてしまった。肺の中は空っぽでとっさに悪態を返す事も出来ない。

 ……確かに、私の力はちっぽけだ。星を救うどころか現在進行形で社会にしごかれている貧乏学生。自信がある事といえば勉強と原付の運転くらい。それもイースのスケールで言えば小学生以下かもしれない。

 それでも、受け身のままではいたくなかった。私の物心がもっと早く着いていれば、両親に何か言ってを続けることが出来たかもしれない。あの日からみて今の、未来の私は一人分稼ぐ力程度はあるのだ。上手く説得なり出来ていれば……それを担保に一人と一人と一人でも一緒に家族の形を維持できたかも。

 これから先の未来も、例えばかぐやと一緒に過ごし続けていたとしたら彼女は私の追いつけないペースでいとも簡単に生活環境を変えてしまうだろう。非常識なほど賑やかで、でも退屈しなくて……でも受け身のままでは、楽しいだけで通り過ぎる。

 与えられるだけでなく、実感するためには自分の手で掴む必要がある。それならこの先後悔しても自分の傷を制御して、納得して――

「かぐや‼ お願い――」

「うん!」

 ――信じることが出来る。

 私がすっぽ抜かれた左手を握るのと同時にかぐやは分身したと見まがうほどの勢いで動き、監察官のひびへ的確に拳を打ち込んでゆく。

「うぐっ……⁉」

 四撃同時攻撃。ただでさえ不安定な監察官の肉体が砂粒をまき散らしながら大きく崩れてゆく。彼らも負けじと足元のクレーターから砂を補充し、その剛腕でかぐやを叩く。けれど動きに鋭さは無く、紙一重で躱される。戦況はかぐやに有利だ。

「ならばぁ‼」

 監察官の下半身が瞬時に崩壊しクレーターと混ざる。するとすぐさまタコの足のような触手を形成しかぐやを襲う。

「そんな手数だけで!」

 伸ばされた触手をかぐやは次々と手刀で両断する。限界状況における活動体の構造を知り尽くした彼女にとって監察官の脆くなった攻撃など束になっても意味は無い。

「な、ら、ば――」

 一本の触手が私に向かって伸ばされる。イース同士では遅くても、対地球人であればそのスピードは十分に速い。

「かぐや!」

「エリ!」

 でもそれは予測できている。何が何でもかぐやを屈服させたい監察官、正攻法が駄目なら搦め手を、私を狙ってくる事は学習済みだ。

 かぐやはすかさず私と触手の間に割って入ると迫りくる触手に掌底をぶつける。強烈な振動が先端から、本体である監察官まで届き竹林は砂ぼこりに覆われる。

「エリ! 大丈夫だった⁉」

「ごほっ……あと一秒遅れていたらあぶなかったかも……。で、これで終ったのかしら……」

 今回は意趣返しが出来たけど……ゾッとして首元をさする。形こそあるけれど、イースの人間の惑星外の本質は精神生命体だ。彼らを母星に送り返そうとするのであれば、あの日のように消滅レベルで活動体を完全に破壊しなくてはいけないはず。かぐやが粉砕したのはあくまでクレーターで増強した分だから……。

「う……う……」

 埃が晴れると果たしてそこには上半身を仰向けに、ぐったりと倒れた監察官の姿が。人間であれば血を噴き出すところを代わりに全身の穴という穴から砂を噴き出して苦し気に呻いている。

「■■■、な、ぜ……」

 しかし、彼らの目はまだあきらめていない。崩壊するそばから修復を重ね、ひび割れた箇所の人間の外装を繕わずに起き上がる。

「ホント、キリがない……」

「損傷率二〇パーセント……そんな状態で、しかも四人同時に……自分たちがどうなってもいいって言うのかい⁉」

「知れた事を……これが我々の総意、滝沢エリの言葉を借りれば、我々の「「「「覚悟」」」」と言って差し支えない」

 クレーターから大地そのものに接続したかの如く監察官は増殖を続ける。肥大化した砂の魔人は竹林を覆い尽くさんばかりに……おいおいいくら宇宙人だからってこれ以上は光の巨人案件だぞ……かぐや一人の戦闘能力で……いけるの……。

「覚悟について、語るのであれば、滝沢エリよ。お前は■■■を、買いかぶりすぎだ。その調査員はお前が、命を投げ出す程の存在では無い」

「はぁ、何よ、等身大で勝てないからって図体ばかり大きくして今度は仲間割れでもさせるつもり? イースの常識は知らないけど、そう言うの地球じゃ卑怯って言うのよ。なんでもかんでも効率化でごまかして、少しは男らしく正々堂々戦ったらどうなの‼」

「ほう……どうやら、本当に知らないらしいな。滝沢エリよ、■■■……いや、かぐやがこの星で一体何をしていたのかを」

「はぁ?……」

 挑発するも逆効果。むしろ憐れみの表情を向けられる。一体あいつらにかぐやの何が分かるって――

「……アンタたちかぐやの活動体から何を見たの?」

「……」

「やはり聡いな……」

 別に私とかぐやはお互いに隠し事を禁じるような関係じゃない。というか私のプライベートは一方的に抜かれ放題だし、イースのための調査は興味が無かった。恋愛だなんてびた一文にもならない事を知るくらいならバイト。

 今までは取引の範囲内でしか彼女の調査を知らないし、干渉する必要だって無かった。

「……」

「ふむ……」

 監察官は私に向けて砂の軌跡を伸ばしてゆく。それは途中でUSBケーブルのような無機質な形状に変化して私の眼前へ差し出される。銀色の端子。連想するのはイースの脳へのジャックイン。

「エリ!」

「……」

 監察官の増殖がピタリと止まる。彼らはすでに星空を覆い尽くさんばかりに巨大で、その気になればその質量で私達を押しつぶせるほど。状況をさらに有利にするのであればそれを止めずに、いつでも一気に畳みかける事だって出来るはずだ。

 それなのにあえて止まっている。彼らが握るかぐやの弱み、それが私達の間に不和をもたらす事を確信しているかのように、ひたすらに静寂が広がり始める。

「……………‥‼」

「エリ!」

 決してイースの人間のように好奇心に駆られたわけじゃない。これは監察官が私を一人の地球人として認めたが故の挑戦だ。仮に彼らが質量を増やし続けてもかぐや曰く限界があるのであれば、きっとかぐやにおんぶにだっこしていれば必ずけりがつく。私にはその確信がある。

 でもそれでは駄目だ。彼らと対等にいるためにはこの程度の事で怯んでいたら納得できない。

「もしものことがあったら……かぐや、頼んだわよ」

 そんな目元に涙浮かべて、この世の終わりみたいな表情しないでよ。だいぶ地球に馴染んじゃってまぁ……。

 でも、誰かに想われるって悪くないものね。

 もう何度いじくられたのか覚えていない。ゆえに私の指は迷わず端子を額へと導いてゆく。

「!!?」

 痛みは無い。代わりにケーブルから大いなる砂へと私の感覚は拡張する。意識は肉体を離れて遠く遠くの世界へ、あまたの情報が飛びかう星の海の中へ……凄い。イースの人間達はこんな風に世界を見ているのだろうか。こんなはじけ飛ぶような事を繰り返していたら……かぐや程じゃないけどぶっ飛んじゃうかも……♪

 私の意思とは関係なしに周囲の景色がグングン流れてゆく。いや違う、何かに乗せられている……?

「⁉ アレは!」

 映画や授業でもう何度も見た青い星。生命豊かな水の太陽系第三惑星・地球。星のトンネルを抜けるとそれがいきなり現れた。

 景色はそのまま日本列島へ落下を始める。そこで私は気づく。これはかぐやの記憶、私は記憶の中の彼女に間借りしてその行動を追体験しているのだと。

 おそらくはじめは精神体の時の記憶が流れている。ネットで衛星地図アプリをスクロール如く、私の意識はあっという間に日本一周、そこから世界中のあちこちへ飛び回る。活動体で行われる情報活動は正直早すぎて何が起きているのか全く理解できない。ドラッグマシーンにでも乗り込んだような、視界は情報で埋め尽くされて目が痛い……。地球をもう何百週したのか……景色はいつの間にか意味を失って光の点となって流動して……イースの人間は常にこんなスピードで情報処理をしているの……⁉

 監察官が何かを仕込んでいるのではという疑念はもうどこかに行ってしまった。そんな小細工をしなくても人間の許容をはるかに超える情報で意識がとっくに摩耗して……。

「ゲエエエエエエエエエッ……」

 現実の肉体がどうなったのか分からない。少なくとも私の脳の方はギブアップすら宣言出来ない状態に。

「……?」

 いきなり景色が止まり、見慣れた列島へ飛び込む。すると一面が眩い光に。これは……。

「⁉」

 目の前に現れたのは……私⁉ 同時に情報の流れが一段と緩やかに……そうか、かぐやが活動体を得たんだ。

 そこからはあの日の再放送。怯えた私がカブで逃げて、かぐやがそれを追いかける。崖にぶつかった私とカブを調査、修復して、抜き取った記憶をたどってアパートへと隠蔽工作。

 そこから竹林、アパートの周囲を捜査して、慌てて出かける私を見送って、あっ、コイツアパートの中にもぐりこみやがった。辞書に教科書に……言語の習得? 喉を通る言葉が一気に楽になる。

 で、私とアパートで接触して、翌朝のバイト。行動が初めて分岐した箇所。監察官の狙いがあっているのであれば、ここから何かが分かるはず……。

「あれ……?」

 確かにかぐやは私と別行動している。あの日私は忙しかった事もあって新聞配達に集中せざるを得なかった。けど、同時刻のかぐやの視界を通しているから分かる。かぐやは町で活動しやすくするためにおそらく催眠術を行使するための下準備を行っている。そしてそれは……常に私の存在を視界の端に収めた環境で行っている。

「……どういうこと?」

 その後も学校、そば屋のバイトへ私が移動するごとにかぐやは様々に服装を変化させてを施してゆく。かぐやの記憶と私の精神が徐々に馴染んでゆく……かぐやは私の記憶、とりわけ行動記録を読み取っては私がこの町で最も活動する箇所を重点的に移動していた! 共同生活一日目はそれが目的で……その作業の極めつけにあんな派手な格好でそば屋に侵入。私に関わる人間に徐々にかぐやという存在を浸透させ始めてゆく。

 その後もかぐやの工作活動は続く。私と離れる度に、新聞配達の新しいバイトを所長に斡旋したり、学校の中での存在浸透を図る一方で私の印象を調査したり、これは……探偵事務所? 両親の事まで調べていたの⁉ 一応少女漫画やクラスメイトと恋バナとかしてそれっぽい活動をしていない訳じゃないけど……でも……。

「……なんで調べているの?」

「あーー見ないでーーー‼」

「痛っ――」「「「「グッ――」」」」

 いきなり配線を引き抜いたようなフラッシュと共に記憶の再生が止まる。精神が肉体に戻ると視界の奥が焼けるように白い……。

「無し! 今の無し! 見なかった事にして」

 再び頭部に慣れた感覚。かぐやが指を突っ込んでつぶれた視界を修復してくれて……まあ、それはありがたいんだけど……。

「……ねえかぐや……」

「全く監察官め。変な心理作戦を……。こうなったら正攻法で叩きのめすしか」

「いや、そうじゃ無くって……」

「大丈夫。巨大な敵を相手にする方法だって私は学習している。ちょうどいい、試すにはもってこいだ」

「だからそうじゃ……」

 どうしたんだかぐや。今までの余裕はどこへ、いきなりギクシャクしだしたぞ。

「滝沢エリ、理解しただろう。我々も■■■が真に恋愛を調査しているのであれば、介入するつもりは無かった。しかし、記録を見る限り、アリバイ程度に調査を行い、君と共に地球を観光しているようにしか判断することが出来ない。となれば我々としては彼女を地球から引き剥がし、別の任務に就かせたいと。分かってもらえると思うのだが」

 いや、まあ、それは分からなくも無いのだけれど……いや……けどそんな事ってあるのか。そんなそれこそ少女漫画みたいな、何万分の一の可能性みたいな話が、本当に……。

「君の指摘通り、■■■の記録の中は不可解なほど滝沢エリの記憶が占めている。活動体を得てからは特にひどい。■■■よ、我々は調査員の精神跳躍技術を、個人的な休暇のために提供しているわけではないのだぞ」

「き、君たちだって活動体を得れば協力者を必要とするだろう! エリは君たちが、イースの人間が認める程の聡明さを持っている。そんな彼女といれば情報収集に大いに役立つ。それが分からない君たちじゃ――」

「ねえかぐや」

「エリちょっっと黙っていて。いま大人の取り込み中!」

「アンタ……ひょっとして、私に一目惚れした……?」

「‼……」

 かぐやは私の一言で表情をフリーズさせる。手ごたえはあるけどこの表情は……。

「一目惚れ……とはなんだ?」

 頭上の監察官も砂全体で困惑の表情を浮かべる。彼女たちのピントを外したような反応。そう言えばイースにとって恋愛は古い概念で、久しく誰も感じたことの無いものだとすると……。

「自覚症状無し、かよ……」

 自分で言っていて恥ずかしいけど、仮にそうであればかぐやの行動のすべてに説明がつく。調査員として徹するのであれば別に私一人に付きまとう必要なんてない。活動体は仮の肉体、ラブコメを参考に美少女型を維持するのであればそれこそ催眠術で男子をとっかえひっかえ、そして監察官のように様々な姿に変身して、老若男女多くの人間と接触した方がよりサンプルを得られる。

 ところがかぐやはそうしなかった。破損しても活動体の形を一定に維持して、私に付きまとっては細胞レベルで記憶を体を調べて、生活にも浸食して、公人として矛盾を重ねる。

 けど……これがすべてかぐやの私人としての行動だとすれば全て説明がつく。

「私が……エリを……好き……」

 かぐやの肉体が小刻みに震え始める。制御を失いつつあるのか、彼女の肉体を構成する砂が振動で噴き出し始め、瞼も口も酸欠したかのようにパクパクと……。

「あ……あは――」

「……」

「「「「……」」」」

「あは、あははははははははははははははははFFFFFFFFFFF■■■■■■■――」

 かぐやの口から次々と言葉が、エラーを示す機械の如く、音がはき出される。彼女の肉体のどこにそれだけの音を抱えられる器官があるのか、音波は彼女を中心に山を越え、街まで震わす音圧を広げる。

 かぐやのショックに私は呆然としてしまったけど、さすがに監察官はこの機会を逃さない。予想外に舞い降りた好機に意識を切り替え、膨大な質量で押しつぶしにかかる。

 ところが、これも意外なことにかぐやの音は監察官のサンドボディに対して効果てきめんで、砂は彼女に触れたそばから意思を失い流れていった。かくいう私もかぐやに全身を調整されていなかったら同じ末路を辿っていたかもしれない。竹林の周囲にはすでにコウモリやら虫やらが正気を失って落下を始めている。こんな状況でもかぐやは優位を保っていて、とうとう開いた竹林の天蓋から星明りを受けては輝きだした。

「■■■■■FFFFははは……そうか、これが一目惚れ、恋、恋愛の感情。かぐや、ありがとう。私は君を見つけ出せて本当に良かったと思う」

 落下する監察官の塊を受けとめながらかぐやは私を見つめてくる。憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情。三日月の欠けた部分を補って余りあるそれは――

「……帰るの?」

 彼女の……かぐやの好奇心の輝きは私を見ているようで、けれど見通して新たなる未知へと注がれている。

 そう、私達の関係はあくまでかぐやが恋愛を知るまでのもの。まさかかぐや自身が私という地球人に恋する事になるとはイースの賢人達も予想しなかっただろうに……。

「うん、エリのおかげで母星を救えるかもしれないを手に入れることが出来た。今すぐ帰って皆に伝えないと。しかしすごいなぁ……これが恋……調査員の価値観を無意識のうちに捻じ曲げてしまう力。確かに、これが広がれば出生問題なんて一気に解決できそうだ」

「……そうね」

 かぐやはすでに正気で、であれば今目の前で起きている彼女の活動体の崩壊は自発的なものだ。すでに光の塊にまで分解してしまった監察官の輝きを抱えて、彼女もまた光へ還ろうとしている。

「ねえ――」

「ありがとうエリ。君の存在は永劫にイースに刻まれる事になるよ!」

 言葉を挟む余裕も無く、彼女は再び弾けて姿を消した。白む視界、消える音。イースの人間が消えると同時に竹林に空白が生まれる。

「……」

 だがそれも一瞬の事。少し経てば夏の山の音がやかましさを取り戻す。

 まさか自分が引き金になるだなんて思わなかったけど……この結果はいつか来るもので、大人として受け止めるべきもの。納得は出来ている。けど……ほんとあっという間で、恋愛を知るとか言っていたはずなのに情緒も一緒に学んでおきなさいよ……。

 でもきっと彼女のそんな輝きが人々を引き付ける魅力で――

「ほんと……退屈だけはしなかったわよ」

 かぐやが光となって消えた場所。そこにポツンと月光の欠片が輝いている。私がかぐやに渡した髪飾り。取り上げると、それは彼女の光を刻み込んだようにメッキの輝きが柔らかな発色へと化学反応を起こしていた。

「あーあ、やっぱり無駄な買い物なんてするもんじゃないわね……」

 これでいい。かぐやはかぐやのまま地球で学んで、去っていった。だったら私だってかぐやに向ける言葉は感傷的な物じゃない。いつも通りの悪態で充分だ。

 それでも、私の手は無意識に髪飾りを握りしめていた。

「月が綺麗……なんてね」


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