第26話 赤レンガ

 水無瀬氏の屋敷からの帰り道、二人は山下公園に立ち寄った。ベンチに座り、海を見ながらアイスクリームを食べる操。


「食べないの?」

「涼しくなってきたのに、変だよ操」

「そんなことないわよ。美味しければ寒さなんて関係ない」


 船の行きかう海の上には、鰯雲が広がる秋の空。あれから思いを巡らしていたレンは、操の膝に頭をもたげた。


「うーん。どうしたもんか」

「レン君。無理はしないでよね。私のためにイヤイヤ仲直りしたとか嫌だかんね」


 操はそう言うと、レンの髪をやさしく撫で始めた。レンは気持ちよさそうに目を瞑る。幸福な気持ちを抱き、レンは眠りに落ちていった。


 ――ねぇ、かくれんぼしよう――ダメよ。隠れている間に爆弾が落ちてきたらどうするの?――このまえの、空襲警報なにもなかったじゃん――今度は分からないわ。東京は焼きだされた人がいっぱいだって教えたでしょ――ここは田舎だから平気だってオーパが言ってたもん――ジムったらなんてことを、あら? 坊や何処にいるの?――絶対に見つからない場所を見つけたんだよ――ウウウウウーーー!!! 鳴り響くサイレン――坊や、レン! 早く出てきてなさい!!――どうせ、また空振りだよ――ダメだ! 今すぐ出るんだ!――爆発、閃光、眩しい。聞こえなくなる耳。瓦礫の山。動けない。何かに挟まってる。痛い。痛い。夢なのに? なんで左腕が痛いの? ママは何処?――夏の影が大きくなって声を掛ける――ママは居ないよ。お前の所為でママは死んだんだよ――


「レン君! 大丈夫? ねぇ、起きてレン君!!」

「ううぅ、ううぅぅ……」

「泣いてるの? 大丈夫レン君?」


 何もない左腕があった場所を右手でさするレン。幻肢痛に顔をゆがめ涙を流していた。最初は戸惑いを見せていた操は、レンを抱き寄せて頭を撫でたり背中をポンポン叩いたりして必死に落ち着かせようとした。


「痛いよ。痛いよ」

「レン君しっかりして! 私がついてるから!! ね。落ち着いて……」


 操は、レンの顔を掴み、自分を見つめさせた。微笑みかける操の顔を見たレンは徐々に落ち着きを取り戻していった。


「ごめんね操。でも、ありがとう」

「うん。でも、レン君も子どもみたいに泣くんだなぁって」

「左腕が無くなれば、罪も消えると思ったんだ」

「それで、左腕を元に戻さなかったの?」

「でも、あれから何度も痛みが前よりも襲ってきて、俺の所為でママが死ぬ夢も何度も何度も見るようになって。前は痛いところを触れたけど、今は何も触れない」

「レン君の所為じゃないよ。自分を恨んでも何にもならないよ。それを他の人の所為にしても」

「ごめん。そう簡単にオーパを許せないよ」

「レン君……」


 その後、気まずい雰囲気のまま早々とデートを切り上げた二人は、桜木町駅で別れた。レンは橋のたもとのバージ船へ戻った。

 

「先輩がさぁ、安く譲ってくれるって言ってんのよ。支払いも月賦で良いって。って、おまえ人のはなし聞いてるか?」


 勝利が原付バイクを買う話をまた持ち出していた。レンは、マットレスに寝っ転がり天井を見つめ、まったく勝利の話を聞いていない。


「ちょっと静かにして勝利、考え事してるから」

「やれやれ……」


 帰ってきた時から暗い顔でいたレンを励まそうと必死に話しかけていた勝利は、どれだけ話してもまったく上の空のレンに呆れて部屋を出て行った。

 一人になったレンは、考え続けた。ヴァイス博士の事、水無瀬氏の話、操の事、そして実験体53号の事。それぞれの思い、考え、罪の意識と恨む心。左腕を無くしても、実験体としての罪からは逃れられないのか? 博士や53号と同じように恨みに囚われているのではないか? 


 ――いったい俺は、誰のために、何のために生きているのか?


 堂々巡りの思考の末に、レンは決断した。


 直ぐ後、勝利が夕食の材料を持って部屋に戻ってきた。それを見て、レンは起き上がり、マットレスの下をゴソゴソと漁り出した。


「今日は豆の缶詰安かったからよ。煮豆にすっぞ!」

「勝利、これ」


 台所に立つ勝利に声を掛けたレンは、彼が振り向いた瞬間に、手に持った札束をマットレスに投げ出した。 


「おまえ、この金……」

「真珠のネックレス返品したし、節約してたから。月賦で買うより、良いだろ?」

「じゃあ!」

「うん。オーパに会いに行ってくるよ」

「俺も、先輩とこにカブ受けとりに行ってくるわ!」


 赤レンガ倉庫の一角に、ヴァイス博士の隠れ家があった。隠れ家と言っても、例の古い車に寝泊まりしているだけではあったのだが。

 レンは、空の酒瓶が周囲に転がる車にたどり着くと、後部座席の窓を覗き込んだ。中では、ウイスキーの酒瓶を抱えた博士が、くだを巻いてた。


 ――ドンドン!

「オーパ! 起きろ!」

 ――ドンドン!

「来てやったぞ!!」


 そのように何度か窓を叩いて、ようやく博士もレンの事に気がついた。博士はひげが伸び放題になっていて、もはや仙人のような見た目になっていた。


「おおおお! おう! レンかぁ!! うぇー……」


 博士は扉を開け、車から這い出してきた。車内の酒臭さがプンと匂ってくる。


「どれだけ呑んでるんだよ……」

「レンよ! レン! よお戻ってきた!!」


 博士は立ち上がることも出来ず、レンの足元に縋り付いてきた。レンはそんな博士を片手で引っ張り上げる。


「何か食べに行こうオーパ。そんなに酔っぱらってたら腕の取り付けなんてできそうにないや」

「ワシを許してくれるのか?!」

「全部許したわけじゃない。一緒には住まない。でも、操のためにも俺は大人にならなくちゃならないんだ。だからオーパ、また左腕の世話を頼むよ」

「レン! 我が息子よ!!」

「こんな爺の父親イヤだよオーパ……」


 よぼよぼの博士に抱き着かれ、困惑しながらも、次第に柔らかい視線をレンは投げかけるのだった。


 数日後、これからの事を本庄に報告をしにレンはひとりで警察署を訪れた。


「水無瀬氏の所へ丁稚奉公することになりました。貿易の事を学んで、いずれ何か事業をする役に立てようと思ってます。勉強も操に教えてもらおうと思ってます。英語が出来た方が横浜では絶対役に立つし。操も来年は夜間高校に入るって言ってました。俺も一緒に来てと言われてるけど、稼ぐ方が先だから、まだ無理だと思います」

「そうかそうか。真面目に暮らすようで何よりだな。しかし、ヴァイスさんの事が一言も出てきて無いが?」

「オーパとは、たまには会うと思いますよ。メンテナンスとかで。まずは、酒をちゃんと止めたのが確認できてから一緒に暮らしたいです。それまでは、勝利の所に居候して、お金を貯めようと思ってます」

「ひとりで酒を断つのは大変だぞ?」

「教会のやってる断酒会に参加してるから大丈夫。仲間も出来て少しはオーパも変わってくれると信じてます。それに、53号以外にも実験体の生き残りがいるみたいなんで、立ち直ってもらって他の実験体を助けてあげる責任がオーパにはあるから」

「それで、赤レンガに籠っていろいろしてるのか?」

「この前は、電磁場の出力が足りなくて逃げられたから、色々他の物も研究してるみたいです」


 その後も世間話などをして、過ごしていると、にわかに署内が騒がしくなりだした。そして、捜査一課の部屋に警官が駆け込んできて叫んだ。


『大変だ! 赤レンガ倉庫で大規模な爆発が有ったみたいです』

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