第29話 バイク

 レンは、ヴァイス博士の元へ駆け寄り、彼を抱き起した。


「オーパ。スクラップ場に」

「まさか?! お前!!」


 レンは、一瞬、陰のある笑顔を覗かせた後、操の元へ駆け寄り、彼女の手を取った。


「逃げるよ操」

「え? ちょっと、何処へ行くの?!」


 突然の事に操は訳も分からず、レンに連れられて一緒に店の外へと駆け出した。


「おのれ、人間風情が!!」


 後輪を空転させ、壁に押しつけてくるパトカーを蓮實は両手でグッとバンパーを掴んで押し戻した。店の中には摩擦を受けたタイヤから煙とともに、焼けたゴムの匂いが充満していく。


「ハマの警察なめんじゃねぇぞ!」


 壁に激突した衝撃で、流れ出た額の血が目に垂れてきた。手で顔を拭いながらも、本庄はアクセルは緩めない。


「オラァー! 邪魔をするな! 人間ごときが!」


 蓮實が横にパトカーを払いのけ、勢い余った車はそのまま厨房に突っ込んだ。運転席側のタイヤがギリギリ博士を掠めて行った。


「ちゃんとブレーキ踏め! バカもんがぁ!!」

「血が目に入って、良く見えないんだよ!!」


 二人が罵倒合戦をしている時、蓮實の視線の先では、原付白バイに跨り走り出そうとしている二人が見えた。


「お願いです! 操にヘルメットを!!」

「しかし……」


 モタモタする二人の元へ、蓮實が歩みを進めようとした所に、本庄のパトカーがバックで突っ込み吹っ飛ばした。


「行かせてやれ!」


 食堂からバックで出て来たパトカーから、本庄が叫んだ。警官は渋々といった感じでヘルメットを操の頭に被せてやる。


「君の方は大丈夫か?」

「ありがとうございます。平気です」


 レンはそう言い残すと、キックスターターでエンジンを掛け、アクセルを吹かすと、


「操、しっかり摑まってて! 絶対に手を離すなよ!!」

「わかった」


 クラッチを繋いだ瞬間、前輪が立ち上がる。


「キャー!!」


 操の腕に力が入る。バイクは、そのまま加速し、アーケードの掛かる歩道を疾走する。


 ――ガン! ガン! ガン!


 鈍い金属音をたてながら、蓮實が後を追う。ボロボロになった服の隙間から、鈍い色の金属が光るのが見えた。


「曲がるぞ!」

「わわわ、スピードですぎだよ! ぜったい曲がり切れないよ!」


 レンは左手を伸ばし、アーケードの柱に磁力を飛ばす。バイクはほとんど地面と水平になりながら速度を落とさずカーブを曲がった。


「逃がすか!」


 蓮實は、磁力の引力と自身の跳躍力を使って、2階建ての建物を斜めに跳び越え、大きくショートカットしてきた。

 レンはもう一度左へ曲がり、細い小径の飲み屋街へ入った。表の商店街の騒ぎとは関係なく、賑わいを見せ始めた飲み屋街。レンは左手をかざして、鉄パイプ製のイスやテーブルを後ろへ吹き飛ばした。


「危ない!」操が叫んだ。「前が塞がってる!!」


 千鳥足の労働者たちが狭い道の前を塞ぐ。レンは、2階のベランダに掛かる鉄柵に向って左手を伸ばし、股でバイクを挟みこんで飛び上がった。


「ぐぇっ!」


 労働者の頭にタイヤの跡を残しつつも、なんとかギリギリ跳び越えることが出来た。ふわりと着地したバイクは、そのままフルスロットルで小径を走っていく。


「何しやがんでー!」


 地面に倒れ込んだ酔っ払いが、走り去るバイクに向って叫んだが。  


「おい! たっちゃん、後ろ後ろ!!」

「あん?」


 直ぐに、追手の蓮實が鬼の形相で迫ってきていた。何とか仲間の労働者に引っ張られて、酔っ払いは踏み潰されずに済んだが、蓮實が走り去った後の衝撃で両脇の軒先に並んだテーブルや椅子などと共に店の奥へと吹っ飛ばされる。


 飲み屋街の小径から出た先、路面電車の走る大通りでは、ちょうど夕方の渋滞が道を塞いでいた。レンは、街灯の突端に左手を伸ばして飛び上がると、渋滞する自動車の天井を伝いながら、路面電車の線路にバイクで降り立った。

 レンは、桜木町駅へ向かう路面電車の陰に隠れ、後ろを振り返った。


「大丈夫か操?」

「うん、わたしはへっちゃらだよ」


 操がギュッと腕を締め直し、身を寄せた。レンが、ホッと一息ついたと思えた瞬間、真横を走る路面電車の後方が軌道から外れて離れていく。


 ――ギギギギー!!!


 車輪が放つ火花と共に、路面電車は回転して、遂には道の反対側へと飛ばされていった。同時に視界の開けた向う側から蓮實が姿をあらわした。


「逃げられはしないぞ!!」

 

 蓮實の手がレンたちのバイクに届くかに見えたが、駅から向かってきた逆方向の路面電車が蓮實を襲った。

 急ブレーキの音を響かせて路面電車は急停車した。レンはバイクを止めて、様子を伺う。


「潰れたか?」

「倒したのレン君?」


 しかし、その期待も一瞬で崩れ去った。

 路面電車の天井がバリバリと音を立てて引き裂かれ、中から蓮實が姿を現わした。唖然とした表情で操が呟く。


「不死身なの? あの人」

「たぶん骨格も全部、鉄で出来ているんだよ」


 レンはアクセルを吹かし、またバイクを走らせた。桜木町駅前にくると、多くの通勤客でごった返していた。スピードを落として、車列と人混みをかき分け前に進む。


「クソッ! 駅に入って、線路伝いに行こうと思ったんだけど、これじゃ無理だ!」

「どうするの? ていうか、何処に向ってるの?」

「そうだ!」

「わわ、ちょっと!」


 レンは操の言葉を無視して、新しい進路に舵を切った。渋滞の激しい道をぬって、山下町方面を目指してバイクを走らせる。

 後方に目を向けると、道を塞ぐ車列を跳ね飛ばしながら迫ってくる蓮實の姿があった。すでに服はほとんど破れさり、鉄塊で出来た異形の肉体が禍々しいオーラを放っていた。


 ようやく橋に差し掛かったところで、後ろから飛来する物体がミラーに写った。レンは前輪ブレーキを踏んでバイクをつんのめらせて後輪を浮かす。飛来した自動車のドアがバイクのアンダーカバーに当り、二人はバイクごと吹っ飛ばされた。腕が離れそうになった操を右腕で抱きかかえ、道に投げ出されたレン。勢いよくアスファルトを滑っていくが、左手で地面を擦りながら勢いを殺し、なんとか操を護りきった。


「大丈夫か操? 怪我はない?」

「私は大丈夫。それよりもレン君は?」

「俺もこのくらいなら平気だよ。だけど……」


 レンが見つめる先にある橋の上には、行く手を塞ぐように仁王立ちする蓮實の姿が有った。レンは、近くにある街灯に駆け寄り折り曲げて引きちぎると、蓮實に向かってそれを構えた。


「操! 傍を離れるな!!」

「は、はい!」


 操は、橋の入り口の左端に立ったレンの元へ駆け寄った。


「往生際が悪いなレン君! そんなものじゃ私には通用しないよ」

「そんなの、やってみなけりゃ分からないだろ!!」


 そう叫ぶと、レンは蓮實の方へにじり寄っていった。


「ハハハッ! 精々足掻くがいいさ!! 行くぞ!!!」


 蓮實は、全速力で向ってきた。


「操、おんぶするから、首にしっかり摑まってて!!」

「そんなことしたら、レン君のじゃまに!!」

「良いから早く!!!」


 操は、不安に思いながらもレンを信じて彼の首に掴まった。レンは彼女をおんぶすると、街灯を左手に掲げて走り出した。


「ウォオオ―!!!」

「死ね! レン!!!」


 二人が激突するかに思われた瞬間、レンは左へ方向転換し、橋の欄干から下の川へと飛び降りた。

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