2―3

「うっ……」

 熱しやすく冷めやすい木造建築の最悪の構造問題。夏も丑三つ時に差し掛かればさすがに温度を下げる訳で――

「――くさっ」

 熱気で参っていた五感が順調に稼働を始める。さすがに昨日一日の汗に寝汗まで加わったらこれは最早女子高生の匂いじゃない。スマホの液晶画面は午前二時三十分を表示している。これならシャワーを浴びる余裕がある。

「……」

 恐る恐る襖を開ける。そこには予想通りかぐやの姿が。漏れ出した僅な光を受けて素肌がボウッと浮かび上がる様子は蛍みたいで、何もしなければ本当に美人なのだなと感心する。瞳をとじてジッと畳の上で横になっているということは寝ているのだろうか。どうやら本気でをしているみたいだ。

 まぁ、何もしてこないなら好都合だ。かぐやの距離感だとじゃれつきながらシャワールームに入ってきかねない。いくら基がファミリー向けのアパートで風呂場もそれなりにスペースがあるとはいえ邪魔なものは邪魔だ。

 時間があるとはいっても所詮三十分程度。一切の行動は手早く行わなければいけない。べたべたに張り付いた服装一式を洗濯籠に投げ込み頭から熱湯を一気に浴びる。汚れを落とすなら夏でも熱いお湯が一番だ。臭いも落としてくれるし、何よりお湯は電気代、水道代、ガス代を払っている証拠。私は自分で作りだした快適さで身を清めている。この瞬間は何者にも勝る幸福だ。

 ケア用品もリンスインシャンプーとボディーソープと最低限。本当は髪だって石鹸で洗いたいけど、そば屋の店長に「出前とは言え最低限身だしなみを整えてほしい」と釘を刺されている。手間だけどリンシャンとソープと使い分けをしなくてはいけない。え? 乳液とかパック、他のケア用品はだって? そんな贅沢にお金と時間を使える余裕は無い。

「ふぅ」

 これで大体二十分。かぐやの絹のようなキューティクルに陶器のような滑らかな素肌が欲しいのであれば水分を体から掬い取るようにしてバスタオルを使うべきなのだろうけどもう時間が無い。私はバスタオルで雑に全身を拭く。私が自分で髪を短く切っているのは乾かす手間を省くためでもある。……切り方を間違えて寝癖みたいになっている部分もあるけど気にしない。乾燥が最優先。どうせヘルメットで隠れるし、夏は速く乾くからいい。

 残り五分。幸いな事に授業の内容は昨日とあんまり変わらない。せいぜい一教科分中身を入れ替えるだけだ。今日はおんぼろなカブを十分に暖気させてから発進できそうだ。

「じゃあ行こうか」

「うわっ!」

 さっきまで蝋人形のように生気の無かったかぐやがいきなり息を吹き返す。待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせ立ち上がると本当にスタイルがいい。あまりに堂々としたいで立ちにこれは男子でも圧倒されるだろう。

「行こうって……アンタどこに行くつもりなのよ」

「決まってるじゃん。エリが行く場所。現地の協力者を得たんだからこれでやっと街の方まで案内してもらえる」

「……却下、私は遊びに行くわけじゃないの」

「遊びじゃないよ! 異星調査員の仕事なんだって」

「……」

 そんな私服で瞳を輝かせる様子はどう見たって親の仕事場について行きたい子供だ。あるいは昔テレビで観た大学教授もいい歳して両目を輝かせていたっけ。なるほどこの美女型宇宙人に覚える違和感の正体は好奇心か。

「……街までは案内してあげる。でも、仕事の邪魔だけはしないで、私の一日はヘビーなの。他人に構っている余裕なんて一切ない。一人で恋愛ごっこなり惑星調査なりやってもらう分にはいいけど、干渉はしないで。OK?」

「もちろん。私もエリ以外のサンプルも欲しいし、これからに向けて色々と準備したいから今日のところはそれでいいよ」

 ……今日のところは、ね。出来ればこれからもずっと別行動してもらいたいものだけど。

 とにかく今のところかぐやが邪魔をしてくる様子はなさそうだ。宇宙人相手に譲歩を引き出せたのは良いことだし、このあたりを詳しく議論している暇も無い。私達は二人してアパートを出て駐輪場へ向かう。

「とりあえず街まで乗せるから早く乗って」

 原付での二人乗りは白プレートでは道路交通法違反だけどこんな朝から切符を切ろうとする奴はそういない。カブの載積能力なら人間一人乗せるのなんて赤子の手を捻るようなもの。普段滅茶苦茶な量の新聞運んでいるし、鉄のリアキャリアだとお尻が痛いだろうけど宇宙人に遠慮はいらないだろう。

 ニケツのために私はシートへ跨ろうとする。

「うん分かった」

 それよりも先にかぐやの足がすらりと前へ、彼女は迷いの無い動作で前カゴに近づくと――

「よいしょっと」

「……」

「じゃあ行こうか」

 お尻を深々と突っ込みそこへと収まった。かぐやの事を猫みたいだと評した事はあるけど、すっぽりとはまる様、その柔軟性は猫以上だと思う。さすがは宇宙人……。

「……一応聞くけどアンタ何してんの?」

「あれ? エリの記憶を参考に、地球では宇宙人を運ぶときのマナーは車両の前カゴだって。それを実践してみたのだけど」

 ……確かにあの名作では出演した女の子がリモコン操作で動く宇宙人を見て本物だと勘違いしたらしいけど、別にドキュメンタリー映画では無いし。かぐやの、イースの技術っていうのも案外抜けているというか……資料の読みが浅い。

「はぁ……まぁ、問題ないか」

 この場合二人乗りになるのだろうか。仮にかぐやが私の違反を気にしてこの方法を採ったのだとしたら配慮が行き届いているけど……宇宙人は動物と同じで器物扱いになるのだろうか……。

 私もシートに乗ってキックでエンジンを始動させる。かぐやはエンジンの振動でわめくことなくカゴの中でしっかりと納まっている。ハンドルに感じる質量も想像以上に軽い。体重計に乗せたらこの世の女性がうらやむ数値が出るかもしれない。

 このまま発進させてもカブは間違いなく動く。その確信はあった。けど一つだけ重大な問題が……。

「やっぱり後ろに乗ってくれない?」

「え、何で? 私結構このポジション気に入ってるんだけど」

「……そりゃよかった。でもね、かぐやがその位置にいるとライダーにとって致命的な問題を抱える事になるの」

 私の言葉にかぐやは振り向く。彼女から私に、視線は上から下へ見下ろす感じ。

「ああ、なるほど」

 そう、高低差。カゴに収まっているとは言え、推定一七〇センチオーバーのモデル体型がそびえると……星明りを受けて温かな夜を纏い出した黒髪もこのシチュエーションじゃ邪魔なシャッターでしかない。

「それなら簡単に解決できるよ」

 軽く体を捻るとかぐやはまたも私のおでこに指を突っ込む。もはや恐怖を感じない辺り慣れなのか麻痺しているのか。

 そして、言葉通りに変化はあっという間に訪れる。

「おお!」

 目の前からかぐやの姿が消える。正確には僅かな輪郭を残して彼女の姿が透過している。

「エリの視覚野に私の位置情報の補正をかけてみた。大分見えるようになったと思うけど、どう?」

 確かにこれなら前を気にせずに運転に集中できる。それに、いつもより夜目が効くし、視力も、視野も強化された気がする。カブを発進させて普段よりも早めに加速をかける。あっという間に流れる竹林の一本一本までクッキリと視認出来る。これは運転が楽しい……!

「気に入ってくれた?」

「まっまあ、今までの仕打ちの中では一番マシね」

 まだ深夜に近い朝方の涼しい風を浴びながら坂を下る。かぐやはバランス感覚が非常に優れているのか前輪が荒地で弾んでも、加速の空気抵抗を受けても微動だにしない。カゴの中で物に徹してくれる。正直、視界を抜きにしても快適な運転が出来ている。認めよう、彼女のおかげで走行上の問題は、解決した。

「あれ」

 下ってしばらくした道路沿いに一度カブを停める。

「これ、つけておいて」

 そう言いながら私はポケットからあるものをかぐやに差し出した。

「このゴム状の輪っかは何?」

「アンタは私の記憶のどのあたりを見ていたのよ……」

 私は一度差し出したヘアゴムをひったくると「こう使うの」と彼女の髪をまとめ始める。

 かぐやの施術によって確かに視覚は確保出来た。おかげで目元は疲労までもが軽減されて当社比三割増しで瞼が開いている気さえする。それでも彼女の存在そのものが消えたわけじゃない。腰まで伸びる黒髪が煽られると私に襲い掛かって来るのだ。さっき下った時に見えない触手に襲われているようでなかなかに不愉快だった。

 前カゴだろうとやっぱりバイクは身軽な格好こそ似合う。

「それ、前にしておいて。そんなくすぐったいの後ろに流されると邪魔だから」

 私は単純な一つ縛りを施すと出来上がった房を彼女へ差し出して肩から胸元へ流してゆく。

 たまに髪を切るのをサボって、伸びた髪が勉強中に目に入らないように使っていた安物のヘアゴム。母親が蒸発した時に使っていた安物だからどう使おうと私の勝手だけど、国宝級の美しさを醸し出す彼女に使うとそのチープさが目立つ。新品の革袋に古い継ぎ当てをしたような、本当にこの宇宙人には貧乏な格好が似合わない。服装にしたって私の記憶のせいでダサい格好になっているのだろうし、その点に関しては申し訳ないくらいだ。

「エリが今度はヘアゴムをくれた……エリが私にプレゼントを……やったぁ!」

「ちょっと! 運転中にはしゃがないでよ! 振り落とされたいの!」

「だって嬉しいんだ! 私今気を使われている、現地の知的生命体と深いコミュニケーションを取っている! こんなに嬉しい事なかなか無いよ」

 それからしばらく経ってもかぐやは喜び続けた。まるで子供が初めてプレゼントを貰ったみたいにそりゃもうしつこいくらい。何でかぐやたちが絶滅しかけているのか分かる気がする。こんなちょっとした事で一々驚いて、何にでも興味をしめしてフラフラしていたら生殖なんてしている余裕が無くなるだろう。頭が良すぎる事、知的好奇心が旺盛すぎる事も考えようなのかもしれない。

 そんな騒がしい荷物を運びながら原付はあっという間に都市部の中心へと到着する。

「じゃあここでお別れ。私はここからしばらくした所にある新聞の営業所、その後は家と反対側の坂の向こうの学校、夕方は都市部に引き返してそば屋。その後に帰るから。いいわね、私の仕事に勉強の邪魔は絶対にしないで。それを守ってくれるなら恋愛の研究だろうと地球侵略だろうとなんだって自由にやっていいわ」

「もちろん、エリが忙しいように私だって星の行方がかかっているからね。私も自分の使命を全うするために忙しくするつもりだよ」

「アパートまでの迎えが欲しいんだったらそば屋のガレージで待っていて。その時間からだったら多分宇宙人ごっこしても人目につかないから。いい? 絶対に邪魔だけはしないで」

 迎えまで請け負うだなんて、我ながらサービス良くなったなと思う。ベタなSFだと頭をいじくられた時点で脳の中にチップとか仕込まれて、無意識にうちに宇宙人のいいように操られているとか。

 でも……こんな真っ直ぐな笑みを向けられ続けると毒気が抜かれるというか……美形って本当に得だ。特に何かしなくても人をその気にさせてしまうのだから。

「じゃあ行ってきます!」

 そういってかぐやは軽くアスファルトの地面を蹴ると街の中へと大きく飛び跳ねて姿を消した……。

「……は」

 いや、いやいやいや……あれだけ動けるなら窮屈そうにカゴに収まっていたのは何だったのよ! え⁉ まさか本当に趣味で荷物になっていたとでも言うの⁉

「意味わかんね……」

 思い返せばかぐやはファーストコンタクトから昨晩まで姿を消していたじゃないか。何をしていたのか見当もつかないけど、要は私なんかいなくてもいくらでも自由に行動できる。そもそも国家公務員を名乗るのであれば精神体の時点で――宇宙人的感性がずれているとは言え――下調べをしつくしているはず。

「一体何がしたいんだよ……」

 まあ、あんまり深く考えない方が良いのかもしれない。どう頑張ったって相手は文字通り雲の上の存在。地球人の中でもとりわけド底辺な生活をしている私がその一端に触れる事なんて叶わないはずだ。

 それよりも私にはやるべきことがある。

「おはようございます……」

「おう、おはよう」

 例え明日巨大隕石が落ちてくる事になろうとも、貧乏人には逃げる余裕が無い。隕石から逃れてもそれ以降のお金が無いのであれば、隕石に直撃する羽目になっても目先の金銭を手に入れるために働かなくてはいけない。だから私は普段通りのバイト生活を続ける。

 昨晩から騒々しかったのが嘘のように新聞配達の時間はあっという間に過ぎた。前カゴにヒューマノイドがいないだけで生活ってこんなに静かだったっけ? 悔しいけど……視覚も強化されたことで無茶なスピードを出しても体が追い付いてきている。おかげで営業所には普段よりも五分早く戻ることが出来た。

 学校も同じ。目元の疲労が軽くなっただけで寝つきが良くなったし、黒板も凝視せずにピントが合う。原因がかぐやなのが癪だけど、一人の作業効率が上がるのは喜ばしい。余裕が出来れば頭も冴える。今日は放課後までに全部の課題を仕上げることが出来そうだ。

「終った~~~」

 学校で充実感を味わえるなんて初めての経験じゃないだろうか。今ならTシャツジーンズの格好で目立ってもなんとも思わない。重力から解放されたような足取りで駐車場に向かってカブを発進。この勢いならそば屋の出前だって最短でクリアできそう。ああ、自分の能力をフルに使えるってこんなに楽しいんだ。

 ガレージにカブプロを停めて勝手口へ。いつも通りにそばを出前機にセットして、お客さんまで運んで、帰りがけに食器を回収して……夜目が開いたことでより安全な、より精密な、尚且つ早いスピードを出してカブが唸る。なるほど、自分が調子がいいとバイクも喜ぶんだ。

「ははっ!」

 けれど楽しい時間は過ぎるのが早い。いつの間にか迎えた休憩時間。私はカブを勝手口に寄せると、

「戻りました!」

「おっ、おう!」

 食器を流しに置いて休憩スペースへ。さあて今日のまかないは一体何だろう。心地いい疲労感につゆの香りが空腹を加速させる。夕食が楽しみで仕方がない。

「たぬきそば一丁!」

「はい! たぬきね!」

「天ぷらそばも追加で!」

「はい! てんそば!」

「ふむ、このとろろって言うのも興味深いね。とろろそばも追加で」

「はい! とろろ!」

 今日はやけに店が賑やかだ。普段も夕飯時になれば行列が出来るけど、今日は五割増し位に厨房が忙しい。ここでバイトしてこれだけ注文が途切れないのは初めてだ。私が欠食児、もとい貧乏な背景を知っている店長は私が休みに入ると秒でまかないを差し出してくれる傾向がある。それなのにそばが来ないとなると相当参っているのだろう。

 皿洗いくらいなら手伝おうか。たまに出前が暇なときは少しだけ厨房の業務を手伝うことがある。そう思い、行動を起こそうと立ち上がった時だった。

「悪い悪い。お客さんのそばで手いっぱいでな。これ食っちゃって」

 暖簾をくぐって店長が入って来る。どうやら私が無駄に動く必要は無いみたいだ。とっとと食べて本来の出前に集中しようか。

「………………⁉」

 私はそばと店長を二度見した。いや……いやいや……え⁉

「店長……これ……どうしたんですか……」

 お盆の上に鎮座するのは月見庵名物の月見そば。卵の周りには揚げ玉が埋まるほどトッピングされ、別の小鉢には天ぷらととろろまで。普段のまかないならどんぶり一杯に収めるはずなのに、今目の前にあるのはお客さんに出すような、値段にしたらそこそこ張るものだ。

「いやぁね、今日はお嬢ちゃんのおかげで大分繁盛したからね、サービス。どれも注文で大量に作って余った分だから気を使わなくていいよ。どうせ普段ろくなもの食べていないんだろう。たまには贅沢しな」

 ……最後の一言は余計だ。まあ、雇い主にあれこれ言うのは自分の首が危ないし、これだけ豪華なお膳を食べる機会も当分ないだろう「ずぞぞ……」「うまっ!」。これは休憩時間を目いっぱい使って味わわないと絶対に損だ。

「ふぅ……」

 お客さん用の味に舌鼓を打ちながら、これは一体何が原因なのだろうかと考える。あの店長の笑みは強化された目で見るまでも無く上機嫌。めっちゃテカテカしてたし。

 果たして私の何がこの店に貢献したのだろうか。私がやっていたことといえば街中を走り回っただけ。注文の品を――多少つゆをこぼしたことはあるとはいえ誤差のレベルだ――無傷で届けるなんてお客さんからしてみれば当たり前の事だ。とりわけ老舗の看板が大きくなれば品質のハードルは高まる一方で、

「これが本当のエビ天か……」

 そうなると接客か。これに関しては百パーセントありえない。私の不愛想は店長のお墨付き、とてもじゃないけどフロアを任せられないレベル。これは私自身も認める所だ。毎日鏡で自分の顔を付き合わせる度に疲労の抜けない険しい顔を見たら自分にため息が出る。頑張って笑顔を作っても悪の帝王が高笑いするワンシーンにしか見えない。改めて私よく首にされないな。

「ずぞぞぞぞ……」

 勤労学生の看板もここじゃ意味ないだろう。ここのお客さんは貧乏な学生が二宮金次郎をしていても「お涙ちょうだい」にならない。よほど奇特な人間じゃない限り金持ちは貧乏人の生活になんか興味を持たない。同情心で店が埋まるなら貧困なんてこの世からとっくに駆逐されているだろう。

「ふう……ごちそうさまでした」

 量も味も当社比五割増し。誇張なく、一生の内で一番おいしくて豪華な食事だった。

「……」

 このまま出前に出ても別にいいのだけど……こんな美味しい目を見せてくれたのは一体何なのか気にならないとなれば嘘になる。

「次はきつねそばで!」

「はい! けつね!」

 まだ食うのか。厨房は相変わらずのフル回転。私が休んでいる間にも幸運の女神は注文を続けていたらしい。さすがに大食漢になんて知り合いはいないけど……ひょっとして新聞の営業所の人たちが団体で押し寄せたのだろうか。

 一目拝んで見ようとフロアの方を覗いてみる。こちらも厨房に負けないほどの活気で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになっている。別にここそういうお店じゃないのだけど、てか酒くさっ!

 頭を出すと大繁盛だとが分かった。で……その原因は分かりやすくフロアの中心に囲われていて――

「ゲェ……」

 店の暖色の照明をうけて月光のように柔らかく輝く一つ縛り。大盛りのどんぶりを軽々と持ち上げてつやつやした顔でそばをすする様子。美人だからか、それとも宇宙人だからなのかすする音すら楽器を奏でているようでこれは店長じゃなくても褒めたくなる食べっぷり。

「お姉ちゃんこのかき揚げも美味いぞ!」

「いやいや、おじいさん、ここで一番おいしいのはかつ丼ですよ。そば屋は丼ものもおいしいんです」

「お姉さま! デザートにあんみつはいかが? ここはスイーツも注目なんですよ」

「うーん……じゃあそれも全部いただこうかな」

 お客さんから様々な物を続々と貢がれては平らげる様子はキャバ嬢か、アイドルか、いやそば屋なら看板娘か。フロアはかぐやという一等星を中心に盛り上がっているのは間違いない。

「あ、エリ! 今朝ぶり!」

「……」

 目が合う前に逃げたかったのに……やっぱり私の脳には何か仕込まれたんじゃないだろうか。

「……アンタ何してんの」

「何って食事。凄いね、地球のそばはなかなかに興味深い味わいだよ」

「何でここにいるのよ……邪魔はしない約束でしょ……」

「邪魔って、私はちょっとエリの様子を見に来ただけで出前の邪魔はしていないよ。むしろ『売り上げ』に貢献しているんだからナイスサポートでしょ。それに直接の干渉をして来たのはエリの方じゃない」

「ぐっ……」

 確かにかぐやの言うことは一分の隙も無い。理論としては完璧だ。

 ……だとしても、

「そこは認めるけど……じゃあその格好は一体何なのよ」

「ん? これ?」

 かぐやが今着ているのは今朝着ていたTシャツとジーンズではなくなっていた。大胆にもデコルテをだした空色のドレス。桃色の透け感のあるカーディガンを羽織る様は天女を彷彿とさせる。一体何を参考にそんな服装にしたのか……。秘密裏に他の惑星を調査する人間が目立つ格好をするのはいいかがなものだろう。

 それにやはりと言うべきか、かぐやには地球の服が似合わない。どうやって入手したのか知らないけど、今着ているドレスだって相当高価なブランドのものなはず。高い服は着る人間が大したこと無くてもそれなりの人物に仕立て上げる魔力を持っている。けれどかぐやの持つ人ならざる美貌は地球スケールでは収まらないのだろう。いい意味で、彼女は服から浮いていた。

 というかそれだけ豪華なもの着れるなら私のヘアゴム使い続ける必要無いんじゃない。それのせいで格好が輪をかけてチープになっているし。それに……胸元も大胆過ぎて……お水な感じも……みんなデレデレしやがって……。

「おっ、やっぱりお嬢ちゃんの知り合いだったか」

「ええ……まあ……知り合いと言うか……。てか、店長……厨房を出て大丈夫なんですか。滞っちゃいますよ」

「はっは、バイトに気を使われるほど落ちぶれちゃいないよ。今日はもう仕舞だ。あんまり注文が入っちまったもんでこのままだと明日の仕込みの分まで材料使っちまうんだよ。だからもう上がっていいよ」

「え、まだ一時間あるじゃないですか。新規の出前が無くても器の回収は――」

「それが偉い別嬪さんがいるって噂になっちまってな。出前の客もあの美人見に来るために自分で食ったもんついでに戻しに来てんだわ。だから本当に仕事無いの。こんな日滅多にないだろう。少しは早く帰ってゆっくり寝たらどうだ? その眼の隈に疲れた顔も少しは彼女に近づくんじゃないのか」

 がっはっは、と豪快に笑う店長。おいおい……勢いがあれば失礼な事言っていいと思っていないか⁉ 

 とはいえ仕事が本当に無いのであれば帰るに越した事は無い。皿洗いを申し出ても、殺気立っている厨房に入ったら邪魔にしかならないだろう。……店長、奥さんを中心に女性スタッフがめっちゃにらんでますけど。

「……お疲れさまでした」

 今日は店長の背中を押すような返事は無かった。代わりに、誰も彼もがかぐやへ集まって行く。すでにオーダーストップなのに店の外側からも、ガラス戸から出待ちのようにお客さんが。客寄せパンダもここまで来ると感心せざるを得ない。

「あ、エリもう帰るの」

「そう、今日は仕事が終わったからね」

「じゃあ約束通り乗せてよ」

 そう言うとかぐやはするりと人混みなんて無かったように軽やかな足取りで私の下へ。その優美な動きに誰もが陶然とするけど――

「あんなチベスナがかぐやちゃんを……」「お姉さまにあんなへちゃむくれは似合わない」「帰るなら俺が送ってってやるよ!」「羨ましい」などと悲喜こもごもな感情が押し寄せてくる。

「……まぁいいけど」

 一度した約束を反故にするのも筋が通らないし、かぐやの体は人間のそれと別次元の存在で大事無いとは思うけど……この場に残したら絶対ろくなことが起きない。何かトラブルを起こす前に退散するに越した事は無い。

「行くわよ」

 気づけば私はかぐやの腕を引いて勝手口へ向かっていた。

「やぁんエリったら大胆」

 ……お前っ、何で火に油を注ぐような事言うんだよ……っ‼ 見上げるとそこには「てへっ☆」といたずらっぽい表情をするかぐやが。……確信犯じゃないか!

「帰すんじゃなかった」おい店長! 「面白くねーな……」「私達も帰る?」全くかぐや一人が動くだけでなんでこんなににぎやかになるのだろう。私はただ、静かに生活したいだけなのに……。

「注文をお持ちしました――」

 すれ違いざまに、冷め始めた空気を引き締めるような絶対零度の声色が店内を制圧する。奥さんを中心に女性スタッフ、彼女たちは両手いっぱいに注文の品を抱えながら――背中を見ただけで分かる。「まさかこれだけ作らせておいて一口もつけずに帰るのか」と。

「……」

「……」

「……」

 彼女たちに気圧された客たちは静かに席に着いてそばをすすり始めた。果たして宇宙人でない老若男女が大盛りのそばの山を平らげることが出来るのかそれはそれで興味があったけど、今は逃げるのが先だ。

「エリ、ちょっと痛い」

「うるさい! 誰のせいでこうなったと思ってんの!」

 さっさとかぐやを前カゴに乗せて――あんだけ食っても軽いなコイツ――カブをキックで始動させる。九時台だとパクられるかもしれないけど制限速度も二人乗りも気にしている暇なんて無い。シフトペダルを踏んでもしっちゃかめっちゃかになった心は切り替わらない。

 とにかく家へ。誰かに見られる前に、ストーキングされる前に家に。急発進させた原付は過去最大に良い加速を見せてくれた。それでも私の心は晴れない。かぐやが地球にいる限り「一人で静かに暮らす」事が出来ない。自分の信条がへし折られるのがこんなにも不愉快なのか。

「風が気持ちいいね~~」

「ちくしょおおおおおおおおお!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る