第28話 殉教者

「オーパ。本庄さんに操への伝言伝えて無いよ」


 病院の廊下を歩きながら、レンは話しかけた。ヴァイス博士は立ちどまらずに、レンの肩に手を置き宥めるように言葉を口にする。


「警察の兄ちゃんは、お前の気持ちを汲んでちゃんと伝えてくれるじゃろうて、これ以上何を言うのじゃ?」

「それは……」

「レン、お前に出来ることは生き残ることじゃ! 生きていればいつかきっと、また会う日も来るじゃろう。さぁ、行くぞ!!」


 病院の玄関を出た先のロータリーには客待ちのタクシーが止まっていた。二人が乗り込むと、タクシーは静かに動き出した。


「ねぇ、オーパ。せめて操の食堂の近くを通ってよ」

「仕方ないのう。運転手さん! 日の出町経由で行ってくれ!」

「はいよ」


 タクシーは、伊勢佐木町を通り過ぎて大岡川を渡る。立ち並ぶ掘っ立て小屋の先には、この街に来て初めの頃、二人で泊まった旅館がちらっと見えた。そのまま川沿いを走り、車はやがて日の出町駅へ。車窓の外には、早めに上がった日雇い労働者たちが、トラックから降りて酒場に繰り出すのが見える。レンの心には、初めて独り立ちしようと頃のことが頭に浮かぶ。


「おっちゃん元気にしてるかなぁ」


 赤レンガ近くのジャンクヤード。磁石に屑鉄と一緒に吸い上げられた思い出。過ぎゆく思いが、走馬灯のように頭に浮かんでは消えていく。

 タクシーが商店街の近くへ差し掛かった頃、にわかに辺りが騒がしくなった。数台のパトカーがレンたちの乗ったタクシーを追い越して、商店街の中へと曲がって行った。


「オーパ! まさか?!」

「運転手さん! 右に曲がってくれ!」


 表通りから商店街の中へと進んでいくと、食堂の周辺にパトカーが集まっていた。手前で降りると、最前のパトカーが逆さまになり、ドア付近に血の流れた跡がくっきりと残っていた。規制線の前に十数人の警官が険しい顔をして中の様子を伺っていた。


「ここから先は、進入禁止だ。おい! 待ちなさい君!!」


 レンは、警官の制止を無視して規制線を乗り越え、食堂に突入した。博士もその後を追う。


 果たして、食堂の中には、独りだけの客が座っていた。しかも、その対面には……。


「操!」

「レン、くん……」


 いつもとは違う、強張った表情でレンを見つめた操が座っていた。彼女の脚元は小刻みに震えていた。対面の男は、よれよれの三つ揃いのスーツに山高帽を被り、サングラスの奥の顔はグルグルと包帯が巻かれていた。


「やぁ、ずいぶんと早く着いたね」


 蓮實が言葉を口にしたが、レンは無視して操の心配をする。


「大丈夫か操?」

「私は何でも無い。でも……、お巡りさんたちが」

「おじさん達は?」

「外に逃げたから大丈夫」


 操の言葉に少し安堵したレンは、首を蓮實の方へ向けた。


「何が望みだ?」

「まぁ、座ったらどうだね? ヴァイス博士も余り火傷をしなかったようで何よりですね」


 蓮實は落ち着き払って、余裕の笑みを見せた。蓮實を睨み続け、今にも殴り掛かりそうなレンに博士が言葉を掛ける。


「レン! 今は言うことを聞くんじゃ。ここで事を構えても、嬢ちゃんに被害が及ぶだけじゃ」


 レンは蓮實から視線を離さずに操の左隣に座り、ピッタリと身を寄せた。博士は座らずにその横に立った。蓮實は口角を上げ、不気味な微笑みで前にいる3人を見つめる。


「ふふっ。そんなに怖い顔してどうしたんだね?」

「用があるのは俺だろ? 関係ないこの子を解放しろ」

「そんなに怖がらないで。取って食おうという訳じゃ無い」

「53号。こんな騒ぎを起こして、どういうつもりじゃ? 世間へのアピールか?」

「それは、あなた方次第ですよヴァイス博士」

「俺が死ねば良いのか?」

「レン君!?」


 操はびっくりした顔でレンを見つめた。


「愛する者のために死を選ぶか……。ははっ。まるで特攻隊みたいだね!」蓮實は両手を叩いて笑い、首を仰け反らした。「しかし、私は違うよ。自己犠牲の精神なんて時代遅れだ。そんなのは主体性を放棄した責任逃れの文化だとは思わんかね? レン君、私と組まないか?」

「お前は、俺を殺すと言っていたじゃないか」

「ハッハッハッハ」蓮實はゆっくり拍手しながら大きく笑った。「殺すとは言ってない。破壊すると言ったんだ」

「それでも、父さんの血を絶やすって……」

「ああ! アレは僕としたことが演技に酔ってしまっていてね。ちょっと言い過ぎたね。実際の所は、この磁力を操る腕が目当てだったのさ。血縁だとかそんなサムライみたいな考えは持ってはいないよ。僕が恨む相手はただ一つ……」


 包帯の隙間から見える口元が大きく釣り上がり、不気味な笑顔を絶やさない蓮實。


「レンに……」博士が言った。「レンに何をさせる気なのじゃ?!」

「横須賀の戦艦を奪取し、核兵器を掌握するのを手伝ってもらう。……我々とね」

「53号! お主、本気で国を滅ぼすつもりか?」

「13年前にこの国は滅びましたよ。今は日本国とは名ばかりのアメリカの植民地だ。こうなる前、私は元々新聞記者でね。政府の横暴を常に監視してきた。そして、戦後の成り行きにもずっと注視してきたんだ。このまま行けば、愚かなアメポチ政治家どもの所為で、共産主義国と争う前線基地にさせられてしまう。そうならないためにも、我々機械化新人類がこの国を支配し、対外的にも、核兵器の力でアメリカにも共産主義にも与しない第三勢力として真の独立を勝ち取るのです」

「そんなの上手く行く訳がない。上手く行く訳ないぞ!」

「まぁまぁ、落ち着いて博士。私は別に議論をしに来たんじゃない。なぁ、レン君。君もお母さんやお父さんを奪ったアメリカが憎いだろ?」

「でも、あれは、俺も悪いから。言う事を聞かないで、防空壕に逃げられなかったから……」

「ほほう! ヴァイス博士にそう教えられたのか?」

「え?」

「違う! 止めろ! その話をするんじゃない!!」


 レンは、慌てふためく博士の方へと振り返った。


「どうしたのオーパ?」

「そいつの言う事を信じるな!」

「何を知ってるの?」

「レン君。終戦間際、ヴァイス博士が君らの居た、って私も居たんだが、秘密研究所の場所をアメリカのスパイに教えたのはご存知かな? それもあの日、独りだけ都合よく出張に出ていたことも……」

「どういうこと、オーパ?」


 レンは立ち上がって、博士に詰め寄った。博士は気圧されたように後退る。


「違うんじゃ! あれは、あれは、アメリカに騙されて……」

「本当なの?」

「今まで黙っていたのはすまんかった。しかし、ワシはずっとそのことを悔いて……」

「お前の所為なのか? 全部、オーパ、お前の、お前の!!!」


 レンは、博士の首に左手を伸ばして首を鷲掴みにすると、顔に怒気を孕ませ、上へと引き上げた。


「苦じい……、息が、ヤメ……」

「お前が、お前の所為で俺は、俺は!!」

「レン君止めて! お爺さん死んじゃう!」


 操が席から立ち上がり、止めさせようと後ろからレンに縋りついた。


「うるさい!!!」

「きゃっ!」


 しかし、止めに入ってきた操をレンは乱暴に振り払った。操は投げ出された拍子に机の脚に頭をぶつけ、血が額を流れ落ちた。


「操!!!」


 我に返ったレンは、倒れこんだ操の元へ駆け寄り、その身を抱きかかえた。


「操! しっかりしろ! なんで、なんでこんな……」

「うっうぅ……。私は大丈夫。レン君、あんな奴の言葉に惑わされちゃダメだよ」

「レン、お前は私と同じだ。被害者なんだよ。欲に目がくらんだ連中の。さぁ、こっちに来るんだ。お前自身が世界を変えるんだ」

「ゴメンね」


 そう言ってから操を床に座らせて手を離し、蓮實の方に向き直った。


「ダメ、だよ……。レン君! いっちゃダメ!!」

「おれは、おれは……」

「そうだ、立ち上がれレン!」

「行ってはならぬ。その先に有るのは、恐怖じゃ、恐怖と絶望のみじゃレン!!」

「俺は、あんたの孤独と、悲しみが分かる」


 レンは蓮實に一歩一歩近寄りながら言った。


「そうだろう。そうだろう。我ら同じ苦しみを分かち合える、唯一の存在なのだからね」

「俺たちは存在しちゃいけなかった。俺たちの存在自体が罪だから。でも、俺は操を護るために、操の居る世界を護るために。そのために俺は自分の命を差し出す」

「ダメ! レン君!! イヤー!!!」

「そうか、殉教者の道を選ぶのか。残念だよ。余り苦しまないように息の根を止めてやるよ!!!」


 そう言い残し、蓮實がレンに襲い掛かろうとしたその時、表の壁を突き破ってパトカーが突っ込んで来た。車と壁の間に挟まれる蓮實。運転席の窓を開けて本庄が叫んだ。


「早く逃げろ!!!」

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