2―4

「あれ、今日はスーパーに寄らないんだ」

「……」

「エリのお気に入りの場所、ちょっと寄ってみたかったのに残念」

「……」

「ねぇ、いつまで黙っているの?」

 ……誰のせいで不愉快な気分になっているのか分からないのかコイツは。

 かぐやの施術のおかげで目の前の彼女の姿をある程度透過させることが出来る。でも、うすぼんやりと残る輪郭に彼女の声を聴くと存在感は逆に増してゆく気がする。全く、なんでかぐやは僅かな星明りだけでもその身を輝かせられるのか……。

「……別に、早く帰りたいだけよ……」

 子供をあしらう親ってこんな感じなのだろうか。仮にこれが私の親としての在り方なら多分子育てに向いていない。やっぱり家庭は余裕を持った人間じゃないと持てない。それこそ目の前のデカイ子供を受け入れられるような大きな度量が求められるのだろう。

 そして私にはそれが出来ないから、会話を打ち切るための一方的な答えで返すだけ。我ながら本当に……ガキっぽい……。

「なるほど……じゃあ早く帰れればエリは機嫌がよくなるわけだ」

 簡単に言ってくれる。体重もノリも、何もかもが軽い。確かに科学技術はそっちが進んでいるのだろうけど、生憎人の心には疎いと見える。まあ、恋心なんてくだらないものを知りに来たんだったら本当気楽よね。軽くお茶でも飲みながら軽いノリで薄っぺらいトレンディードラマでも見ていれば、軽いレポートが仕上がるんじゃなかろうか。

「ほんと軽……――っつ⁉」

 軽い。まずハンドルから感じるタイヤの摩擦が消える。風の勢いに反比例して後輪の加速がグングンと伸びる重量感が消える。

「ちょっ! 待って待って!」

「~♪」

 いつの間にかおんぼろカブは私達を乗せて、あの名作映画のように宙を浮いていた。

 一体どんな技術を使えばこんなことを出来るのか、地球の科学技術をベースにしている私にはさっぱり分からない。一つ分かるのはバイクで飛んでいるのに全く恐怖を感じない事。道を踏んでいる感覚こそ無いけど、スピードはアクセルワークで制御出来ているし、ハンドルをきつく握らなくてもお尻やフットペダルの方にちゃんと重力を感じるので振り落とされる心配も無い。強烈な事に今まで通りバイクを運転する感覚で空を飛んでいるのだ。

「……すごい」

 原付バイクにとって天敵である坂をひとっ跳び、直線距離であっという間にボロアパートの駐車場へ吸い込まれるように降り立つ。

「………………」

「楽しかった?」

 かぐやはカゴから降りると満面の笑みで私の顔を覗き込んでくる。

「………………」

「あれ……エリ……大丈夫?」

 対する私は情けない事に腰を抜かしていた。カブをニュートラルに入れる力だけは残っていたけど、それ以降全く下半身がいうことを聞かない。

 今回ばかりは情けないけどかぐやに肩を借りて自宅まで移動する事に。……土を踏む感覚がどうにもしっくりこない。頭の中が常に浮いているような、地に足が着かない感覚は良くも悪くも刺激が強すぎた。

「ごめんエリ。怖がらせた?」

「……」

 正直に言えば原付版空中浮遊はとても楽しかった。昔一度だけ連れて行ってもらった遊園地、そのジェットコースターを思い出して……あの頃もいい思い出があったのか……。

 ただ、かぐや式の好意をそのまま受け取るのは私のプライドが許さない。人格は子供っぽいのに、やる事は地球のスケールをはるかに超えている。慣れたと思ったら二弾、三弾とさらに上の衝撃をお見舞いしてくる。カブの上で気絶しなかったのはライダーのプライドか。とにかく、付き合うたびに私には彼女を受け止める余裕が無いことがハッキリする。

「……悪くは無かったわよ」

 だから私は、大変に子供っぽいけど、肩を貸してもらっている相手にこんな言葉でいなす事を選んだ。全く、我ながら情けない。

「よかったぁ。時間もまだ九時半だし、今日は大分ゆっくり過ごせるんじゃない?」

 私に残された唯一の自由時間。確かに今日は二時間得している。玄関に入るとボロアパートの饐えた匂いが私を現実に引き戻してくれる。私はかぐやに肩を貸してくれた事を感謝して、シャワーに夜干しに支払いの確認に、日常のあれこれをじっくりと時間をかけて行うことが出来た。

 流石に風呂場には入ってこなかったけど、かぐやは私がする事に一々くっついてはあの無表情で質問をして来た。調査員の、仕事モードのかぐやはさっきまでの破天荒なしぐさからは別人でこのときばかりは彼女はなのだなと……普段もこっちでいてくれればいいのに……。

 そしてやることが尽きると途端に――

「それじゃあエリ、夜もまだこれからが本番。って事で恋バナしようぜ!」

「……却下」

 全く昼の内にどんな調査をして来たんだか。調査員の顔で真面目に「恋バナ」ねぇ。

「えー、せっかく時間的に余裕が出来たのに。良い機会だから恋に恋する乙女な現役女子高生に恋愛観について直接聞いてみたかった」

 かぐやよ、アンタがどんな基準で私を一方的にパートナーとやらに設定したのかは知らないけど、少なくとも恋愛観のサンプルの点において私は全く参考にならないと思う。

 恋愛なんて金銭的、時間的、人格的に余裕のある人間にしか出来ないだろう。

 そして私には三つの内のどれも無い。貧乏くさい子供と付き合いたい奴がどこにいるやら。同級生だって遊びたい盛りだと渋谷でショッピングしたり原宿でクレープなんてするらしい。さすがにそんな事をするお金も時間も無い。東京までカブでどれくらいかかることやら……。

 加えて……私は私を捨てた両親と、そんな両親を生み出したこの社会を許せない。テレビなんて父親が出ていってから見た事無いけど、いわゆる小公女みたいな貧乏な主人公は聖人かってくらい広い心の持ち主だった。で、そんな人間なら自他問わずに壁が無い。けれど……自分の事は自分が一番分かる。人間は結局一人で生きていくしかないんだ。

「……生憎時間が余ったら寝る事にしているの」

 なんてこと、出会って一週間も経っていない宇宙人に言う必要なんてない。私に趣味らしい趣味があるとすれば寝る事。かぐやから貰った視覚はかなり便利だけど、能力にふさわしいカロリーを消費した。それに慢性疲労の私にとって睡眠は限られた回復手段だ。時間が節約できたのであれば睡眠に使ってしまうのが最も効率的。

 けれどかぐやは諦めた素振りを見せない。今日は寝室にまでついて来た。ニコニコと笑顔で後ろを着いてくる様子は今度は大型犬か。印象をコロコロと変えて忙しい奴め。

「……しないわよ」

「わぁー頑固。でも、それじゃあ不公平かなぁ……」

「……不公平?」

「こういうのはどう? 私は今日月見庵に調査と準備に訪れたことでエリが時間を短縮させるのに大きく貢献した。多分あの様子だと店長さんはエリのコネを考慮に入れて時給を上げる可能性だってある。噂では店長さん今度は市内に二号店の展開をもくろんでいるらしいし、そのための資金集めっていうの、このタイミングで売り上げが上がるのは嬉しいだろうね」

「……」

「エリはお金と時間が大好きなんでしょ。加えてもう一つ。私達が出会った夜にエリが崖にぶつけたカブ。私はあの時ついでにバイクを直しちゃったけど、実費だといくらかかっただろうなぁ……」

 ……なるほど、ここ数日やけにカブの調子が良いと思ったらかぐやの仕業だったのか。あんな見事な空中浮遊をいきなりやってのけたのもすでに仕掛けが終わっていたから。

「……その心は?」

「エリのQOLに貢献した分私も美味しい目にあっていいと思うんだよね――」

 取引ってやつ、とかぐやはしたり顔で言葉を切る。なるほど「取引」ね。確かに、それは心が躍るフレーズだ。

「……はぁ、分かったわよ。儲かった分だけ条件を飲もうじゃない」

「あれ、結構粘られると思ってまだ色々仕込んできたのに、エリって結構ちょろいね」

「その様子だとアンタ絶対にあきらめないでしょ……。だったらいいところで譲歩しないと時間の無駄だもの」

「うん、実にエリらしい」

「それってケチって意味?」

「いや、素直でカワイイって褒めてる」

 素直って……調子狂うな。一体昼間の内にかぐやは何を調査してきたのやら。とりあえずこの町にかなり馴染んだことだけは確かだ。二号店の話なんて店長私の前で一切しなかったし。

 けど、恋バナだなんて実際やってみたら一言「どうでもいい」で終ってしまいそうで、実際のところこれが本音だ。それはなんだか取引までもちかけてきたかぐやに不誠実な気がするし、何より――

「――ふわぁ……、じゃあ私寝るから、恋だの地球人の価値観だのなんだの、頭に指つっこむなりして調査していいわよ」

「エリいきなり大胆じゃない? それは私的に嬉しいけど、体は大事にした方が良いよ」

 他人の思い出したくも無い記憶をほじくり返しておいて何を今さら……おいそこ! 頬を染めるんじゃない。

 別に体をないがしろにしようとしている訳じゃない。数日しか過ごしていないけど、かぐやは少なくとも誰かに危害を加えるような奴じゃないと思った、それだけ。一応その辺りは評価してやらないと地球人代表としてあまりにみみっちいと思った。それ以上でもそれ以下でもない。

 それに……もう……本当に――

「――ごめん……ちょっともう限界だわ……あとは好きにやっておいて――」

 布団の上で体が崩れる。金曜の夜、学校とバイトで酷使してきた体は限界を迎え私の意識は真っ逆さまに落ちてゆく。週末の私は大体こんな形で眠りにつく。常に戦場に身を置いている状態、そこから少なくとも学校から解放されるとなれば緊張の糸をようやく緩めることが出来る。かぐやに体を許した理由はここにもある。少なくとも今からの時間の私は全く使い物にならない。それならば彼女に勝手に体をいじらせておく方が効率的だと判断しただけ。

「……」

 眠るとき私はどちらかといえば夢を見ないタイプの人間だ。あるいは今日みたいに消耗しすぎて夢を見る余裕も無いと言うのが正確か。毎日お金のために街の中を駆けずり回って同じ事の繰り返し。とりわけ高校生になってからは全く見なくなったから我ながら寂しい奴だと思う。

 夢は記憶の整理。だとしたら、昨日見た走馬灯のように、今見ている物もかぐやがアクセスしている私の記憶の一部なのだろうか。

「……」

 とある真夏の日。リビングの窓を全開にしながら涼んでいる小学生の私と母親。まだ私の中で世界が絶対だった頃だ。私は母親に膝枕されながら団扇で顔を煽がれてそれはもう気持ちよさそうに寝付いている。目に隈も無ければ眉間にしわも無い、自分でも驚くくらい素直な寝顔……。

「我ながらすごくアホっぽい」

 ……いや待て、というかかぐやはなんでこんな物を見ているんだ? こんな世間ずれもしていない何も考えなかった頃の記憶なんて掘り返しても意味ないんじゃ。恋愛とか他人に関心を持ったのは中三……いや、あの頃の記憶は本当に酷いから思い出したくも無いけど、少なくとも私の人間観をサンプリングするのであれば高校入学以降の記憶では無いのだろうか。

 そんな私の予想を裏切るように夢はどんどん私の過去を再生してゆく。母親と一緒に誕生日ケーキを食べたり、アパートの外で安い花火で遊んだり、割と幸福だった頃の記憶を――

「ううっ……」

「ごめん、起こしちゃった?」

 目の前には再びのかぐやの顔。着替えてもヘアゴムは気に入っているのか、今度はまとまった房が猫の尻尾のように私の頬をくすぐっている。

「別に大丈夫よ……いつもの癖で……一度この時間に起きちゃうの」

 スマホのアラームこそ鳴っていないけど、部屋の時計を見上げると時刻は午前二時五十分。我ながらワーカーホリックな体内時計だ。

「今日もバイト? 準備手伝おうか」

「大丈夫……土曜日だけは一日休めるように……少なくとも新聞配達は入れないようにしているの……」

 再び瞼が落ちてゆく。覚醒からは程遠い感覚。誰かがバックれたりしない限りヘルプには入らない事にしている。こんな状態でカブに乗ったら居眠り運転どころか配達中に民家に突っ込みかねない。これが男の体であれば多少の無茶が効くのだろうか。そう言えば……母親も土日は朝ぐったりしていたっけ……。

 慣れとは恐ろしいものでかぐやの指が、手が、全身に走ってももはや恐怖を感じない。むしろ……目の時と同じでどんどん体がほぐれている気がする。……その度に母親の記憶が浮かび上がるのは不愉快だけど、とても、心地が良い……。

「んん……」

 目覚めた時には午後二時。陽光は焼き付けるように窓を照らしてアパートの中は蒸し風呂状態だ。それでも目覚めは爽快で久しぶりにまとまった睡眠を取った気がする。

「だいぶ寝ていたけど大丈夫? 予定とか無い?」

「私が週末は友達と遊びに行くタイプに見える?」

「それ自分で言っていて辛くない?」

「うっさい!」

 かぐやが心配するような予定は特にない。私は友達なんてぜいたく品を持っていないし、各種料金の払い込みも銀行が空いていないと、うっかりATMで払ったら余計な手数料がかかってしまう。最近はコンビニでも払えるものもあるけど、アパートから最寄りのコンビニまで原付で十分程度、距離的にも燃費が中途半端でわざわざ行く気になれない。物も高いし。

 タオルケットを払いのけながらキッチンにある冷蔵庫へ。かぐやが全身を調したおかげで肉体は健全な食欲を主張していた。普段であれば夕飯まで二度寝して食費を浮かすところだけど、人前でお腹を鳴らすのは流石の私でも恥ずかしい。まぁ、相手は宇宙人なんだけど……。

「いただきます」

 特売品の半額で買ったチキンカツサンド。本当はレンジで温めた方が美味しいけどこうも暑いとホカホカした物を食べたくない。五分もすれば自然と温まってしまうし、その前に胃にほおり込む方が気分的に良い。しかし味が……昨日冷房の効いたバイト先で贅沢な物を食べてしまったのも相まってパンもチキンもものすごくパサパサしていて正直言ってマズい。麦茶で流し込みながらやっぱり贅沢はするものじゃないなと思わざるを得ない。

「それ痛んでいるよ」

「知ってる。この季節じゃウチのおんぼろ冷蔵庫なんて麦茶を冷やすので精いっぱいだもの。前にお弁当の肉が腐りかけていた事もあったわ」

「せめて賞味期限普通のヤツ買おうよ」

「世の中には有害な物質が入っていると分かっていても泥水をすすらなきゃ生きていけない人もいるのよ」

 流石にこの例えは極端すぎるけど、日本でも日々のパンに困る人間がいるのが実情だろう。私はギリギリ人間の生活が出来ているけど……てかアンタはおかあさんか。

「エリの体を色々と調べさせてもらったけど、同世代の女子と比べるとやせ過ぎだし、蓄積していた疲労も凄まじかった。あと一年同じ生活をしていたら間違いなく壊れるよ」

「アンタ私の記憶を見たんでしょ。だったら我が家の財務状況を知っているはずよ。両親がまとまった金額を振り込んで来ないの! たまにツケを返すように多すぎるくらい振り込んでくるけど、基本的には保って二週間とかはした金ばかり。自分の生活を快適にするには私が一人で頑張るしかないの」

「せめてどっちかのバイトを辞めないと、具体的にはまず自律神経失調症になるかな」

「人の話を聞きなさいよ!」

 駄目だ。またかぐやのペースに乗せられている。この宇宙人はなんでこう頑固なんだろう。

 一方で、自分の体が危ないのは私も自覚している。目元の隈に、半開きの瞼。昨日の就寝方法なんて最たるものだろう。かぐやがいなかったら、人目を気にしなくていいなら気絶同然で布団にダイブしていた。毎週がアレなのだ。恐怖が無いわけじゃない。でも人間麻痺させなければいけない部分だってある。

 国家公務員、いや惑星公務員と言うべきか。その職業に就くのにそれなりの努力はしたのだろうけど、本体が母星で十全なバックアップを受けている殿上人に底辺地球人の苦労なんて分かるはずもない。仮に今のかぐやが同じ分働いても活動体とやらの宇宙人パワーで配達だろうが接客だろうが万能に軽くこなしてしまう。人間と同じスケールの肉体だからって、苦労まで同じように味わえるわけでは無い。

 だったら――

「あのね、まずはこれを見てちょうだい」

「なになに?」

 福沢諭吉。私は財布から虎の子の一万円札をとりだしてかぐやに見せる。

「イースがどんな文化体系をしているのかさっぱりだけど、少なくとも地球では何をするにしてもこれがものをいうの。これが無いと物事のスタートラインに立てない」

「ああ、通貨ね。なるほど月見庵でお客さんが店員に渡していたのはいわゆる『お金』だったわけだ」

「……アンタ無銭飲食していたの?」

「まさか、料金はきちんと皆が払ってくれたよ。みんな『自分がおごるから』って。なるほど、『おごる』って支払いを肩代わりするって意味だったんだ」

 ……コイツ、格好通り貢がせていたのか。というか、むしろそのための格好だったんじゃ。

 まあいいや、問題はそんな所じゃない。

「かぐや、もう一度よ。私からバイトを辞めさせたいのだったら、手始めにどちらかのバイトを辞めても大丈夫なだけのお金を用意してちょうだい」

 私だってこんなキツイ生活止められるものであれば止めたい。しかし貧者に自由は無い。明日のパンも買うに困るのであれば目の前の無茶に飛び込むしかないのだ。

 永久機関とやらが実現しているのであれば、おそらくイースには貧困の概念なんて無いのだろう。貨幣の概念もとっくの昔に駆逐されているっぽいし。まったく羨ましい。

 かぐや姫といえば難題がつきものだ。かのお姫様は自分に言い寄って来る貴公子たちをあしらうために、彼らそれぞれにまともな手段では得られないお宝を要求した。今回は難題を押し付ける形だけど、世間知らずなお姫様にはそろそろ現実ってやつを教える必要がある。

「ふ~ん……これが紙幣ね……」

 かぐやは調査員モードの無表情で福沢諭吉をなめるように見る。まずは一万円札と言うものがどんなものなのか物理的に観察するようだ。

 かぐやはそのまま流れるような手つきで私からお札を抜き取ると日の光に透かしてみたり手触りを確認したり――

「えい」「ビリッ!」「ギャッ!」

 ……破ったり⁉ 一万円札は真ん中からカッターナイフで断裁したごとく綺麗な一直線で二等分されてしまった。

 その後もかぐやの蛮行は終わらない。一万円札をちぎっては投げちぎっては……「キュウ……」「ちょっとエリ⁉ 大丈夫⁉」

 あまりの惨状にテーブルに突っ伏し食器が跳ねたり麦茶がこぼれたりしたけどそんなのどうでもいい……。アレは今月最後の一万円。そりゃATMから引き出せば搾りかすみたいな金額が残っているけど……今日明日の土日じゃ手数料がかかるし、間の悪い事にお財布の中には小銭しか残っていない。特売品でも一食分しか買えない……。

 こんなオチなら宇宙人に都合のいいこと要求するんじゃ無かった……やっぱりお金は自分一人の力で稼ぐべきなんだ。

「なるほどね……組成がこれなら後は……」

 部品の七割程度が残っていれば、お札というのは汚損・破損してもピン札と交換してもらえる。しかし目の前の宇宙人にそんな知識は無いだろう。福沢諭吉の解体ショーもいよいよ大詰め、一片が紙吹雪よりも細かい単位に次々と引き裂かれてゆく。復元するにしてもジグソーパズルよりも高難易度のそれこそ難題に頭が痛い……。

「よし! 出来た」

 しかしかぐやの手は止まらない。分解の作業が終わると今度は紙くずの山を一片も取りこぼすことなく手のひらの中に収めて――

「えい」

 叩く。するとかぐやの手のひらの中からピン札が一枚現れた!

「!!!?」

「えい」

 もう一つ叩く。するとまたももう一枚お札が生まれ、それから彼女は両手を叩き続けては造幣機のように一万円札を噴き出していった。

「ポケットの中には~」から始まる有名な童謡がある。ビスケットをポケットの中に入れて、その状態のポケットを叩くと中でビスケットが二つに、もう一つ叩くとビスケットが四つになっているというアレ。現実的に考えると、ビスケットは増えているのではなく割れて二等分、さらに二等分と元の質量から減少している訳で、叩き続ければビスケットは粉々になるのがオチだ。

 けど、かぐやの手のひらは不思議なポケットにふさわしい働きをしていた。いつの間にかテーブルの上には彼女が生み出していた紙屑の数以上のお札の山で溢れている。

「永久機関だ……」

「とりあえずエリを買うのにこれだけで足りるかな?」

 なんてことない表情でかぐやは言う。

「……」

 私は恐る恐るお札に触る。この手触りは間違いなく一万円札そのもの。透かしも、自分で分かる範囲のギミックも完全に再現されている。パッと見で偽札なんて分からない。機械式のレジスターが導入されていない店舗で使用すればそのまま通用するであろう完璧なお金が目の前にどっさりと……。

「てかアンタ髪短くなってない?」

 私の言葉にかぐやの造幣作業が止まる。私の見間違えでなければ彼女の毛髪は腰まであったはず。それが今では首元まで長さを縮めているのだ。

「ああこれ。能力を消費したから質量を減らしてしまっただけ。活動体に影響は無いから気にしないで」

「かぐやの能力って万能じゃないの⁉ 光ったり、飛んだり、今だって錬金術使っているじゃない」

「エリは面白い事を言うね。万能だったら母星の人口減少問題もとっくに解決しているよ。これは活動体が持つ分子操作機能の一つ。昨日の飛行で言えばバイク周辺に大気中の分子を集めて見えない道を作ったの。今の造幣なら私がストックした質量を分解、紙幣の構成に再構築しているだけ。イースではこの技術を応用して製造は3Dプリンティングしているね」

「……」

 あっけらかんとしているけど……それって要はかぐやが能力を使うたびに体が縮んでいるって事じゃない! じゃあ目の前のこれは文字通り身銭を切って作ったって事……。

「それって痛くないの……」

「ん? 痛い?エリはまた変な事聞くね」

 かぐやは再びなんてことないという表情で言葉を続ける。

「エリのおかげで人体における痛みの再現は進んだけど、結局のところこれ(・・)は活動体の能力に過ぎないし、能力の使用時に痛みなんて感じるように設定する調査員なんていないとは言えないけどよほどの変わり者だね。

 結局これは仮の肉体であってどれだけ破損しても本体に悪影響は無い。だからエリが心配するような事は大丈夫、全然無いよ」

「……」

 どれだけ見た目が近くても、どれだけ親切に接してきても、結局のところかぐやは宇宙人だ。そう思う場面は今までに何度もあった。

 けれど今日このときほどそれを自覚した瞬間は無いだろう。技術的スケールに、イースの思考、何よりも活動体というアバターを通したコミュニケーションというのは本質的に遠いのだ。そりゃ基になる常識が全く違うのだから、かぐやだってそれを埋めるために調査活動をしているのは分かる。だからこそ、私はかぐやが何をもって行動しているのか、その真意が分かりかねて……こわい……のか⁉

「それにほら」

 私の未知の感情をよそにかぐやの手が真っ直ぐもう一切れのカツサンドに届く。彼女はそのままもしゃもしゃとそれを咀嚼すると――

「質量さえ充填すれば元通り。だからエリが心配する事はなにもないよ」

 カツサンドに一体どれだけのカロリーが込められていたのか分からないけど、これで外見上かぐやは元通りの長髪を取り戻した。ヘアゴムの根元を確認し、その質量に満足する。

「ははっ……」

 何だろう、考えるな、感じろと言うか、ここまで漫画みたいな場面を見せられると……変な笑いが込み上げてくる……。

「?」

 それと同時に「ぐう~」とお腹が鳴る。

「とりあえずカツサンド返せ」

「あれそばと比べて酷い味だったよ。当然痛んでいるし、あれと同じものが食べたいの⁉」

「まさか、人から獲った分利息を付けて返しなさい。アンタが寄りたがっていたスーパーに今から行くわよ。当然かぐやのおごりでね」

「そんな~もうこんなにお金をあげたのに。理不尽!」

「そんなもん知らん!」

 理不尽、ね。かぐやにだけは言われたくないわよ……。


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