第25話 艀
陽が傾き夕暮れ迫る頃、ふたりして商店街の入り口まで帰ってきた。
「決まったら、連絡どうやってしようか?」
「勝利に言ってよ。週に何回かは来てるんだろ?」
「おじさんがうるさいからなぁ勝利君と喋ると。そうだ! 本庄さんの方が来ること多いよ?」
「最近、本庄さんとは会ってない」
「なんで? あんなに親身になってくれたのに」
「実験体なんちゃら号が見張ってるかもしれないからって言うんだ」
実験体53号、またの名を蓮實軌外。博士の電磁波攻撃によって、神経回路がかなり破損している可能性が高かったが、川底からは未だに何も発見されてない。そして、最近奇妙な盗難事件がいくつか起きていて、その犯行現場の様子から蓮實の犯行ではないかと疑われていた。
「そのままで大丈夫、レン君? お爺さんだって……」
「腕が無い方が、襲う意味だって無いよ。殺しに来るならもうとっくに来てるさ。だから心配いらない」
「私はお爺さんと仲直りして欲しいな」
「オーパは、罪を認めて罰を受けるべきなんだよ。本当は俺もそうなのかもしれない」
「それはダメ! レン君は悪い人に利用されてただけなんだから。私を置いて少年院なんかに行っちゃダメだかんね!!」
操はレンの胸に飛び込んだ。レンは操の頭に手を置き、やさしく話しかける。
「通る人に見られてるよ操」
「いじわる! いいの!」
その後、名残惜しそうに何度も途中で振り返りながら操は商店街の中へと消えていった。レンは、商店街を迂回して路面電車の通る道を桜木町駅に向かう。その後ろを付いてくる怪しげな人影。桜木町駅前から右に折れて、近くの大岡川の船溜まりまで付いて来た。レンは川岸の突端で振り返る。
「話すことはないよ。オーパ」
「お願いじゃ! レン!」
そこには、懇願するヴァイス博士の姿があった。レンは、抑えていた感情を爆発させるように叫ぶ。
「左腕の無い俺は、もう必要ないだろ? あっちいけ!!」
「待つんじゃ! 待っとくれ!」
「これ以上近付いたら殺す!!!」
怒りに打ち震えるレンの言葉に、ヴァイス博士はその場に立ち尽くすしかなかった。
レンは川岸から違法係留されたバージ船の一つに乗り込んだ。
「お帰り! どうしたん? 中まで声聞こえたぞ」
「何でもない」
そう言うと、レンはマットレスに寝っ転がった。おんぼろのバージ船の中でも特に朽ち果てる寸前といった船。蓮實との中華街での戦闘によって、龍神会はほぼ崩壊し、木島自動車も開店休業状態に陥った。そんな訳で仕事を失った勝利は、桜木町駅近くの違法係留船に住みながら、タグボートの下働きなどをして日銭を稼いでいたのだ。金を節約したかったレンは、木賃宿を出て勝利の所へ現在居候中なのだった。
「いいかげん許してやってさ。左腕付けろよ! 船の仕事はいっぱいあるぞ?」
「大丈夫だよ勝利。新しい仕事が見つかりそうなんだ」
「ババアに混じってビルの清掃とかか?」
「違うよ。操が貿易関係の知り合いに聞いてくれるって」
「貿易関係? バカのお前に務まるのか?」
「バカって言うなよ勝利、俺は日本語と漢字が苦手なだけだよ」
「やっぱバカじゃん! って、わ! 物を投げつけるな!」
「お前よりマシだよ。勝利!」
「野郎! 仕返しだ!!」
部屋に転がるゴミみたいな物を投げ合ってじゃれ合う二人。元々ぐちゃぐちゃだった室内は、投げ合った後も大して変化はなかった。
「なぁ、頭金出し合ってスーパーカブ買わねぇか?」
「左手無いから、クラッチきれないじゃん」
「だから、左手付けろっつてんだよ。バイクがあれば、操ちゃんと江の島まで走ったり楽しいぞ!」
「うーん」
勝利に言われてレンは操とバイクに乗る自分を想像した。砂浜の広がる道を海風を受けて走る姿や、渋滞にはまる自動車を尻目にスイスイと街中を走り抜ける。石畳や噴水、真実の口……と、想像が昔見た映画の記憶と混じりあう。その映画を見た頃は分からなかったことが、今では実感できる。こんどは操と一緒に見たいなと意識が別の方へと流れて行った。
「ねぇ、勝利」
「お? 考え直したか?」
「名画座のプログラムってどこで分かる?」
「はぁ?」
数日後、操と一緒に山手にある洋館を訪れた。表札に水無瀬と書かれてた高い鉄柵の門を潜り抜けると、小径の両側に植えられた垣根から金木犀の香りが漂ってきた。茶色いレンガ積みの洋館に入ると、吹き抜けの踊り場になっていた。落ち着いたオークの床板と階段に、壁は乳白色の漆喰が塗られていて、全体的に柔らかな印象を与えていた。
「こちらへどうぞ!」
かっぽう着姿の女中さんが、奥の応接間に二人を案内した。部屋に入ると、寿美子とその父親水無瀬氏が待ち構えていた。
「ようこそ、家へは久しぶりね」
「寿美子、今日はありがとう。それに寿美子のお父様も、無理を聞いていただきありがとうございます」
操は、水無瀬氏に対して深々と頭を下げた。その様子を見ていたレンも見様見真似で頭を下げる。
「硬いことは良いから、とにかくかけたまえ」
二人はソファーに腰掛けた。視線の先には、大きな窓があり、バラの咲き乱れる庭園の風景が広がっていた。座ったタイミングを見計らって、女中が紅茶とクッキーをテーブルに持ってきた。操は緊張でガチガチになっていたが、レンはそうでもなく出されたクッキーを手に取って食べだした。
「これ美味しいよ。操も食べてみなよ?」
「バカ、遊びに来たんじゃないでしょ? すみません! 礼儀がなってなくて」
「ハッハッハッハ! 寿美子から聞いていたが、面白い男だね君は」
「良く言われます」
「もう!」
「クスッ……」
静かにしていた寿美子もたまらず小さく笑った。場が和んだところで、水無瀬氏が話を切り出してくる。
「さて、仕事だが。フランス行きの商船なんてどうかな? 色んな国の乗組員がいるんだが、日本語とフランス語が両方使えるのは珍しいから重宝するかと思う」
「うーん。操と長い間、離れ離れになるのは嫌です」
「ほほう。ハッキリ言うね。普通に働くよりずっと賃金も良いし、将来の事を考えたら悪くないと思うがね?」
「そんなにいっぱいお金は要りません。今までは、お金はたくさん必要なんだと信じ込まされてました。でも、違うって気がついたんです。生きるためにチョットだけのお金が有れば良いって」
「ふーん、君はマルクス主義者なのかね?」
「ちょっとお父さん!」
「分かりません」
「マルクス主義が分からない?」
「いや。理想はみんな平等は良い事だけど、ソ連を見ても、組織内での権力闘争から独裁に至る人間本来の醜さが有るかぎり、それは無理だろうとオーパが言ってました」
「ほう。君のお爺さんはリアリストなんだね」
「ユダヤ人なので、スターリンが嫌いなだけです」
「なるほど! 君は学校に行ってなかったと聞いていたが、見た目と違ってよく勉強しているようだ。君は私が採用しよう!」
それを聞いた操が、「本当ですか!」と、目を丸くした。
「やったよ操!」
「おめでとうレン君」
人目も憚らず抱き合って喜びあうふたり。しかし、水無瀬氏の次の言葉に、レンは戸惑わずにはいられないかった。
「但し、お爺さんと仲直りしたら採用しよう」
「え……」
「君の事は多少は調べさせてもらったよ。警察にはツテが有るのでね。だから、なんで困ってるかも大体は分かる。利用されていたということもね。だが、贖罪の気持ちが有るのなら、相手を許すことも必要なんじゃないかな?」
「はぁ……」
結局、その日は話がまとまらなかった。水無瀬氏はレンが恨みに囚われず、許すことがこの先の人生を歩むうえで大切なことだと説き、それが叶ったら喜んで迎え入れようということなのだ。屋敷を出て、帰り道を歩きながら操が話しかける。
「ねぇレン君。意固地にならないで仲直りしたら?」
「うーん」
帰り道の間、ずっと唸り続けるレンなのであった。
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